第19話 File5 仮面の戦士

この作品はフィクションであり、実際の人物・団体・事件とは関係ありません。













四角いリングの上で屈強な筋肉の鎧を纏った男達がぶつかり合う。互いに技を繰り出し凌ぐ姿に観客達は熱狂、実況アナウンサーのマイクを持つ手にまで力が入り場内は会場が揺れるような歓声がする。

打撃技、投げ技、絞め技と互いに数多くの技を受けてきている、しかしそれでも起き上がる。そして再びノーガードの攻め合い、肉弾戦によるぶつかり合い。

練習で鍛えに鍛え抜かれた鋼の如く肉体、強靭な精神を持つ者でなければ此処で戦う事は出来ない。


それがプロレスという格闘技であり戦う彼らはプロレスラーだ。









冬の寒さは終わり、春の暖かさが訪れ始めて来て木々には桜の花びらが芽吹きつつあった。

通行人が厚手のコートを着る事は少なくなり春向きの服が好まれて着るのが多くなっている、人によっては花粉に悩まされたりもするが。

一方の神王探偵事務所はどうなのかと言えば春に関係しているのかどうかは知らないが一昨日ペット探しの依頼が入ってそれをこなして来た所であり、それなりに依頼は入って来ていた。

今は依頼は特に抱えてはいないのでココアを飲みつつ居候の双子の兄妹、明と涼の3人でテレビゲームをしている。

一人の時だったらスマホを見たりテレビを見たりと退屈な時間を過ごしていた正だが二人のおかげで中々退屈しない時を過ごさせてもらっていた、数人でやるゲームというのはついつい時間を忘れてしまいがちだ。夢中になれば昼食や夕食の時間を過ぎる事もある。


その夢中なゲームの時もこの後に鳴るインターホンで終わりを迎えるが…。



ピンポーン



事務所内にその音が鳴って聞こえると正は椅子から立ち上がり玄関へと向かって行く。


ドアを開けると…。






「失礼…探偵事務所というのは此処で間違いないか?」

正が見上げなければ会話が出来ない程の身長差、それ程までの大柄な人物。身長は180を軽く越えており190に多分届いているかもしれない。更に青いジーンズや黒シャツ、赤ジャケットを着ていても分かる体格。おそらくこの人物の身体は筋肉の鎧で覆われている、そう思わせるような体格が感じられた。

これ程までの肉体を手にするのに健康維持のようなトレーニングだけでは無理だろう、文字通り血の滲むような努力をしなければ到底たどり着く事の出来ない領域なのかもしれない。そしてその男の素顔については分からなかった。頭は赤い帽子を被っており髪も見えず口はスカーフに覆われ鼻も見えない、そして目はサングラスをかけていて顔を徹底して隠している。

「あ、はい…此処が神王探偵事務所ですが…ご依頼でしたらどうぞ」

素性は分からないが男は此処が探偵事務所かと訪ねて来た、それなら依頼人である確率が高いはずだ。



「二人とも、ちょっと向こうに」

依頼人が来たので明や涼とのゲームでの暇つぶしも此処までとなり向こうの部屋に行くよう伝えると明と涼も素性の分からない大男を目にして察したのか奥の部屋へと揃って移動した。


「どうぞ」

「かたじけない」

大男を来客用のソファーへと座るよう促し、男は座った。正直ソファーが壊れるのではないかと思ったが事務所のソファーは思ったよりも頑丈で居てくれてるようで壊れずに済んでいる。正も椅子へと座って男と向かう合う形となった。



「では、まず名前を」

依頼に来た相手がまずどういう人物なのか、正は名前を尋ねる。

「…………本名について、これが外部に漏れてしまうような事は無いか?」

男は何やら警戒しているような様子だった。自分の名前が他に漏れるような事を避けたいという様子だ、最も彼に限らず自分の情報を外部に晒すのを嫌う者はそう珍しくはない。

「本名に限らず依頼人の情報が外部に公開されるような事はありません」

依頼人の情報は守秘義務で守られる。そして正が勝手に何処かで喋るような事も更に明と涼の兄妹にもその事は絶対言わないようにと口酸っぱく言ってある、これに関しては厳重な守りを敷いているのだ。

