第5話 意識がないということ
その日は、後ろめたい気持ちのまま、とにかく家に帰るしかなかった。家に帰ってからも、気になって眠れるわけもなく、それでも、何とか眠りに就こうと努力をしたものだった。
普段なら、こんなに夜更かしなどしたこともないので、
「夜というのは、未知の世界で、どれだけの長さなのか、想像もつかない」
と思っていた。
昼だと、学校に行っていたり、授業中という決まった時間を刻んでいるという意識があり、しかも、太陽が動くことで、昼間から夕方、夜へと明らかな時間の動きを意識することができるのだ。
しかも、暑さから寒さまで、四季によって違う温度を自分の身体が覚えている。夏に冬の寒さを思い出すのは難しいが、映像や写真などで、雪を見ていると、その冷たさが伝わってくるような気がするのだった。
「草木も眠る丑三つ時」
という言葉を、コマーシャルか何かで聞いたような覚えがあった。
それが何を意味するのか分からなかったが、
「眠るというくらいなので、夜のことなんだろうな?」
と漠然と分かっていた。
要するに、誰もが寝静まっている時間帯ということだが、小学生だった自分が、真夜中と感じるのは、夜の九時から、朝の七時くらいまでだった。
これをすべて眠ったとすれば、十時間になるのだが、その時言われた、
「一番最適な睡眠時間というのは、八時間だ」
と言っていたような気がする。
九時から七時というと、眠りすぎの気がしてきたが、九時以降起きていると、目が開かなくなって、気が付けば眠ってしまっているのがオチだろう。それに七時より前に起きるというのも、実際にやったことがないので難しい。七時に起きるのだって、十分近く、目が覚めるのに時間を要するのだから、それ以前なんて、絶対に無理だと思うに違いなかった。
それでも何とか眠りに就こうとして、目を閉じていると、まず最初に、時計の音が気になってくる。
当時使っていた目覚まし時計は、アナログの時計だった。針が動く時の時を刻む音が気になってしまうのだ。
それまでは、音はしていたはずなのに、時を刻む音が聞こえてきたという意識はなかった。
今のように、デジタルばかりで、たまにアナログを置いた時に意識するのとはわけが違ったのだ。
今でも、もしアナログ時計があったとしても、少しだけは針の音が気になるかも知れないが、すぐに音を気にすることもないはずだと感じるのだった。
童謡などで、古時計などという歌があるが、当時の古時計というと、柱時計であり、箱型の時計の下半分くらいを振り子が占領しているというような大きいなもので、それくらい大きな時計だと、夜のとばりの降りた時間帯は、かなりの音が響いているに違いない。
少し小さめの目覚まし時計だったので、気が付けば、眠りに就いていた。そういえば、どこかの観光地に行った時のことだったが、ガイドさんが面白い話をしていた。
「ここの水は不老長寿の水ということで有名で、ここに三つの飲み口があります。これを一杯ずつ飲んでいくのですが、最初の一杯目を飲むと、一日長く生きられます。二杯目を飲むと、一年長く生きられます。三杯飲むと、死ぬまで生きられます」
と言っていた。
思わず、まわりから笑い声が聞こえたが、この話で、三杯目を聞いたところで初めて皆笑い声をあげたのだが、実はこの話のすべてが、矛盾したお話なのである。最後の一言が印象的だったので、その前の二つには誰も気づかない。これも、一種のブービートラップのようなものであるだろう。
三杯目の、
「死ぬまで生きられる」
という言葉、これは誰が聞いても当たり前のことを言っているのだ。
だから、笑い声が出てきたのだが、逆に、一杯目、二杯目の言葉も、一見、おかしくないように聞こえるが、実は間接的な矛盾をはらんでいるのだ。
「一日、あるいは、一年長く生きられるといって、果たして、その証明は誰がしてくれるというのか?」
である。
つまり、人間の寿命を誰も知らないのだから、一日、あるいは、一年長く生きられるといっても、証明できるのは、
「本当に死んだ時から、逆算して、一日前、あるいは一年前が寿命だった」
ということだけである。
そもそも、この言い伝えが間違っていないという証明があってこその話なので、それを証明しようとするのに、証明するはずのことが前提だというのは、まるで禅問答のようであり、まさしく、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
