第4話 ミトと琴音

 今回のミトの罰ゲームは、ホラーゲームのノーヒント攻略だ。ゲーム配信が多いミトだが、こういったホラーゲームには一切手をつけていなかった。

 新しいジャンルに挑戦してもらいましょう、ということで選ばれたホラーゲームは、フリーゲームでありながら名作と名高いものであり、ゲーム実況の常連ともいえるものだった。


 恐怖をあおる演出が巧みで、実況者が悲鳴をあげつつ攻略していく鉄板作である。俺もミトがどんな風にこれを攻略するのか楽しみにしていたのだが……

 視線をあっちこっちにやりながら、琴音がパクパクと口を動かす。声になっていないそれをなんとか読み取ろうとすると、「なんで、どうしたら」と繰り返しているみたいだった。


 コメント欄には『男、男なのか!?』『本人バレ、キター!!』といったコメントが踊っている。

 もし自分もライブで見ていたら祭りに参加していただろうなと他人事のように思いながら、意外に冷静な自分に改めて驚く。

 まあライブを家で見ていたとしたらこんな状況は起きなかったわけだが。


 ものすごく長く感じられた無言の時間だったが、実際はわずか10秒程度だったらしい。全く抵抗しなかった女性主人公が怪物に飲み込まれ、画面が暗転する。おどろおどろしい音楽とともに画面の上のほうから血が流れる演出が始まり、画面の中央に「You died」の文字が現れた。

 ビクッと体を震わせた琴音が鋭い視線で俺をにらみつける。


「なんでお兄ちゃんが入ってくるの! 出てって!」

「いや、悲鳴が聞こえたから心配して」

「いいから早く! じゃーみんな、ちょっと今日は緊急事態が起こっちゃったから配信はここまでにするピョン。罰ゲーム配信は後日改めて、うぅ、したくないけどするから楽しみにするピョン。じゃあ、バイバイぴょーん」


 画面の月乃ミトが大きく表示され、笑顔を振りまきながら体を左右に揺らす。画面越しに聞きなれたその挨拶に、改めて琴音が月乃ミトであることを確信する。

 コメント欄のお祭りは絶賛開催中でミトに対する質問がいくつも飛んできている。しかしそれに一切答えないまま、琴音がいくつかのボタンを押した。


 画面が切り替わり、人の大きさぐらいの跳ねるお団子にまたがるようにして乗ったミトのアニメーションが流れ始める。

 ミトを乗せたお団子は山のように詰まれたお団子を駆け上って頂点で一際高くジャンプするが目指す月には届かず、ミトは天に向かって手を伸ばしたままでお団子の山に突っ込む。

 くるくると目を回して倒れるミトに崩れたお団子の山が重なっていき、画面がお団子でいっぱいになったところで動画は終了した。


 スマホを取り出し琴音が投稿している動画サイトの確認を始める。そしてライブ配信が無事に終了していることを確認するとはぁー、と大きく息を吐き、机にスマホを置いて顔をあげると再び俺をにらみつけた。


「それでなんで上田君・・・がここにいるの?」

「天文部の合宿の冊子を渡しにきた。悲鳴が聞こえた。小早川・・・が危ないと思ってかけつけた」


 両手を上げて敵意はないと示し、半ば片言になりつつも事実を伝える。疑うような視線で俺を見ていた琴音だったが、俺の手にある冊子を見つけたのか顔をしかめながらもその怒気を引っ込めた。

 その時、机に置かれていた琴音のスマホが振動を始める。


「あっ、マネちゃんからだ」


 配信で時々話題になるマネージャーさんの呼び名に、思わず体がピクリと動く。そして同時に自分がかなりまずい事態を引き起こしてしまったのを自覚した。

 Vチューバー、とりわけ女性Vにとって男性関係の話は致命的だ。そういった騒動から引退してしまった者も少なくない。


 皆、中の人がいることは理解している。しかしそれでも電子の世界くらいは夢を見させて欲しいとどこかで願っているのだ。それを裏切れば手痛いしっぺ返しをくらうことになる。

 そう考えると今のミトの状態は非常に危うい。マネージャーが即座に電話してくるのがその証拠だった。


 嫌な汗を流し始めた俺をよそに、琴音は淡々とスマホを取り通話のスワイプをしようとしたところで動きをとめる。

 なにかあったのか、と心配する俺に琴音は視線を向けて


「とりあえず靴、脱いできて」


 と告げると、スマホを操作して通話を始めた。


「あっ、新美さん。ミトです。すみません、ご心配をおかけして。はい。……はい。そこは心配ありません。はい、そうです」


 ぺこぺこと頭を下げながら話す琴音の様子を眺めていたら、手をしっしとばかりに振られたので靴を脱いで部屋から退散する。

 玄関に戻りながら確認したが、土足だったものの晴れのアスファルトを歩いてきた靴の跡はそれほど目立ってはいなかった。とはいえ汚してしまった手前、一通り拭き掃除はしておいた方がいいだろう。


 汗拭き用のタオルは鞄に入っているが既に使用済みだし、ハンカチも同様だ。そもそも掃除するにしても水道を使っていいものかどうかもわからない。


「いや、現実逃避はやめておこう」


 あえて言葉に出して逃避しようとする考えを元に戻す。

 琴音が月乃ミトだった。これは確定事項だ。色々と思うところがないわけではないがそれは後回しでいい。

 現状、優先すべきなのはライブ中に突然現れた男である俺の存在。取り扱いを間違えればその影響は計り知れないことになる。


 ミトは女性Vチューバーのみが所属するマギスタという会社に所属している。マギスタは日本のVチューバー事務所の中でも大手であり、その名は業界で知れ渡っている。


 この影響がただ単にミトのファンが離れるだけに留まればまだマシだが、マギスタという会社の看板そのものにまで泥を塗る事態に発展すれば、取り返しのつかないことになるのは想像に難くない。

 良くて謹慎、悪ければクビもありえる。最悪の場合、損害賠償請求をされる可能性さえある。別の会社ではあるが、現にそうなった事例があったはずだ。


 そんなことを考えていると、2階のドアが開く音が聞こえ、階段を降りる足音が近づいてくる。

 そして姿を現したジャージ姿の琴音が、不機嫌そうな表情で俺を見つめた。


「上田君、部屋に来て。会社の人が今後の対応を考えてくれているから、その結論が出るまでは待機して欲しいって。そんなに時間はかけないって言ってた」

「あ、ああ」

「好きで部屋に入れるんじゃないから」


 用件はそれだけ、と言わんばかりにツンとすました顔で戻ろうとする琴音に、あえて・・・俺は声をかける。


「とりあえずタオルとか雑巾とかないか。土足で入ったから掃除した方がいいだろ」

「……洗面所にあるから勝手に使えば。場所くらい知ってるでしょ!」


 顔を赤くし、怒気を言葉に乗せて答えた琴音が、ズンズンと足音を派手に響かせながら2階に戻っていく。

 俺は記憶を頼りに洗面所に向かい、棚にあったピンクのタオルを水で濡らしてしっかり絞ると土足で歩いた場所を拭いていった。

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