第19話 勇気ある者
なぜ、どうしてわかった。そんな疑問が頭を埋め尽くす。
そんな頭の回らない状態で、なんとかごまかそうと口を開いたのは悪手だった。
「いや、そんな有名人なわけないだろ」
「ぷっ、その返事は駄目でしょ。せめて、なんだリクガメって。俺は人間だぞくらい言いなさいよ」
小さく笑いをもらしながら軽い口調で指摘してくる長野の言葉に、自分の失態を思い知る。
たしかに普通の人がリクガメと聞いて思い浮かべるのは、亀のリクガメのことだろう。たしかに月乃ミトの配信に出てきたリクガメは有名といえば有名だが、それはあくまで一部の界隈でしかない。
月乃ミトの配信を俺も見たから知っている、などと言ってごまかすことも考えたが、長野の言葉は確信に裏付けられているように俺には思えた。
軽い口調で返してきたし、長野の性格からしても悪いようにはならないだろうと、俺はため息を吐いて決断を下す。
「そうだよ。あの不気味な落ち窪んだ目の謎生物だ」
「ふふっ、あれはすごいわよね。描こうと思って描けるものじゃないわ」
「本人はいたって真面目に描いていたけどな」
「そっか。小早川さんって絵が下手だったのね」
そんなことを言いながら長野が苦笑する。リクガメが俺だってばれていた時点で半ばわかってはいたことだが、月乃ミトの正体まで長野は見抜いていた。
「なんでわかった? 俺も小早川が月乃ミトだと最近まで気づかなかったんだが」
そう問いかけると、長野は「うーん」と呟きながら少し考えるように間を置く。
なんとなくだが、長野がVチューバーという沼にはまっているようには感じない。知識としてはいちおう知っているが、配信を見たことはないという一般人の枠の中にいると思う。
外見上はとりつくろっていて、裏では、ということも考えられるが、長野からはそういった匂いが一切感じられなかったからな。
「あるVチューバーが身内バレしたって記事をたまたま読んで、少し興味があったから動画も見てみたの。そこで話しているそのVチューバーの声が小早川さんに似ていて、その兄の声が上田に似ていたから」
「俺もかぁ、それは盲点だったな。もしかして結構気づいている奴いるのか?」
「うーん、どうだろう。基本上田は帰宅部だし、三上君しか友達がいないから大丈夫じゃない?」
「ちょっと長野の俺に対する認識を変えないといけないようだな」
「そう? 事実を正確に捉えてると私は思うけど」
全く迷いのないその答えに、俺はそれ以上反論することは出来なかった。
天文部に所属してはいるが部活動にはほとんど参加せずに帰っているし、積極的に友達づきあいをしているわけでもないから、知り合いはいるが友達といえるのは昔からつるんでいる司ぐらいだ。
「あらためてそう言われると、俺の青春ってこれでいいのか? って疑問が浮かぶな」
「でも変える気はないんでしょ?」
「ご名答」
長野のため息が俺の耳に届く。
たしかにキラキラとした青春に憧れがないわけではない。特に司を見ていると、その気持ちは少なからず浮かんでくる。
だが、俺はこれでいい。このまま何事もなく、平穏に。それだけのことが、こんな俺にはとても贅沢なことだと知っているから。
しばらくそんなことを話しているうちに、9時半になり俺と長野は2回目の観測に入る。
ペルセウス座は少しずつその高度を上げていき、月のない夜空にある星々はその輝きを俺たちに届けていた。
「流れたわね」
「ああ、でも方向が違うから流星群じゃないな」
流れ星を見ることも少しずつ増え、このぶんだと1時間に10以上は観測が可能だろう。
時計のボタンを押して時間を記録しつつ、メモに流れた星の位置、方向、そして明るさを書いていく。明かりをつけるわけにはいかないので手探り状態だが、文字と簡単な絵を描くぐらいならどうにかなるな。
計数観測を続けながらちらりと隣に寝転び空を見上げる長野を眺める。暗闇に目が慣れてはいるものの、その表情までははっきりと見ることはできなかった。
俺や琴音のことを見抜いた長野の態度は全く変わらない。ただ気づいてしまったから確認しようと思っただけなのか?
