第2話

 荷物を入口のあたりに置いたまま、岡田はそのままなだれ込むようにベッドにうつぶせになった。形を崩さないために着てきたスーツを脱がなければならないのだが、全身を気怠さが包み込む。ああ、という声が思わず漏れ出た。


 一度身体を起こしてスーツを脱ぎ、スーツケースを開けて中身を取り出して部屋着にきがえなければならない。ただそれをする気は全く起きない。一度横たえた身体を起こすには途方もない体力を使うように感じられる。


 この気怠さは、大学のころにはないものだったと岡田は思った。首や背中に重石が乗ったようになっていて、何もする気にならないのだった。それは友人が死んで、遠路はるばる通夜に行くために大阪に向かっても同じことだった。こうなると明日の通夜も面倒くささが首をもたげてくる。


 岡田は寝返りを打って天井を向いた。天井は鉄筋コンクリートの打ちっぱなしになっていて、所々に何かを貼り付けた跡のようなものが残っていて古さを感じさせる。壁紙などは最近張り替えたのか真新しいものになっていたが、周りのドアノブとか窓のサッシは古ぼけたままで、なんとなくの質の低さを感じさせる。手元のスマートフォンに何件か通知が来ているようだったが、それを返す手間が面倒でそもそも文章を見ることさえも岡田はしなかった。


「なんもしたくねえ」


 そう呟いたが、声は天井に向かって吸い込まれるばかりで何も返事は返ってこなかった。ここ二週間くらい腹を壊していて食欲すらも湧かない。病院にも行ったが医者には体質的なものと説明された。薬が三種類渡され、毎食後に一錠ずつ飲めと言われた。岡田は医者嫌いではないのでおとなしく言うことを聞いているのだが、25歳で毎食3錠の薬を飲むのはなんとなく情けなく感じるものだ。


 だが何も食べなければますます衰弱していくばかりである。しかし身体が布団に張り付いたままではどうしようもない。毎日毎日、岡田は自宅の布団の上でこのような自問自答を繰り返し、気が付いたら眠りについていたりごろごろと寝転んでYouTubeを見る日々を繰り返していた。


 それは旅行先でも変わることはなかった。岡田はただ無言でベッドの上で仰向けになっている。本来であればそのまま10分20分と時が過ぎていくところだ。ところがふいに机の上に置いておいたスマートフォンが鳴り響いた。


 いつも聞いている魅力のない着信音を聞き、しぶしぶと電話を取る。


 声の主は小林だった。


「そっちは着いたか?」


 着いた、と岡田は返事を出した。


「そりゃよかった。同じ内容のLINEを送ってるけど気にしないでくれ」


 小林の口ぶりはいたって冷静なままだった。訃報から少し時間が経ってはいたというのもあるのだろうが、小林は大学時代にも常に冷静で、酒の席を除いておおよそ動揺とか混乱とかといった表情を見せた覚えがないことを岡田は思い出した。岡田は返事を出さなかったことに若干の申し訳なさを感じつつ、お前は着いたのか、と聞いた。


「今ホテルの部屋に入ったところだよ。仕事の予定が調整できて、これてよかった。肉親じゃないと忌引きは取れないから大変でね。でも、何とか来れてよかった」


 そうか、と岡田はそう返事を出した。何かねぎらいの言葉をかけてやるべきなのだろうが、肩のあたりにのしかかっている重石と気怠さのせいでそれも思いつかない。来れてよかったというおざなりな返事に留まってしまう。


 電話口はしばらく無言だった。雨で電波が悪くなっているのかと思い、聞こえるか?と尋ねると、数秒あとに小林は口を開いた。


「お前疲れてるのか?」


 いや大丈夫だ、と岡田は返事を返した。実際は肩にのしかかったものが気になっていたが、このような疲れは社会人を経験すればだれでも感じ取っているものだと思った。だからこの程度のことは数年会っていない友人を心配させるようなことでもない。


「そうか」


 なんとなく納得していないような声をしていたが、小林はそれ以上何かを追及するようなことはなかった。


「じゃあ、俺はそろそろ風呂に入りにでも行くわ。また明日」


「おう、また明日」


 そう言って電話を切った。声帯を動かしたからか、電話が来る前よりは身体が動かせる気がしてきた。夜ご飯ぐらいは食べよう。岡田はそう思ってコンビニに向かうことにして、ベッドに横たえた身体をもう一度持ち上げた。

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