第2話 File1 暗闇を彷徨う兄妹

この作品はフィクションであり、実際の人物・団体・事件とは関係ありません。






神王探偵事務所


秋葉原と神田の間に構える探偵事務所


此処で様々な依頼人と出会い、依頼について話を色々と聞いて仕事を遂行する。それが探偵神王正としての仕事だ。



しかしそれはあくまで依頼が入った時の話であり、今依頼が無い身では彼はただの暇人と化す。




「(……今月は中々来ないな)」

黒ジャケット姿の正は背もたれの椅子に背中を預け、ココアを飲んでいた。外は寒い冬を忘れさせる午後の穏やかな日差しが差し込んで来ており街の外では人々や車が往来する姿が見えるがいずれもこの探偵事務所に訪れる気配は微塵も無い。

テナントビルのこのスペースを運良く安く借りてはいるものの、このまま依頼人が来ない事が続けば正の生活が穏やかではなくなるのは間違い無いだろう。

先月のペット探し2件に比べ今月は不調だが、立派な大手と比べ小さい個人事務所ともなればこんなものかもしれない。

神王探偵事務所は大掛かりな広告を出したりはしてない、依頼は確かに欲しい。しかし数多く来ても身体一つでこなせる依頼数は限られてくる。



今日も依頼が来る様子は無い、今回も空振りかと思っていた時だった。




トントンッ



事務所のドアをノックする音が聞こえて来た。依頼人か、そう決め付けるのは早計だ。こんな所にまで来る商売熱心なセールスマンの可能性も充分有り得る。

とりあえず確認しないと何も始まらないので正は事務所のドアを開けた。


するとそこに立っていたのは30代ぐらいのやつれた感じのスーツに身を包んだ短髪黒髪のサラリーマン風の男だ、身長は170Cmぐらいといった所か。何やら困ったような顔をしている、これは依頼人の可能性が高い。正はそう感じて男に訪ねた。


「ご依頼の方でしょうか?」

「はい……やってますか?此処、探偵事務所と書いてありましたが…」

「勿論、どうぞ中へお入りください。」


男は正にとっての待ちに待った依頼人だ。正は男を応接室へと案内し、男はソファーへと腰掛け正はその向かいの椅子へと座り二人は向かい合う。



「まずはお名前と職業を」

「あ、はい。松永五郎(まつなが ごろう)、株式会社ベーザーに勤務しております」

男の名は松永という、そして株式会社の名前を聞くとそれは正にも聞き覚えがある。確かベーザーはかなりの大手だったはずだ。そのやつれた感じからはそうは見えなかったが人は見かけによらないらしい。


まさかその巨大な会社絡みの依頼が来るのかと正は松永から依頼の話を聞く事にする。


「では依頼内容の方をお聞かせ願えますか?」

「はい、実は………財布を盗まれてしまったのです」

「……財布、ですか?」


会社絡みの依頼かと内心で正は身構えてはいたが、それとは関係無かった。松永の財布が盗まれたので探してほしいという依頼だ。


「最初は何処かに落としたのかと思い、探したのですが何処にも無くて…」

「だから盗まれたのだと…警察に届けは?」

「一応出しましたが……」


届けを出してはいる松永だが、警察の方で真剣に探してくれるとは思っていないらしい。なので彼は探偵である正へと頼って来たのだろう。


「どのような財布で、どれくらいの現金とカードが入ってますか?」

「黒い長財布で現金は10万円程…です。カード類は入っておりません」


黒い長財布で10万円ぐらいの現金。カードは無し。それなら勝手にカードを使われて多大な被害額が出てしまう事は無さそうだが現金の無事は保証出来ない。盗んだとしたらその犯人が何時まで経ってもそれを使わずとっておく事は無いだろうし、財布自体も処分して証拠を消しているかもしれない。


「…正直盗んだという証明は難しいかもしれませんが。」

「それでも、このまま悔しい思いしたまま泣き寝入りは嫌です!探偵さん、なんとかお願いします!」


以上の事を述べて正は犯人確保及び財布を探し出す事は困難かもしれないと松永へと伝えるが松永は退くつもりは無かった。10万円という一般にとって高い金をこのまま失い悔しい思いをしたまま泣き寝入りは嫌だ、それは理解出来る。