という理論と同じ発想ではないだろうか。
どうして、このような話を思い出したのかというと、夜中に一度目を覚ましたのだが、その時、何か夢を見たという意識はあったが、どんな夢だったのか、思い出せなかったのだ。だが、見た夢を思い出せないというのは、少なくとも怖い夢だったわけではなかったのだろう。その夢に結びつく発想として、この、
「三杯の水」
という発想を思ったのだった。
「あれだけ眠れないと思っていたのに、よく眠れたものだな」
と感じた。
しかも、
「今なら、二度寝だってできそうだ」
と思った。
あわやくば、さっきの夢をもう一度見れるかも知れないとも感じたが、今まで、同じ夢を続けてみたことは一度もなかったはずだ。
特に、
「続きを見たいと思うことで、すでに見ることができないと証明されたかのように思えて、どうせ見ることはできないだろう」
と思えてならなかった。
ただ、今回は、もう一度夢を見たいと思うからか、普段はなかなかできない二度寝ができるような気がした。実際にそのまま眠りに就いてしまったようで、気が付けば、朝になっていた。
「ああ、よく寝たな」
と思ったが、その時頭をかすめたのが、さっき目覚めた時に感じた、
「三杯の水」
の話だった。
ということは、先ほどの夢の続きを見ることができたのかな?
と感じたが、どうもそうではないようだった。
しかも、先ほど感じたはずなのに、この思いは、今初めて感じたという思いが強かったのだ。
二度目に見たのだという意識がある中で、矛盾しているという感覚はあるのだが、矛盾しているように思えなかったのは、どういうことなのかということを考えた時、一つの考えが頭に浮かんだ。
「さっき起きたと思ったのは、実は錯覚であり、実際には、あれも夢の中ではなかったのか?」
ということであった。
つまり、眠っていたのは、一度だけで、本当は一度目を覚まして、
「三杯の水」
の話を思い出したのではないかということである。
「目を覚まして、もう一度眠ってしまった」
という夢を見ていたということであり、まるで笑い話で聞いたことがある、
「不眠症だと思っていたが、眠れないという夢を見ていた」
というのと同じレベルではないかと思い、それを考えた時、身体に脱力感を感じたのだ。
子供だと、えてしてそういうこともあるのかも知れないと感じたが、それも思春期前だということが影響しているのかも知れないと感じた。
確かに、思春期前というと、いろいろそれまでに感じたことのなかった感情が浮かびあ上がってきたりする。今回の夢もそうなのかも知れない。
その時は、頭の中からすっかり、友達がいなくなっていたことを忘れていた。この後思い出すことになって、我に返ると、
「友達がいなくなって、世間では大騒ぎになっていることだろうな」
と、思い、こんな時だけ、子供であってよかったと思っている。
大人だったら、自分の意志に関係なく、いやがうえにも、皆と一緒になって探さなければいけないだろう。
探すことに違和感はないのだが、
「皆と同じように」
というところが引っ掛かる。
それさえなければ、人を探すということも、億劫に感じることはないと思うのだった。
「布団から出るのが怖い」
と思った。
本当は布団から出るのが怖いわけではなく、人と会うのが怖いのだ。
きっと、友達が行方不明なのを聞いて、それを自分に確かめてくるだろう。もし、聞かれた時、どう答えればいいのか? 想像するのも怖いくせに、想像しないではいられなかった。
「あなた、どうして機能、お友達がいなくなったことを話さなかったの?」
と聞かれるに違いない。
「僕らに黙って、家に帰ったかも知れないと思って」
としか答えられないだろう。
しかし、
「一体、昨日はどんな遊びをしていたの?」
と聞かれて、
「かくれんぼ」
と、正直に答えたとすれば、親はどう思うだろう?
「かくれんぼをしていて、最後に出てこなかったら、おかしいと思わない? もし、その時にちゃんと探していれば……」
と言われたとして、その先の言葉を想像するのが怖かった。
親から叱られるのが怖いというよりも、その先の言葉を聞くのが怖いのだ。
もし、親から、
「そうね。しょうがないわね。子供の遊びで、その中で一人いなくなるなんてこと、結構あることだからね」
などと言われたらどうだろう?
