第5話 自費出版系詐欺
それらの新しいやり方の出版社を、
「自費出版系の出版社」
という言い方をした。
その理由は、相手が見積もりを出してくるのに、
「三つのパターン」
があったからだ。
一つは、
「その作品は十分に商業本として流通でき、採算がとれるという内容の素晴らしい小説なので、出版社が出版にかかる費用をすべて受け持つ企画出版」
というもの、そして、
「作品は優秀であるが、採算の面でシビアに考えた時、すべてを出版社が請け負うのはリスクを伴うので、出版社と作者とが、協力して本を制作するという、共同、あるいか協力出版といわれるもの」
そして最後には、
「趣味として自分の知り合いなどに配るという、格安で本を作ることができる、自費出版。つまりは、全額作者負担というもの」
の三つである。
正直、送られてきた作品の99パーセントは、協力出版であろう。そして残りは、本当に箸にも棒にもかからない。本にするには、あまりにも短すぎるなどという理由くらいで、自費出版を言ってくるかというところであろう。
企画出版の場合は、前述のように、
「芸能人や犯罪者のような、いわゆる有名人」
でないと、出版社が金を出すわけはないのだ。
それを思うと、限りなく100パーセントに近い確率で共同出版になる。
ということは、
「共同出版になる作品は、ピンからキリまでで、とにかく、本を出版すればそれでいいんだ」
という考えである。
出版社側が儲からなければ、やっていけない会社なので、
「出せば出すほど儲かる」
というのであれば、まるでバブルのようではないか。
バブルが弾けた状態でバブル企業ができるわけもない。そうなると、何か出版社が儲かるからくりが隠されているとしか思えない。
実際に定価と出版部数を掛けた金額よりも、著者に出させる金額の方がかなり高い。
という見積もりを見せてもらったことがあったが、どう考えても、その瞬間、なぜ誰も胡散臭いと思わないのだろうか?
本が売れたとしても、印税がそんなに入ってくるわけもない。よくよく考えれば、
「本は絶対に売れない」
と分かりそうなものではないか。
ほとんどの出版社が、
「今月は何百冊を製作し、出版した」
と言っているが、素人の書いた小説が本屋に並んでいたとして、誰が買うだろうか?
そもそも、本屋で、自費出版社系の本棚を見たことがあるだろうか?
自分の大事な原稿を送るのだから、その出版社がどれほど認知があるのかということくらいは誰だって調べるだろう。
じゃないと、いくら出版社が、
「有名書店に、一時期でも置く」
と言っているとはいえ、自分がお金を出す以上、それくらいのことを調べるのは普通のことではないだろうか。
お金をドブに捨てたと思ったとしても、それでも平気な人なら別にいいのだが、自分の大切なお金を出版のために出すのだから、調べるのは当たり前だ。
ただ、本にしたいだけだったら、自費出版で十分ではないか。欲があるくせに、調べようともしないというのは、ある意味、問題は出版社側だけにあるわけではないだろう。
少しでも、会社というものを分かっている人だったら、こんな詐欺商法に引っかからないと思うのだが、あれだけたくさんの人が、協力出版をしているのが信じられない。
「何万円の世界ではない。どんなに安くとも、百万単位なのである」
それだけ、お金を使っても、自分が売れると思っているのだろうか?
