第28話

 港町、スペランカ。

 貿易と海の街と呼ばれる、男爵領。

 そこは本当に綺麗で活気のある街だった。


「さあ、買った買った! 安いよ!」


 街では、ものを売る商人の声が響いている。

 その商人の周りには多くの人間がいてその年齢、性別、そして人種も別々だった。


 ここは海の向こうの国々と交易する街。

 どんな人種がいたところで、それを気にする人間はいない。

 多くの人間が、肩を寄せ合い笑い合っている。


「……ここは本当にいい街ね」


 その光景を窓から見ていた私は思わずそうつぶやく。

 ここの光景は多くの商会とやりとりしてきた私でも初めて見る景色だった。

 はじめはこの活気に、困惑を隠せなかったのも良い思いでだ。

 しかしもうこの街にきて数日、私もこの景色になれつつあった。


「この街の人達は良い人ばかりだし」


 そう言って私は窓から自分の机に目をやる。

 そこに合ったのは、簡単な書類だった。


 それを持ってくれた主、つまり現在私とマシュタルが居候させて貰っている人間。

 スペランカの豪商の一人、ガルバだった。

 彼が私達を居候させてくれた経緯を思い出しながら、私はつぶやく。


「……まさか、こんな港町の商会に私の名前がしれているとは」


 真っ黒に焼けたがたいのいい初老の商人、ガルバが私を低姿勢で迎えてくれた時のことは未だに頭に鮮明に残っている。

 誰があんなに歓迎してくれるなど想像できただろうか。

 私達とガルバを引き合わせてくれたマリアナさえ呆然としていた、そう言えばどれだけ異常な事態か分かるだろう。

 そしてそんなガルバは、私達が身を寄せることを快く受け入れてくれた。

 それが私たちがこの屋敷で過ごすことになった経緯だった。


「知らない街で、こんないい暮らしをすることになるなんて」


 そう言いながら私は部屋を見回す。

 そこから目に入るのは貴族の屋敷にもひけをとらない豪華な部屋。

 港町スペランカでトップレベルの商会を持つことの意味が何より分かる光景だった。


 そんないい暮らしをしながら、私達へガルバが出した条件は少しの書類仕事と、時々相談にのることだけ。

 伯爵家にいた頃など比にならないその程度の仕事量で、こんな屋敷に住ませてもらえるのだ。

 これを知れば、誰もが私の状況をうらやむだろう。


 ……しかし、それを完全に喜べない自分がいることに私は気づいていた。


「もう、マイリアル伯爵家令嬢セルリアではない、そう思っていたはずなのに」


 そう言いながら、私は顔をうつむかせる。

 どれだけもう終わった事だと自分に言い聞かせても、私の頭からマイリアル伯爵家、ネパールのことが抜けることはなかった。

 これだけいい生活をさせてもらいながら、未練がましい自分が嫌になる。

 けれど、時間と余裕があるが故に私はそのことを考えてしまわずにはいられなくて。


 控えめなノックが響いたのはその時だった。


「……セルリア、よろしいですか?」


 そして次に聞こえたのは、マシュタルの声だった。

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