人に言いふらすような奴じゃないからその点は安心なんだが、なんでこのタイミングで聞いてきたんだろう。そんなことを考えているうちに時刻は10時半になっていた。
後輩たちの観測が始まり、俺と長野は寝転がりながらたわいもない話を続ける。本当になんでもない、夏休みになにしてた、や学園祭での発表の仕方についてだったりだ。
俺たちの観測は残るところ1回。深夜0時半から1時半の一時間となる。
流星群はまだまだ観測できるはずだが、天文部の部活動の合宿として許可された観測時間が深夜2時までらしい。1時半からの残りの30分は後輩たちが観測し、それで合宿のメインイベントは終了というわけだ。
雲ひとつ無い晴天に恵まれ、しかも山の上で明かりによる影響も少ないこともあり、吸い込まれそうな空には、幾つもの星が輝いている。
その中でもひと際光を放つ夏の大三角形の一角であるベガに、なんとなく手を伸ばして宙を掴む。
「さすがにベガには届かないか」
「当たり前でしょ。でもなんとなく気持ちもわかるわ。手を伸ばしても届かないってわかっていても、そうしたくなっちゃうわよね?」
「おー、なんか長野がロマンチックなことを言い始めたぞ」
「始めたのはあんたでしょうが!」
俺の肩に突き刺さった長野の拳はけっこうな破壊力だった。すぐ離れていったが、じんじんとした痛みが残っている。
青あざにならないよな、などと心配する俺の耳に、長野の小さな声が届く。
「こと座、か」
そう呟いた長野は身じろぎし、少し体勢を変える。その視線の先には俺が先ほどまで手を伸ばしていたベガ、こと座の中で最も輝く青白い一等星があった。
先ほどの俺の真似をしてか、長野が空に向かって手を伸ばす。そして何もない宙を掴んだ拳を自分の胸に当てると、こちらに向き直った。
距離にして60センチほど。星空を映した長野の瞳が俺を捉える。暗く、はっきりと見えないはずなのに、長野が真剣な顔で俺を見つめているのがなぜかわかった。
「ねえ、上田。ごめん、私嘘ついた」
「んっ、なにがだ?」
「小早川さんのこと。最初に見たとき、私は月乃ミトがだれかわからなかったの。でも、その兄が上田だってことは確信していた」
「そんなに俺の声ってわかりやすいか?」
「ううん、違うよ。ずっと私が想い続けてきた人の、特別な人の声だからわかったの」
だれかが使ったのか赤いライトがさっと動いて俺たちを照らし、一瞬ではあるが長野の顔がはっきりと映る。その潤んだ瞳はじっと俺を見つめており、いつもとは違う恥ずかしげな表情のままその唇が動く。
「私は、り、陸斗が好き。ずっと、ずっと陸斗を見てきた。だから……だから……届かないベガを追いかけるのをやめて、私と一緒にいてほしいんだ」
「長野……俺は……」
「ごめんね、突然こんなこと言っちゃって。私、わかってるの。陸斗が私のことなんて全然気にしてないって。でも月乃ミトの動画を見て、親しげに話す二人を見て、どうしても言わずにいられなかった。言っても陸斗の負担にしかならないってわかってたのに。重くてごめん、卑怯で……ごめん、なさい」
声をこらえるように長野が体を丸くする。その姿と声から、長野が泣いているのは明らかだった。それなのに俺は声をかけることも、少しだけ伸ばした手を届かせることもできない。
自分のことを卑怯だと長野は言った。でもそれは違う。
長野は結果がわかっていながら、自分が傷つくであろうことをわかっていながらも、先に進むことを選んだ。それは卑怯者ができるようなことじゃない。
「本当に卑怯なのは他のだれでもない。この俺だ」
すすり泣く長野に向けて改めて手を伸ばす。
止まり続ける卑怯者の俺に、光を見せてくれた彼女に少しでも報いるために。
「あっ」
「ありがとう、長野。お前はやっぱり、すごい奴だよ」
寝転ぶために、いつものお団子ヘアーではなくおろした長野の頭をゆっくりと撫でて抱きしめる。さらさらとした艶のあるその髪は、どこか、この綺麗な夜空を思わせた。
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