第15話 提案

 空になったメロンソーダのグラスに手を伸ばした状態で固まる俺を見て、新美さんがくすくすと楽しそうに笑う。


「そういうところはまだまだ子どもだね。お代わりする? メロンソーダは700円だからもう一杯なら大丈夫よ」

「いや、さすがに二杯メロンソーダを飲むのは……ちょっとマスターにおすすめ聞いてきます」


 大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべた新美さんにそう伝え、コーヒーがドリップする様子を眺めているマスターのところに行こうと立ち上がる。

 新美さんのアメリカンはまだまだたっぷりと残っているのに、それよりもはるかに多い量が入ったメロンソーダを飲み干してしまった自分に苦笑いが浮かんでしまう。

 どんだけ緊張してるんだって話だよな。


「マスター、他に何かおすすめってあります?」

「メニューから選ぶかい?」


 差し出されたメニュー表を見るか少し迷ったが、俺は首を横に振ってそれを受け取らなかった。


「好き嫌いはないのでマスターのセンスに任せます。残り予算は1300円みたいです」

「私のセンス、ね。ふふっ、楽しい注文をしてくれるね、リクガメ君は」


 にこやかな笑みを浮かべ、マスターは奥のキッチンに向かっていった。午後は道楽でやっていると言っていたからこんな注文も受けてくれるんだろう。

 メニュー表を見たほうが好みのものは選べるだろうが、せっかくおごってもらえるんだ。こういう何がでてくるかわからないドキドキ感を味わわないとな。


 目の前に置かれたメニュー表から視線を外し、新美さんの元に戻ろうとしてふと気づく。

 なんで新美さんはメニューを見もしなかったのに、メロンソーダが700円だって知ってたんだ?

 振り向いた先で角砂糖とミルクたっぷりのアメリカンを飲んでいる新美さんを見つめ、大体の事情を推測した俺は、とりあえず話が進まないからツッコムのはやめておこうと決めて席に戻った。


 ほどなくしてマスターが持ってきたのは先ほどのメロンソーダと同じ大きさのグラスに入ったミルクセーキだった。

 てっきり俺はバナナシェイクかと思ったのだが、食べた瞬間口中に広がったプリンともアイスとも微妙に違う甘い味わいに思わず固まってしまった。そんな俺の姿にマスターがこの上なく嬉しそうにしていたのが印象的だった。

 その時にミルクセーキという名前を教えてもらったわけだ。慣れるとこれはこれで美味しいのでおすすめというのも間違いではないだろう。


 赤縞のストローでミルクセーキをかき混ぜていると、新美さんがこほんと小さく咳払いした。

 視線を上げた俺の目の前で、新美さんが鞄から幾つかの書類を取り出してテーブルの上に置いていく。


「さて、それじゃあ本命の提案について話すわね」


 目の前に置かれた紙にやっていた視線を戻すと、新美さんは緊張をほぐすかのように胸に手を当て、大きく息を吐いた。


「このたびマギスタでは男性のVチューバーのマネージメント事業を始めようとしているの。正確に言えば同系列の別会社ってことになる予定なんだけど。その一期生として、リクガメ君はどうかって話が出ているのよ」

「俺ですか?」


 あまりに唐突過ぎる話に混乱しながらも、自分が候補に挙がった理由を考えれば、それはすぐにわかった。


「話題性、将来的にはミトとのコラボですか?」

「そうね。兄妹のVチューバーは珍しいし、ここ最近のマギスタで最も話題になったのはミトとリクガメ君だから。兄妹だとわかっているから男女でコラボしても反感を買う可能性は低いし、新規事業の起爆剤を狙っているんじゃないかな?」


 大方予想通りの回答に得心はいったが、俺がVチューバーとしてミトとコラボする?


「ないですね。俺、こう見えても忙しいんで」

「帰宅部でさっさと家に帰ってだらだらしながら配信をみてるって情報が入ってるけど?」

「それはデマ情報なので信じないでください」


 情報が入っているって、確実に琴音からだろ。偏見と誤解が絶妙にブレンドされたでたらめな推測に基づいた情報を俺はあっさりと否定するが、新美さんは少し悩むように首を傾げていた。


「でもいい話だと私は思うわよ。所属すれば収益化するまでも基本給は払われるし。リクガメ君ってお小遣いじゃ足りないくらいにミトにスパチャしているでしょ。そのためにバイトする時間を動画作成に使ってくれれば……もしかして全額お小遣いとか?」