「ふむ…では此処はキミを信じるとしよう、大手の探偵事務所の宣伝の類も無い隠れ家のような探偵事務所だからな」

男の言うように此処神王探偵事務所は大手の探偵事務所みたいな宣伝はしていない。そんな多くの依頼が来ても一度にこなせる依頼はそう多くはない、世間からはあまり知られた存在ではない神王探偵事務所。だから有名な大手よりも外部の情報が漏れるリスクは少なく、男もそれで大手より此処を選んだのかもしれない。



「名前は……こう言えば分かるだろうか?マスク・ザ・スネークと」

「いえ、そういうハンドルネームとかではなく………?」

正は本名を訪ねたつもりだったが男は明らかに本名ではない名を名乗った。すると正はその名に引っかかる、もしやと記憶の糸を辿って行くと……。



「!超東京プロレス所属の現ヘビー級チャンピオンの、あのマスク・ザ・スネーク…!?」

目の前の男の姿、そしてプロレスリングの上で活躍する蛇のマスクを被ったプロレスラーの姿が重なる。


マスク・ザ・スネーク。

超東京プロレスという名で秋葉原を拠点にしているプロレス団体、その所属プロレスラー。

その名の通り蛇のマスクを被っており、それが彼のトレードマークで数々のレスラー達相手に勝利を重ね今のヘビー級チャンピオンの座に君臨する超東京プロレスの王者でまさに顔と言える存在だ。


正も何度かテレビでプロレス中継を見て、マスク・ザ・スネークの名と姿は目にした事がある。

プロレスラー、そう言われれば納得だ。あの大柄な身体に鍛え抜かれた筋肉、それもヘビー級チャンピオンともなればまさに鋼の肉体を誇る。

そこまでの屈強な身体を誇る男は正の中で実際見た事は無い、知り合いの刑事である白石大樹も大柄な身体ではあるが、目の前のプロである覆面レスラーには及ばないだろう。


ちなみに秋葉原では超東京プロレスのトレーディングカードが売られており、一番の超レアはヘビー級チャンピオンであるマスク・ザ・スネークだ。

それほどの人気プロレスラーがまさかこの事務所に来るとは夢にも思っていなかった、ずっと画面越しで見ており直接会う機会は皆無のはずが今その男が此処に居る。しかしこの事務所に来たからには彼も一依頼人として扱わなければならない。

どんな相手だろうが正のスタイルに変化は無い。



「一応依頼は…マスク・ザ・スネークとして依頼するという事で良いんですか?」

「そこは本名で頼む、私の本名は森野正和(もりの まさかず)という」

「森野さん、ですか」


マスク・ザ・スネークこと森野正和。それが仮面レスラーの本名だ、探偵という職業を続けてみるものだ。まさか人気レスラーの本名を此処で知る事になろうとは、無論これは機密事項で外部に漏れる事は許されない。この情報の扱いは慎重かつ丁寧に行うべきであろう。



「本名は明かしたが…素顔は決して明かす訳にはいかない、顔を晒さねば依頼を受けられないという事は無いか?」

「それは…大丈夫です、書類に色々書いてもらわないといけませんが顔を晒さないと駄目だという事はありません」

森野という本名を明かす、しかしその顔までは明かせない。やはり覆面レスラーとして顔を晒される事は許されないからなのか、正は特に構わないと顔はそのままで結構という事を伝えて依頼の話へと移る事にした。






「それでは依頼内容の方をお願いします」

改めて正は森野と向き合い、依頼について尋ねる。超東京プロレスのヘビー級チャンピオンからの依頼がどういうものなのか想像がつかないが。

「私には今年19歳となる娘が居るのだ、名を森野麻帆(もりの まほ)という」

「娘さんですか…」

いきなり娘の事を話に持ってきたという事は森野は麻帆という娘に関連する依頼をするつもりなのかと正は考えた。そしてその続きを待つ。



「依頼というのは……娘を守ってもらいたい」

「!それは………護衛という事でしょうか」

人気レスラーからの依頼、それは娘の護衛だった。しかし一体誰から守ればいいのか、麻帆は狙われている立場なのだろうか。



「ああ、何故そのような事を頼むのかと言うと…我が家にこんな手紙が届いたのだ」

森野はカバンからビニールで覆われた手紙を机に置いて正へと見せる。正はその手紙を目にすると……






「マスク・ザ・スネークに告ぐ、今度のメインイベント戦で負けろ。でなければお前の娘の命は保証しない、警察に知らせたらその瞬間娘をこの世から消す、貴様の時代は終わりだ」




