しあわせウサギは宙を跳ぶ
宇野サキ
第1話 Vチューバー 月乃ミト
小型のプロジェクターによって天井に映し出された幾千の星空を私はベッドに寝転びながら見上げる。
時刻は午後7時前。まだ日が落ちて間もないし、少し中心街からは離れているとはいえ、街灯や家々の明かりに照らされたこの辺りでは実際に見える星も限られてしまう。
地球から肉眼で捉えられる星は約8600個。地平線より上の部分しか見えないことと、地平線付近はもやなどで見えないことが多いため実際に見ることができるのはおよそ3000個といわれている。
この狭い部屋に生きる私は、その何分の1の星しか見ていないのだろう。
「プルプルプルプル」
唇を震わせて音をたてる。たしか正式な名称はリップロールだったと思う。
リラックスした状態で正しい発音を覚えることができ、声帯のマッサージ効果もあるので滑らかに発声できるようになると先生に教えてもらった。効果の程はいまいちわからないが。
赤ちゃんの写真を撮るときに便利なんですよ、と力説されたが、残念ながら試す機会はなかったので、そちらの効果の程も不明だ。
「プルルル、プルルル、プルルル、プルルル」
途中に区切りを入れながらリズミカルに唇を振るわせ続ける。
少しずつ自分の中が切り替わっていくのを感じる。いわばこれは私のルーティーンだ。『私』から『あたし』に変わるための。
ピピピピ
15分前を知らせるスマホのアラームをすぐに止め、ベッドから起き上がる。リモコンで部屋のライトを点けて着ていた学校のジャージを脱ぎ捨てると、ハンガーにかけてあったフード付きのパジャマに着替える。
さらさらとした着心地の良いパジャマの頭についた2本の耳が楽しげに揺れる。鏡の前でその姿を確認して微調整し、くるりと振り返ってパソコンと2枚のディスプレイ、そしてゲーム機が並んだ広い机に置いておいた少し古ぼけた髪留めでパチンと前髪を上げた。
ゆったりとした椅子に座り、くるりと椅子を回して窓の外に視線をやる。一番星を見つけることはできなかったが、一番見たかった月は今日もそこで輝いていた。
「うん、今日も良く見える」
いつもどおりの言葉をもらし、机に向き直る。
ディスプレイにはデフォルメされたウサギ耳の金髪の少女が三日月に乗ってすやすやと眠っている様子が映っていた。
しばらくすると縁側の台の上に並んでいたお団子がころころと転がり落ちて手足を生やし、旗を振り始める。ぱちりと目を開けたウサギ耳の少女は銃を構えると、その旗をあっさりと打ち抜いて再び眠りに入った。
ぽとり、と打ち抜かれた旗を落としたお団子がコミカルな感じに慌てて元の位置に戻る。うん、いつもの光景だ。
お団子の並んだ台、三方の土台部分に表示されていた広告が一回りする。これからの配信を楽しみにする皆のコメントを目で追っていたあたしは大きく息を吐く。
残り十秒。
さあ、始めよう。あたしのやりたいことを。
大好きなあの人に届けるために。
画面が切り替わる。
スクリーンに表示されたのは昔話に出てくるような趣の感じられる畳敷きの和風の部屋と、上半身だけ映った金髪のウサギ耳の少女だった。
画面の中のウサギ耳の少女が楽しげに体を揺らしながらきれいに微笑む。
「おだん子のみんな、こめ子のみんな、こんばんはーだピョン。マギスタ3期生、月からやってきた月ウサギ、つきの~ミトだピョン。今日も今日とて家族の待ってる月への旅費を稼ぐため、みんなと一緒に配信頑張っていくピョン」
お決まりの挨拶に皆が「こんばんはピョン」やウサギのスタンプで返してくる。それに愛想よく返事をしながら、ミトはコメント欄の頭に出てきた色つきコメントに即座に反応した。
「あっ、リクガメさん。いつもスパチャありがとーだピョン。えっと、『今日はニール・アームストロング船長が乗ったアポロ11号の打ち上げ日ですね。』うんうん、アームストロングはあたしの故郷の月に最初に足を踏み入れた地球人だから私も思い出深いピョン。語る? 語っちゃう? 少年時代からアポロ11への軌跡、そして謎の残された死まで含めると小一時間は話せちゃうピョンだけど」
