第10話 赤色の惨劇
あれから一週間が経過したが、今回の騒動はしばらく時間がかかったものの大きな問題になることなく収束していった。
ミトも改めて正式な謝罪配信を行ったのみで、謹慎や引退といったペナルティを与えられることもなかった。きっと新美さんが頑張ってくれたのだろう。
とはいえ今回の騒動は悪いことばかりではなかった。事の経緯を面白く感じたのか大手のネットニュースで取り上げられたのだ。
その記事は普段Vチューバーなど見ない人々の目に触れ話題となり、そこから月乃ミトの動画に流れた人も少なくなかった。結果として件のホラー実況は月乃ミト史上最高再生数を更新中であり、チャンネル登録者数もかなり増加することになった。
そのぶんアンチも増えはしているが、まあ多くの人の目に触れるのだからそれはどうしようもないだろう。
昨日には改めて罰ゲーム配信が行われ、俺も一人の視聴者としてコメントで参加した。開始直後に行ったスパチャには各種の反応をもらったが、そのほとんどは面白がるようなものだったので問題ないはずだ。
本当にスパチャを続けると思っていなかったのかミトがかなり動揺を見せており、その反応に俺もふふっと笑ってしまった。
その後に始まった絶叫ホラー実況もなんとか公約どおりクリアしたし、見所のあるよい配信だったと思う。
そうは思うのだが……今俺の横に座る琴音は半分開いた口から魂が飛び出してしまっているのではないかと思うくらいに目には覇気がなく、じっと机を見つめたまま微動だにしていなかった。
「32点以下の者は赤点だ。来週に行う再テストをクリアしないと夏に補習だからな」
そう告げた数学の榎本先生の眼鏡がキラリと光る。その視線の先に映っているであろう琴音はびくりと体を震わせ、その後も細かく震え続けていた。
ふるふると震えるその手に握られているのは、アメリカでは正解を意味するチェックマークで埋め尽くされたテスト用紙。そしてかすかに見えるその得点は脅威の13点だった。
ひっくり返せばなんとか……いや、どちらにせよ31点だから赤点のままか。
解答の説明を始める榎本先生のほうを向きながら小さくため息を吐く。
基本的に夏の補習を受ける者などいない。再テストの範囲は変わりないし、数学の問題については、さすがに数字は変わるが同じような問題が出されるからだ。
これから一週間、今行われている解説を頭に叩き込めば大抵は合格できるはずだが、琴音の意識は別のところにむかっており理解できているか定かではない。このままでは合格できるかも怪しいところだろう。
助けてやりたいところではあるのだが、俺の手助けを琴音が受け入れるだろうか。そんなことを考えている内にチャイムが鳴り、いつもどおりの挨拶を終えて榎本先生が去っていく。
「よお、陸斗。どうだった? 俺はギリギリ赤点を回避したぜ」
「そんなもんを堂々と見せびらかすな」
40点と書かれたテスト用紙をひらひらと示しながら話しかけてきた司に、呆れた表情で返す。
しかし司はそんな俺の態度などどこ吹く風といった様子で、半分に折ってしまおうとしていた机の上の俺のテスト用紙を勝手に手に取る。
「おおっ、98点。数学で陸斗が100点じゃないなんて珍しいな」
「答えは合っていたんだが、途中の式を省いたら減点された」
「厳しくね、それ?」
「答えに至る解法も採点の内ということだろうな。どこまで省いても問題ないかは先生個人の見解によりそうだが」
「陸斗は榎本に嫌われてるもんなー」
ハハッ、と笑いながら司が俺の肩をばんばんと叩く。こいつなりに励ましているつもりなんだろうが、ただ単に痛い。
しかし司の言っていることももっともだ。正直いって俺は榎本先生に嫌われている。理由については正直よくわからないのだが、余談として話す明らかに高校の数学の問題ではない問題を答えてみろといわれたり、地味に嫌がらせをしてくるのだ。
おそらく今回の減点についても、もし別の生徒が同じように書いていたらそうはならなかったんだろうとは思う。まあ邪推にしかならないが。
「テストの点なんてどうでもいいからな」
「そうだな。赤点にならなきゃどうでもいい」
「お前と一緒にするな」
「ははっ、じゃあな。他のサッカー部のやつらの確認してくる」
「俺はサッカー部じゃないけどな」
俺のツッコミに何も言わず、ただ良い笑顔を残して司は去っていった。
まあ司の成績はサッカー部の中でもダントツで最下位だったはずなので、よほどのことがない限り他の部員も大丈夫だろう。
