第3話 きっかけは悲鳴から

 期末テスト後ということもあり、どこか気の抜けた雰囲気で授業は進んでいった。これがテストの返却ともなれば阿鼻叫喚の嵐が教室内に吹き荒れるんだろうが、テストが帰ってくるのは少なくとも来週になる。

 先生たちも採点が残っているからか、授業の延長などの最悪なイベントが発生することもなく無事に放課後を迎えることができた。


「できたはずなんだがなぁ」

「んっ、なにか文句でも?」


 普段から細い目をさらに細めてジロリと視線を向けてくるお団子ヘアーの女生徒は長野 綾ながの あやだ。俺が名目上所属している天文部の次期部長であり、クラスメイトでもある。

 そして用事があるから帰ろうとした俺を強引に引っ張って部室に連れてきた張本人だ。


「せめて明日にしてくれ」

「いいじゃん。別に帰ってネットとか見ながらだらだらするだけでしょ」

「否定はしない」

「ならきりきり働く。そうたいした数じゃないんだし」


 すっぱりと反論を断ち切られ、その代わりにホッチキスを手渡される。

 机には数枚のA4サイズの紙が並んでおり、長野はそれを1枚ずつ手早くとって揃えると無言で俺に渡してきた。

 綴じ目が90度曲がった専用のホッチキスを使って中央の2箇所をとめると、その紙を半分に折って冊子にしていく。


 そこに書かれていたのは毎年恒例の天文部の夏季合宿についてだった。

 合宿というが参加は自由であり、一泊二日の日程で田舎の山でキャンプしながら星を観察するという半分は遊びのようなものだ。


「ペルセウス座流星群か」

「定番だけどいいでしょ。星に願いを、なんてね」

「宇宙空間を漂うチリなどが地球に飛び込み、大気と激しく衝突した際のエネルギーで大気が光を放つのが流れ星の正体だ。大気に願いを、が正しいんじゃないか?」

「はぁー、本当に上田って頭は良いけど馬鹿だよね」


 大げさにため息を吐く長野に肩をすくめるだけで応えて作業を続ける。今日はなるべく早く帰りたいというのは本当なのだ。

 紙をめくる音とホッチキスをとめる音が部室に響く。

 俺のような幽霊を含めても天文部の部員数は決して多くない。用意する冊子もその数しかないため、ほどなくして作業は終わってしまった。


「なあ長野。これって俺が手伝う必要あったのか?」


 ついぽろっと本音がこぼれてしまっただけなのだが、その瞬間、長野の顔に浮かんだ笑顔とそれに見合わぬ威圧感に自分の失敗を悟る。

 長野が口を開く。その声はどこまでも優しい。


「そりゃあ去年の資料を修正して作っただけだし簡単なことだよね。それを印刷するのもコピー機のボタンを押すだけだし、ホッチキスで止めるのなんて誰でも……」

「すみませんでした」


 即座に頭を下げて許しを請う。踏んだ地雷の大きさはなかなかに大きそうだ。

 同学年で唯一正規の部員として活動しているのが長野なのだ。そのおかげで俺も自由にさせてもらっているところがある。

 天文部の活動は必然的に夜間になることが多いため、部員の自主性に任されている部分が大きい。とはいえこういう細々とした作業がないわけではないのだ。

 それを一手に引き受けてくれているのが長野だった。


「んー、どうしよっかなー」


 唇に人差し指を当て、わざとらしく迷う仕草をしながらちらちらと見てくる長野の態度に一安心する。

 なんとか今回はへそを曲げられずに済みそうだ。


「次期部長。天文部の良識人。クールな美貌のうえに冴え渡る知性。さすが長野、博物館数日本一」

「なんで上田って褒め言葉にちょいちょい長野県のこと混ぜるの? おかげで私の長野県に対する知識が無駄に増えるんだけど」


 いつもどおりの冗談で返した俺に呆れた視線を向けながら長野が立ち上がる。そして出来上がった冊子を手に取ると俺の頭にぺしっと当てた。

 頭の上に手を伸ばしその冊子を受け取る。なぜか2冊あるそれを不思議そうに眺める俺に、長野が意地悪そうな笑みを浮かべた。


「お使い。もう一人の幽霊部員に渡しといて、今日中に」

「……別に明日でもいいだろ。どうせ教室で会うんだし」

「家、近所なんでしょ。まっ、罰ゲームだと思って行ってきなー」


 ひらひらと手を振りながら出来上がった資料を片手に長野が去っていく。俺は手の内に残った2つの冊子を眺め、椅子に背を預けて天井に視線をやると大きく息を吐いた。





 教室に帰って鞄に荷物をつめて肩にかけ、下駄箱で靴に履き替えて外に出る。さんさんと降り注ぐ太陽の光が天と地の両方から容赦なく俺を熱していく。

 既に時刻は5時近くになっているはずなのに、仕事熱心な太陽に恨めしい視線を向けながら校門に向かって歩き始める。


 校舎から聞こえる吹奏楽部の音楽に乗るように、グラウンドから威勢の良い声が響いてくる。聞き覚えのあるその声にちらりと視線を向ければ、司が人さし指を立てながら走っている姿が見えた。

