15:君が欲を持つのを待っていたよ

 圧倒的な強さ――それはまだ太刀打ちできる余地がある。

 だけど俺の目の前で対峙しているモンスターはそんなものじゃない。言い表すなら〈理不尽な強さ〉だ。


 何をしても勝ち目がない。それどころかささやかな抵抗ですら無駄だと思えてしまうほどで、潔く諦めて死を受け入れたほうが楽だと感じるぐらい力の差がある。


 だが、俺は諦められない。


「Aa――」


 狼のような頭を持つモンスターは笑っていた。それは俺が虫ケラにも関わらず懸命な抵抗を見せているからかもしれない。

 でも、どんなに笑われても俺は逃げる気はなかった。


 守らなきゃいけない。どんなことがあっても、カナエを。


 無駄だとしても何もせずに終わりたくない。だから俺は、切り札を使った。

 限定解除リミットブレイクの効果時間はいいところ三十秒。体力次第で変化するから、今の俺だともっと短い。

 それでもやらなきゃいけないんだ。カナエを守るためにも、生き残るためにも理不尽な強さを持つあいつに勝つ。


 俺はナイフを持ち、足に力を込める。

 猶予時間は非常に短いため、攻撃のチャンスは一度だけ。

 だけどそれで十分だ。この1回で決められればいいだけの話なんだからな。


「Aaaaaaaaa!!!」


 正体不明のモンスターが咆哮を放った。

 突き抜ける声で身体が痺れ、頭が割れそうになる。

 でもこんなことで怯んでいられない。俺はモンスターの頭に狙いを定め、影から生み出した針を飛ばした。


 強化されたスキル攻撃だ。本来なら防御も回避も間に合わない速攻である。

 しかし、モンスターは俺が飛ばした針が頭に着弾する前に無効化した。


 黒い蛇がスキル攻撃を喰らい、何ごともなかったかのように消える。モンスターはそのことを確かめることなく地を蹴った。

 それは限定解除リミットブレイクしているにも関わらず反応が遅れるスピードだ。

 だけどまだ反撃できる。そう思い、手にしたナイフを突き出した。


 だが、おかしなことが起きる。

 頭に刺さったと思った刃が空を切り、唐突に強烈で鋭い痛みが胸に走った。


 何が起きたのか把握ができない。どうにか理解しようと頭を働かせる。

 でも、何もわからない。何が起き、やられたのかわからないまま俺は膝をついた。


 マズい。

 倒れちゃダメだ。

 ここで倒れたら何もかもが終わる。


 そう思い、力を込めるけれども身体は地面に吸い寄せられていく。


 まだだ。

 まだ俺は、死ねない。

 死んだら約束が守れない。


 俺が死んだら翠が悲しむ。

 俺が死んだらカナエがヤバい。

 死ねない。死にたくない。

 守らなきゃ。恩返ししなきゃ。


 だから、だから何でもいい――力を!

 誰か俺に、力をくれ!

 今だけでいい。この場を乗り越えられるだけの力を!


 カナエを守れるだけの、力をくれ!


『その言葉、待っていたよ』


 聞き覚えのない声が頭に響いた。

 俺は思わず声の主を探す。すると目の前に見覚えのある少女がいた。


『君は今、大きな岐路に立っているよ』


 それはカナエと瓜二つとも言える少女だ。だけど妙なことにその髪は黒く、着ている服も真っ黒でなんだかおかしい。

 そんな少女が俺に手を差し向け、問いかけてくる。


『生きるために糸をたぐり寄せるか、このまま死ぬか。どちらかを選びなよ』


 状況がわからない。

 そもそも目の前にいる少女はカナエなのか確かめられないうえに、選択を提示されている。

 だけど、このまま死ぬなんて選択はない。


 なら、答えなんて決まっている。


「まだ死ねない。いや、死ぬ気はねぇ。だから答えなんざ決まっている」


 俺は彼女の手を握る。どうなるかなんて知ったこっちゃない。

 そんな俺の選択を見た彼女は微笑む。そして少し嬉しそうな顔をし、こう告げた。


『君が欲を持つのを待っていたよ』


 彼女は優しく微笑む。

 ただただ嬉しそうに微笑む。


 そして少しずつ、その身体が光の泡へと変わっていく。そのまま俺の身体を包み込むとそれは溶け込んでいった。


『ずっと、ずっと足掻きもがき貪欲に生きる君を見ているよ――』


 その言葉はどんな意味があるのかわからない。だけど今は関係ないことだった。


 倒れていられない。

 このまま死ぬなんてあり得ない。


 俺は途切れていた意識を取り戻す。それと同時にカナエの叫び声が耳に飛び込んできた。


「ダメぇぇぇぇぇ! 逃げてぇぇぇぇぇ!」


 目を開くとモンスターが鋭い爪を高く上げていた。今にも迫ってきそうな鋭利な爪に俺は思わず息を吸い込み。反射的に躱そうとした。だけど身体が動かない。腕どころか、指すら上がらなかった。


 ヤバい。いや、ヤバいなんてものじゃない死ぬ!


