第5話
岡田が将棋サークルに入ったきっかけは、高校でも将棋部だったという単純なものだった。ただ高校の将棋部の雰囲気はお世辞にも真面目とは言えなかった。ある高校に所属している将棋部が公式の大会に出るためには、資格を得るための学生連盟に登録しなければならない。その連盟への登録費が馬鹿にならず、わずかな将棋部の部費では賄うことができなかったのである。
目標がなかったから、将棋部のメンバーはマイペースだった。勉強の成績はかなり良いほうが集まっていたから、どちらかというと日々の勉強の息抜きの為に部活をしている生徒がほとんどだった。岡田もそんな中の一人だったから、将棋の腕はお世辞にもうまいとは言えない状態だった。
だから大学に入ってからも将棋に特にこだわりがあるわけでもなかった。だが、将棋サークル以外に特に入ろうと思うサークルを見つけたかと言うと、そういうわけでもなかった。入学式が終わってすぐに音楽系のサークルやスポーツ系のサークルから多数勧誘を受けたが、天真爛漫な、道の真ん中を堂々と歩けるような様子の学生たちの中に混じって、楽しんでサークル活動ができるような性格をしていなかった。
それで結局、将棋サークルに入ることにした。入学式終わりに貰っておいたパンフレットに部室の場所が書いてあって、そこで四月中はいつでも来て良いと書いてあった。午前中にオリエンテーションの講義が終わって一日の予定が早くも終わったので、早速行ってみることにした。
様々な先輩や同級生が40名ほどいる中、説明会の後の歓迎会でたまたま近くにいたという理由だけで小林、岡田、立川、高村の四人はすぐに意気投合した。大学生徒たちはどれも学生生活を真面目にやってきました、と顔に書いてあるような連中ばかりが通っていた。大学のキャンパスを歩く学生の群れは岡田にはファッションショーのように見えたし、グループワークで四人で一塊になれば、その中に必ず一人は遊んでいます、と顔に書いてあるような見た目をした学生が男女問わずいた。
小林も岡田も高村も、典型的な将棋部出身の人間だった。服は落ち着くようなダークグレーや黒を好んで着ていたし、毎晩のように渋谷や新宿に繰り出して遊び歩くような考えはみじんも持っていなかった。
そういった人間は学生恋愛には弱く、時に彼らと対極に位置する人間から侮蔑とも哀切とも取れない、どろどろとした目線で見られることがあるということは三人とも知っていた。特に小林は高校時代の将棋部でかなり苦労をしたらしく、時にそういった学生にたいして憎悪にも似た感情を向けることもあった。
ただ、立川だけは違っていた。彼は将棋サークルの中でも突然変異をしたかのような存在として登場した。ある日いきなり部室に
「おっす~!」
とまるで四年生の先輩かのような軽い調子で入ってきたかと思うと、顔見知り程度だった自分に「何してんの?」と話しかけてきたことを覚えている。
その時、岡田は高村と詰将棋をやっていた。少し難しい詰将棋で、二人は10分くらい一つの問題を考え続けていた。
「これやってるんだよ」
そう言って岡田が盤の上に再現された詰将棋を見た。
「へえ~」
立川は茶色に染まった後ろ髪に右手をやってじっと盤上を見つめた。そのまま30秒ほど考え込んでいたが、
「お、分かった!これじゃね?」
と言いながら一手を指した。盤の向かい側にちょうど座っていた高村が相手をしてやると、すらすらと13手で見事に玉が詰んでしまった。
「マジかよ」
「よく分かったね」
驚きの声を二人があげると、立川は
「あ~、なんとなく?」
と返事をした。
「立川、だっけ?強いね、高校は将棋部だったの?」
岡田が、おそらく高村も抱いているだろう疑問を尋ねる。
「いや、別にそんなことはないよ。爺さんが将棋を指しててさ、それでよくやってたんだよね。高校はサッカー部だった」
へえ~、と答えを聞いた二人は目を丸くした。
相手の将棋の強さが気になれば、一局指せばよいことは将棋ファンなら一つの常識と言ってもいいかもしれない。岡田が適任だろうということになって一局指すことになった。
結論から先に述べると、立川はあっけなく負けた。
「参りました。うわ~、やっぱりやってなかったからなー」
そう話した彼は少し悔しそうな顔をしていたが、将棋を指せて楽しかったという喜びの方が何倍も勝っているような気がした。あの時の顔を岡田はなんとなく覚えている。あのような見た目で将棋を指して、参りましたと挨拶をして悔しそうに笑うのを見たことがなかったからだ。
その後、立川は将棋サークルの部室でよく岡田と小林に勝負を挑むようになった。立川の指し方は至ってオーソドックスな戦型を好むようだった。立川は数度に一度は勝つ、といった程度だったが先輩から棋書を借りたりして勉強し、あっという間に二人と互角に戦えるようになっていった。
こうしてみると普通の将棋サークルの部員といった調子だが、立川はやはり「そうではない」側面を見せることがあった。先輩が立川を偶然夜の歌舞伎町で見かけたという話をして気になった岡田が立川に聞いてみると、
「え?うん。講義で同じになった奴と飲みに行ったんだ」
とあっさりと認めた。その後おすすめのクラブを紹介されて一緒に行かないかと言われたときはさすがに断った。女性経験も豊富なようで、かなり遊んでいるらしい、という噂も出回った。
しかしこのような噂が出回っても、不思議とサークル内で立川の評価は下がらなかった。むしろ面白いやつだ、という評判になっていることのほうが多かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます