第6話 覚悟を決めて
「明日香どうしたの、ふたりとも急に来なくなったから、どうかしたのかなって」
いつもの喫茶店に顔を出したら、久美が心配そうに尋ねた。彼女は中学の時のクラスメートで、この喫茶店の娘だ。
「彼も、氏家さんも来てないの」
「うん、この一週間顔を見てない。うちの店に飽きられたのかと思ってちょっと落ち込みかけた」
久美は笑顔で言ったが、まるっきりの冗談でもなさそうだった。
「ごめん、そんなんじゃないから」
明日香の表情から何かを察したような久美は、それ以上その話はやめた。
ナポリタンとコーヒーを頼んで、タバコを二本吸った。
その間、窓の外を見ていたが、巧が現れることはなかった。
あれ以来、巧は明日香の前に現れていない。吹奏楽の練習を見に行けば、そうも思ったけれど、みんなの前で拒絶されるのが怖かった。
電話をかけてみようかとも思ったけれど、結局最後の番号をダイヤルすることができなかった。
「明日香ちゃん、何があったの」
金曜日の昼休みに尚美に呼び出された。建前は、昼を一緒に食べようということだったが、それだけではなかった。
「え、何がって、私何か変ですか」
「あなたも氏家さんも、ふたりして変、先週末に何があったの」
「別に、何も」
「振ったの、それとも振られたの、ふたりして変となればそれしかないでしょ」
尚美先生に確信をつかれ、ふいに涙があふれてきた。
「氏家さんにすれば、私が振ったと思ってるはず、でも実際は私が振られることに」
「前の事務長のことがばれたの?」
尚美先生は少しばかり考えこんだ後で、明日香の想像もしなかった言葉を発した。
「知ってたんですか」
「私だけじゃなく、気づいている人多いよ、事務長は、ほとんど隠す気なんかないみたいだったし」
明日香は唇をかんだ。結局そういうことだったんだろう。今回、逢ってみて、彼は結局自分のことを愛してなんかいなかった、体だけが目的だったということを感じていた。
「だから、氏家さんとのこと応援してたんだけど、そっか」
明日香は、先週末の出来事を尚美に話した。
「もう、私死んじゃおうかなって。できっこないけど」
「完全に振られたの」
明日香は首を横に振った。
「でも、怖くて話なんかできない、逢えてもいないし」
「今日、おいでよ、練習終わりに待ってればいい」
「みんなの前で振られたら」
「その時はあきらめればいい、でもみたところ、まだ見込みはあると思うよ」
「そんなこと、そうならうれしいけど」
「氏家さん明るく騒いでるけど、見ていてボロボロだもの。練習と飲み会で見てて思うぐらいだから、ほんとにボロボロなんじゃないかな」
自分のせいなら、そう思うと明日香はいっそういたたまれなかった。
勤務時間が終わるのを待って、明日香は急いで帰宅した。
父親に頼み込んで、先に風呂に入った。
「尚美先生に誘われて、今日飲もうって。もしかしたら、泊まるかもしれない」
尚美がそうしろと背中を押した、家から電話が来てもうまく話しておいてくれることになった。
だめならもう諦める。全部自分が悪い、誰も恨まない、明日香は覚悟を決めた。
九時少し前に、市民センターについた。扉の向こうから団長さんが何か話をしている声が聞こえた。あと少しで今夜の練習が終わる。
お疲れさまでしたの声が聞こえた。自分の心臓が破裂しそうな気がする。
「あれ、佐野さん、久しぶり。彼のお迎え」
「あ、先輩お久です」
知り合いが声を掛けてくるが、明日香にはほぼ聞こえていない。
巧が出てきた、明日香に気が付いたが、視線をずらした。明らかにコースを変え明日香を避けようとした。
「氏家さん、話を、お長居だから、今日だけでいいから話を聞いて」
明日香は叫んだ。中高生の女子から声が上がる。
「はいはい、お子様は帰る帰る、ここからは大人の時間」
大人の女性団員が事情を察して子供たちを追いやった。
「氏家さんに送ってもらっている子供は私の車に乗ってね」
尚美が、子供たちを引き連れていく。さすがに大人たちは二人に何があったかを瞬間的に悟ったようだ。
「飲みはいつもの居酒屋、さあ行くよ」
団長の声。普段は、だらだらと団員がしゃべっているホールから、潮が引いたように人がいなくなった。
「ここじゃなんだから、車に乗って」
久しぶりに聞く巧の声は、感情のない固いものだった、初めて聞いた種類の声だった。
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