必死な様子で正へと頼み込む、これに正の心は決まった。この依頼は引き受けるべきだと。


「分かりました松永さん、出来る限り力になりましょう」

「ありがとうございます!」


正は松永の財布探しの依頼を引き受ける事にした。難しい依頼ではあるが、確かにこのまま泣き寝入りするのは我慢出来ないと声を上げる気持ちは分かる。これに出来るだけ応えようと。

それに幸い正の手は空いている、時間は充分あるのだから。




「ではまず、松永さん。昨日は…酒を飲みましたか?」


まず正は昨日の松永の状態について尋ねる。仮に酔っ払っていたとしたらその状態によっては記憶が飛んで彼が知らない間に財布を何処かに紛失した可能性が出て来る。

「酒ですか?いえ、一滴も飲んでません」

それに対して松永はハッキリと飲んでないと断定。つまり彼は素面の状態で財布を失ったという事になる。

彼が気づかない間に何処かに落としたか、それとも彼に気づかれないように財布を盗んだのか。もし後者だとすれば相当な腕前のスリ師だ。


「それでは…誰かとぶつかったりとかは?」

誰かぶつかってきた、その隙に財布を盗み出すという方法もある。松永が誰かとぶつかっていればそこから調べる事は出て来る。

「いえ、誰ともぶつかってないと思います…あったら真っ先にそいつが怪しいとお話しておりますから…」

「そうですか…」

その方法も松永本人によって否定される。誰ともぶつかっていない、素面の状態で誰かがぶつかって来たのなら流石に覚えているはずだ。そして真っ先に正へとそれを怪しいと話す事だろう、しかしこれが無い事によりこの説も無くなる。


「財布を最後に何処で取り出して使いましたか?」

「最後に使ったのは……確か、秋葉原駅前の自販機だったと思います。寒いので暖かい缶コーヒーを買おうと」


松永は秋葉原の方に居た、そこの自販機で彼はコーヒーを買おうと財布を取り出した。そこまでは確かに財布はあったという。細かい場所についても教えてもらう、暖かいコーヒーの自販機などいくらもある。自販機間違いは避けたい。



結局手がかりはそれぐらいであり、後は松永は覚えていなかった。本人は正へと何とかお願いしますと深々頭を下げ、書類に必要事項を記入してもらうと事務所を後にした。


正は椅子に背を預けて考え込む、現時点では本当に盗まれたかどうか分からない。松永が無意識の間に財布を何処かに落とした可能性もある。盗まれたか、落としたか。とにかくまずは依頼人が最後に立ち寄ったという秋葉原駅前の自販機に行ってみようと正は身支度を整え事務所を出る。



外は暖かい日差しで特別厚着をする必要がない程の気温、もうすぐ春を感じさせる。足で情報を稼ぐ探偵にとっては実にありがたい天候と気温だ。

秋葉原駅は事務所から徒歩で歩いて行ける距離、近づくにつれて大きな建物が目立ちアニメのキャラクター広告が多く見えてくる。秋葉原はアニメやゲーム好き、オタクと言われる者達の聖地だ。ゲーム好きの正にとっても居心地が良い。

だがこの秋葉原には遊びに来た訳ではない、松永に言われた自販機を目指して正は駅前まで歩いて行く。


駅前と範囲が絞られても自販機はかなりの数がある。事前に聞いていなければどれなのか分からなかっただろう、正は目当ての自販機の前までやってきた。此処が最後に松永が財布を使った自販機の前だ。

正は辺りを見回す、特に周囲には変わった様子は無い。人通りは駅前という事もありかなりのものとなっている。

此処で正は意識を思考の方へと集中させた。


松永はまず酒を飲んでいない、酔っ払っておらず素面である。にも関わらず彼は財布を無くしている、相当彼がうっかり者なのか相手が相当な手練なのかはまだ分からない。此処からどう繋げていくか、とりあえず此処は最近の秋葉原の事情に詳しい者に教えを請う必要がありそうだ。

