一章 知らない世界と知らないコト
深い森の匂いと不快な匂いが混じり合い、飛び込んできた。
「なんだ、どこからっ!」
緊迫した声が聞こえる。いや、喧騒。
鈍い音がぶつかり合い、そこかしこで叫び声が上がっている。目の前には、腕を振り落としてくる――。
「下がれ」
見たことがない人間サイズの生き物を、彼が蹴り飛ばす。
下がれと言われたって。
周囲はヒトと緑色の異形な生き物の乱戦で、抜け出すスキをなかなか見つけられない。そもそもここがどこで、どこであれば安全なのか。
「隊長!もう引いてくださいませ」
後方より、幼い声が通る。振り返ると、この場に似合わない小さな女の子の姿が見えた。
「の前に、こいつらなんとかしないとなァ!」
前方で緊迫した返事が聞こえた。このまま振り返る余裕はないだろう。襲いくる生き物の数と勢いは引かない。
とにかくどうする。
私は、女の子のいる方へなんとか足を運びつつ、残った力を振り絞り魔法を唱える。が――
「こんな時なのに」
なにも起きなかった。
もう力が残っていない? 違う、魔力が全く感じられなかった。
「三で全員引け!」
彼が叫ぶ。
「あァ?」
「死にたければいい。一、二、三」
「くそっ、引けっ!」
有無を言わせぬカウントに合わせて、その場にいた者が後方へと走り出す。
大きく大剣を構えた彼を除いて。
瞬間、振るう大剣が大多数の異形たちを薙ぎ払う。吹き飛んだ異形が更に他を巻き込んでいく。
「なんだよあれは」
隊長と呼ばれた人物が退きつつも驚く。
私としてみれば、それでもなお、どこまでも湧き出して襲いかかってくる異形たちの方が理解できない。
足場の悪い森の中を必死に走る。
ついていくことに必死で、色んなことがありすぎてもう必死だ。なにがあったのだっけ。もう考えることすらしんどくなってきた。
どれくらい走っただろう。ようやく城壁のようなモノが見えてきた。
壁の前に並ぶバリケードに引っかからぬよう、集団の後につき、息も絶え絶え、なんとか建物の中までたどり着いた。
思わずその場に倒れ込む。
なんなのだ、ここは。
ほどなくして最後尾にいた彼もやってきて、同時に分厚い扉が閉じられた。
「お二方、お疲れのところよろしいでしょうか」
呼吸もなんとか落ち着きかけた頃、小さな女の子が声をかけてきた。
先程の場にいた、革鎧の似合わぬ幼い少女。
「ああ」
彼が返事する。
「では、こちらへいらしてくださいまし」
疲弊した体を起こし、少女の案内に従う。
どこへと向かって行くのだろう、私は。
広い部屋へと通される。木製の大きめな丸机に、多くの椅子が並べられていた。
おそらく会議室だろうか。
そそくさと座る彼に並んで私も席につく。
「少々お待ち下さいまし」
小さくも凛とした態度で、少女は部屋を出ていった。
「ふぅーーー」
思わず深い息が溢れ、机に体が倒れる。
長い一日。目を閉じれば意識が深く沈み込んでいく。
けれど、部屋に差す光はまだ明るい。
「すまなかった」
声が聞こえた。
慌てて意識を起こし隣に目を向けるが、彼の黒い瞳はまっすぐ前を向いている。
「なにがですか」
少し嫌味な聞こえ方になってしまったかもしれない。でも、なにも理解ができていないのだから本当にわからないのだ。
「おまえを巻き込んだ」
言葉少な表現少なで要領を得ない。
いや、私がわからないことを、ちゃんと聞いておかなくては。
聞きたいこと……。なによりも気になっていることは。
「元凶は倒せた、んですよね」
「ああ」
「あーよかったー」
今までのことは夢、幻ではなかったのだ。ようやく肩の力まで抜けた気がする。
「あの、ありがとうございました」
姿勢を正し、彼にお礼を言う。と、彼は少し驚いた様子で私に顔を向けた。
「そんなのじゃない」
「でも、私一人じゃ無理でしたし。たぶん、他の誰にも無理だったと思います」
「それから俺の事情に巻き込んだ」
俺の事情。白い老人と彼のやり取りを思い出す。
「えーと、私は、元より後の事なんて考える余裕もなかったから、なんだかわかんなくて。今はこうして居るだけで不思議な感じなんですよね」
正直な気持ちだ。
「とはいえ、ちゃんと教えてほしいこともあります」
「ああ」
なにから教えてもらうべきだろうか。
なにも知らなすぎる。
「そうだ。では、お名前は?」
「名前?」
「はい、なんとお呼びすればいいですか?」
変な質問だっただろうか。少し間があく。
「ヨージ」
「ヨージさん」
「そっちは?」
「トルテュです。」
「トルテュ」
「よろしくお願いします」
「ああ」
なんだか今更のやり取りに、思わず笑ってしまうけれど、名前を知れただけで、少し彼と距離が近づいた気がする。
「変わったやつだな」
「そうですか? ヨージさんの方が変わっていると思いますよ」
彼も少し笑った、ような気がした。
「必ず元いた世界へ帰す」
力強く彼の声が、両瞳が、私に向けられた。
「失礼いたしますわ」
女の子が両手に大きなトレイを抱え戻ってきた。
「どうぞ、大したものはございませんが」
それぞれ、私と彼の前に、湿った布・茶色い液体の入った杯・ビスケットのようなモノを配る。
対面へも同じように並べ、他より背の高い椅子を持ってきて座った。
「さて、少々質問よろしいでしょうか」
少女は、細い指でビスケットを液体に浸しながら問いかける。
「あなた方は、どちらからこられたんですの」
どう答えたものなのだろうか。
「遠くからだ」
彼は、布で顔を拭きながら答える。
「遠くとは?」
「おまえたちの知らないところだ」
「知らないところって」
少女は目を細め、浸したビスケットをガリッと噛む。とても固そうだ。
「……まあよろしいですわ。その“知らないところ”からこちらへ来られたということは、これから軍へ参加していただける、と考えてよろしいのですわね?」
「情報を教えてもらえば、こっちで全て終わらせる」
キッパリ言い切る彼に、女の子は動きを止める。
「どうやってですの」
「首謀者を殺す」
「……指揮する者がいると」
「ああ」
「根拠は」
「そういうモノだ」
「はあ」
少女は杯に口づけ、ため息を流し込む。
首謀者とは、私たちの元に現れたあの元凶のような存在だろうか。
ここもまた、あの醜悪な悪意に晒されているというのか。
「なんとかしないと」
私は思わず口にしてしまっていたが、
「はあ」
少女の不審な者を見る目が変わる様子はない。
私も飲み物を口に含んでみる。ほんのり香ばしく苦い。
「なんだよ、いるんじゃねえか」
沈黙が生まれようとした時、入り口の方から見覚えのある男が入ってきた。
隊長と呼ばれていた、体格のいい無精髭の男だ。
「すみません、ちょっと」
私達に断りをいれ、少女は男の方へ立ち上がる。
「隊長、尋問中ですの。邪魔しに来ないでくださいます?」
「邪魔じゃねえよ」
隊長と呼ばれる男は、静止も構わずドカッと座りこちらを眺める。
「あんたがトップの人間か?」
ヨージが問いかける。
「そんな偉いもんに見えるか」
「見えませんし、戦場の最前線に立ちませんわ」
「そうキーキー怒ってんなよ、いつものことだろうが」
「だから怒っているんですの」
少女は諦めをもって座り直す。
「第六番隊隊長コールプスだ」
「ヨージ」
「トルテュです」
「おまえら、神の使いか?」
いきなりの問いかけに私達は驚く。白い老人が語っていた神というワードが、ここで出てくるとは思わなかった。
「なぜそう思う?」
「ははは、やっぱりそうなんだろう」
嬉しそうに笑うコールプスとは裏腹に、少女の表情は渋い。
「気になさらないでください。お分かりの通り、少しアレですので」
「おいおいおい、おまえも聞いただろ、今認めただろう」
「認めておりませんわ。解釈が過ぎます」
「認めたようなもんだろ」
「はあ」
少女のため息は絶えない。
「なぜ神の使いだと」
ヨージは話を戻す。
「なぜって、おまえらあの場に、急に現れただろう? 確かにいなかった。目の端にいきなりおまえたちが出てきやがった」
「目の端ですわよね」
「俺の目の端だ」
「あの争いの中、全て見逃さなかったと」
「俺だからな」
「では、先程の戦場で私が落としたモノはなんでしょうか」
「は? アレだろ、ハンカチとかだろ」
「なにも落としておりませんわ」
「なんだよおまえ。品性落としてんじゃねえよ」
「隊長はこれ以上信頼を落とさないでいただけます?」
二人のやり取りは続く。
言い争っていても、まるで親子のようにとても仲がいいように見えた。お互い遠慮などないのだろう。
「それだけじゃない。見てみろ、俺たちとは雰囲気が違うだろう」
「私を隊長と一緒くたにしないでいただけます?」
「見ろって」
「確かに、私も見たことないデザインのモノを身に着けてらっしゃいます」
私の着ているローブやバッグを眺め。
「そういうことでもないんだが」
「なので、どこから来られたのか尋ねました」
「どこから来たんだ」
「遠くからだと」
「ほら言ったとおりだろ」
「だから」
「どうも拗れるようだ。俺達は出ていこう」
ヨージは、なかなか進展しそうにない会話を打ち切ろうとする。
「悪い、まあ待ってくれよ」
コールプスはこちらに向き直り、
「いずれにせよ、おまえの力を平和に使わないってのは、ない話だろ」
「そのつもりでここにいる」
「じゃあ話は早い。リンツ、こいつらをアナナシ中央まで送って行け」
「はあーーーあ?」
リンツと呼ばれる少女から、調子外れの声が飛び出す。
「そこへ行けば大本に近づけるんだな?」
「大本というか、まあここにいるよりは、な」
「勝手に決めないでくださいまし」
「今話し合っただろ」
「これが話し合いだとおっしゃるのですか!?」
「送るだけだ、なにも問題ない」
「私がいない間、六軍はどうされるおつもりですか」
「ここに戻ってからおまえが『しばらくは専守防衛に務めることでございますわね』とか言ってただろ」
「ぐぬぬ」
と顔を歪めるリンツ。そんな顔もかわいらしい女の子。でも、しっかりしている。
ここでは、こんな年端も行かない少女すらも、組織の中で責任持って働いているんだ……。
「そういうわけで。もうすぐ物資補給隊が来るころだろうから、こいつと一緒に乗っていってくれ」
「ああ、わかった」
「リンツ、神の使いたちを頼んだぞ。あとは、おまえの判断で動いてかまわん」
「厄介払いですのね」
リンツは拗ねたように言った。
「違うっての、あの力見ただろ。立場とか関係なくやれるんなら、俺が代わりに行きてえよ」
「……」
「いいか。この戦いを終わらせるために、俺はおまえにも期待している。わかってるだろ」
「……」
「つーことだから、おまえが色々教えてやれな」
「……はあ、わかりましたわ」
諦めた口調で了承し、話はひとまず、まとまったようだ。
「では、準備が済み次第お呼びいたしますので、少々お待ち下さい」
リンツは切り替え言い残し、速やかに部屋を立ち去っていった。
「まあ、あいつとうまくやってくれや」
コールプスはじっとこちらを見つめ、
「口うるさいしちっこいヤツだが、まあ、あれでなかなかやれるヤツだ」
ぶっきらぼうな口調ではあったが、その瞳には優しさが帯びていたと思う。
少し落ち着けたと思えば、また行動。
とはいえ、引かれた荷車の上で座っているだけである。二台にそれぞれ、私とリンツ・ヨージで分かれて操者と乗り込んだ。
