第12話 新しい配信

「おだん子のみんな、こめ子のみんな、こんばんはーだピョン。マギスタ3期生、月からやってきた月ウサギ、つきの~ミトだピョン。学生のみんなは夏休みを楽しんでいるピョン?」


 流れる金髪とウサギ耳を揺らしながら月乃ミトが挨拶をする。コメント欄には元気に手を上げる者と、社会人には夏休みってないんだよ、と悲嘆にくれるコメントが混在していた。

 その両極端っぷりにミトは少し苦笑いし、疲れた大きな視聴者たちに労いの言葉をかけるとその表情を少しだけ暗いものに変える。


「ミトも今日から夏休み、ということで配信に力を入れていこうと思っていたんだけど……鬼にストップをかけられちゃったんだピョン」

「誰が鬼だ、誰が」

「うわっ、鬼が来たピョン。みんな、豆、じゃなくてナスを投げるピョン。あの鬼はナスに弱いピョン」


 突然入り込んできた男の声にコメント欄が加速する。

 正体を問う『もしかしてリクガメ?』『お兄ちゃんキター!!』といったものから、『いや、ナスってなんだよ。嫌いなのか?』『高知県民大激怒』『いや、ナスといったら熊本だろ』とナスに関して盛り上がる者もいた。

 そして一人がナスの絵文字を投稿すると、怒涛のごとくナスが連打される。


「よかったなミト。きっと配信史上最もナスがコメントされた記念日だ」

「くっ、やっぱり絵文字じゃ駄目ピョン。ちょっとキッチンにいってくるピョン」

「それはやめろ」


 画面から本体がフェードアウトしたため体を斜めに曲げた変な格好で固まったミトの姿にコメント欄が笑いに包まれる。

 ほどなくして生気を取り戻したミトが嫌そうな視線を向ける中、ミトの反対の画面の隅に以前ミトの描いた化け物にしか思えないリクガメの絵が現れた。

 それがさらに笑いと、ある種の恐怖を巻き起こしていく。


「というわけでリクガメだ。ミトの配信に出るつもりはなかったんだが、事情があって再登場することになった」

「事情を知らない人に説明すると、リクガメさんはおだん子の一人であたしの鬼いちゃんだピョン」

「なんかお兄ちゃんの漢字がちょっと違う発音だった気もするが、まあそのとおりだな」


 リクガメが話すたびに、画面上の人外の絵がかさかさと左右に揺れる。皆の目がそれにひきつけられる中、リクガメは大きくため息を吐くと事情を話しはじめた。


「今回登場することになったのは、ミトが数学のテストで赤点をとったからだ」

「違うピョン。再テストではちゃんと82点と言う高得点をたたき出したから、赤点じゃないピョン。最初のはたまたま運が悪かっただけピョン」

「たまたま運が悪かったくらいで10点台なんかとるはずないだろうが! ほとんど同じ問題の再テストで、しかも82点って。未だに間違えていることに危機感を持て!」

「それは、そうだけど。でもあたしにしては数学で82点ってすごいと思わないかピョン?」


 うるうると瞳を潤ませて上目遣いをするミトに打ち抜かれる視聴者をよそに、不気味な化け物はばっさりとそれを切り捨てる。


「思わん」

「はぁー。勉強の出来るお兄ちゃんとはやっぱり相容れないピョン。おだん子やこめ子のみんなはすごいと思うピョンね?」


 ウインクして同意を促すミトに『思う』『というか82点はすごいだろ』といったコメントが多く投稿されたが、その一方で『これはリクガメが正しい』『っていうかミトちゃんってアホの子だったんだ。ゲームうまいから理系科目は得意なのかと』といったリクガメの意見を肯定するものも散見された。


「むっ、おだん子に裏切り者がいるピョン。みんな、裏切り者に胞子を投げつけてカビまみれにしてやるピョン!」

「そしたら味方も全滅するな」

「くっ、それならさっき使わなかった豆を投げるピョン!」

「大豆ならきな粉団子、小豆ならあん団子、枝豆ならずんだ団子になるな」

「もう、どうすればいいピョン!」


 ぷんぷんと怒りを露にするミトの姿にリクガメが小さく笑いをもらす。

 コメント欄も同じように笑いにあふれ、ところどころで聞き慣れないのか、ずんだについて問うコメントと、それに対する東北の地元民による解説とお勧めコメントが盛り上がりを見せていた。

 それがしばし落ち着くのを待ち、リクガメが話を続ける。


「と言うわけで今回の動画の趣旨は、ミトの数学が壊滅的な原因を探ろう、だ」

「いえーいピョン」

「はい、やる気の全く感じられない返事をどうも。今回はゲーム配信とかじゃなくて本当に勉強をする配信になる予定だ。楽しくないかもしれないが、おだん子やこめ子で付き合ってもいいっていう奇特な奴は、アドバイスをくれると助かる」

「よろしくお願いするピョン」


 ぺこりとミトが頭を下げると、コメント欄に『おけ』『任せとけ』といった頼もしいものから『昔過ぎて忘れてるかも』『むしろ俺が教えて欲しい』といった不安になるような反応が返ってくる。