 そう思ったその瞬間、聞いたことがない声が頭の中で響いた。


〈お兄ちゃん逃げてー!〉

〈立てー!〉

〈アカ氏ィィィィィ!!!!!〉

〈かなちんを守れるのはお前だけだー!〉


 その声を聞いた瞬間、動かなかった腕が動いた。妙なことに迫ってくる爪がとてもゆっくりに見える。

 俺はその軌道に合わせてナイフの刃を置いた。すると俺の顔面を突き刺そうとしていた爪が吸い込まれるようにナイフとぶつかる。カチカチとモンスターの爪が揺れ、俺はその光景を呆然と眺めていた。


 一体、何が起きた?


 俺は状況がわからないまま苦悶の表情を浮かべているモンスターを見ていた。

 試しにナイフを振るとモンスターの爪はいとも簡単に切り裂き、勢いのまま飛んだ。それはまるでバターでも切ったかのような感触であり、あまりの手応えのなさに俺は目を見開いた。


「なんだ、これ?」


 混乱する頭をどうにか落ち着かせようと俺は深呼吸する。

 そんな状態の俺とは裏腹に身体には妙なことが起きていた。


 身体の底から力がどんどん溢れる。

 苦しかった呼吸が何ごともなかったかのように戻っていた。

 不思議なことに胸の痛みがなく、むしろ軽快な鼓動のおかげで体調がいい。


 何もかもがいい状態だ。だから俺は身体を起こし、勢いよく立ち上がった。

 そんな俺を見てか、頭の中でまた声が響いた。


〈おおおおおっ!〉

〈立った、立ったぞ! アカ氏が立った!(驚)〉

〈やればできるって信じてた!(驚)〉

〈ちょっ、傷マジヤバだぞ!〉


〈だな。俺なら立つことすらできん(確信)〉

〈よく立てるな。我輩なら死んでる(絶対)〉

〈待て、なんか傷治ってね?〉

〈ファッ〉


〈何言ってやがる。そんなこと、あホントだ〉

〈なんか治ってね?〉

〈んなバカな。そんなおかしなこと、あホントだ〉

〈何が起きたんだってばよ?〉


〈ゴリラ解説プリーズ!〉

〈さっき死にかけてたウホッ。普通なら立てないウホッ〉

〈それわかってる〉

〈もっと詳しく深く激しく〉


〈ゴリラもっともっと!!!〉

〈わからんウッホ〉

〈ちょっおまっw〉

〈わからんのかーい!w ゴリラ役立たずで草〉


〈ゴリラごりんじゅうでくさw〉

〈誰が上手いこと言えと言った。出てこいウッホ〉


 なんかすごい軽快なやり取りが頭の中で響いてるんだけど。つーか、ウホッてなんだよウホッて。さっきからウホウッホってしか聞こえてこないんだけど。

 つーか、こんなふざけた言葉を使うのはゴリラッパーしか知らんし。


 ん、ゴリラッパー?


 いや待て。このやり取りってどこから来てんだ。どっかの誰かが俺の頭の中に入ってこんなふざけたやり取りするなんて考えにくい。


 そもそも配信のコメント欄じゃあるまいし、こんな言葉が飛び交うなんて考えにくい――


「コメント欄?」


 俺はまさかと思った。慌ててスマホを手に取り〈カナエちゃんねる〉を開こうとする。だが、そんな暇はない。


「uOooooooo!」


 モンスターが激昂し、大きな雄叫びを上げる。俺は咄嗟にモンスターへと視線を戻し、臨戦態勢を取るとその直後、距離を取っていたモンスターの牙がすぐ目の前まで迫っていた。


〈アカ氏逃げろ! 逃げて逃げて逃げまくれ!!!〉

〈次喰らったら死ぬ!(マジ)〉

〈逃げろ逃げろ逃げろー!!!!!〉


「逃げられるかよ!」


 俺は反撃する。

 拳を硬く握りその顔を右からぶん殴った。が、止まらない。

 モンスターは勢いのまま力押しで懐に入ろうとする。ここで押し負けたら確実に喰い殺されるだろう。そうなったら次はいよいよカナエだ。


 ふざけんなっ!


 俺は自身の拳に影をまとった。ただ感情的になってスキルを発動させてしまう。そこに勝算がある訳でもなんでもない。もちろん、自分がやられることなんて考えてもいなかった。