「これは…脅迫状ですね」

内容を目にした正の感想はそれだった、ヘビー級チャンピオンに家族の事を持ち出して負けるように強要。この手紙から分かるようにこれはマスク・ザ・スネークに対する脅迫だ。

「警察にこの事は?」

「言っていない、手紙の内容が本当ならば娘が危ない…下手に刺激は出来ないだろう………」

その素顔は分からないが何となく今森野が不安そうだというのは伝わる、娘の身の安全を最優先に考えた結果警察にはまだ知らせてはいない。

つまり正も今回は白石を頼るような事は出来ない、そんな依頼になるかもしれない。

警察に知らせた瞬間に本当に娘に危害を加えられるのかは疑問だが彼女の安全を確実に守るならそうするしかない。


警察に頼る事は出来ない、だから森野は探偵へと頼った。しかし正はまた新たに疑問が浮かぶ、そんな大事な依頼ならばそれこそ大手に頼んだ方が良いのではないかと。何故わざわざ此処を彼は選んだのか。この探偵事務所には正以外の従業員はいない、彼の個人事務所だ。体格的にも正は頼りなく、森野が軽くタックルしただけでも吹き飛びそうな体格。護衛を頼むなら何も知らない者はまず正には依頼などしないはずだ。

「そんな大事な依頼、何故うちのような小さな事務所に?」

「……神王、戦いの場に身を置いて一度は耳にした事がある」

「…!」


「合気道において日本で五本の指に入る名門、それが何故このような探偵事務所に居るのかは知らないがな」

「…僕が神王という苗字だけでそれは根拠として弱いのでは」

「それだけではない、実はこの周辺をランニングしていた時があってな。その時、キミと体格差のあるガラの悪いチンピラが喧嘩する姿を目にし、キミがそのチンピラを合気道で蹴散らしていたのを実際に見たんだ」

「!」

正がチンピラと喧嘩をした時、振り返ると確かにタイマンで喧嘩をした事があればこの前はラーメン屋絡みで不良達と喧嘩をしていた。

何処の事を言っているのか知らないが正が相手を何回か蹴散らしている事は事実であり何時なのかは不明だが森野はそれを見ていたのだ、根拠が名前だけではなく森野は実際にそれを見ていたのだった。




「…あの家とはもう関係ありませんが、一応合気道は習ってました」

「そうか…」

そう語る正の顔からは何やら色々事情がありそうだと察したのか森野はそれ以上尋ねる事は無かった。神王家はともかく今大事なのはこの依頼についてだ、話を聞いてる限りでは現状も娘の麻帆に危機は迫っているように思える。


ならば正の答えは最初から決まっている。


「森野さん、自分で良いのであれば…護衛の依頼を引き受けさせていただきます」

「おお、ありがたい!」

此処に来て初めて森野は明るい反応を見せた、依頼を受けてくれた事が喜ばしいようだ。彼程の実力者ならば自分で娘を守れるだろうがマスク・ザ・スネークとして試合に出なければならないだろうし、色々忙しい身だ。ならばそれに代わって正が麻帆の身の安全を守る、それが今回の依頼だ。



「それでその麻帆さんという人の顔は…」

まさかその娘まで素顔を晒す事は出来ないだろうな?と思いつつも正は森野の娘の顔を拝見出来ないかどうか聞く。

それに森野は懐からスマホを取り出すと操作し、正へとその画面を見せた。


「これが娘の麻帆だ」

そこに映っていたのは父親である森野と共に写る麻帆の姿があった。青いショートパンツに黒いタンクトップ、青いショートヘアの髪の女性。写真で見る限り中々活発そうな印象だ。



「…娘さんの事を知っているのは?後、今回の事について他の人に話したりは?」

「娘の事は超東京プロレスの連中全員が知っているはずだ、手紙については信頼する者だけには言った。今その者に娘の警護に当たらせている」

麻帆の事なら超東京プロレスの者ならば皆が存じているようで、手紙は森野が信頼する者に伝え麻帆の警護を任せている。



現時点ではまだ犯人は分からない、手紙を送りつけたのは誰なのか。

ともかく正のするべき事はまずは麻帆を身を守る事だ。それは確実に遂行し、決して失敗の許されない依頼だ…。

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