第16話 伝わる想い

 壁越しで見えなかったが真後ろにいたらしいお客さんに頭を下げて新美さんは席に戻ってきた。

 まあスパチャのお金をバイトって聞いてきた段階で、知らないんだろうなぁとは予想していたが、さすがに俺も自分の編集した動画を見せられるとは思ってもみなかった。

 しかし切り抜き動画まで確認しているとは、マネージャーって大変だな。新美さんだけかもしれないけど。


「あー、疲れた。こんなに謝ったのは久しぶりよ」

「へー、何したんです?」

「その手には乗りません。想像にお任せします」


 うーん、面白話でも聞けるかと思ったんだが、さすがに無理か。ちょっとからかいすぎて警戒心をもたれてしまったな。

 まあ嫌われているわけじゃなさそうだし良しとしよう。新美さんの人となりもわかったし、会うことに決めてよかった。


「とりあえず俺への用事はこれで終わりですか?」

「そうね。これからもミトの応援をよろしく。お兄ちゃん?」

「ははっ、まあ俺なりに応援しますよ」


 まだアメリカンが残っているためか新美さんはもう少しゆっくりするみたいが、俺は残っていたミルクセーキを飲み干すと席を立つ。

 別に新美さんが苦手というわけではないんだが、なんというか、この人に見つめられると嘘でごまかしにくいんだよな。

 用件もおわったみたいだし、ボロが出ないうちに退散するに限る。


「ごちそうさまでした。ミトのこと、これからもよろしくお願いします」

「ええ、もちろん。あっ、そうだ。ミトになにか伝言はある? 今度話すときに伝えておくけれど」

「うーん、新美さんのアドバイスをちゃんと聞けって伝えておいてください。あと、勉強はしっかりしておけとも」

「わかったわ。リクガメ君、今日はご足労いただきありがとうございました。それじゃあ、また」

「ええ、機会があればまた会いましょう」


 たぶん果たされないであろう再会の約束を新美さんと交わし、マスターに「ごちそうさま」と伝えて店を出る。

 クーラーで冷えていた体に、じっとりとした湿気と生ぬるい暑さが絡み付いてくる。来たときよりも空はどんよりと暗くなっていた。


「雨が降りそうだな。さっさと帰るか」


 差し込んだ鍵をひねってロックを解除し、自転車に乗って家路を急ぐ。色々な意味で雨にならなくて良かったと思いながら。





 リクガメこと陸斗が出て行った扉を、新美はじっと見つめていた。曇りガラスの先で陸斗はしばらく動きを止め、しばらくして自転車にまたがると店から離れていく。

 それを確認した新美はカップを手に持つと席を立ち、自分の背にあった壁の裏、陸斗からは完全に死角になったテーブル席に腰をおろした。


「ですって」


 そう新美が言葉を投げかけた先にいたのは、顔の両側に三つ編みにしたおさげを垂らした瓶底メガネの少女だった。

 テーブルには宿題と思われるプリントが何枚か並んでいたが、それが進んでいる様子は全く見えない。ただ傍らに置かれたメロンソーダのかいた汗が、テーブルに大きなしみを広げていた。


 少女は静かにウィッグをとり、メガネを外していく。少し長い前髪を揺らしながらそこに現れたのは月乃ミトの中身である小早川琴音だった。

 テーブルをじっと見つめ何も言わない琴音のことを、新美はじっと待ち続ける。それがとても大切で、必要な時間であることを十分に理解していたから。

 しばらくして、琴音がぽつりと漏らす。


「やっぱり、リク兄にはかなわないよ。私より私のことを知ってるんだもん」

「いいお兄さんね」

「はい、私にはもったいないくらいです」


 じわりと浮かんだ涙をこすってごまかし、琴音が前を向く。


「新美さん、ここに来ようか迷っていた私の背中を押してくれて本当にありがとうございました。そして今まで素直にアドバイスを聞けなくてごめんなさい」

「いいのよ。むしろそんな風に思い込ませてしまったこっちの落ち度だもの」

「違います。少なくとも新美さんはずっと私に無理しなくていいって伝えてくれていました。それなのに私は怖がって、殻にこもるばかりで……本当に成長していませんね、私」


 ごまかしきれなくなった涙が、ぽたり、ぽたりと机の上に落ち、新たな水溜りを琴音の前につくっていく。

 新美は琴音の隣の席に移動すると優しくその肩を抱き、頭を撫でた。小柄ではあるものの、新美よりは大きいはずの琴音だったが、その背を丸めた姿はとてもか弱く、小さく見えた。