正はその場から移動を始めた。



秋葉原にあるゲームセンター、様々なゲームが並んでおりゲーム好きにとっては楽園のような場所だ。此処に正の目当てはあり、それはすぐ見つける事が出来た。


「よっ」

「ん…?ああ、神王か」

正が声をかけた人物、青いジーンズに美少女のキャラクターがプリントされた黄色いシャツを着た長髪黒髪のメガネをかけた男。いかにもという格好だ。

「お前が此処に来たって事は…仕事か?」

「察しがいいな、そこは流石と言っておく」

「ゲーセンに遊びに来るような格好じゃないだろそれ」

男が指を指し示した正の格好、黒ジャケットスーツ。それの時は大体仕事の時だと彼は分かっている。


富田 太一(とみた たいち)

オタクの外見をしているがその職業は情報屋、この秋葉原のゲーセンに彼は大抵居る。正も彼の情報には度々お世話になる事がある。


「とりあえず、ほら」

正は財布から五千円札を取り出し、富田へと差し出した。情報の代金の前払いだ。

「助かるね。最近ガチャで大敗しちまってさ」

「爆死かよ、だから午後ガチャより午前ガチャ安定だって言っただろ」

彼らは共通のスマホゲーをやっており、富田はそのガチャで大負けを喰らっていた。おそらく正の情報代はそのリベンジガチャで消え去るだろう。

その話はさておき、正はさっそく本題へと入る。


「この秋葉原、最近はどんな様子だ?」

「どんな様子…どういう事だ?」

「何か起きてないかと思ったんだ、例えば…スリとか」

「ああ、それなら……多くなったかもしれないな」


秋葉原の最近の事情について正は富田へと尋ねればスリが多くなってきたと富田は語り始める。

「飲みの帰りに財布が無かったりとか、ケースは色々だ。酔っている時に限らず、酒を飲んでいないのに財布が知らない内に無くなっていたりと、落としたかもしれないというのもあるが俺はスリだと睨んでいるな」

いくらなんでもそこまで財布を皆がいっぺんに落としたというのは考え難い、富田がスリだと思う事は正も同意だ。

「それと、財布を無くした連中には共通点があった」

「共通点?それは?」

「なんだと思う?」

「今クイズに付き合ってる暇は無いんだ、勿体ぶってないで教えろ」


財布を無くした連中の共通点、そのクイズに正は付き合う気は無い。情報代として5000円前払いで渡してるからとっとと教えろとばかりの目で富田を見て問う。



「いずれも皆財布をズボンのポケットへ入れていた」

「ズボンの…」


人が財布を何処に仕舞うのか、それは人によっては色々だ。今回の場合は被害に遭った者は財布をズボンのポケットに入れていたという。もしかしたら松永もそうだったのだろうか?

正は一言富田へと言ってからスマホで松永の連絡先へと電話をする。

3コールの後に彼は電話へと出た。



「神王さん、何か進展あったのですか!?」

「進展というか一つ確認したい事が出来ました、松永さん。当時財布を何処にしまってましたか?」

食い気味に電話へと出た松永、何か進展を期待している事が顔を見ずとも伝わる。その松永に電話越しで正は訪ねた。

「財布でしたら何時もズボンのポケットにしまってますが…」

「やはりそうですか」

「やはり…?」

松永もこれまでの被害者と同じくズボンのポケットに財布を入れていた。これで向こうの手口はある程度理解出来た。

「実は松永さんと同じく財布を紛失した被害者達、いずれもズボンのポケットに財布を入れてた事が分かりまして。松永さんもそうだったのかと確認の電話をしたんです」

「そうだったのですか、ズボンのポケットの財布を…これで犯人は絞れますか?」

「もう少し材料は欲しい所ですね…ですが確実に近づいてはいるはずなので、もう少し調査をこれから進めます」

「分かりました、神王さんにお任せします」

松永は正へと財布の行方を任せ、そこで電話を切った。



「(被害者はいずれもズボンのポケットに財布を入れていた…多分あらかじめターゲットに狙いを定め、財布をズボンのポケットに入れるのを何処かで見ていて隙をついてポケットの財布をスった…て所か?)」

頭の中で正は推理を組み立てる。今ある情報を纏め導き出せるのはこんな所であり、財布を盗んだ犯人は主にズボンのポケットに入れた財布ばかりを狙っている。


この秋葉原でそのような事を行うのはどういう人物なのか、正は人々の中へと溶け込み調査を続行する。

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