第7話 マネージャー

 エンディングに切り替わり、配信画面には表示されないコメント欄を眺めながら俺は大きく息を吐く。完全にアンチのコメントが消えたわけではないが、それはいつものことだ。

 コメント欄の雰囲気は完全に元に戻っているように見える。とはいえこれが一過性のものなのか、このまま収束をむかえることができるのかは俺には判断ができないが。


「勝手なことして本当にすみませんでした」


 琴音は先ほどからぺこぺこと頭を下げながら謝り続けている。最初はここまで漏れ聞こえていたマネージャーさんの声はもう聞き取れないレベルになっていた。

 琴音が通話ボタンをスライドさせた瞬間に聞こえた「なに考えてるの!」という怒声はかなりの迫力だった。まあ俺たちのやったことを考えれば仕方ないだろうが。


 なにせ俺たちは所属しているマギスタの指示を完全に無視し、勝手にライブ配信を始めてしまったのだ。

 下手をすれば事態の悪化を招きかねない愚行であり、必死に対策を考えてくれていた人たちを裏切る行為に他ならない。

 俺なりに勝算があると考え、ミトもそれに同意したからとはいえ、その事実が変わることなどないのだから。


 だから琴音は一切言い訳をしていない。きっと琴音自身が、マネージャーさんが誰のことを思って叱ってくれているのかを一番良く知っているからだろう。

 しばらくの間、そうやって謝り倒していた琴音だったが、少し気まずそうにしながら俺に視線をやる。そして短くマネージャーさんと会話を交わすと、手に持ったスマートフォンを俺に差し出した。


「マネちゃん、新美さんが代わってって」

「そうか」


 不安そうに瞳を揺らす琴音に余裕のある笑みを返しながら可愛らしいウサギのデコレーションがされたスマホを受け取る。

『マネちゃん』と表示された画面に鼓動が早くなるのを感じながら、俺はスマホをタッチし口の前に持ってくる。


「変わりました」

「初めまして。私はマギスタ3期生のマネージャーをしている新美です」


 近くで聞く想像以上に若い女性の声に少し驚く。感情の起伏をあまり感じさせない平坦な声をしているが、あえてそうしているのであろうことは初めて話す俺でもわかった。

 この新美さんはミトたちマギスタ3期生の配信でたびたび名前が出てくるくらいに親しみを持たれ、信頼されている人だ。

 そんな人がこんな風に話す理由を考えながら、俺は口を開く。


「ミトのお兄ちゃんです。先ほどの配信でも言いましたがリクガメでも結構ですよ」

「本名を名乗る気はないということですか」


 あえて冗談めかした俺の自己紹介の言葉に、新美さんの言葉が冷たさと鋭さを増す。たしかにこんな風に言われれば馬鹿にしていると思われても仕方がないかもしれない。

 でもここは譲れないところでもある。


「そうですね。俺はあくまでミトのお兄ちゃん・・・・・ですから」

「……」 


 あえてお兄ちゃんを強調した俺の言いように、新美さんが沈黙する。察しろ! という俺の願いが通じたのかどうかはわからないが、しばしの沈黙の後にため息を吐く声が聞こえてきた。


「わかりました。それではリクガメさんとお呼びします。あなたのことは私も知っていますので」

「それは一人のおだん子として嬉しい限りですね」

「あなた、いい性格をしてるって言われません?」

「まさか。俺の好きな言葉は謙虚堅実ですよ」


 新美さんのほんのわずかに温かみを取り戻した、というより呆れた声に軽口で返した俺をじとっとした視線で琴音が見つめてくる。

 スマホを受け取った段階でスピーカーフォンにしているため、話している内容は琴音に丸聞こえだ。


 自分のことで俺が何を言われているのかと琴音をやきもきさせるのもどうかと思ったし、どうせ後で説明するはめになるからとスピーカーフォンにしたのは少し失敗だったかもしれない。

 ほんのちょっぴりそんな後悔をする俺に、新美さんが話を続ける。


「現状についてはトラブル直後のミトからの電話と先ほどの配信のアーカイブを今見ていますので把握しているつもりです。ミトが襲われていると勘違いし、助けようとしたあなたの行為については善意によるものであり、責めるつもりは全くありません」

