第8話
それから話し合い、それは私の記憶には残っていなかった。
ただ早くその場から消えてしまいたくて。
「……セルリア様、大丈夫ですか?」
気づけば私は、侍女につれられた玄関にいた。
話の内容を知りもしない侍女は、私に心配げな目を向けている。
……その目線が、さらに私の心をえぐるともしらずに。
「ええ、ありがと。少し疲れちゃって」
うまく笑顔が作れたかすら、私には分からなかった。
心配そうな侍女は、それでも私を通してくれる。
「お大事に!」
その言葉を背で聞きながら、私は玄関に向かう。
自分の乗ってきた馬車、マシュタルが待つその場所へと。
しかし、私は馬車にいく必要はなかった。
「お嬢様……!」
玄関を出てすぐ。
そこにマシュタルはいた。
反射的に立ち上がった姿は、マシュタルが私をずっと待っていてくれたことを物語っていて。
……それを理解した瞬間が、私の限界だった。
「ごめん、なさい!」
その言葉を発した瞬間、もう私には涙をこらえる気力はなかった。
ぼろぼろにあふれ出してくる涙を、何とか顔を覆うことで隠す。
しかし、その時にはもう歩く気力さえ足には残っていなかった。
それどころか、急に身体から力が抜けていき、私はその場に膝をつきそうになる。
──そんな私の身体を、誰かが優しく受け止めた。
「謝らないで下さい……!」
耳元で聞こえたそのマシュタルの声は、絞り出したようにかすれていた。
「マシュタル?」
涙に滲んだ視界の中、それでも私にはマシュタルが必死にほほえんでいるのが見えた。
それは必死に自分の感情を抑えた笑み。
すぐに、マシュタルは屋敷の玄関に向かって叫ぶ。
「足をくじいてしまいましたか、お嬢様? すぐに馬車で休みましょう」
その言葉に、私は理解する。
侍女達には何も知らせたくない、という私の気持ちが伝わっているということを。
「行きましょう」
そう言って私を運んでいくマシュタル。
その鍛えられた体に安堵を覚えながら、同時に私の胸にあるのはどうしようもない罪悪感だった。
「……駄目だった」
マシュタルに馬車の中に戻して貰いながら、私は嗚咽混じりの声で告げる。
それはあまりにも抽象的な言葉で、けれどそれで十分だった。
私を悼ましそうにみるマシュタルに、全てが伝わっていることを私は理解する。
「ごめんなさい、これで貴方も認められるはずだったのに……」
「……いいんです、お嬢様」
いつもなら心強くて仕方なかったマシュタルの言葉。
しかし、今の私には自分を追いつめる一因にしかならなかった。
マシュタルが私という存在についてきたのは、私がマシュタルにとって利用価値のある存在であるからなのに。
「早く帰りましょう、お嬢様。いえ、とにかく今はゆっくり休むべきです!」
しかし、そう言いながら私を馬車に乗せてくれるマシュタルの口から一言も愚痴がでることはなかった。
私を馬車に乗せて、マシュタルの身体が離れる。
そのお陰で、私の目にもマシュタルの表情が見えるようになる。
……その目に浮かぶ感情は、一転の曇りもない私への心配だった。
「屋敷に帰りたくないのであれば、商会の方に連絡を入れましょう。そうすれば、休めるところを用意してくれるはずです」
そう告げるマシュタルの表情に、気づけば私の涙は止まっていた。
その表情をどう思ったのか、マシュタルは優しい笑みを浮かべる。
「いえ、また後で思いついたら言って下さい。ひとまず、商会の方へとゆっくり馬車を走らせます」
私の中、ある覚悟が決まったのはその言葉を聞いた瞬間だった。
それは、一度はあり得ないと除外した選択肢。
けれど、もしマシュタルの為になるのなら、私には迷うつもりはなかった。
「もう、行き先は決まってるわ」
「……え?」
御者台にいく途中で固まるマシュタルを真っ直ぐ見ながら、私は告げる。
「公爵家に馬車を向けて」
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