「そんなの結構あるようなことじゃない」
と、自分の心が叫ぶだろう。
だが、親が子供を庇ってくれているのが分かるので、それ以上、言及することはできない。いや、そんな資格が見捨ててしまった自分たちにあるというのか、考えれば考えるほど、深みに嵌っていくだけだった。
――お母さんは、その深みに嵌ることを恐れたのかも知れない――
と感じた。
子供が悪いとしても、ここで騒ぎ立てて、責任を子供に押し付けたとしてどうなるというのか?
子供たちを今さら警察に突き出すようなマネをしても、いなくなった子供が出てくるわけではない。
だが、それは、友達が出てきて、出てきた友達が、
「最悪な結果」
になっていた場合に、
「今さら」
というわけである。
まだ、見つかっていないとすれば、もちろん、急いで探す必要があるので、子供の証言が重要になる。それは分かっていることだった。
自分がノコノコ起きて行って、まだそんな見つかってもいない状況であれば、果たして正直に言えばいいのかどうか、迷うところであった。
「友達を見捨ててしまった」
という気持ちが、非常に強い。
これは、
「罪悪感という名の良心の呵責なのだろうか?」
それとも、
「良心の呵責という名の罪悪感なのだろうか?」
同じように聞こえるが、違っているように思う。
普通に考えると、良心の呵責があるから、罪悪感が生まれるのだ。良心の呵責というのは、自分の中だけで感じることで、罪悪感は表に対しての自分の気持ちなのではないかと子供心に、塚原は思った。
だから、後者だとおもう。良心の呵責というものが、罪悪感に含まれるという考え方になるのだ。
そういえば、塚原は結構、似たような言葉を思い浮かべて比較することが多かったような気がする。
その時は気づかなかったが、友達の田舎に行った時に感じた、
「熱中症と直射日光」
だが、これは、友達の田舎に行く前に感じることになるものでもあった。
そんなことを考えていると、本当に布団から出るタイミングを逸してしまったような気がした。
最初は、目が覚める前だったので、考えがまとまらないという理由で、布団から出る理由を思いつかなくてもよかったのだが、布団から出る理由を考えるのではなく、出なくてもいい理由を考えるのだということを感じると、今度は、もっと深い意味になってしまっていることに気づき、余計に負の連鎖を感じていた。
そういう意味で、布団から出るタイミングを逸してしまっていたのだ。
だが、このまま布団に入り続けているというのも、苦しいものだ。
「表に出ても苦しい。布団の中にいても苦しいのであれば、この状況を打破するという意味で、思い切って表に出てみよう」
と感じた。
これは後になって同じ状況で感じたことだが、このような状況では、
「どれだけ我慢できるか?」
ということが、本当は重要ではないかと感じた。
もし、これが戦争で、ここで動けば見つかってしまい、次の瞬間には、命がなくなっているというシナリオは、往々にしてある。軍隊では、こういう時に動いてはいけないと訓示を受けるに違いない。もっとも、これは戦争に限らず、何かの犯罪に巻き込まれ、籠城の時の人質になった時にも言えることだろう。下手に動くと犯人を刺激して、死ぬことになってしまう。ドラマなどでは、皆我慢して何時間も耐えているが、果たして自分がその立場になると耐えることができるだろうか?
ただ、意外と耐えれるような気もしている。
「人間というのは、いざとなると、結構耐えることができるものだ」
という話を聞いたことがあったからだ。
だが、しょせんは他人事であり、実際になった時のことなど、想像することなどできないからである。
結局、ずっと布団の中に入っていることはできなかった。布団から出てきて、顔を洗ってリビングに出ると、母親が普段通りに、キッチンで忙しそうにしていた。
その日は学校が土曜日で休みだった。その頃はまだ、
「ゆとり境域」
というものに、入った頃で、土曜日は、隔週休みだったのである。
「あんた、今日はえらくゆっくりやったんやね」
と、言葉は丁寧だった。
母親は出身が関西ということで、気持ちが平穏な時は、関西弁が出る。しかし、これが少し苛立っていると標準語になるのだが、さらに、苛立ちがピークに達し、怒りのために、自らを見失うようになると、今度は、汚い関西弁になるのだ。
それだけではなく、自分でも理性がなくなっているので、相当に疲れるようで、一通り不満をぶちまけると、虚脱感からか、誰にも顔を見せたくなくなるという。
――一体、どういう心境なんだ?
と考えるが、塚原に分かるわけもない。
そんな怒りを感じたことは、何度かある。それが、母親の不倫が判明した時だった。
最初は父親が必死になって母親を責めていた。母親は黙って聞いているだけだったが、次第に俯いている顔が真っ赤になっていくのだった。
その真っ赤な顔にどういう心境になっているのか分からなかったが、とにかく、
「ヤバい」
と思ったのは間違いない。
しかし、それを責めることにだけ集中している父親には分からなかったのか、責めをやめない。
――やめるにやめられなくなっているのかな?
と感じたが、あとから思うと、そっちの方が強かったのかも知れない。
なぜそう感じたかというと、塚原自身にも同じようなところがあり、どうしようもない気持ちになっているからだった。
「もう、いい加減にしてよ。そんなにポンポン言われて。はい、そうですかっていう私だと思っているの? 一体あなたは私と何年一緒にいると思っているのよ。子供だって、もう小学生になっているくらい一緒にいるんじゃない。いい加減私のことも分かってよ。それができないから、あんたは、女房に浮気をされるような情けない旦那だったということを証明して、それを認めたくないから、そうやってなじるしかできない本当に情けない男なのよな」
と畳みかけるように言った。
「何を?」
と父親も、何かを言い返そうとするのだが、この権幕にはさすがに返すことができない。
父親としては、こんなになってしまう母親は想定外だったのか、何もいうことができず、黙り込むしかなかった。
最初、母親は言いたいことだけ言って、出ていくと思っていた。気持ちの中では、半分は、
「もう帰ってこないんだろうな」
という思いがあったので、本当なら、出ていってほしくはなかった。
だが、その反面、あれだけまくし立てたのだから、気まずい雰囲気になって、塚原自身も、そのまま部屋にいることはできないだろうと思った。
だが、実際に母親が家を出ていくことはなかった。そのあと、家ではぎこちない時間が続いたが、自分の部屋に引きこもればいいだけで、いてくれさえすればその時はよかったと感じた。
そもそも、悪いのは自分ではない。自分は被害者? なのだ。母親が自分で招いたことに、子供が振り回されるのは、理不尽なことである。
そう思うと、父親に対して、どう思えばいいのかを考えてみた。
子供だから分からないが、自分も大人になれば、父親のようになってしまうのだろうかと思うと、
「お母さんのような人を嫁にもらってはいけないんだ」
と思うようになった。
すると、急に母親を自分が女として見ているような気がして、気持ち悪くなった。
今までも、それ以降も、母親を女として見たのはその時だけだった。
女として見たというよりも、
「強引に見ようとした」
というのが本音なのかも知れない。
だが、父親は、付き合い始めてから、母親のことをずっと女として見てきたに違いない。それなのに、今回は女として見てきたことが、間違っていたかのように思わなければいけないことをどう感じているのか?
結婚したことを後悔しているのか、それとも、
「あいつが不倫するんだったら、俺だって」
という思いに至ってしまったのか。
もし、塚原が大人になっていたら、後者だったかも知れない。
ただ。それは、自分があくまでも他人事として見た場合のことで、
「自分に果たして、報復による不倫というものができるのか?」
と聞かれれば、
「できないだろうな」
としか思えないに違いない。
そんなことを考えていると、
「あの時、母親が家にいたことが、正解だったのではないか?」
と思うのだった。
もし、怒りに任せて出て行っていれば、父親も不倫に走ったかも知れない。そうなると、二人の溝は決定的なものになり、離婚は免れないだろう。だが、
「不倫の先にあるものは、絶望しかない」
というような言葉をよく聞くので、
「そんな悲惨なことに、どうして大人は首を突っ込んで、しかも、何度も繰り返すのだろう?」
と思った。
それは、妊婦さんにも感じたことだった。
「あんなに、長時間、苦しい思いをして子供を産むのに、また一年もすれば、産婦人科に来る。喉元過ぎれば、何とかっていうのと同じよね」
と、母親が以前、近所の奥さんと話をしていたのを聞いたが、その母親が分かっていても、不倫をしているというのは、何とも皮肉なことに思えて仕方がなかった。
父親は、その時、不倫に走ったのかどうか、正直分からない。しかし、いつの間にか二人は仲直りしえいて、不倫騒動がまるでウソのようだった。母親が別れたのは間違いないのだろうが、父親は、まさか母親が別れたという事実だけで、簡単に許す気持ちになったというのだろうか?
もし、そうだとすれば、こんな後味の悪いことは、子供として許していいものなのかと思ったのだ。
だが、その日、何も言わない母親に疑問を感じた。
――本当に知らないのだろうか?
と感じたが、知っていて、わざと知らせないということもあるかも知れない。
だが、そんなことをする理由がどこにあるというのか? まさか母親も、煩わしいことは嫌いで、かかわりになるのが嫌なので、余計なことを聞かないようにしようと思っているのだとすれば、こちらも隠そうとしている分際で、よくそんなことを思えるものだと感じる。
だが、本当に知らないという可能性もある。もし、知らないということであれば、友達は家に帰ってきているということだろうか? それを確かめるすべもないので、気にしながら過ごすしかなかった。
月曜日に学校に行けば分かることなのだが、その月曜日がなかなか来ないように思えてならなかった。
「最悪の週末になってしまった」
と感じた。
確認すれば済むことなのだが、時間が経てば経つほど、余計に確認しずらくなるし、しかも、
「あと数時間で分かることだ」
と思うと、確認もできなくなる。
しかし、実際に時間が経つにつれて、精神的にはきつくなってくる。どこまで耐えることができるかということも、問題になる。
「あと少しだけのことなんだ」
と思えるのか、それとも、
「我慢できなくなる感情が、まもなく飽和状態に陥る」
と感じるのと、どちらが早いというのだろうか?
それを思うと、最後になればなるほど、自分がきつくなってくる。やはり今のうちに確認しておくべきことなのだろうか?
だが、その心配はなかった。なんと、その日の夕方、行方不明になったと思っていた友達から電話があったのである。
友達からは、別にいなくなったことに触れているわけではなく、ただ、宿題の話という、普通の会話だったのだ。
塚原としても、本当は彼がどうしていたのか聞きたいのはやまやまだったが、ここでは母親に聞かれてしまうので、そのことに触れるわけにはいかなかった。相手もまったく気にもしていないようなので、拍子抜けしてしまったこともあって、何も言わなかった。ただ、行方不明でないということが分かっただけで、よかったのだ。
もし、行方不明になったということでないのであれば。今さら、昨日のことを蒸し返す必要もないような気がしたのだ。
ただ、それは今の電話の間でだけのことであって、今度学校で会った時、しっかり聞かなければいけないところだと感じたのだ。
ただ、それは今の電話の間でだけのことであって、今度学校で会った時、しっかり聞かなければいけないところだと感じたのだ。
「最悪の土日になるだろう」
と思い、これ以上ないというくらいに長く感じるのではないかと思った土日だったが、事なきを得たと思うと、まったく気にならないためか、今度は土日が思っていたよりも、あっという間に過ぎてしまい、気が付けば月曜日になっていた。
目が覚めてからが、今度はなかなか時間が過ぎてくれない。
「どうして、あいつは、何も知らないような態度でいられるんだろう? 実際にどこに行っていたというのだろうか?」
ということを考えていたが、そのまま言葉にして質問をぶつけるのがいいのか、考えてしまっていた。
「要は、相手の出方次第だな」
としか思えない。
相手が、最初に誤ってくるようなら、意識があったのだろうから、聞けば教えてくれるだろう。しかし、なぜあの時に見つからなかったのかが分かるかどうか、別問題のような気がしていた。
学校で、あの時一緒にいた連中も、さぞや、同じことを感じていたことだろう。最初に口を出すのがいつも同じやつなので、
「ここは、出しゃばったりしないようにしよう」
と、塚原は思っていた。
塚原には、まだ苛められっ子だった頃のことがまだ頭に残っているので、自分から表に出ることはしなかった。
出てもいいのだが、梯子を外されてしまうことが怖いので、必要以上には、何も言わないことにしたのだ。
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