ゆっくりと綱を引く長い四足の生き物は、これまた私の見たことがない生き物であった。
左手遠方に大きな壁を眺めながら、光差し込む木々の間をキュルキュルと進む。
「あの壁はどこまで続くんですか」
「どこまでもですわ」
「どこまでも」
「ええ、拠点から次の拠点へ。途中、山などを挟みますけれど」
「へー」
どおりで遠くを眺めても端が見えそうもない。
「……本当に知らないのですね」
リンツは呟く。
「ごめんなさい」
「謝ることではございませんわ」
「うまく説明することができなくて」
もどかしい。そもそも、まだ私も知らないことが多い。
「協力いただけるだけで十分です」
「でも、あんまり乗り気ではなかったんじゃ」
「決定したことですから、動き出した今、出自を無理に探る必要性も薄いですし」
会議室での話し合いから、もう落ち着いているようだ。
「本当、すごいですよね」
「なにがです?」
「周りにたくさんの大人たちに囲まれて働きながら」
「んっ?」
「まだ幼くっても、落ち着いて物事を考えることができて」
「フフフフフフ」
「はっはっは!」
リンツは不敵に、操者のおじいさんは盛大に笑った。
「あの、なにかおかしなことを」
「褒めてくださっているのですよね?」
「え、褒めてます」
「褒めてくださっているのですよね?」
「ほ、褒めてますよ」
「褒めてくださっているのですよね?」
「褒めてますって! 褒めまくりです!」
「おそらくお嬢さんと同じくらいか、もう少し上の年齢だろう」
手綱握るおじいさんは言う。
「えっ」
「フフフフフフ」
目が笑っていない。
「ご、ごめんなさい」
「謝ることではございませんわ」
「知らなくて」
「見えますものねぇ、おこちゃまに」
「いや、そんな風には言ってないです」
「あなたのように、スタイルもよろしくありませんしねぇ」
「ふぇっ!? いやいや、私なんて全然そんなことないし」
「フフフフフフフフフ」
やはり目が笑っていない。焦って謙虚になる時を間違えたようだ。
知らないことは恐ろしい。
「コホン、ちゃんと説明しておきましょう」
落ち着きを取り戻したリンツが姿勢を正す。
心なしかお姉さんに見えるのは、私が単純なせいだろう。
「ならヨージさんも一緒のほうが」
「あちらのおじ様はお喋りですから、聞かなくてもペラペラ聞かせてくれますわよ」
後ろを振り返ると、淀みなく喋る操者と静かなヨージの様子が見てとれた。
「では、お話しましょう」
改めてリンツの方へ視線を向ける。
「昔むかし、思想の違いから小さな争いが起きましたの」
「あの生き物とですか?」
「人と人の争いですわ。その争いは日に日に大きくなり、終いには、世界を二分する壁ができるほどの、争いとなってしまうのです。」
改めて長くそびえ立つ壁を眺める。
「なんでそんな」
「気づいた時には辞める理由の方がなかった」
おじいさんは寂しそうに言った。
「生まれた時から当たり前のように二分されている世界。それが私達の日常だった」
「ですが、“メトラージ”の出現によって状況は変わります」
「メトラージ?」
「先ほどあなたがおっしゃった、あの生き物のことです」
こちらにきた時に争っていた、あの異様な外殻をもつ緑の生き物。
「メトラージが湧いて出てきた影響で、一方は、人の争いと挟まれてしまいます。そして、絶えきれずに降伏をする形で、人間同士の争いは終わりました」
「なんだか、寂しいですね」
追い詰められることがなければ、変えられなかった。
争っていなければ、こちら側での暮らしを守っているあの壁もなかった。
「神罰だよ」
「神罰?」
「いつまでも分かり合うことをしようともしなかった、我々人間への」
おじいさんは前方遠くへ視線を巡らせる。
