第29話

 その声を聞いた時、私は自然と笑みを浮かべていた。

 もう貴族ではないのだから、名前で呼んでくれ。

 そうマシュタルにいってから数日になるのにも関わらず、まだ私の名前を呼ぶ時の声はぎこちない。

 そのことにおかしさを感じながら、私は扉を開く。


「どうした……え?」


「突然のことで申し訳ない、セルリア嬢」


 そしてそこにマシュタルと一緒に立っていた人物、ガルバを目にして固まることになった。

 普段この部屋にガルバが来るのは、何か特別な用事があった時だけ。

 故に私は、反射的に身構えてしまう。

 一体何事があったのかと。

 その私の様子に、慌てたようにガルバが口を開く。


「そう身構えないでくれ、セルリア嬢。大した用はないのだ」


「そう、なんですか……」


 その言葉に私は内心一息つく。

 伯爵家のこともあるが故に、過度に警戒してしまったらしい。

 よく考えれば、マシュタルが冷静な時点で安心してよかったのに。

 そう考えながら私はマシュタルの方に目をやり、その後ろにいる人影に気づいたのはその時だった。


「あれ、その方は?」


 そこにいたのは、ガルバと同じく焼けた健康的な身体を持った男性だった。

 精悍な顔つきに、マシュタルと並ぶ長身。

 その姿はガルバと似ていて、しかし彼の纏うとげとげしい空気はガルバと全く違うものだった。

 困惑する私に、ガルバはにっこりと笑って口を開く。


「実は今日ここによらせて頂いたのは、これの紹介のためなのだ。息子のラルバだ。挨拶しろ」


 そう言って、ガルバは男性改めラルバの肩をたたく。

 前に出てきたラルバは無表情なまま、頭を下げる。

 けれどそれだけ、ラルバが一言も発することはなかった。

 それに不満げに、ガルバが口を開く。


「挨拶くらいしっかりせんか!」


「いえ、私達は居候の身。こうして挨拶して頂いただけで大変ありがたいですから」


「……セルリア嬢がそういうなら」


 不満げなガルバをなだめながら、私はラルバに向き直る。

 そしてにっこりと笑って口を開く。


「紹介に預かりましたセルリアです。お父上には大変お世話になっております。ご迷惑をおかけするとは思いますが……」


「はっ、やはり噂だけの女か」


「……え?」


 想像もしない声が聞こえたのは、その時だった。

 呆然と顔を上げると、そこに合ったのは見下すような笑みを浮かべたラルバの顔だった。


「親父にどう取り入ったか分からんが、俺は認めないぞ。温室から逃げ出したご令嬢様」

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