第17話 天文部の合宿
新美さんとの話し合いから2週間が経過し、既に8月の中旬にさしかかっている。夏休みもだいたい半分が過ぎているが、まだ本格的に受験について考えていない高校2年で宿題も終わらせた身としては、のんびりと趣味に没頭できる時間はまだまだあった。
うん、のんびりできたはずなんだけどな。
「ふぅー、とりあえず間に合った」
完成した切り抜き動画をアップロードしながら、あらかじめテキストエディタで作成しておいたスケジュール等に誤りがないか最終確認していく。
今日の15時から始まる『マギスタ流星祭』の前夜祭と銘打たれて配信されたマギスタ公式の動画を切り抜き纏めたわけだが、さすがに6時間に及ぶスケジュールをわかりやすく整理するのは結構な骨だった。
ただ単純なスケジュールであれば公式のものを表示すればいいだけだが、各イベントにメインで参加するVやそれぞれの見所、不自然な時間の空白にシークレットイベントがあるのではないか、などの推測を交えたりしていたら朝までかかってしまったのだ。
この流星祭に関する物販もあったり関連情報も多いため、今回はいつもの概要よりもはるかに情報がぎゅっと詰め込まれていた。
動画のアップロードが終わり、テキストエディタから概要欄にスケジュール等をコピペする。
まだ午前7時すぎで、初動の再生数のみを考えるならもう少し後に投稿した方がいいのかもしれないが、さすがに15時から『マギスタ流星祭』が始まることを考えれば、なるべく早い方がいいだろう。
概要欄に書かれた『月乃ミト』という名前に視線をやって少し微笑む。
「頑張れよ、琴音。投稿っと」
投稿ボタンを押し、間違いなく動画が公開されたことを確認した俺は、大きなあくびをしながら立ち上がる。そしてベッドに立てかけておいたリュックに手を伸ばすとそれを背負って部屋を出た。
今日は8月13日、日曜日。ペルセウス座流星群が極大になる日であり、俺が所属する天文部の合宿の日だった。
学校の職員用駐車場に集まった俺たち天文部の合宿参加者たちは、顧問の山根先生の指示に従って10人乗りのでかいワゴンタイプの乗用車に乗り込む。
4列シートの最後尾に1年生女子の仲良し3人組が座り、3列目には観測に使う荷物などが、そして2列目に俺と長野が隣同士で座る。参加者は結局この5人だけだ。
山根先生も50代ではあるものの女性なので、俺は黒一点ということになる。アウェイ感が半端ないな。
「じゃあ出発するわよ」
運転席から振り向いてそう声をかけてきた山根先生に、「はーい」という返事を皆で返すと慣れた様子で山田先生は車を発進させた。
これから2時間半、隣県との境にある山頂のロッジまで山根先生が運転してくれるらしい。
ぼんやりと外の流れていく景色を眺めている俺とは違い、最後尾からは弾むような声とお菓子を食べる音が聞こえてきた。
「小早川さん、残念だったわね。途中から参加できそうなら自力で来るかもって聞いたけど、難しいのよね?」
「らしいぞ。俺も詳しくはしらんが」
話しかけてきた長野にそう答えながら、あくびを噛み殺す。
琴音は月乃ミトとして『マギスタ流星祭』に参加するために、今は東京の本社にあるスタジオにいるはずだ。いや、新幹線を使えば2時間弱で行けるのだからまだこっちにいる可能性もあるのか?
まあどちらにせよ今回の合宿に参加するのは無理だろう。
「しかし5人中4人が女子か。男の俺が参加しない方がわいわいできて良かったんじゃないか?」
「そんなことないわよ。勧誘に乗ってせっかく参加してくれた1年生に、2年生は誘えませんでした、なんて情けないところ見せなくてすんだし。火起こしとか荷物運びとか力仕事もあるから」
「なあ、俺は星の観測に来たのか、重労働するために来たのか、どっちだ?」
「それで女子に囲まれたハーレム気分が味わえるなら得なんじゃない?」
にやにやと笑う長野の軽口にため息を吐いて返し、座席を少し倒して背もたれに体重をかける。
クーラーの効いた車内の快適さとゆったりとした振動が俺の意識を徐々に奪っていっていた。
「悪い、徹夜明けなんだ。ちょっと寝るな」
「はいはい。キャンプ場に着いてからの重労働に備えて体力を回復させるといいわよ」
「重労働するのは確定なのかよ」
楽しげに笑う長野にツッコミを入れ、大きく口を開けてあくびをして目を閉じる。するとほどなく睡魔がやってきた。
だんだんと1年生の声が聞こえなくなっていき、ゆらゆらと揺れる心地よい感覚に身をゆだねた俺の意識はいつの間にかなくなっていた。
車に乗り込みほどなくして寝てしまった陸斗を、隣に座った天文部次期部長の長野綾は窓の外の景色を眺めるふりをしながらこっそりと見つめていた。
いつものどこかおどけた姿とは違い、すやすやと子どものように眠る陸斗の姿に綾はやわらかく微笑む。
「もっと話そうと思っていたのに車に乗ったらすぐ寝るって、本当に上田は……」
少しの苛立ちを発散するように陸斗の肩を綾がつんつんと突く。しかし深く眠り込んでしまっている陸斗がそんなことで起きるはずはなかった。
それでも何かは感じるのか、むずがるようにする体を揺らす陸斗に綾が微笑みながら頬を赤く染める
この合宿が出来るように綾は懸命に動いた。それは天文部の次期部長としての責任感も多少はあったが、それ以外の理由が大半だった。