サッカー部にとって夏休みは大会に向けての大きな山場だ。そこでいかに成長できるかで大会の成績も全然変わってくる。練習試合も多く組まれるし、司の気合も入っているのだろう。
「その気合をテスト勉強に向ければもっと成績も上がりそうなもんだけどな」
そんな呟きを漏らした俺の耳に、ミシッというなにかがきしむような音が届く。不思議に思いそちらに顔を向けたが、そこにはノートにシャーペンを走らせて何かを書いている琴音がいるだけだった。
少しの間、そちらに目を向けていたが琴音はノートを見つめたまま顔を上げようとはしない。
あまり見つめるのもどうかと思い視線を戻した俺は、ちらちらと横から感じる視線の中でテストの答案用紙を適当に机の中にしまうと、机の上に残した数学のノートにちらりと視線をやり次の授業の準備を始めたのだった。
つつがなくテストの返却も終わっていき今日の授業も滞りなく終わった。琴音も数学以外は特に問題が無かったようだが、なにか思い悩んだように眉根を寄せていた。
帰りのホームルームも終わり、勢いよく飛び出していく司たちの背中を見送る。元気だな、などと我ながらジジ臭いことを考えながら荷物を鞄に詰めていく俺の横で、珍しく琴音が席に座ったまま物思いにふけっている。
基本的に琴音は授業が終わるとさっさと家に帰ってしまうのに珍しいな、と少し興味を引かれたが声をかけるべきではないだろうと思考を切り替える。
今日は月乃ミトの配信の予定はないからゆっくりしているのだろう。そう結論を出した俺が席を立とうとした瞬間、琴音が顔を上げるのがちらりと視線に入った。
「うえ……」
「いや、なに普通に帰ろうとしてるのよ」
近づいてきた長野に呼び止められ顔をしかめる。長野の顔には逃がさないという意思がはっきりと現れていた。
なにか琴音の声が聞こえたような気がしたのでちらりとそちらに目を向けたが、琴音は俺たちの方を気にした様子もなく、考えごとをしているかのように前を向き続けていた。
気のせいか、と考えた俺は視線を長野に戻すと、にこやかな笑顔を浮かべてやりすごそうと試みる。
「お疲れ、長野。テストは問題なかったか?」
「普通に勉強してれば平均以上はとれるわよ。成績優秀な上田君には敵いませんけどね」
隣からギシッという椅子の音が耳に届く。
再び視線をちらりと琴音に向けたが、特に変わった様子は見えない。座りなおしたかなにかで鳴っただけだろうと結論づけ、俺は鞄を手にとると立ち上がった。
「成績なんて人と争うもんじゃないだろ。まっ、長野も問題なくてよかった。今日でテストも全部返ってきたし、後は夏休みまでだらだら過ごすだけだな。じゃ、そういうことで」
「だから帰るなって言ってるの。上田、夏休みの合宿の出欠席の報告してないでしょ。今日が期限よ」
「あー、あれか。俺はパスで」
「用事でもあるの?」
「今のところはないけど」
「それなら悪いけど参加してくれない。ちょっと今年は欠席者が多くてこのままだと中止になるかもしれないのよ」
パンと手を合わせて頼んでくる長野を見ながら頭をかいて考える。
夏の合宿は天文部の伝統行事だ。設立された年から脈々と受け継がれてきたそれが、俺たちの代で途切れてしまうことを真面目な長野は気にしてしまうのだろう。
相変わらず損な性格だ。
幽霊部員ばかりになってしまっている現状では仕方のないことのような気もするが、さすがにそれをしっかりと活動している長野に、幽霊である俺が言うのはお門違いというやつだろう。
さてどうするかと俺が悩んでいる隙に、長野は新たな標的に矛先を向ける。
「小早川さんもどうかな。8月13日と14日の二日間だけだし、夜遅くまでみんなでわいわい観測できる機会なんてなかなかないよ。山は明かりも少ないから星も良く見えるし、流星群だから願い事もしほうだい」
「わいわいって……人数が足らないから俺たちを勧誘してるんだろ?」
「黙ろうか、上田君」
「わかりました」
笑顔を奥底に潜む長野の圧に屈した俺は、素直に口をつぐんで琴音の様子を見る。
月乃ミトの活動もあることだし、天文部の活動にほとんど参加したことのない琴音のことだ。きっとすぐに断るだろうと俺は考えていたのだが、それに反して琴音は迷っているようだった。
「ねっ、このとおり」
先ほど俺にしたように琴音に向けて手を合わせる長野を、琴音は真剣な表情で眺める。そしてゆっくりと息を吐くと
「わかった。なるべく参加できるように頑張ってみる」
そう返事をしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます