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四宮 式
第一章 白雲千載
第1話
立川が死んだという知らせを岡田が聞いたのは一週間前の事だった。
最初に電話を回してくれたのはやはり同じサークルに入っていた高村だった。彼は岡田が電話に出るなり、
―立川が死んだ。
と、動揺を一切隠さずにそう、端的に言った。岡田はその時東京の恵比寿にある職場にいて、詳しく説明を聞くことができなかったからすぐに電話を切り、またかけなおすことにした。しかし、そういう日に限って断れない残業がある。結局夜の9時頃まで自分の持ち場から離れることができず、彼が携帯電話を見ることができたのは帰りの電車の中だった。高村からは長文の連絡が入っており、立川が急死したこと、通夜と葬式の日程が遺族から高村のところに送られていること、そして、そこには将棋サークルの同期だった自分も呼んで欲しいと書いてある事が書いてあった。
それを見て、岡田はなぜか酒が飲みたくなった。最寄り駅から自宅に歩く途中にあるコンビニに寄って、ストロングゼロのロング缶を二つ購入して高村へ返信の文章を送ることも忘れてそれを煽るように飲んだ。普段はプライベートで酒を飲むことは少ない岡田だったが、その日に限っては違っていた。翌日は安酒特有の二日酔いが頭を刺す中での出勤だったが、岡田はそのことはどうでもよいかのようにふるまった。昼休みに携帯を開くと「来れるのか?」という出欠を急く高村からの連絡があったから、「いける」と返信を出した。
だから今、岡田は東京発の東海道新幹線の中にいる。真っ白に身体を光らせた新幹線が東京駅のプラットフォームを滑り出すと、すぐにアナウンスがあった。2022年になっても相変わらずこの世の中を縛り付けている新型コロナウイルスは、今日も人々にストレスと不便を強い続けている。ただマスクとソーシャルディスタンスのお願いのアナウンスも、岡田にとっては既に聞きなれたものだった。
窓の外を見ると都心のぎらぎらとした摩天楼とは対照的に空はどんよりとしている。重く湿った暗い雲だ。天気予報はこれから雨の予報になっている。都会の空はただでさえビルに覆われて圧迫感があるのに、そこに雲が加わって陰鬱な気分を醸し出していた。
ゆっくりと後ろに流れている雲を眺めながら岡田は、不思議なほど落ち着いていることに気が付いた。まがりなりにも4年間の時を共に過ごした友人が亡くなったのだから、もう少し、悲しみとか怒りとか動揺とか、そういった激情が身体の中を渦巻くものだと思っていた。それを聞いた初日は少し動揺もあった。しかし、今東海道新幹線に乗っている彼はそのような感情が少しもなくなってしまっていることに気が付いていた。
ここで岡田は、昨日の残業の疲れが身体を蝕んでいることに気が付いた。有休を取得する代わりに休む間にこなさなければならなかった業務を、事前にすべて終わらせなければならなかったのだ。それで結局昨日も一昨日も終電まで会社で作業をしていた。だから数時間寝たかどうかも分からない。葬式の荷造りもしなければならなかったから、家に帰ってすぐ風呂に入って寝るというわけにもいかなかった。
中学、高校と将棋部で過ごしてきた岡田は大学でも迷わず将棋サークルを選んだ。ただ岡田自身は将棋が好きだったというよりは、将棋をやっている連中と駄弁ったり遊んだりすることが好きで、将棋そのものを熱心に勉強する、といったような感覚は持ち合わせていなかった。
だから、将棋サークルに入ってもあまり将棋を指すという事は少なかった。部室に何となく集まって麻雀をしたりボードゲームをしたりして過ごし、週末の夜になればスーパーで安酒を買って友人の家で酒盛りをして過ごしていた。成績と単位は常にもう少しで落第というところであったが、それは大体将棋サークルに入り浸って授業に行かなくなってしまうからというのが原因であった。
立川はその中の一人、ということになる。お世辞にも顔が広いとは言えない岡田にとって、彼は数少ない友人の一人だった。その彼が亡くなったという。窓の外を眺めると既に収穫が終わった後の田園がひたすらに広がっていた。晴れていれば富士山が見えているだろうことを岡田は知っていてなんとなく外を見たが、そこには東京の空よりもずっとどんよりとした雲が空の端から端までを覆っていて、雨粒がガラスをたたきつける音がわずかに聞こえる。空調がしっかりしている新幹線の中にもなんとなく雨の匂いがする。
そのまま、雨の中を新幹線は滑り、京都に着き、新大阪に着いた。新大阪を降りるころには、もうすっかり外は暗くなっていた。先月あれだけ厳しかった残暑も十月に入るとさすがに収まってきて、ひんやりとした風がビルとビルの間を吹き抜けるようになっている。そこから御堂筋線に乗って動物園前という名前の駅で降り、そこから数分歩くと今回自分が泊まる安宿に着く。傘がないので駅前のコンビニでビニール傘を買った。差すとパラパラと音を立てて雨がビニールに弾かれる音がする。歩き出すとすぐに信号待ちになった。隣で塾帰りと思われる女子高生が他愛のない話をしているのが雨音に交じって耳に入ってくる。「なあなあ、この動画良くない?」「ほんまや、めっちゃかわいい!」という声がなんとなく耳に入ってきた。
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