 むろん否定的なコメントなどもあったが、少数のそれらは多くのコメントに埋もれてすぐに消えていった。

 視聴者数もほぼ減らず、むしろ時間経過とともに増えている。その事実にミトは嬉しそうに微笑んだ。


「みんな、ありがとうだピョン。みんな、大好きピョン」

「はいはい、じゃあ、ちゃっちゃと始めるぞ」

「ちょっ! お兄ちゃん、ここはミトの『大好き』って言葉に、みんながハートを打ち抜かれる大事なところピョン。せっかくおだん子やこめ子の仲間を増やすチャンスが……」

「こんな勉強配信に付き合ってくれている時点で、もうそいつらは仲間だろ」

「はっ、言われてみればそのとおりピョン。つまりさっきのこび売りは、無駄!?」

「おーい、黒ウサギが出てるぞ」


 白目をむいて驚愕を露にするミトに、リクガメが冷静につっこむ。まるで漫才のような二人のやりとりにコメント欄に草が増えていく中、リクガメは話し始めた。


「さて、原因を探る前にちょっと話をしよう。今回ミトは赤点だったのに再テストでは82点をとれたわけだが、それはどうしてだと思う?」

「それはあたしの本来の実力が……」

「世迷いごとは置いておいて、俺がまとめたノートを丸暗記したからだよな」

「ううっ、そうピョン」


 ばっさりとリクガメに一刀両断され、くやしげにしながらもミトが首を縦に振って肯定する。

 その反応に満足げに不気味な体をゆらしながら、リクガメは言葉を続けた。


「つまりミトは数学で暗記しているってわけだ」

「でも勉強ってそういうものピョン」

「まあそういう側面があることは否定しないが。いちおうこれは俺なりの考え方で、絶対に合っているとは限らないんだが、数学は暗記するものじゃない。理論的に考える力で解くものなんだ」

「意味がわからないピョン」


 首をひねって困惑するミトと同じように、コメント欄でも『?』『リクガメが精神論を語りだした?』というような意見が多数見られた。

 一方で、『確かに』『理系得意な奴はそんな感じ』というリクガメの意見に同意するものも少なからずあった。

 そこにぽつりと色付きのチャットが表示される。


「んっ、『リクガメ鬼いちゃんって、もしかして頭いい?』ピョン? んー、悔しいけど勉強は出来るピョン。昔はテストで100点以外見たことがなかったピョン」

「何年前の話をしてるんだ、お前は」

「でも今だって数学はほぼ100点ピョン。他の教科だって……くー! 私にその頭をよこすピョン!」

「出来るわけないだろ。しかし首狩りウサギになるならメイド服は着て欲しいところだな」


 有名なライトノベルの登場人物の姿を思い浮かべ、ぽつりとリクガメがこぼした『メイド服』という言葉に、コメント欄の流れるスピードが加速する。

 当然のごとくその多くは『ガタッ!』『メイド服、いいと思います』『スカートとニーソの絶対領域って最高だよね』『いやロングだろ』『和のミトちゃんだから、着物風のメイド服だろ』などのミトの新衣装を希望するものばかりだった。

 別方向に進んでいくそれらをミトがなだめ、続きを促すと、リクガメは一度こほんと咳をして話しはじめた。


「簡単な例で言えば九九だな。ミトもさすがにこれは大丈夫だよな?」

「なんでそんな不安そうな顔をするピョン! いんいちが1、いんにが2、いんさんが……」

「しちろく?」

「42だピョン」

「おおー、よくできました」

「えへへー、って違うピョン!」


 褒められて満面の笑みを浮かべてしまい、すぐさまそのリアクションではなかったと気づいて様変わりしたミトの反応に草が増えていく。

 コメント欄と同じように笑っていたリクガメだったが、ミトが頬を赤く染めてぷるぷると震えているのに気づいて画面上の不気味な体を揺らした。


「で、今回ミトがとっさに答えられたのは九九を暗記しているからだよな」

「そのとおりピョン」

「じゃあそれを理論的に考えてみると、さっきのしちろくでいえば7という数の集団が6つあるという状態を掛け算で表すと7×6になり、その前には7を6つたす足し算があるわけだ。暗記していなくても7+7+7+7+7+7をすれば答えは出るだろ?」

「うーん、わかるようなわからないような……」

「まあ基礎からどんどん発展して応用が増えていくのが数学で、理論的っていうのはその積み上げを意識した考え方だと思ってもらえばいい」


 首をひねるミトの様子に、苦笑を漏らしながらリクガメが話を進めていく。


「暗記型が怖いのは、ある程度点がとれてしまうことだと俺は思っている」

「えっ、それは別にいいことじゃないのかピョン?」

「現状を思い出してみろ。理解できずに暗記でやりすごしてきた結果どうなったかを。少なくともミトに関してはこれ以上暗記でやりすごすのは難しいと思うぞ」

「ぐっ」

「普通は暗記と論理両方で考えていくものだが、ミトは完全に暗記型になっている。つまりなにがしか基礎から途切れてしまったきっかけがあり、そのせいでそうなったのではないかというのが俺の推論だ。というわけで……」


 ドンっという重そうな音が周囲に響く。


「こ、これは?」

「ミトは中二ぐらいまでは大丈夫だったと言っていたが、とりあえず中一からの数学の教科書すべてを持ってきた。よかったな、俺が物を大切にする男で」

「絶対に捨てるのが面倒で押入れかどこかにいれっぱなしになっていただけピョン」

「ふーん、情けは無用か。じゃ、原因がわかるまで終われません配信に変更するか」

「えっ、いや、それは……」

「大丈夫、大丈夫。60分勉強したら15分の休憩兼雑談の時間は用意するから。きっとみんながいろいろアドバイスしてくれるぞ」

「それって結局ずっと勉強するってことじゃないかピョン!?」


 ミトの抗議をあっさりと黙殺し、リクガメが解説をしながら数学の勉強をするというミトの配信が始まる。

 画面なども利用した非常にわかりやすいリクガメの講義は、ミト以外の数学が苦手な視聴者たちにも好評だった。

 しかし三時間半という長時間にわたって勉強を続けたミトは、最後には精根尽き果てており感情の死んだ声で別れの挨拶をすることになったのだった。

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