どう考えても理解できない。
自費出版関係の会社は、明らかに自転車操業である。つまりは、まず本を出したいという人を広告で募って、原稿を送らせる。まず、ここには、かなりの宣伝広告費がかかることだろう。
新聞の折り込み、雑誌の広告、さらには、電車などの交通機関の中吊り広告。かなりの費用が掛かることだろう。
そして、その広告を見て、作家になりたいと思っている連中が、どんどん作品を送ってくる。そこで、作品を読んで批評して、さらには見積もりを作って送り返す。その時点で担当が決まり、その人が営業となるのだ。
その人はまず、作品を読み、批評を書き、そして送り返して、そこから営業が始まる。
一日にどれだけの原稿が来るのかは分からないが、そんなに大きくもない出版社なので、何十人も、社員がいるわけはないだろう。毎日それだけのことをしているのだから、社員に対しても、かなりな負担をかける、
「ブラック企業」
に違いない。
それだけの人の人件費も当然必要で、さらには、本を製作するのに、印刷代、紙代、細かいことを言えば、備品に至るまで結構なものであろう。
ここで意外と忘れられているかも知れないと思うのが、
「在庫保有のための倉庫費用」
である。
「在庫?」
と普通なら思うだろう。
しかし、本を出すといって実際に、提示するのは、千冊くらいが相場だろう。
毎日、数冊が発刊予定だとすると、一日で、数千冊、一か月だと、数十万冊から、百万に届くくらいになるだろう。
作者に数冊は渡すとしても、残りの990冊以上は、売れるはずもないのだから、在庫になる。そんなスペースが出版社にあるはずはなく、在庫として、倉庫を借りるだろうから、在庫を持つための費用もバカにならないだろう。
これが完全な自転車操業である。
つまりは、本を出したいという人から原稿を募って、何とか、おだてすかして、いかにお金を出させるかということがミソである。
それこそ、定価×出版部数の倍額くらいを著者に出させるくらいでないと、回らないのである。
人件費に広告費、本の製作費、そして在庫保有費と、普通の会社の管理部門が管理している費用以上に、それだけかかるのだ。
本を出したいという人をたくさん募って、何とか本を出させるようにしないと、この会社は回らないのだ。
確かに、やり方は最初はうまいだろう。
今までの出版社の盲点を突くようなやり方で、本を出したい人に興味を持たせるところまでは成功だっただろう。
しかし、そんなことがそう何年も続くと思っていたのだろうか?
それこそ、どんなに儲かったとしても、一過性のものでしかない。ブームが過ぎれば、誰も見向きもしなくなるということが分かっていなかったのだろうか?
本当であれば、二番煎じではなく、最初にこの事業をやりだしたところが、ある程度まで儲かったところで、うまい引き際を見つけて、その業界から撤退するというのが、一番うまいやり方のはずである。
そこで儲けた資金を元に、他の儲けを考えるというのが、当然のやり方であろう。
一度金に目がくらんでしまうと、そんな簡単なことも分からなくなってしまうのだろうか?
結局、戦争やギャンブルと同じで、
「辞め時が一番肝心だ」
と言われるのだ。
そう、この業界はギャンブルのようなものだ。考えてみれば、こんなやり方が最初から成功すると思っていたのだろうか? 確かに、盲点をついたやり方なので、少しは儲かるかも知れないが、それも、辞め時を誤らなければという話であって、実際に、やってみると、
「こんなにもバカな連中がいたんだ」
というほど、想定外に、本を出す人がいたということなのかも知れない。
そのため、
「このやり方は儲かるんだ」
ということで、罪悪感もなくなってしまったのだろうか?
「本を出したいという人がいるから、俺たちがその手伝いをしてやってるんだ。そんな俺たちが潰れたら、本を出した人だって困るだろう。俺たちは悪くないんだ」
と思い込んでいたのかも知れない。
しかも、儲かるし、世間では、まるで成功者のように、インタビューに来たりで、全盛時には、取材で引っ張りだこだったこともあったくらいだ。
完全に、見えなくなっていたのか、それとも、ここまでくれば、自分たちの意思ではどうにもならないくらいに、話題性が大きくなってしまったのだろうか>
これもバブルと同じで、誰も悪いとは言わず、そのまま流れに身を任せることになってしまい、収拾がつかなくなり、最後には、まわりを巻き込んだり、作者の人たちに、やっと怪しまれることになり、訴訟を起こされることになった。
「しまった」
と言っても、もうどうにもならない。
本を出そうと出版日を待っている人もいれば、今まさに製作の真っ最中の人もいる。そして、企画の途中の人もいれば、原稿の結果を待っている人もいる。
どこも止めるわけにはいかないのだ。
裁判沙汰が有名になると、もう宣伝に引っかかる人はいなくなる。本を出した人、これから出そうと、製作中の人はそこで初めて、この怪しいからくりに気づくことになるだろう。
しかし、金が返ってくるわけでもない。とりあえず、本を作って、売ってもらうしかないのだが、本を置いてくれる店などあるわけもない。
そうなると、もう、出版社は、沈みかけたタイタニック状態だ。
大きな社会問題を巻き起こし、結果、会社は倒産。さらに在庫になった本を、
「七掛けで買い取れ」
という民事再生を訴えたことで、債権者は、お金を返してもらえない理不尽さで、弁護士からはそう言われるのがオチだった。
「何言ってるんだ。こっちは、共同出版だから、本は、全部無料で作者に返すのが道理じゃないのか?」
といったところで、法律を盾にされると、どうすることもできない
最後は、だまされた方も泣き寝入りになってしまい、悲惨な状況しか残らないことになるのだ。
もっとも、騙される方も悪いと言えなくもないので、何とも言えないが、ある意味、
「どっちもどっちだ」
としか言えないだろう。
最近、ちょっと趣味で小説でも書いてみようということで始めたのに、それが調子に乗ると、簡単に詐欺商法に引っかかってしまう。
出版業界というものは、それ以降、どんどん厳しくなってくる。
街から、本屋は消えていく。活字を見る人も減ってきて、マンガであっても、スマホで見る時代になってきたのだ。
紙媒体の作品は次第に減ってくる。ネットで販売したり、映像化した作品も、ネット配信などという形になってきたので、今では、テレビやパソコンを持っていない若者が増えているのだ。
確かにほとんどスマホでできるからだというのがその理由なのだろうが、考えてみれば、あれだけの人が、
「本を出したい」
「小説家になりたい」
と思っていたはずなのに、どこに行ってしまったのだろうか?
