第14話 ミトへの想い

 ぷりぷりと怒りを露にする新美さんの後について席に座る。

 外観からして店中も昭和特集などで見る古き良き喫茶店なのかと思ったが、リフォームでもしたのか比較的新しく清潔感が漂っていた。

 ただカウンターや柱など、一部には年代を感じさせる古い木材のままの部分も残っており、それがこの店の歴史と思い出を思い起こさせ温かみを感じさせた。


「外観も手入れすればもっと人が入りそうなんだけどな」

「うちはモーニングの常連さんたちがいるからね。ランチ以降に営業するのは道楽みたいなものなんだよ」

「えっ、あっ、すみません。余計なことを言いました」


 まさか独り言を聞かれているとは思わず謝る俺に、テーブルにグラスに入った水を置き、運んできたトレイを小脇に抱えた白髪の六十代くらいの男性がカラカラと笑う。

 そして差し出されたメニュー表を受け取り、新美さんに見ますかと確認すると彼女は静かに首を横に振った。


「なんでも注文していいわよ。私がおごるから」

「いや、年下におごられるのはちょっと……」

「私はこれでも26です。免許だって持ってます!」

「えっ、ゴーカートの?」

「リクガメ君、その減らず口をいますぐ物理的に閉じさせてあげましょうか?」


 外見に見合わない圧を放ち始めた新美さんの姿に、さすがにそろそろやりすぎかとからかうのをやめる。

 反応が良いのでついついやってしまうのだが、人の身体的特徴を揶揄するのはどうかと思うしな。ここまでからかった俺が言っても説得力はないが。

 さて、おごってくれるということだしどうするか。

『メニュー』とだけ書かれ、写真など一切ないシンプルなメニュー表の表紙を眺めながら俺はしばし思案し、中身を見ないまま男性に向き直る。


「じゃあこの店で一番高いメニューで」

「えっ、あっ、ちょっと!」

「いいのかい? この店で一番高いのは、私、マスターの秘蔵コレクション、ヤマザキ25年で一杯12万円だけれど」

「おごってくれるらしいので」

「ふむ、いつか開ける日を楽しみにしていたのだが、これも良い機会か。どうせ老い先短い人生だ。とっておきの楽しみの一つをここで使うのも一興かな」

「あの、経費を使うにも上限ってものがありまして、さすがにその価格はあの……大見得きっておいてごめんなさい。せめて2千円以下でお願いします」


 手をあわあわと動かしながら頼み込む新美さんの姿に、俺とマスターは目を見合わせて小さく笑みを浮かべる。

 新美さんのキャラクターも大きいが、なんとなくこのマスターと俺は似た者同士な気がした。軽くウインクして俺にそろそろやめるかい、と暗に聞いてくるところも含めて。

 小さくうなずいた俺の返事に、マスターが口の端を上げた。


「そういえばリクガメ君? はお酒の飲める年なのかな??」

「3年ほど先の未来なら」

「では未来の注文としてうかがっておこう。お酒がおいしいと感じられるようになったらまたおいで。今は私のお勧めメニューでいいかい?」

「ええ。マスターに任せます」

「新美さんはいつものアメリカンでいいかな?」

「あっ、はい」


 結局受け取ったメニューは全く見ずにそのまま返すと、マスターは爽やかな笑顔を残して厨房の方へ入っていった。

 他に店員の姿は見えないし、午後は道楽でやっているというのは本当なのかもしれない。お客さんの姿も俺たちの他には2人しかいないし、マスターがいなくなったことを気にしている様子もないのでこれがこの店の普通なのだろう。


「いいお店ですね」

「私はちょっとその認識を変えるべきかどうか迷っていますけれどね」


 少し頬を膨らましながらマスターの消えていった厨房の扉を眺める新美さんの姿はこれまで以上に幼く見え、マギスタ3期生全員が新美さんのことをマネちゃん、と呼ぶ理由を俺は完全に理解したのだった。





 しばらくしてマスターが持ってきたのはアイスがトッピングされたメロンソーダだった。あまりにもこの店らしすぎるチョイスに、グッと親指を立てて笑みを浮かべる俺に、マスターも同じ仕草で返してくれた。

 そんな俺たちの様子に新美さんは呆れた視線を向けながら、自然な仕草で角砂糖2つとミルクをたっぷりアメリカンコーヒーに入れ、ぐるぐるとかき混ぜる。


 もはやそれはアメリカンの意味がないんじゃあ、と思わなくもなかったが、あえてツッコミはいれずにメロンソーダを青い縦縞の入ったストローで飲む。

 メロンの味はほとんど感じられなかったが、しゅわしゅわとした炭酸の喉越しと甘みが俺を癒してくれた。


 対面では新美さんがふー、ふーと息を吹きかけてアメリカンを冷ましている。真夏にホットを注文してその仕草は、なんだろう。本当はからかわれたり、ツッコミされたいんだろうか?

