第5話 密会

 巧との仲はそれ以上の進展も後退もなく、喫茶店で待ち合わせて食事飲みに行くという日々が続いている。小さい町だから知り合いにはみんな、どころかなぜか札幌にいる友達からまで、どんな人と付き合ってるの、という電話が来た。


 そんなに私が男と付き合うと珍しいのか、なんか不思議な気分だ。

 まあ、待ち合わせに喫茶店は中学時代の同級生の店、飲みに居k店も高校時代の後輩の店。そりゃあ暇な奴らには絶好の話のタネかもしれない。


 机の前の電話が鳴った。反射的に手が伸びるようになっている。就職したころはなかなか出られなかったものだ。

「明日香か」

 それだけで相手がわかった、心臓がどきんと鳴った。彼、前の事務長、明日香の初めてのというかたった一人の相手。

「今日十九時に家に電話する」

「あ、はい、わかりました」

 それだけで電話は切れた。


 それからの半日は、何も手が付かなかった。彼の唇が、彼の笑顔が、彼の身体がよみがえる。


「珍しく早いね、家でご飯食べるの」

 母親が不思議そうに尋ねた。

 服を着替えてタバコを吸って、心臓の鼓動を押さえるのに必死だった。

 何の用だろう、半年以上ほったらかしだったのに、別れを切り出される、きっとそうだ。涙が出てきた。


 五分前、階段を下りてリビングに行った。

 十九時ぴったりに電話が鳴った。

「久しぶり、どうしてた」

「さびしかった」

 それだけ言うのが精いっぱいだった。


「明日、苫小牧で会おう、プリンスに部屋を取ってある」

「わかりました」


 それだけだった。事務連絡のような電話、半年ぶりなのだ、もう少し声を聞かせてくれてもいいのにと思うと悲しくなった。

「明日からに、札幌行ってくる、亜紀ちゃんやのんたちが一緒に遊ぼうって」

 気持ちを切り替えて、さらっと母親に言った。嘘は簡潔にというのが生きてきて学んだことの一つだ。


 逢える、彼に逢える。それだけで頭の中がいっぱいだった。

 彼からの電話が冷たくても、何でもよかった、逢えるんだ、それだけで十分だった。明日、そういえば、誰かが何かを言っていたような気がする。まあいいや。

 その夜は眠れなかった、彼のyことを思い出して一人でしてしまった。


 苫小牧の駅で彼は待っていた。

 プリンスホテル、部屋に入ると彼は性急に口づけをしてきた。服を脱がされる。

 おしゃれしてきたのに、もう少しほめてほしかった。

 ベッドに押し倒され、下着が剥ぎ取られると彼はすぐ入れてきた。こんなに乱暴だったっけ。

 心がすこし冷える気がした、だけど抱かれると体は反応していく。


 ラウンジで食事をして、少しお酒を飲んで、また抱かれた。彼は満足したのかさっさと眠ってしまった。昔のように髪も撫でてもくれなかった。

 窓を開けると、苫小牧の夜景が見えた。港の石油タンク群の明かりがなぜか無機質で悲しいものに思えた。


「おはよう」

 朝のキスもしてくれない、昔は優しかったのに。ねえ、今日は何の用だったの、そう聞きたかったがやめた。

 せっかく会えたのにどうしてだろう気分が落ち込むことばかり考えている。やめた、抱かれるだけでいいと思うことにした。


 食事のためにエレベーターに乗った、腕くらい絡めてもいいよね。だれものっていないんだし。最初のころはこんな機会があればキスをしてくれた、スカートの中に手を入れてくれた。でも今日は、また、落ち込んでる。

 彼は手を振りほどくことはなかった、久しぶりに寄り添ってみるけど、何かが違った。

 エレベーターが止まりドアが開いた。目的の階ではない、誰かが乗ってくるのか、いいやどうせ誰も知らないんだ、明日香は彼と腕を組んだままでいた。

 開いた扉の向こうに、目の前に巧がいた。

 瞬間的にお互いがわかった、そして明日香が誰と何をしていたのかもわかられた。

 巧の表情が曇った、彼は乗らず、「どうぞ」と一言だけ言った。エレベーターの扉は閉じられた。


 そうだった、誰かが何か。思い出した、家族が来るから苫小牧に行く。巧はそう言っていた。すっかり忘れていた。


 どうしよう、どうしよう。

 ずっと会いたかった不倫相手といることも、昨日の夜のことも全部どうでもよくなった。輝いていると思ていた気分が急に黒く塗りつぶされていった。

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