 ゴールネットの下にボールが転がっており、伏したキーパーが悔しそうに地面を叩いている。同じ赤色のビブスを着たチームメイトが司の肩を叩き喜びを分かちあっているところを見ると試合形式の練習で上手くゴールが決められたといったところか。


 思わず立ち止まりその様子を眺めていた俺を見つけたのか、司が大きく手を振ってくる。汗と泥にまみれた姿でありながら、その姿はとても輝いていた。

 それが少しばかり眩しすぎて俺は笑って手を振り返すと、そそくさと逃げるように学校を後にした。





 本来であればうきうきした気分で帰っていたはずの道を、だらだらと小型の扇風機を回しながら歩く。

 既に5時を回っている。本当ならば最初から見たかったが今日はどうにもついていない。


「久々の罰ゲーム配信なのにな」


 昨日の同期4人によるゲーム大会で、推しのVチューバーである月乃ミトは惜敗した。事前に談合され、実質1対3の戦いで惜敗にまで持ち込んだのだからミトの実力がうかがえる良い試合だった。


 昼に予約投稿しておいた切り抜き動画の評価も上々で、再生数も最近ではダントツに勢いよく伸びている。『クラクラ視点の動画も作ってくださいー』などといったコメントも多くついていたが、それらについてはいつもどおり黙殺する。

 俺が作りたいのは月乃ミトのものだけだからだ。


 はめられたうえ惜しかったといえ、負けは負けである。事前に決まっていたとおりミトは罰ゲームを受けることになり、その配信が今日の午後5時から始まっていた。

 授業が終わってすぐに帰れば間に合ったのだ。長野がせめて明日にしてくれればよかったのだが問答無用だったのだからどうしようもない。


 予約してあるから後で追えるし、アーカイブにも残るのでいつでも見えるとはいえ、コメント欄の一人として推しの動画に参加できるのはライブの今だけだ。

 それを考えれば一刻でも早く家に戻りたいところではあるのだが、手にもった冊子のせいで俺の足取りはどうにも軽くはならなかった。


 だらだらと歩いたところで向かっている場所は動かないわけで、当然その目的の家にたどり着く。

 つい先日まで白い花を咲かせていた庭先のクチナシの木はすでにその花を落とし、青々とした葉を精一杯に広げて栄養補給している。

 罰ゲームと言われてここに来ている俺を庭に入れさせないため立ちふさがっているかのように見えるのは、引き返したいと考える自分の心の弱さからくるものだろうか。


 表札に書かれた『小早川』の文字。

 その下にある郵便受けに、冊子をそのまま投函して帰りたいという誘惑を抑えて玄関に向かう。

 久々に近くで見るレンガとベージュの外壁が組み合わさってできたどこかクラシックで温かみのあるその家は、記憶の中のそれと変わりなく、ただそこにあった。


 一度大きく息を吐き、チャイムに手を伸ばす。


 俺は長野に言われて冊子を持ってきただけだ。それを手渡したら適当に挨拶でもして帰ればいい。それ以上はなにも起こらないし、なにも起こさない。

 いつもどおりの日常に戻る。ただそれだけ。


 そう自分に言い聞かせ、わずかに震える指でチャイムを鳴らそうとしたその時だった。


「いや、やめて! 来ないで!」


 部屋の中から僅かに漏れ聞こえた悲鳴に顔を上げる。よく見ると玄関の扉は僅かに開いており、家の中が見えてしまっていた。慌てて下を見ると扉の隙間に小石が挟んである。まるで意図して扉が閉まらなくしているかのように。


「だめっ! こないで、こないで!」


 切羽詰った悲鳴に頭が真っ白になる。それと同時に体がカッと熱くなり、気づいたときには俺は扉を開け放って家の中に駆け込んでいた。

 記憶と悲鳴を頼りに廊下を進み、階段を駆け上がる。久しぶりに全力で動かした全身の筋肉が違和感という名の悲鳴をあげるがそれに構いもせず、俺は目の前の「KOTONE」というドアプレートのかかった扉を開け放った。


「大丈夫か、コト……」


 部屋を見回し、机に座った状態で固まる琴音と目を合わせる。部屋には俺たち以外の姿はかげも形もなく、想定していた琴音に襲い掛かろうとしている男などいなかった。

 ウサギ耳のついた可愛らしい服を着て、前髪をあげた琴音の姿はどこか懐かしい昔を思い起こさせる。


 そんな感傷にふける俺の耳に「ヴァァー」という音が聞こえ、その発生源である机の上のディスプレイに目をやると、青白い姿をした怪物が今まさに主人公と思われる女性をむさぼっていた。

 あぁ、ゲームだったのか、と安心する一方で、見慣れた金髪の月ウサギが画面の下で硬直していることに気づく。そしてその上に表示されたコメント欄がものすごい勢いで流れていくことにも。


「月乃、ミト?」


 そう俺が呟いた瞬間、琴音はさっと顔色を真っ青に変えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る