一時は駄目かと思ったが、幸運にも状況は綾の望んだとおりに進んでいる。このチャンスを逃す手はない。そんな決意と共に綾は今日やってきたのだ。
「陸斗」
こっそりと呟いた、呼び慣れないその名前が自分の耳に届き、綾は持ってきた帽子で顔を覆う。一気に熱くなった顔を後輩に少しでも見られでもしたら、すぐに察せられてしまうだろうとわかっていたから。
しばらくそうやって気持ちを落ち着かせていた綾だったが、しだいにうとうとと眠気がやってくる。昨日は緊張してあまり寝られなかった反動が今だ。
このまま寝てしまおうか、そんなことを考えていた綾だったが、肩にポスンと重みを感じ帽子を少しずらしてそちらに視線をやる。
そこには自分の肩に頭を預けて眠る陸斗の姿があった。
思わず声が出そうになったのを必死で押さえ、綾は早くなる心臓の鼓動をなんとか落ち着かせようとする。しかしそれは一向に治まる様子を見せなかった。
肩に乗る陸斗の重さとそこから漂う自分とは違う匂いを感じながら綾はしばらく動きを止め、そしてゆっくりと自分の頭を陸斗の方に傾けていった。
コツンと頭をぶつけ、綾が大きく息を吐く。
二人とも眠ってしまい、仲良く肩を寄せ合っているような姿のまま、綾はこんな時間がずっと続けばいいのに、と願いながら車に揺られキャンプ場に向かったのだった。
俺たちがたどり着いたキャンプ場は、バンガローが幾つか並んだこじんまりとした場所だった。
街から離れ、他のキャンプ場なども近くにないため周囲には光がほとんどなく、天体観測するには非常に環境が整っている。さすが天文部が代々利用してきた場所なだけはある。
他のバンガローを利用している人も望遠鏡を持ってきていたりと俺たちと同じ目的らしいので、もしかしたらその界隈では有名な場所なのかもしれない。
「っていうかマジで重労働じゃねえか」
現実逃避すれば多少はマシかと思ったが、運んでいる薪が軽くなるはずはない。
誰だよ、天文部の合宿の夕食はカレーって決めた奴。いちおう電気は通っているんだからホットプレートを持ち込んで焼肉とかでいいだろ。
「おーい、上田。早くしなー。のろのろしてるとこっちの準備が終わっちゃうよ」
「終わっちゃうよ、じゃねえよ。終わらせて手伝え!」
「料理は出来んが火起こしぐらい任せろっていったのは上田でしょ?」
「薪の置き場所が遠すぎるんだよ!」
坂の上の俺たちの泊まるバンガローの前で野菜をむいていた長野と後輩たちが、薪を両手で持ってふらふらと歩く俺を見下ろしている。
なんの因果か俺たちの泊まるバンガローはこのキャンプ場でも最も山頂に近い場所に位置しており、薪が置いてあるのは坂下の駐車場と受付のロッジのすぐそばだった。
そこからえっちらおっちらと薪を運んできたのだ。時間がかかるのも仕方ないだろ。
やっとたどり着いたバンガローの近くに備え付けられた炊事場で、きゃいきゃいと騒ぎながら料理をしている女子たちを横目に火起こしを始める。
薪の置いてあった場所に火の起こし方から管理の方法まで記載された看板があったので迷うことはない。着火材も忘れずに持ってきたしな。
薪を組み、着火材を仕込んでそこに火を入れる。ゆっくりとうちわで扇いで空気を流し込んでやると、しっかりと薪に火が移っていった。
ゆらゆらと揺れる火ってなんかいいよな、などと思いながらぼーっとしている俺の頬を冷たい感触が襲う。
「お疲れ」
「おっ、サンキュー」
長野の持ってきた冷えたペットボトルのお茶を受け取り、ごくごくと飲む。汗として失った水分が補給されていく心地よさに口を離した俺は大きく息を吐いた。
長野が俺の横に座る。料理の方はいいのかと視線を向けると、後輩たちは既にエプロンを外して楽しそうに談笑していた。
「意外と手際がいいわね」
「まあな。手伝ってくれるつもりだったのか?」
「さっき自分で言ったんでしょ」
当然のことのようにそう答えた長野の笑顔に、小さく笑い返す。こういうところがこいつのすごいところだよな、などと思いながら薪の火を調整する俺を、長野はじっと見つめていた。
「なにかあったか?」
「う、ううん、別に。こうやってキャンプするのは久しぶりだなーって思って」
「確かにな。俺の家は、夏は山よりも海って感じだし。長野は?」
「うちもそうかな。といっても家族旅行自体最近はあんまりないんだけど」
「あー、確かに年齢が上がると減るよな」
そんな雑談をしながら、ときおり薪を入れていく。そろそろ料理しても問題ないくらいに安定しているよな。
「おし、俺の役目はここまでだ。あとは頼んだ」
「はいはい。楽しみにしておきなさい。みんなー、そろそろ料理を再開するよー」
後輩たちに声をかけながら立ち上がった長野の後に続いて俺も立ち上がる。野菜の皮などの生ゴミでも捨ててくるかと歩き出した俺に、長野が視線を向けた。
「夜、楽しみね」
「そうだな。そのためにも運動して減った腹をちゃんと満たしてくれ」
「大盛り希望ってこと?」
笑って長野にうなずいて返し、やってきた後輩たちと入れ替わるように流しに向かう。その背後からはてきぱきと指示を出す長野の声が聞こえていた。
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