ここでもまた神、か。
「それを後の世代まで被っては、やりきれませんわ」
リンツは鋭く言い切った。
「神罰などではございません、そんなやり方しかできないなんて」
私達を乗せた荷車はキュルキュル進む。
「まだまだ知らないことがたくさんです」
「ほんと、どこで育てばそうなるのでしょうか」
「……あの、カワズってわかりますか?」
「いいえ、聞いたことございませんわ」
「俺も知らないねぇ」
「魔法使いっていますか?」
「イカサマで民衆を騙す権力者のお話ですの?」
「そんなやつもいたなぁ」
やっぱり私は遠くへ来たのだと、改めて思う。もう思ってはいたけれど。
「では、あの方のこと教えていただけます?」
リンツが後方へ視線を向けて言った。
「ヨージさんですか?」
「ええ。彼、お喋りではなさそうですし」
「えーっと、名前はヨージさんです」
「それは知っております」
「あとは、あんまり知らないんです」
「どういうことです?」
リンツが訝しむ。
「私も会ったばかりで」
「あら、そんな方とお二人でどうして」
「最初は、私が無理言ったんです。付いて行かせてくださいって」
思い出す。絶望の中に現れた彼の姿を。
仲間たちの遺体に囲まれて崩れ込んでいた時のことを。
「その時は、なんて言うか、もうどうしようもない状況だったんですけど、でも、、どうしても……やり遂げなくちゃって思ってて」
当時のことを思うと、言いようもない感情が蘇ってくるけど。
「でも、彼が救ってくれました」
彼が道を開いてくれた。
「そんな感じには見えませんけどね」
「そうですか?」
「ええ、なに考えているのか全く読めませんもの」
「でも、いい人ですよ。きっと」
過ごした時間は短くて、知らないことのほうが多いけど、なんだかそう思える。
彼を見つめてみる。相変わらず静かに佇んでいる。
『キュルキュルキュルキュル!』
荷車引く生き物が急に鳴き、その場に立ち止まった。
「なんですの」
「ちょいと待て。」
おじいさんは後方の荷車へも停止するよう指示し
「あーあれだ」
右奥前方、木々の間を指差した。
指差す方へ視線を移すと、私達よりも大きな体躯と大きな牙をもつ四足の獣が一匹。こちらを値踏みするかのように様子を伺っていた。
「今追い返す」
おじいさんが足元の荷物を探ろうとすると、
「お待ちになって」
そう言うとリンツは荷車を降りた。
「おい、あいつでかすぎるぞ」
「私がただのおこちゃまでないこと、証明してみましょう」
どうやらリンツは根に持つタイプのようだった。
「そんな風に思ってませんから、危ないですよ」
私の言葉も聞き入れてもらえず、細剣を抜いたリンツは、獣へと向かって行く。
堂々と歩いて行く姿からも大丈夫ではあるのだろうけれど、心配にはなる。
近づいて行くにつれ体躯の差が明確になっていく。四、五倍はあるだろうか。
風にリンツの髪が揺れる。
その時、獣の巨体が地を蹴った。
葉を蹴散らす獣の速度は、私の想像よりも遥かに速い。
もうそこまで来ている。
けれども、リンツはゆっくりと細剣を肩の高さまで構えじっと見つめたまま。
ぶつかる、そう思った刹那。
リンツの体が横へ流れる。まるで足をも動かしていないかのように、滑らかに。
細剣が頭部を突き刺し、引き抜かれた。
獣は空を突き、勢いのままに進んでいく。
やがて、そのまま足をもつれさせ倒れ動かなくなった。
「すごい……」
鮮やかな一瞬の出来事に思わず呟く。
「さあ、こちら少々解体いたしましょう」
懐に細剣を収め、小さなナイフを取り出す。
私の視界に、すさまじい勢いでリンツへ向かう者の姿が映った。
ヨージさん?
「なんですの?」
ヨージに気づいたリンツは、
「後ろ!」
の声に身を翻す。
ズシャアアア!