あれも、やはり、
「実態のないバブルだった」
といえるのではないだろうか。
小説に限らず、マンガ、映像作品など、昔のままでいられるものは、もうほとんどなくなってしまった。
ただ、趣味で小説を書いているという分には、誰にも迷惑はかけないし、問題にもならないだろう。
SNSなどの、
「無料投稿サイト」
というものが、一時期流行ったが、きっと、本を出したいと思っていた人たちの行き着いた先だったのだろう。
あれから、十年、無料投稿サイトへの投稿も、まったく減ってしまった。小説業界はどこに行くのだろうか?
ただ、草薙はそれでもよかった。あくまでも趣味であり、実際になりたいものは、研究者であった。学問の道を志す中で、一つの趣味として、小説執筆があるだけだった。
中には、草薙のように、他に仕事を持っていて、本当に趣味で小説を書いているという人もいるだろう。
そんな人であれば、自費出版社系の会社に騙されるようなことはなかっただろうが、騙されないまでも、自費出版系の会社を自分なりに利用しようと思っていた人はいるだろう。
「普通に有名出版社の新人賞などに応募しても、結果しか分からない。せめて、一次、二次、最終審査を通ったか、通らなかったか、つまり通過者に名前がなければ、その時点で落選だったというだけのことが分かるくらいだ、
「何回応募しても、一次審査にも通らないのであれば、小説家なんか諦めればいいんだ」
ということが分かるくらいだった。
しかし、自費出版系の会社は、曲がりなりにも小説を読んでくれて批評をしてくれている。ただ、その内容に信ぴょう性を期待するのはいけないのかも知れないが、少なくとも相手はこちらに興味を持たせなければいけないので、それなりに真剣に評価をしているはずだ。
特に、ひどい作品であっても、少しでもいいところを見つけて、褒めることもしなければならないというのは苦痛だったかも知れないが、その姿勢が嬉しかったのは間違いない。
ただ、彼らとしても、最初から騙すということを基本に会社を設立したわけでもないだろう。
当然、
「持ち込んでも、破って捨てられるのを最近の素人作家は知っているだろうから、原稿を読んで批評してくれるというだけで、感激するに違いない」
と思っていたことだろう。
ひょっとすると、批評をした人たちの中には、以前、自分たちも同じ目に遭ったことがあったのかも知れない。だから、本当なら、少しでも小説家になろうとしている人を助けてあげようと思っているのかも知れない。
だが、そんな優しい人ばかりではないだろう。自分がなれなかった小説家に、主婦や学生の遊びとしてしか考えていないような連中の、見るに堪えないような小説を見て、評価させられる立場になってみろと言いたい人もいるだろう。
さらに、ちやほやされるのも、いい気分はしないはずだ。だから、自分たちがそんなバカな連中を騙すことに、これっぽっちも罪悪感など抱いていないと感じる人もいるに違いない。
知り合いと電話でキレたという担当の人も、心の中では、
「俺がなれなかった小説家に、お前たちのような遊び心しかない連中になれるわけはない」
という思いと、そんな相手を騙して、生活をしているということをジレンマに感じ、その思いが、苛立ちとなってしまっていることを本人は分かっているのだろうか。
ブームとして走りすぎた後に残ったのは、何だったのだろうか?
