第8話 配信の影響

「そうですね。反応は悪くありません。一部やらせを疑う声もありますが」

「それは想定内です。こんな偶然、普通はありえないですからね。まあ仕込みだとしたら一年越しのものになるということですし、今後の流れ次第のところではありますが、そこまで疑う人は多くないんじゃないかなとは思っています」

「わかりました。その辺りも含めてこちらで再び検討させていただきます。遅い時間まで拘束してしまい申し訳ありませんでした」

「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしてすみません。あっ、あと俺の電話番号を伝えますね。なにかあったら連絡してください」


 スマホの番号を伝え、新美さんとの会話を終える。暗くなった画面に一瞬写った自分の顔は笑顔だったが、どこかこわばって見えた。

 ふぅー、と大きく息を吐いて緊張をほぐすと、可愛らしいスマホを琴音に返す。両手でそれを受け取った琴音はしばらくその画面を見つめ、そしてぎゅっと握り締めた。


「あとは新美さんたちが対応してくれるみたいだ」

「うん」


 椅子に座ったまま手に持ったスマホを見つめ、琴音は視線を上げようとしない。その胸中に抱く思いを俺は知らない。スマホの先になにを見ているのかを。

 俺を含めたおだん子たちのことを考えてくれていれば嬉しいんだけどな。そんな妄想を抱きながら俺は鞄を手に取る。

 窓から見える外の風景は既に暗く、壁にかかっている時計は午後6時半を過ぎていた。


「じゃあそろそろ俺は帰る。いろいろ騒がせて悪かったな。これからもミトの配信頑張れよ、小早川」

「えっ、あっ、うん」


 顔を上げた琴音の表情は、どこか寂しげだった。たしかにこんなことがあったばかりだ。不安になる気持ちはわかる。

 しかしこんなに遅い時間に、女の子一人の自宅に俺が上がりこんでいる状況はあまり良くない。琴音のお父さんが帰ってきたら、そっちの方でも面倒なことになるしな。

 少し名残惜しさを感じつつ琴音の部屋を出ようとして、ここに来た当初の目的を思い出しごたごたの最中、鞄に入れておいた冊子を取り出す。


「そうだ。天文部のしおり」

「しおり?」

「次期部長に頼まれて夏季合宿のお知らせを持ってきたんだよ。最初に伝えただろ」

「そういえばそうだったね」

「俺も作るのを手伝わされたんだからちゃんと見ておけよ。まあホッチキスで止めただけだけど。じゃあな、小早川」


 合宿のしおりを手渡し、少し呆けている琴音を残して部屋を出る。電気がついておらず月明かりのみに照らされた廊下は少し薄暗かったが歩けないほどではない。

 大きさの違う二足の靴のみが並んだ玄関で、自分の靴をはきながら琴音の部屋がある方向を見上げる。


「良い方向に進むといいな、琴音。頑張れよ」


 俺以外の誰にも聞こえないとわかっているのに、本当に伝えたい相手には届かないとわかっているのに、それでも声に出さずにはいられなかった自分の弱さに苦笑する。

 そして一度小さく息を吐くと、俺は久しぶりに訪れた琴音の家から出て、自分の家に向かった。遅くなった言い訳はなににしようか、そんなどうでもいいことを考えながら。





 陸斗が出ていき、一人残された部屋で琴音は渡された『天文部夏季合宿のお知らせ』と書かれた冊子に目を落としていた。

 前年の使いまわしと明らかにわかる去年と同じイラストの入った表紙からは、それ以上の情報を得ることは出来ない。しかし琴音の視線がそれから外れることはなかった。


「なによ、それ」


 琴音の手に力が入り、冊子がくしゃりとその姿を歪める。そして不機嫌そうにそれを机に置くと、膝の上に載せておいたスマホを手に取りベッドに向かう。

 身を投げ出すようにベッドに倒れこみ、反動の揺れを感じながら琴音がスマートフォンのロックを解除しSNSの確認を始める。


 これまで見たこともないほどの膨大な通知に、そして増え続けていくそれに琴音は少し震える指で画面をスワイプさせて内容を確認していく。

 その中には月乃ミトを貶めるような内容のものもあった。口に出すのもはばかられるような下品で、汚い言葉が並び、その刃は琴音の心を傷つけていく。


 マギスタ所属のVチューバーとして活動して1年以上。事務所のおかげでそれなりの知名度を得ている琴音は、こういった類の批判の言葉に慣れている。だが慣れているからといって傷つかないわけではない。

 ふぅ、と息を吐き、琴音が少し画面から視線を外して窓の外の月を眺める。いつもどおりに心を落ち着け、その言葉を画面の外へと追いやって琴音は次を確認しはじめた。


 正体が妹のVチューバーに知らずに兄が貢いでいたという奇跡的な偶然を、面白おかしく伝えるコメントに琴音の頬が緩む。そのコメントは広く拡散しており、返信もたくさんついているようだった。

 その後も琴音は確認を続けたが、その多くは事実を面白がるものであり、月乃ミトを否定するようなものは数えるほどしかない。


「よかった」


 そう呟き、琴音が大きく息を吐く。

 陸斗が部屋に突入してきて、月乃ミトのそばに男がいるという事実が皆に知れ渡ってしまった段階で、琴音はもう終わりだと覚悟していた。

 それでなくても最近はどうすればいいのか悩んでいたところだったのに、悪いことが重なるなんてという思いがつのり、陸斗は悪くないとわかっているのに琴音は怒りをぶつけてしまった。


 それなのに陸斗は怒らなかった。それどころか問題解決のために色々と考えてくれた。そしてそのとおりにしたら、まるで魔法使いが奇跡を起こしたように状況はひっくり返った。

 これなら月乃ミトとして活動を続けられる。まだ目標に向かって進み続けられる。そんな喜びとともに琴音の胸に広がっていたのは……


「琴音って呼んでくれたな。リク兄……」


 琴音の瞳が潤み、零れ落ちた涙が布団を濡らした。それに気づいた琴音はくしくしと袖で涙を強引に拭く。

 自分に泣く資格なんてない。それを望んだのは他ならぬ自分なんだから。


 再び潤みそうになる瞳から涙をこぼさぬよう、スマートフォンの画面に目を向けた琴音が新着の通知を確認する。

 そこには『アホ兄妹を発見!』というコメントと、動画へのリンクだけが記されていた。その投稿者は深海クララ。そして次々とその発言を引用したコメントが通知として届き始める。


「ありがとう、クラクラ」


 毒舌を装った、優しい同期のフォローに琴音は頬を緩め、今度は我慢することなく涙を流し続けた。

 そして気持ちが落ち着き涙も止まったところで、琴音は笑顔を浮かべてスマートフォンを操作すると『アホはお兄ちゃんだけピョン!』とクララに返したのだった。

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