「いや、さすがにスパチャに親からもらったお小遣いはつぎ込めませんって。あれは正式に俺が稼いだ金です」

「ならよかった。その稼ぐための時間をVの活動に変えて欲しいの。それに上は話題性に着目しているけど、私は個人的にリクガメ君にVチューバーはあってると思ってる」


 大きな瞳でまっすぐに見つめられ、どう答えていいか迷っていると、新美さんは少し表情を崩して話しだした。


「リクガメ君、頭の回転が速いよね。頭がいいというのはミトから聞いていたけど、それ以上に判断、行動がとてつもなく速いの。それにふざけているように見えて、どこかで一線を越えないように冷静に見ている部分があるわよね?」

「そんなに褒めてもぺろぺろキャンディくらいしか出ませんよ?」

「それは得がたい才能よ。Vチューバーとして十分にやっていける能力があると私は思うわ。もちろんミトという存在も大きいけどね」


 無視されたぺろぺろキャンディをゆらゆらと揺らして気を引こうとしたが、どうかしら、と無言の内に伝えてくる新美さんの視線は俺から外れなかった。

 この人は真剣だ。本当に俺のことを考えて、俺なら出来ると信じてくれている。もちろん会社の意向だからという部分はあるんだろうが、ちゃんと俺個人に目を向けてくれている。

 そんな人を冗談でかわすのは無理だ。


「俺はこのままがいいんです。ミトが頑張っている姿を一人のおだん子として見守る。困って助けを求められたら助けるけど、それ以上には近づかない。そのくらいの距離がちょうどいいと思うんです」

「お兄ちゃんなのに?」

「お兄ちゃんだからこそ、ですかね。俺、勉強はできても馬鹿なんですよ。本当に大事なことを見落としたりしますし。というわけで申し訳ありませんが、お断りさせていただきたいです」


 机に頭をぶつけんばかりの勢いで頭を下げる。ここまで俺のことを考えてくれた新美さんには申し訳ないが、ここは譲れない一線だ。

 もしかしたら俺が断ったことで新美さんの評価が落ちてしまうかもしれないのが心残りではあるが、そのときはなにかおごって新美さんの愚痴に付き合うことで許してもらおう。予算上限は2千円くらいで。

 きっとこの人なら、それで笑ってくれるだろうから。


「わかりました」


 落ち着いた声におそるおそる顔を上げると、新美さんは穏やかに笑っていた。


「リクガメ君は学業に専念したいと断られましたと伝えます。学生の本分はそちらですから」

「ありがとうございます」

「いえいえ、こちらもいきなり無理を言いましてすみません。ただこの新規事業については公式発表があるまでは黙っていてください。匂わせはしますが、いちおう社外秘なので」


 わざとらしく1本指を立てて、しーっと合図をする新美さんの仕草に、思わず顔が緩む。見た目と違って、こういうところが経験を積んだ大人ってことなんだろうな。

 机に並べていた資料を片付け、新美さんがアメリカンを一口飲む。そしてごそごそとピンク色のスマホを取り出し操作を始めた。


「でも本当にいいと思ったんですけどね。リクガメ君のVチューバー」

「そうですか?」

「例えばなんですけど、これ見てください。ミトの切り抜きチャンネルの1つなんですけど、こんな感じで勉強を教えていく動画をシリーズ化できたらなんて考えていたんですよ。中学の範囲だけでも結構なボリュームになりますし、新しいニーズも取り入れられそうで……」


 そんな風に説明を続ける新美さんの可愛らしいスマホには、非常に見覚えのある動画が流れていた。

 うん、この次は大文字で公式が表示されるな。ほら、出た。


「あー、もう少し字幕を小さくした方が良かったかもしれないですね」

「えっ、ああ。確かにミトにちょっと重なっちゃってるけどそこまで気になる?」

「はい、自分で作った切り抜きなので」

「はっ?」


 ぽかーんと口を開けたままこちらを見つめてくる新美さんにうなずいて返す。

 まるでそういうおもちゃであるかのように、動画と俺を交互に見つめる新美さんに向けて俺は尋ねた。


「あれっ、切り抜き動画って収益の半分はマギスタに入るって契約だったはずですけど、投稿主の名前は通知されないんですか?」

「一介のマネージャーが知るわけないでしょ。というかさっきのスパチャ代ってこの収益のこと!? いくらなんでもミト大好きすぎでしょ!」


 新美さんの出した大きな声は喫茶店中に響き渡り、近づいてきたマスターにやんわりと注意された新美さんは、顔を真っ赤にしながらぺこぺことマスターや数人のお客さんに頭を下げて回ったのだった。

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