憎悪が残ったというのは分かるのだが、では誰に対しての怒りなのか、冷静に考えると、分からなくなってくる。
もちろん、騙したわけだから、自費出版社系の会社が悪いのは当然のことだが、最初から悪かったわけではない。少なくとも、儲けよりも、小説家を目指す人を助けたいという気持ちがあったのは事実だろう。
それが、バブルが弾けたということでの、趣味やサブカルチャーへの時間ができたこと、そして。それまでの出版業界の冷酷な扱い、そんなことから、
「うまく考えられたはずの商法」
だったはずなのに、結果は、本当に飛散なことであった。
そもそも、実力もないのに、身の程を知らずに小説家になりたいなどという、愚かな連中が山ほどいたのが問題だったのではないだろうか。
努力もせず、ちょっと書いてみただけで、褒めてくれたことでおだてに乗って、
「今は、出版社と共同で出版になったが、次はこれが売れたら、出版社が、
「どうぞうちから出版してください」
と三つ指ついてお願いにくるというような大それた夢を見ていたことだろう。
それを思うと、
「一番悪いのは、身の程を知らずに、ブームに乗っかって、小説家になれると自惚れた人間が、ここまでたくさんいた」
ということではないだろうか。
出版社の方も、そんなバカが多かったせいで、想像以上に潤ってしまい、身の引きどころを誤ったのだ。
真面目に小説を書いている人もいただろうが、バカな連中の中に入ってしまったため、本来であれば、逸材発掘に一役買えるはずだったのに、それどころか、底なし沼に溺れさせる結果になってしまったのだ。
草薙は、自費出版系の会社には見向きもしなかった。結構早い段階で、
「怪しい」
と思っていたからで、自分がさすがに小説家になれるなどとも思っていないし、趣味の世界でいいと思っていた。
本当は、本が出したいという気持ちはあった。マンガを描きたいという思いはなかったが、小説に関しては本にしたいと思っていた。専門書と違い、文庫本がよかったのだ。気軽に買える分、厚みがあるというだけで、すごい本だという感覚になる。
優雅な趣味という雑誌があり、そこの表紙を飾っていたのが、植物園のような高貴な庭に、白い椅子とテーブルが置かれていて、テーブルの上には、紅茶のカップが二つあり、そのうちの一つには、読みかけの本にしおりが挟まれた形で置かれていた。
それを見ると、一人は高貴なお嬢様で、いつも、このベランダで、本を読んでいるということを想像させた。もう一人は誰なのか? 本を読んでいる人は女性だと思うと、もう一人は本を読むような高貴なところのない男なのではないかと思う。
「どうせ、そのお嬢さんに言い寄ってきた、自称、どこかの王子か何かだろう」
と思うのだが、お嬢様はそんなことは一切お構いなしで、自分は自分の人生を歩むというだけのことに、感動も何も覚えている様子はなかった。
そのうちに、彼女の召使であるメイドがやってきて、男は、メイドにもびっくりしてしまった。
「ここは、なんとメイドにまでこのような高貴な女性がいるというのか」
と感じ、自分の中に葛藤を覚えたが、さすがに、自分ではどうにもならないと感じたのか、その場所から去っていてしまったようだ。
そんな妄想を抱いていた。
そう感じると、恋愛小説なのか、それとも、ミステリーなのか、どちらかが思い浮かんできそうな気がするのだった。
「だが、この男が抱いた憎悪の度合いによって、ホラーにもなりかねない」
と感じているが、実は、ホラーはあまり好きではなかった。
草薙が好きなのは、ホラーといっても、奇妙な話であり、恋愛とは真逆に感じられる話として、ホラー系の話を思い浮かべることもあったのだ。
どうしても、自分の話が、論文のように理路整然とした話にならないことが嫌に感じた時期もあった。
しかし、友達が書いたという小説を見せてもらったが、その話の内容は、まったく分からなかった。
「これのどこがおもしろいんだ?」
と聞くと、
「俺にも分からないんだけど、読んでいる人間に疑問を感じさせたら、俺は作者の勝ちだと思っているんだ」
というではないか。
「作者が、自分の作品のどこがおもしろいか? と思っているような話を、他の人がおもしろいといってみてくれるだろうか?」
という。
「それは分からないさ。小説なんて、最後、何を感じるかということが問題なんだからな」
というではないか。
「結末が分からないような小説を、感動する人っているのかい?」
と聞くと、
「そりゃあ、いるだろう。絵だってそうじゃないか。ピカソのように、何を描いているのか分からなかったり、岡本太郎のように、芸術が爆発だっていう人だっているんだ。だから、優れた芸術家には、変わり者が多いといわれるゆえんではないかな?」
というのだ。
「やっぱり、俺は芸術家なんかじゃないんだろうな? でも、芸術家に憧れているというのは間違いないと思うんだ」
というと、
「芸術家って、自分で芸術家だと思い込む人と、芸術家ではないと思っている人の二種類いるんだろうな。その違いが、ジャンルの違いにもなるんだろうし、同じ芸術家でも、相手に敬意を表するだけの相手になりうるかどうか、見極めようとしているのではないだろうか?」
それを聞いた時、自費出版に群がっていた、小説家になろうなんて、おこがましい連中ばかりだったと思っていたことを思い出した。
彼が書く話は、小説というか、論文のような話が多かった。自分の説をSFチックにっしてみたり、学説のようなものを並べておいて、それを最後にホラーっぽくしてみたり、そんな小説が多かったのだ。
発表は、無料投稿サイトばかりだった。皆が、まだ、自費出版系の会社を気にしていた頃だったので、サイトでの発表は、それほどいなかった。
もちろん、草薙も紙媒体の出版を望んでいた。一番強く望んでいたといってもいいだろう。
しかし、かつての出版界が、素人に対して、冷酷だった時代から、ちゃんと評価するという触れ込みで、一躍ブームを巻き起こした自費出版系の会社。皆が、救世主のように思っていたことだろう。
しかし、人から聞いた話ではあったが、まさか、
「芸能人か、犯罪者でもない限り、企画出版はありえない」
と、言い切ったのだから、よほど、自費出版社系の会社がブラックであり、ひどいものだったのかということを考えさせられる。
しかも、ちょっと考えれば分かりそうな理屈を誰も何も言わなかったのは、
「分かってはいるが、自分から言い出すのが怖かった」
という人も一部にはいるだろう。
しかし、それを言えなかったのは、風団意識と、自分から言い出すことで、まわりから、何を言われるか分からないという感覚もあったに違いない。苛めを受けている人を庇おうとすると、今度は自分がターゲットになってしまうという理屈と一緒である。
だから、不本意ではあるが、無料投稿サイトに掲載することにしたのだ。
その頃には、
「本を出したい」
という気持ちも半分は薄れていた。
小説家になりたいなどという気持ちも完全になかった。将来、研究社と、二足の草鞋も考えたが、自費出版系のずさんな経営を見ていたり、有名出版社は、今まで通り、素人には、冷酷であるのは変わりない。
もし、新人賞を取って、作品を発表するようになってしまうと、もう、お金が絡むということで、自分が好きなように架けなくなってしまうだろう。
まずは、企画を考えて、編集者の人に、
「こんな小説を書きたい」
あるいは、出版社から、
「こういう小説を書いてほしい」
という依頼があってから編集者の人と、企画を組み立てる。
そして、編集会議に掛けられて、そこで、連載できるかどうかが決まるのだ。
そこで初めて、執筆になるのだが。そこからは、完全に出版社のいいなりで、決まった締め切りまでに書き上げ化ければいけないというノルマがかかり、テレビなどにあるように、編集者の監視の下、缶詰になってしまうという状態である。
テレビを見ている限り、あんな状態にはなりたくない。いくら、
「プロなんだから」
と言われても、自分の書きたいように書くこともできなくなってしまうので、そんな状態で、執筆をしても楽しくもなんともない。まわりからは、
「先生」
と言われ、おだてられる立場ではあるが、実際には、出版社の、
「奴隷」
のごとくである。
「そんなことなら、趣味で書いている方がよほど気が楽だ」
というもので、そもそも、先生と言われたいから小説を書いているわけではない。
「自分が書きたいものを、自由に書ける」
というのが、そもそもの執筆の基本であり、書きたいものが書けないのであれば、何もプロになる必要もない。まだ、
「あの人、素人なのに、なかなかいい小説を書いているわ」
と言われる方がよほどいい。
しょせん、印税といっても、そんなに出るわけでもない。
「夢の印税生活」
などと言っていられる小説家が果たしてどれだけいるだろう?
いつもテレビ化され、二時間サスペンスなどの原作で名前をよく見ていたとしても、そんなにウハウハの印税が入っているわけではないだろう。それよりも、毎回の締め切りに苦しめられ、病んでしまった精神をいつまでもたせられるかという方が、大きな問題なのではないだろうか。
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