第2話 男子高校生 上田陸斗
朝とはいえ7月半ばともなれば涼しさなど欠片も感じられることはない。既に夏本番と勘違いしたセミたちの大合唱が徹夜明けの頭に響き、顔をしかめながら俺は高校への道を歩いていた。
「よっす。朝からなんて顔してんだよ、
「そういうお前は元気そうだな。朝練はどうした?」
「サッカー部は期末テスト翌日の朝練は休みだ。みんな一夜漬け続きで疲れてるからな」
無駄に白い歯をキラリと光らせながら堂々と情けないことを伝えてきた
「離せ、よけい暑くなる」
「いや、お前ふらついてんじゃん。テストのヤマを教えてくれた礼だ、気にすんなって」
俺の抗議を全く気にした風もなく司が笑う。日焼けした筋肉質の司の体は、まるで内側から暖房をかけているんじゃないかと思うほどに熱い。しかし当人はそれを感じていないかのように涼しげにしていた。
「きっと頭と同じで肌の感覚も馬鹿になっているんだろうな」
「おう、陸斗も馬鹿になってサッカーしようぜ。サッカー部には頭のいい司令塔が必要なんだ」
「頭のいい司令塔を求めているのに馬鹿になれっていうのは、なかなかに哲学的だな。だが断る」
肩にまわされていた腕からするりと抜け出し、頭を軽く振って熱をとばす。先ほどまで司の手が置かれていたシャツの肩辺りが湿っており、風を通して早く乾かそうと何度か手で扇いでみたが効果はいまひとつだった。
俺がどうにかできないかと顔をしかめる中、横に並んで歩き始めた司は鞄の中から小型の扇風機を取り出し、これ見よがしに涼んでみせる。
「貸せ」
「磯野、サッカーやろうぜ。これ貸してやるから」
「それは野球を誘うときに使え。それに俺は上田だ」
「上田、サッカーやろうぜ。これ貸してやるから」
「やらん」
わざわざ言い直した司に呆れた顔を向け、短く拒否の言葉を返しながら小型の扇風機を奪う。ボタンを押すとファンが回り始め、決して強くはないがそれなりの風量が汗を飛ばしていくのを感じた。
今まではこんな小さな扇風機で意味があるのか、と思っていたが、夏本番が来る前に確保しておく価値はありそうだ。昼休みにでもネットで注文しておこう。
いつの間にか取り出した手動の小型扇風機をカシャカシャと鳴らして涼をとりはじめた司を横目に眺める。
こいつはずっと変わっていない。サッカーが好きで、お調子者で、馬鹿で、優しい。こいつの周りには自然と人が集まり、その輪がクラスの雰囲気をよいものにしている。生粋のムードメーカーとでも言えばいいのだろうか。
若干しつこいのが玉に瑕ではあるが。
「もうすぐ夏休みだな。司は相変わらずサッカー漬けか?」
「おう。三年生の最後の大会に向けての総仕上げの時期だからな。二年でレギュラーを背負う身としては頑張らねえと」
ぐぐっと司が握りこぶしに力をいれる。それに俺は笑って返した。
サッカーの全国大会は年末年始に行われ、その出場権を競う県大会は例年10月初旬から始まる。
150を超える県内の高校の中で、全国大会への切符を手に入れられるのはわずかに1校。強豪の私立高校がいくつもあるため、俺たちの通う公立高校が全国に出るなど、奇跡でも起きない限りありえないだろう。
そのことは司ももちろんわかっている。それでもなお、レギュラーから外れてしまった三年生のためにも少しでも勝利に貢献しようと努力できるのが司のよいところだ。
「上田、サッカー……」
「黙れ」
しつこいのが玉に瑕だが。
だらだらと司と話していたらいつの間にか学校までたどり着いていた。クラスメイトたちから声をかけられ、その輪の中に入っていく司を見送り、いそいそと教室の一番後ろの真ん中にある自分の席に座って荷物の整理を始める。
右手に持ったままだった小型扇風機に気づき司に視線をやるが、司を含め男女数人で盛り上がっているあの中に入っていくのも面倒だ。
「また今度返せばいいか」
そう呟くと小型扇風機を鞄に突っ込み、机に突っ伏してしばしの休憩に入る。本格的に寝るわけではなく、目を閉じているだけだがそれだけでも多少は体力が回復するだろう。
昨日は午後の7時から10時まで、推しのVチューバーである月乃ミトの生配信を見た後、同期三人の生配信のアーカイブを確認。
それぞれのコメントの面白いところや伏線を拾いつつ、ミトの魅力が最大限に伝わるように動画を切り抜き、その編集を終えた頃には朝日が昇っている時間だった。
さすがに昨日のような濃い内容を15分にまとめるのは厳しい。しかしあまり長いと見てもらえないし、難しいところだ。
俺が月乃ミトの切り抜き動画を投稿し始めて既に1年以上経つが、まだまだ試行錯誤している最中だ。
やるまでは気づかなかったが、切り抜きは面白い場所をただ切り抜くだけでは駄目なのだ。特に昨日のような合同イベントの時は視点がいくつもあるため、ただ面白いところだけを抜いていては意味不明の動画になってしまう。
いかに伏線を張り、過程を示し、落ちにもっていくか。その流れでいかにミトの魅力を引き出せるか。そこが重要になってくる。
まだまだ未熟な部分も多いが、今回の切り抜きはなかなか上手くできているはずだ。昼の12時20分に予約投稿してあるので、その評価はしばらくすればわかるだろう。
うつらうつらしながら、本当に眠らないように体力を回復させていると右隣の席の椅子がひかれ、人が座る気配がした。さりげなく視線を向けると、ちんまりとした黒髪の少女が鞄から筆記用具を取り出しているのが見える。
さらりとした長い前髪がその目元を隠して表情を読み取りにくくしているが、どこかいつもよりその顔は暗いように感じた。
「おはよう、小早川」
「うん、おはよう」
声をかけたのにもかかわらず視線すら合わせずに返してきた小早川の対応に、古傷がうずくのを感じながら視線を前に向ける。
いつものことだ。
そんな風に考えてはみたが、あれほどあったはずの眠気はいつの間にかどこかに消えてしまっていた。
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