 そんな馬鹿なことを考えながらメロンソーダの上の丸いアイスを食べていると、おそるおそるといった様子で口をつけた新美さんが、ほっとした様子でそれを一口飲み、カップを皿の上に置いた。


「じゃあ改めまして、マギスタ3期生のマネージャーの新美春香です。今日ここに来てもらったのは、ちょっとした確認と提案があったからなの」

「確認と提案、ですか?」

「ええ。ミトのお兄ちゃんのリクガメ君として、現状のミトについて思うことはある?」

「ずいぶんと大雑把な質問ですね」


 質問の意味とその奥にある意図を探るために新美さんをじっと見つめる。

 先ほどまでの馬鹿をやっていたときの幼さは消え、こちらを探るような視線を向けてくる新美さんの姿に、いくつか浮かんだ答えから最適だろうという回答を選択する。


「相変わらず不器用だなって思いますね」

「どういう意味か聞いてもいい?」

「そのままの意味ですよ。頑張って、頑張って、でも結果がついてこなくて。自分のやり方が間違っているかもと思いながらも変えられなくて。弱みを見せたら終わってしまうんじゃないかって、自分で思い込んで一人で苦しんで……本当に不器用ですよね」


 俺の言葉に思うところがあったのが、新美さんが黙り込む。きっと新美さんなら気づいていると思うが、どうせだし言っておくか。


「マギスタがミトをスカウトした理由、ゲームの上手いVチューバーが欲しかったからっていうのは本当ですか?」

「それは確かにそうよ。広い層を取り込むことが重要なの。わかるわよね?」

「ある程度の地盤を既に持っていたミトは魅力的ですからね。古参のファンがついている分、収益化も早い段階で見込める。さすがV界を先駆けるマギスタ、いい判断だと思います。でも経営者として素晴らしくても、ミトの魅力については全くわかっていないという点で愚かだと俺は思います」


 メロンソーダの解けた氷がカランと音を立てて崩れるのを眺めながら、残ったアイスをくっついた氷ごと頬張る。

 苛立ちをぶつけるようにガリガリと氷を噛み砕き視線を上げると、新美さんは眉根を下げ、申し訳なさそうな顔をしていた。

 この人にぶつけても意味がないだろ、馬鹿か俺は。


 はぁ、と息を吐いて気を落ち着け、メロンソーダを一口飲む。少しばかり薄くなったがまだまだ甘いその味で喉を潤し、苦笑いを浮かべる。


「『ミトゲームす』のころから見守ってきた俺たちは知っています。ミトが本当はゲームがうまくないことを。何回も失敗して、それでも諦めずに挑戦し続けて、たまにぽっきり折れたり、横道に逸れたりしながら、皆に励まされて少しずつ上手くなっていったことを。皆と一緒に成長していくゲーム配信者。それがミトの魅力だったんです。新美さんも気づいていたんじゃないですか?」

「はい。『ミトゲームす』の配信はほとんど見せてもらいましたから」


 その返事に思わず頬が緩む。『ミトゲームす』は3年間動画を上げていた。その数は優に3百本を超えている。

 もちろん短時間で終わるものもあったが、最低でも20分、長ければ3時間ほどの動画もあったのだ。見るだけでもかなりの労力だったはずだ。

 それを新美さんは当然のことのように言ってのけた。それがとても嬉しかった。


「今のミトはそれを見せません。視聴者が目にするのは、ゲームの上手いVチューバー月乃ミトです。上手いからトラブルもなく、ただ順調にゲームをクリアするだけ。そんなつまらない配信じゃあ登録者数が増えないのも当然ですよね。ミトの登録者が劇的に増えたのって、基本的に人と絡んだときだけなんです。あのピョンという語尾をつけることになった罰ゲーム配信とかね」

「最近だとリクガメさんとの絡みもそうですよね」

「うっ、まあそうですね」


 いきなり自分に矛を向けられうめいた俺の姿に、新美さんがくすくすと笑いをもらす。

 なんとなく気まずくて、残っていたメロンソーダを飲み干すと、付け合せの小皿に載った豆の袋を開けて口に放り込む。

 あっ、これ結構塩辛いし、口の中の水分が奪われるな。食べる順番を完全に間違えた。そんなことを考えながらグラスの水で乾いた口内を潤し、小さく息を吐く。


「マギスタが全部悪いとは言いません。きっとアドバイスをしたであろう新美さんの考えを受け入れられなかったミトの不器用さが一番の原因だと思いますから。これが現状のミトについて俺が思うことです」

「そっか。やっぱり君はミトのお兄ちゃんなんだね」


 澄んだ温かい眼差しで見つめられ、ドキリと心臓が跳ねる。救いを求めるように手を伸ばしたメロンソーダは、氷が溶けた水をわずかばかり底に溜めているだけだった。

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