 そんな無謀な攻撃をしたため、当然のようにモンスターの身体から黒い蛇が現れる。黒い蛇は俺の拳に絡みつき、そのまま噛み付いて食い尽くそうとしたが、そんなの関係ない。

 俺は身体を勢いのまま回転させ、右の拳をモンスターの顔面に突き出す。


 今までなら通じなかった攻撃。だが、突き出した拳はモンスターの右頬を捕らえ、そのまま殴り飛ばした。


〈ファッ〉

〈ふぁっ〉

〈ふぁっ!〉

〈ファッ?!〉


〈ぶん殴ったぞ〉

〈影残ってる〉

〈効いてるし!〉

〈マジでか唐突すぎんだろ〉


〈奇跡だ。奇跡が起きてやがる〉

〈奇跡は起きるものじゃない。起こすものだウッホ〉

〈ゴリラおまっ何かわかるのか?〉

〈おしえろこの世のすべてを!!!〉


〈わかったら苦労しないウホッ〉

〈お前に期待した俺がバカだったw〉

〈ゴリラ退場!w〉

〈ゴ、ゴリラなんて知らないんだから……///〉


〈出口】λ……とぼとぼ〉


 ホントにぎやかだなこいつら。


 そう思いながら俺は後ろへ転がっていくモンスターを見た。それはあまりにも無様であり、ホントにさっき苦戦していたモンスターと同じなのかと思ってしまう。

 ホントに何が起きたんだよ。俺、ただ死にかけから復活しただけだぞ。


〈うおおおおお!〉

〈なんだこれなんだこれなんだこれ〉

〈俺は今、とんでもないものを見ている〉

〈いけっ、やっちまえ(拳)〉


〈見せてもらおうか。復活したアカ氏の性能とやらを(西)〉

〈もう何も怖くない〉

〈死亡フラグやめい(殴)〉

〈生きろ、そなたは美しい〉


〈いっけーいけいけアーカー氏(激)〉

〈やっれーやれやれアーカー氏(棒)〉

〈一発ドカンとぶん殴れ!〉

〈え? ドカンとだって。恥ずかしいじゃねーか。いいぜ、俺の息子が(ペロン)〉


〈言わせねーから!(ペロン)〉

〈それはいけない(いやん)〉

〈ゴリラの二の舞いになる〉

〈呼んだかウッホ?〉


〈呼んでねー帰れ(怒)〉

〈ゴリラごりんじゅう(怒)〉

〈通報しました(怒)〉

〈な、お前ら俺ちゃんいなくてもいいのか!〉


〈みどりサマ、引導を!〉

〈ばいばいゴリラー〉

〈ジャングル】λ……とぼとぼ〉


 ホント賑やかだなこいつら。というか何気に翠は馴染んでないか?

 にしても、ホントに何が起きてんだ。どんどん身体に力は溢れるし、あいつの動きがわかるし、それに胸の傷が治ってる。


 こんなこと、何もしないで起きるもんなのか?


【探索者コイン:強欲:簡易説明】


 そんなことを考えているとこんな言葉が頭の中で読み上げられる。

 あまりにも唐突だったため俺の意識はコメントから離れ、その声に移るとそれは淡々に説明を始めた。


【覚醒スキル:レベル1:ソウル・オブ・エンゲージ】

【強欲の探索者コインの所有者が限定解除リミットブレイク時に発動する】

【パーティーメンバーの覚醒スキルを使用できる】

【覚醒スキルの効果は強化・相乗され、それぞれの発動者に発揮される】

【ソウル・オブ・エンゲージが発動終了するまで効果は続く】


 よくわからないけど、覚醒スキルのレベルというのが上がったから使えるようになったということか? だけどこの説明だとその要因がよくわからないな。


 いや、そもそも覚醒スキルってなんだよ。

 教えてくれよ。そこ一番重要だろ。


【※パーティーを組む探索者にはこの覚醒スキルの情報が共有される】


 いや、違う。俺が知りたいことはそれじゃない。

 それよりなんだよその注意書きみたいな説明は。共有されるって一体どういうこと――


「…………」


 俺はカナエの顔が目に入った。そう、情報は共有される。つまりそれは、カナエにも俺に起きた出来事が筒抜けということだ。


 いや、そんなことはどうでもいい。それより俺は重要なことに気づいてしまった。

 もし、頭の中に響いた声の説明通りなら俺はカナエの覚醒スキルが使えるということ。つまり、これまで起きた出来事はカナエの覚醒スキルによるものだとも言える意味にもなる。


 それはつまり、この出来事の全ての要因がカナエということだ。


「お前、まさか――」

「ダメぇぇぇぇぇ! それはダメぇぇぇぇぇ! 絶対にダメなんだからぁー!」


 こいつ、配信に書き込まれたコメント全部把握してやがったな! 

 しかもコメントの数が多ければ多いほどいろんな能力が強化されるオマケつきだ。どうりで妙に足が速かったりスキルが強烈だと思ったよ。


 なんせ覚醒スキルで全部の能力に強化が入っているんだからな!


 ならグリードが騒音でドラゴン倒せるってのも頷ける。だってコメントの数だけ強くなれるんだし。

 でもまあ、いろんな意味でカナエのおかげで今回は助かった。後々くる限定解除リミットブレイクの反動が怖いけど、今は考えないでおこう。


「カナエ」

「はいぃぃ!」

「いろいろ言いたいことあるけど後にする。助けてくれてありがとよ!」


 俺は素直に自分の気持ちを言葉にする。すると黒ずんでいた〈強欲の探索者コイン〉が一気に輝きを放った。

 

 そう、まだ戦いは終わっていない。


 俺は激昂しているモンスターへ振り向いた。今にも飛びかかってきそうなそれは、俺の予測できない攻撃を警戒しているのかずっと威嚇をしている。だけどその威嚇は、どこか虚勢を張っているようにも見えた。


 だからこそ、俺は戦闘態勢を取る。

 勝てると確信を持ちながら目の前のモンスターと対峙したのだった。

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