ヨージの大剣が、突如現れたもう一匹の喉元を突き潰す。
深く入った切っ先から血液が勢いよく噴き溢れると、既に細剣を構えていたリンツを赤く染めていった。
「……すまん」
「……いいえ、ありがとうございます」
血液滴る笑顔で、リンツは答える。
近くの川までたどり着いた私達は、それぞれ休息をとることにした。
「不覚でしたわ」
ヨージや自身のローブを洗い干し終えた私は、リンツの元へ戻ってきた。
体を流し終えたリンツが、自身で洗うと断った革鎧を濯ぎにかかる。
「でも、すごかったですよ」
私は、リンツの髪を丁寧に拭いはじめながら答えた。
「大したことではありませんわ」
「そんなことないですよ」
肌着にパンツスタイルのリンツは、更に小さく見える。とても剣を振るうとは思えないくらい華奢な体だ。
「私はもっと高みを目指していますので。なのに、あのような辱めを」
鎧を洗う細い手に力がこもる。
「わ、わざとじゃないですから」
「そういうことではなくて、もっと自分を磨かなければダメなのですわ」
不満なふくれっ面もかわいい少女。って言ったらたぶん怒られるけど。
そんな彼女の理想は、もっと高い場所にあった。
「そのためにも」
リンツが私のほうをじっと眺めてきた。
「な、なんですか?」
真剣な顔でまじまじ見られると、なんだか少し恥ずかしくなる。
「どうすればトルテュさんのようなスタイルに育つのでしょう」
「ふぇっ!? いや、そ、そんなことあります」
焦って傲慢になる時を間違えた。
「少し触らせていただいても、よろしいですか?」
「え、嫌だとかは、ないけど」
リンツは手を拭き、冷たく細い指が私に触れた。
質感を調べるように、ふくらはぎからふとももと登っていき脇腹、肩周りから腕までふにふに触る。
「ふゃっ!」
服越しとはいえくすぐったいが、どうも真剣なようなので我慢するしかない。
「鍛えられています?」
「えーと、それなりには鍛えられました」
「そうですわよね。あの方と行動を共にできるくらいですから」
満足したのか、リンツは再び鎧を手にする。
「ありがとうございます。こちらはもう大丈夫ですから、あちらを手伝っていらして」
ふとあちらを見ると、切り崩した木材を運ぶヨージの姿があった。
「お手伝いします」
焚き木に火をつけるヨージに声をかけた。
「こっちは大丈夫だ」
簡易的に作られた椅子に腰掛けると、ナイフで細い木を器用に削っていく。
「あっ、ちょっと失礼しますね」
私は持っていた濡れた布で、彼の黒髪を拭く。
「おい」
「血、ついてますよ」
「後で洗う」
「早いうちのほうがいいですよ」
それ以上言うことなく、彼は大人しく作業を続ける。
「この世界、どのように思います?」
私は、彼の髪を撫でながら聞く。
「特に、変わった世界ではない」
わからないことだらけなのに、彼にとっては普通のことなんだ。
「やっぱり私のいた世界ではないんですよね」
「ああ」
「ヨージさんのいた世界も」
「違う世界だ」
この世界に飛ぶ前に、私のいた世界に飛んで。たぶんその前からきっと……。
「大変、ですね」
「そこにおまえも巻き込んだんだ」
「あはは、そうでしたね」
未だにそういう実感は湧かない。
髪を拭う布を折り返す。
「ここに来てから、神って言葉を何度か耳にしました」
「神を語りたがるやつは、どこにでもいるさ」
「あの白い老人は神なんでしょうか?」
私は、疑問を挟むと。
「違うな」
彼の言葉が強くなる。
「そんなできた人間でもない」
「はー、なるほど」
わかるような、わからないような。
「俺はヤツに使われている」
「色んな世界の、悪みたいなモノを倒すことにですか」
「そうだ」
「結果的に、世界を救うことになるんですよね」
「力で支配してくる、あいつも同じ穴のムジナだ」
「あー、たしかに」
「世界も人も、一面だけではない。」
そのとおりかもしれない。
段々と分かってきたようなこの世界もきっと裏腹で。
「でも、やっぱり私は、ヨージさんと会えて良かった様な気がします」
「それはもういい」
「そうじゃなくって。もちろん救っていただいたのもあるんですけど、なんて言うか。色んなことを知っていって教えてもらえて、それがなんだか嬉しいんです」