満面の笑みを浮かべるミトをよそに、コメント欄ではいつもどおりのリクガメに対する罵詈雑言が飛び交っている。
とはいえそれも本気で言っている訳ではなく、じゃれあいのようなものだ。
ミトの配信の始めにリクガメが宇宙に関するスパチャを投げかけ、それにミトが乗り、コメント欄が荒れるというのは既に恒例行事だった。たまにリクガメがスパチャをしないと心配されるくらいに。
「でもそれはまたの機会にするピョン。なにせ今日は久々の同期のみんなで集まってのゲーム大会。ふふっ、あたしに勝てると考えるその思い上がり、へし折って後悔させてやるピョン」
にやりと黒い笑みを浮かばせるミトに対して「さすがー」や「やっちゃえ」というものに紛れて「フラグですね」「さすが一級建築士」などといったコメントが返される。
単に実力がものをいうゲームに限れば、同期とのゲーム大会でのミトの勝率は9割を超える。逆に運次第のゲームだとなぜか8割負けるのだが、今日は多人数の対戦格闘ゲームでミトもやりこんでおり、負ける要素はなかった。
「ちなみに今回のゲーム大会で最下位になった人には罰ゲームがあるって話だピョン。まあ、あたしには全く関係ない話だけど。そうだなぁ、ちなみにみんなは誰の罰ゲームが見たいピョン?」
コメント欄に次々と同期の名前が挙がっていく。ときおり流れてくる自分の名前に苦笑しながらしばらくそれを眺めていたミトがにぱっと笑みを浮かべる。
「おっけー、クラクラを狙っていけばいいピョンね」
圧倒的な支持率を得ていたクラクラは、ミトの同期でクラゲの国からやってきた姫という設定のVチューバーである深海クララのことだ。
ふだんは静かで冷静な雰囲気をまとっているのだが、ときおり放つ毒のある言葉が病みつきになると人気もチャンネル登録者数も急上昇中であり、同期であるミトの視聴者にもそのファンは少なくない。
少し胸にチクリとしたものを覚えつつも、ミトは明るく笑ってみせる。
「そろそろ時間だピョン。あたしの勇姿、見逃すなピョン」
そう言ってミトは自分の体を小さくして画面の端に寄せると、起動しておいたゲームを操作して対戦部屋に入る。
そして小さく息を吐くと同期の集まるチャットに接続した。
「ミト、おそーい!」
「主役は遅れて登場するものピョン」
ピンク髪の活発そうな少女の文句にミトが軽口で返す。遅いと言われているが、まだ本当の集合時間には五分ほど余裕があるのだ。
むしろこんなに早く全員が集まっていることにミトは少し驚いていた。特にこのピンク髪の少女、フラミンゴの突然変異である泉フランは遅刻の常習者である。
来たとしても時間ぎりぎりが当たり前の彼女が当然のようにいることにミトは違和感を覚える。
「もう、いいじゃないですかー。久々の同期のゲーム大会、楽しみましょうよ」
二人をとりなすように会話に混ざってきた色気漂う女性は、牛のミルクから生まれた妖精である草津モウだ。ミルクから生まれた割に本人は食用牛であり、その大きな胸は全て筋肉で出来ていると豪語するお姉さんである。
揺れるその胸と、自分の慎みのあるそれを見比べ、いつもどおり産みの親であるママに若干の恨みの言葉を漏らしていたミトに声がかかる。
「ミトに罰ゲームをやってもらうから」
「ふふん。その言葉、クラクラにそのまま返してやるピョン」
ウェーブした透明感のある長い白髪を揺らしながら宣戦布告してきたクララに、ミトは不敵に笑って返す。
歓迎の挨拶がわりの言葉を交わしてから、しばらく4人の雑談が続き、きりの良いところでついにゲームは始まった。
同期4人のVチューバーによるゲーム大会は夜まで続き、視聴者のコメントの盛り上がりと共に白熱した戦いが繰り広げられたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます