第3話
翌日、岡田は頭痛と気怠さと共に目覚めた。
窓を開けると空が相変わらずどんよりとしている。昨日の雨こそ収まっているが気圧が低い。それに昨日何となく買ってきたビールが身体の中に残っているようだった。そんなに量を飲んでいるわけでもないのに、身体が軋んでいる。手元のスマートフォンを開けると午前9時と書いてあった。もう少し寝ても良いのだが身体が勝手に目覚めてしまうあたりが悲しいことだと思う。
ベッドに寝っ転がったまま、岡田はスマートフォンを取り出してソーシャルゲームを開いた。三年前にリリースされて、話題になったからという理由で始め、そのままなんとなく惰性で続けているゲームだ。ログインするとそれだけで報酬がもらえるので、ゲームをプレイしない日でも必ずアプリを起動する癖がついてしまった。このゲームに特別な思い入れがあるわけではない。このゲームが始まった当時、岡田はまだ大学に通っていた。小林や立川が始めたという理由で始め、キャラがあたったとかいくら課金したとか、そういった話で盛り上がっていた。しかし卒業してしまった今、岡田にとってそれは歯を磨くとか風呂に入るとかといった、感情を動かす必要のない一つの作業になり果ててしまっている。
とっくの昔に、岡田はこのゲームの魅力を忘れていることに気が付いていた。しかし、岡田は空いた時間に潰すことが他に思いついているわけでもなかった。週に二日の休日に出かければ少ない貯金を失うだけで、自宅に引きこもっていてやることといったらゲームくらいしか思いつかない。
結局、岡田がホテルを出たのはそれから二時間くらい後のことだった。服装を整えてホテルの外に出ると、まだ雲がどんよりとビルとビルの隙間に広がっていた。あまり会う機会がないから、同じ将棋サークルに入っていた小林と高村と通夜まで時間を潰そうということになっていたのである。
集合場所は梅田だった。昨日電話した小林ももちろん来る。わざわざ梅田まで移動するのは高村が電車で大阪駅までくるからだ。
数年ぶりに会うといっても、岡田は二人が今何をしているのか全く知らないというわけではなかった。小林も高村もよくSNSをやっているから、距離が離れていてもなんとなくの近況は伝わってくる。
雨は昨晩中降り続いて、今は晴れている。ホテルから駅への道は舗装が古くて、あちこちに水たまりができていた。
指定の場所は梅田駅近くの喫茶店だった。どこかに遊びに行くような状態でもなかったし、だからと言ってそれぞれ過ごしているのにはなんとなく気が引けるような、胸の中に靄を抱えた状態で通夜まで過ごさなければならないのは明白であった。
店に一番初めに来たのは岡田だった。長居することになるだろうからと思ってコーヒーとケーキのセットを注文してしばらく待っていると、もうすぐ着くという小林からのLINEが来た。高村からもLINEが来たが、彼からの連絡は到着が遅れるというものだった。
やがて自動ドアを開けて小林が入ってきた。小林の顔つきや身体は卒業前から全く変わっていなかった。
「久しぶり」
岡田を見つけるとそう言って、小林は席に着いた。小林は大学時代と全く変わらず、淡々と話す印象を与えている。ただ、岡田と違うところは淡々としていても決して臆病なのではなく、何か自分が明快なものを強固に信じているものがあるからこそ、慌てたり騒ぎ立てたりする必要がないのだと周囲が感じ取る落ち着きがある人間だった。
「びっくりしたな」
コーヒーを一口すすり、小林はそう言った。小林は他人と会話するとき、真っすぐ相手の方を見る。本人はそのことを礼儀か何かだと思っているのだろうが、岡田はたまに、この視線が苦手になっていたことを思い出した。
「そうだな」
なんとか岡田はそう言った。
それからしばらく、岡田は小林と互いの細かい近況報告をしあっていた。小林は就職後、博多に配属になったことは知っていた。一人暮らしを楽しみつつ、週末は将棋道場に通う日々を送っているらしい。新型コロナウイルスで道場に来る人間も随分と減ったが、最近はマスクをして将棋を指しに来る人が少しずつ増えているとのことである。小林はメンバーの中でも最も将棋に対して真面目に取り組んでいる人物だった。
「道場の人は強い?」
「うん、めちゃくちゃ強いかな。社会人大会の県代表とかが出歩いてて、すぐぼこぼこにされるよ」
苦笑いをしながら小林がそう言った。博多にある道場だからきっとレベルも高いのだろうと思っていたがそれほどとはと思い少し岡田は驚いた。ただほかのサークルメンバーが部室で麻雀をしたりカードゲームをしたりしている中、小林は遊びに付き合いつつも将棋の勉強は欠かさなかった。大学生の大会に出てかなり良いところまで行ったことも岡田は知っている。きっとそのくらいが彼にとってちょうどよいのだろう。
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