それは、頼れる人が近くにいるからこそだろうけれど。
「やっぱり、変わったやつだな」
「ヨージさんが見てきた世界の中でも変わってますか?」
「ああ、そうだな」
ようやく彼が笑った。
みんなが集まり焚き火を囲む。
解体してきた獣の肉を手製の木串に突き刺していく。
「ヘイ、ヨーちゃん。なにそれ振りかけてんの」
道中ヨージと同乗していたおじさんが尋ねる。
思っていた以上にフランクな人だ。
「ああ、悪い」
「いや、いーんだよ、かけちゃって。危ない粉とかじゃなければね」
ギャハハハとひとり笑う。
「たぶん大丈夫だと思うが」
「うまいの?」
「まあ、美味い」
「じゃー全部にぶっかけちゃってよ」
「ちょっと、全部じゃなくてもよろしいんじゃなくて」
リンツは慌てて静止する。
「んだよー。リンちゃんは冒険心ってのが足りないよなー」
「思慮深いのですわ」
「そんなんじゃだめだリンちゃん。俺なんてさ、物資運搬に見たことないモノなんか積まれてるとよ、迷わず試しちゃうもん」
「上に報告しておきます」
「うへえ!」
おしゃべりな口が、墓穴を掘った。
「なら、おまえが試してみろ」
ヨージはそう言うと、いい具合に焼けた肉串を差し出す。
「お、いいの? じゃあお先に」
受け取ったおじさんは、言い終わるが先か、肉へとかぶりついた。
「おー! うめえー!」
男は目を見開き歓喜して、更に肉へとかぶりつく。
「はあ、大げさなんですもの」
リンツは目を細め、疑いの目で眺めている。
でも、あれだけ大喜びしながら食らいつく姿を見ていると、私は、自然とよだれが溢れてくるようで。
「私もいいですか?」
「じゃあ俺も冒険してみようか」
思わず私とおじいさんも、彼に要求する。
「ああ」
白、黒、赤、緑と様々な色の小さい粒たちが肉に降りかかる。
それらの粒が溶け合うように、肉へと染み込んでいく。
ゴクリとツバを飲む。
「いただきます」
そして、ひとくち。
「あっ、美味しい」
「ほう、うまいな」
歯を入れた瞬間、肉の旨味そのものが口中に広がっていく。
そして、ほのかな甘味と多少のピリリとした辛味が舌に刺激を与えた。
獣のこってりした油も固い食感も、振りかけた粒があっさりとほぐしてくれているかのようだ。
肉を飲み込み口内に残るのは、さっぱりとした旨味と風味と食欲で、これは、
いくらでも食べられる危ないやつだ……。
そう思っていても止められない。黙々と食べ続ける。
クゥー。
かわいい音でだれかのお腹が鳴る。
「コホン。そこまでどうしてもとおっしゃるのなら、私もいただきましょうか。」
渋々といった形で、リンツの肉にも粒がかけられる。
「いただきますわ」
小さなお口でひとくち。
もぐもぐ。
まるで小動物のように口を動かす。更にひとくち。
もぐもぐもぐもぐ。
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。
もうどうにも止まらない。リンツの顔はとろけている。
「おかわりですわ」
「俺も俺もー」
ペロッと一串食べ終えたかと思うと、もう次の串をスタンバイする。
「好きに使え」
ヨージは調味料を投げ渡す。
「もぐもぐ、どこに行けば、もぐもぐ、このような、もぐもぐ、モノ手に入りますの?」
頬にお肉を詰めながらリンツは聞く。本当に小動物みたいになってきた。
「もう手に入らないだろうな」
「ゴクン。やはりそれだけ希少なモノなのですね。あ、おじ様追加のお肉用意してくださいませ」
三串目をじっくり炙りつつ、肉をかじるおじさんへ指示を出す。
「行くことができれば、手に入れるのは簡単なんだが」
「あら、そうなんですの。では向かいましょう、連れて行ってくださいまし」
リンツは輝く目をヨージへ向ける。
「おい」
ヨージは少し呆れたように、
「俺たちには行くトコロがある」
と、諭す。
「そうでしたわね。では、目的が終わり次第にぜひお願いしますわ」
リンツは、焼けた肉にかじりついた。
「終われば、な」
普段と変わらぬ表情で、ヨージは火をいじる。
たっぷりと休息と食事を満喫した私たちは、再び荷車へ乗り込み、
目的地であるアナナシ中央へと向かう。
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