「それはよかったです」

「しかしその後の行動は看過できません。あなたはミトにライブ配信をするように誘導しましたね。それがどんなに無責任で危険な行為かあなたにはわからなかったのですか!?」


 後半になるにつれ、感情の乗っていく新美さんの言葉に俺は頬を緩ませる。新美さんの怒りはたしかに俺に向かっている。

 でもそれが向かっている先は俺だけではないように思えたのだ。どこかで自分を責めるようなそんな感情が、新美さんの声のわずかな震えに表れているように感じた。


「ありがとうございます。ミトのマネージャーが新美さんで良かったです」

「なにを……」

「だって新美さん。ミトが謝るだけでなにも説明していないのに、そそのかしたのは俺だって断定したでしょ。それはちゃんとミトのことを理解してくれているからですよね」

「……」


 新美さんは無言だったが、それは俺の言葉を肯定していることと同じだ。

 一人で4人のVを管理するなんて大変なはずなのに、新美さんはちゃんと一人一人に目を配ってくれている。しっかりとミトを理解し、見守ってくれていた。

 だからこの人ならきっと大丈夫。

 俺とは違う。


「俺なりに考えたんです。ミトにとってなにが最良の選択になるのかって。お兄ちゃんとして、そして一人のおだん子として。俺はミトがVになる前、『ミトゲームす』のときから視聴者です。ミトの現状に思うところもありましたし、男の存在と言うマイナス要因を打ち消すには、それ以上の衝撃、まあ笑うほうの笑撃の方が正しいかもしれませんが、それが必要だと考えました」


 電話の向こうで新美さんが押し黙る。俺の言葉を一笑に付すことなく考えてくれているんだろう。

 視線を感じ琴音に目をやると、俺の方を指差しながら目を見開いて驚いていた。あぁ、そういえば『ミトゲームす』の頃から知っているというのは伝えていなかったかもしれない。


『ミトゲームす』はミトがマギスタに入る前、個人でゲーム配信を行っていたときのチャンネル名だ。

 逆算すると琴音が中学1年のころに配信を開始し、そのチャンネル登録者数はマギスタに入り、惜しまれつつも活動停止したときで10万人を超えており、かなり人気のチャンネルだった。

 その人気のおかげでマギスタにスカウトされ、月乃ミトというVとして活動を始めたのはおだん子の間では有名な話だ。


 琴音の口が、私だって知ってたの? と動く。別に口に出せばいいのに、相手が電話しているからと律儀に声に出さない様子に笑みを浮かべながら、首を横に振る。

 複雑そうな表情に変わった琴音の心中は俺にはわからない。なにか声をかけるべきか、と考えたところで、電話の先から息を吸う音が聞こえた。


「でも、事前に相談するくらいは……」

「許してくれましたか? 他人から見たらかなり無責任で危険な行為・・・・・・・・・ですよ」

「……」


 あえて言われたことを強調して返すと、再び新美さんは押し黙った。真面目な人なんだろう。卑怯な俺の言葉に怒ることなく、しっかりと受け止めてくれるんだから。


「自分で言うのもなんですが、月乃ミトの視聴者の間でリクガメは有名なおだん子です。ライブ配信始めのやり取りは恒例行事みたいなものでしたし。そのリクガメが実はミトのお兄ちゃんだった、つまり知らないうちに妹にせっせとスパチャしていた。そんな間抜けで笑えるオチがあれば、男の影という悪印象を打ち消せる、そう考えたんです。反応は……アーカイブを見ているのならわかりますよね。コメント欄もそこまで悪くない反応かなと思いますが」


 なにかをクリックする小さな音が聞こえ、しばらく沈黙が続く。普通なら気まずくなるだろうが、今の俺にとって沈黙は俺の発言が正しいと証明してくれている時間だ。

 同じくアーカイブのコメント欄を見始めた琴音が、少し涙ぐみながらも嬉しそうにしている様子を見守りつつ俺は待つ。

 そして俺の耳に、新美さんの深いため息が聞こえてきたのだった。

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