「大丈夫、大丈夫だから」


 震える琴音の体を抱きながら優しく声をかけ続ける慈愛に満ちた新美の姿は、まるでそれ自体が1枚の絵画であるかのように美しく、なにより温かなものだった。


 しばらくして琴音も落ち着き、少し鼻をすすりながらではあるもののその涙が止まる。すかさず新美がとりだしたティッシュを受け取りながら、琴音は照れ隠しに笑った。


「新美さんってすごいよね。外見にみあわず母性の塊って感じ」

「さすがリクガメ君の妹。一言多いのはそっくりです」

「全然違うよ。私のマネちゃんへの言葉は愛にあふれているから」

「そういうところもそっくりだと思います」


 お返しとばかりに抱きつき返してきた琴音から逃げるように、新美がぷいっと顔を背ける。そのやりとりがどこかおかしくて、二人は顔を見合わせると同時に声に出して笑った。


「私、配信の内容をもう一度考えてみます。新美さんのアドバイスだけじゃなくって、自分でも色々と試してみようと思うんです。せっかく夏休みで時間がありますし」

「そうね。私もできる限りは協力するから」

「はい、頼りにしてます」


 体を離し、にっこりと笑う二人は仲の良い姉妹のように見えた。どちらが姉と思うかは人によるだろうが。


 アイスが溶けて混ざり、濁った黄緑色になっているメロンソーダを琴音がストローで飲んでいく。

 その隣ではマスターにお代わりのアメリカンを注いでもらった新美が、再び角砂糖とミルクをたっぷり入れてそれをかき混ぜていた。


「あー、でもリクガメ君を勧誘し損ねたのは残念だったな。絶対に面白いことになるのに」

「言ったじゃないですか。リク兄はたぶん断るって」

「メリットを潰されちゃったし当然なんだけどね。まさかミトの切り抜き動画の最大手がリクガメ君とは。あれだけスパチャしても平気なわけだ」


 がっくりと肩を落とす新美の姿に琴音は苦笑いを浮かべる。

 Vチューバーの切り抜き動画を扱う者は数多くいる。最も多いのは箱推し、つまりマギスタなどの会社ごとに、所属するVチューバー全般の切り抜き動画をつくる者だ。

 ただ一部には個人のVチューバーの動画のみを専門に切り抜く者たちもおり、月乃ミトでいえば陸斗がつくっている『ミト専切り抜きch』が動画の投稿数も再生数もぶっちぎりでトップだった。


 既に収益化の条件もクリアしており、半分はマギスタの取り分になるとしても、それなりの収益が陸斗に入っていることは間違いない。

 なにせ新美自身、陸斗の『ミト専切り抜きch』をチャンネル登録し、アドバイスの参考にしていたのだから。

 アメリカンを息を吹いて冷まし、コクリと飲み込んだ新美が大きく息を吐く。


「まあ切り替えていくしかないんだけどね。それにしてもリクガメ君って本当にミトのこと大好きよね」

「ええっと、かもしれません」

「何言ってるのよ。困った時には助けてくれるし、いつの間にか切り抜き動画でフォローもしていてくれたし。間違いなく好きでしょ。でもちょっと気になるのは、なにか一線を引いているっていうか、遠慮しているというか。うまく言えないんだけど……」


 そう言って言葉を濁して首を傾げる新美に、琴音は何も言わない。ただその表情はほんのわずかに寂しげなものに変わっていた。

 しばらく考えていた新美だったが、小さくうなずいて気持ちを切り替えると琴音に向き直る。


「とりあえずミトも夏の感謝祭に向けて盛り上げていってね。今回はミト単独のグッズ販売あるから頑張っていこう」

「はい!」


 そう元気に返事を返しながら、琴音は宿題のプリントの一番下に隠しておいた企画書に目を向ける。


「8月13日か……」


 ぽつりと琴音が漏らしたその呟きの意味を新美は知らない。

 その日はペルセウス座流星群が夜空を彩る特別な日。天文部の夏季合宿が行われる当日だった。

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