第4話 行方不明

 友達の田舎にある、神社の井戸というところに行ってみた。友達が連れて行ってくれたのだが、最初は、そこまで興味を持つようなところではなかったのだが、実際に行ってみると、想像を絶するものであった。

 境内の狛犬が狐のように見えることを友達に指摘すると、

「ここは、昔からキツネが出てきて、人を化かすという伝説が伝わっているということと、それに、子供の守り神であるキツネ様を、それぞれ祀るという意味で、狛犬をキツネに似せているというんだよ。右と左どっちがどっちだったか忘れたけど、どっちかが、人を化かすキツネで、もう一つが、子供の守り神のおキツネ様だっていうんだ」

 と教えてくれた。

「君が見わけのつかないほど、似ているのに、善悪両方を示しているというのは、どこかおかしいという感じがするんだけどね」

 というと、

「そうだね、でも、人を化かすキツネが、子供の守り神だったとして、それの何が悪いんだい?」

 というではないか?

 塚原が、

――こいつ、何を言っているんだ?

 と思っていると、彼は続けた。

「別に人を化かすといっても、悪いことをしているわけではない。人のためにやっていることもあるのさ。化かすことで、相手を危険から守るというそういういいキツネだったといわれているんだ。化かすことは悪いことだというのは、人間が勝手に思い込んでいることであって、しかも、言葉には裏というものがある。だから、一旦裏に回ってしまったら、そこから表が見えるというものさ。子供を守ってくれるというのもそういうことで、子供って、意外と人のいうことを聞かないことが多いだろう? 化かしでもしないと、相手に信じてもらえないとするならば、化かすことは悪いことではないよね?」

 というのだった。

 なるほど、そういわれてみれば、確かにそうだ。

 人を化かしてでも、相手を危険から救うというようなおとぎ話があったような気がする。

 普通なら、

「悪いことだ」

 と一般的に言われていることでも、仕方がない時であれば、それは善行だといってもいいのではないだろうか。

 それを思うと、キツネのように、

「かたや、悪いことをしていたり、妖怪だといって恐れられているものであっても、別のところにいけば、神様として祀られているというものもあったりする」

 と感じた。

 そう、たとえば、河童などもそうではないだろうか? 妖怪だということで、人を食うという伝説もあれば、河童を神様として祀っているところもあるではないかと感じるのであった。

 そんなおキツネ様の狛犬を横目に見ながら前に進んでいると、もう一つきになることがあった。

 石でできている狛犬を横目に見ながら前に進んでいくと、どこまで行っても、狛犬と目が遭ってしまうような気がする。まるで、目だけが生きているかのようだ。

 このことを友達にいうと。

「塚原君も気づいたんだね? 僕も何度目かに気づいたんだけど、目で追いかけられていると思うと気持ち悪くてね。でも、それほど嫌ではないんだ。見つめられているのは、子供だからなんじゃないかと思ってね。きっと大人になったら、そんな感覚はないと思うんだ」

 といった。

 それを聞いた塚原は、

「それ以前に、まずこのことに大人になってから気づけるかどうかという方が強いような気がするんだ。ひょっとすると目が追いかけてくるかも知れないけど、大人は決して、気づくようなシチュエーションに陥ることはないということだね」

 といった。

 友達は、

「うんうん」

 と頷いていたが、その表情は関心したような顔で、きっと、想像もしていなかった回答だったのだろう。

 そんなキツネを後ろに感じながら、境内の奥に進んでいく。

 二人は、お参りをしたのだが、塚原は何をお祈りしていいのか分からなかったので、とりあえず、手を合わせるだけだった。神社に行って手を合わせるなど、今までは一年に一度、初詣に行く時くらいだっただろう。

 初詣などの人ごみの中では、人に揉まれながら、やっとこさで辿り着いた先頭なのに、いざ来てみると、頭の中が真っ白になり、何をお参りしていいのか分からなくなる。

 本来なら、ここに来るまでに考えておくべきなのだろうが、人に揉まれることで、そんな意識も失せてしまっていた。

「だったら、並ぶ前から考えておけばいい」

 と言われるだろうが、

「並ぶ前に考えたとしても、あの人ごみに揉まれてしまうと、何をお祈りしようかと考えたことを、忘れてしまうのではないか」

 と思うのだった。

 それだけ、ここで揉まれている時間というのは、果てしなく感じるもので。果てしなく感じないようにしようと思うと、

「ここは別の次元なんだ」

 と思うことにつながってしまい、結局、一度別世界に入って、もう一度戻ってくることになるのだから、覚えていたことも、忘れてしまうことになるに違いないと思うのだった。

 そんなことを考えていると、

「やはり、最初から何かを考えていても忘れるんだから、何も考えないようにしておくようにしよう」

 と思うのだった。

 お祈りを済ませて、境内の奥に進んでいく。森に囲まれているので、鳥居から境内に向かって進んでいる時には気づかなかったが、境内の奥は結構広くなっている。

 庫裏のような、社務所のようなところを抜けていくと、その先は境内の裏に通じる道になっている。

 落ち葉などもほとんど落ちていないところを見ると、裏まで、神社の人が毎日掃除をしている証拠だと思うと、気持ちよさがあった。

 だが、風景としては、もう少し落ち葉があった方が絵になるような気もする。少し寂しさからか、夏なのに、寒気を感じるようだった。

 ちなみに、夏であっても、落ち葉がないというわけではない。秋ほど多くはないが、まったくないというのは、ありえないことだといえるのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、新緑に包まれたため、余計に暗さが浮き彫りになっている境内の裏から、湿気が感じられた。

「やはり、井戸の存在を意識しないわけにはいかないな」

 と感じたのだ。

 奥に進むと、なるほど井戸があった。

 ここが、昔から行方不明者を生むというところだと思うと、どうしても、足が竦んでしまう。

 今は井戸の入り口には鉄格子が嵌められていて、人が飛び込むことはできないようになっている。

 もっとも、ここで飛び込むような人は今はいないだろうと思われるので、飛び込み防止というよりも、不慮の事故防止ということだろう。

 掃除をしていて、誤って落っこちないとは言えないほどの高さだからだ。

 だが、ここは井戸としての機能が本当にあったのだろうか? 水をくむ仕掛けとなるはずの櫓の跡も見当たらない。

「この井戸、何か変な気がするな」

 と塚原がいうと、

「ああ、たぶん、君の予感は間違っていないと思うよ。実はこの井戸は、元々井戸としての機能があったわけではないんだ。と言っても、井戸としての本来の機能を有しているわけではないが、井戸の形をしたものの役割としては十分に果たしていたのさ」

 というではないか。

「どういうことなんだい?」

 と塚原は、なんとなく分かった気がしたが、敢えてそれは言わずに聞き返した。

「この近くに、江戸時代まで、お城があったんだよ。この村は今でこそ、過疎地帯となったけど、昔は、領主の街に隣接したところで、今でいえば、都会への通勤圏内とでもいえるところだったんだ。だから、物資の輸送を請け負うところが多くて、駕籠屋なども結構あったという。この井戸は、そのお城が危険に晒された時、領主が逃げるための、抜け穴だったというんだよ」

 と、友達は説明してくれた。

「なるほど、よく聞く話だけど、実際に見るのは初めてだな」

 と、塚原が答えた。

「ひょっとすると、ここで行方不明になった人というのは、昔この抜け穴を作るのに携わった人か、実際に攻められて、ここを通って抜け出した殿様がいたりして、その怨霊が取りついているなんて話があったりしないかい?」

 と塚原が聞くと、

「うん、そんな祟りのような話もあったりはするけど、どうなんだろうね?」

 と、友達が、少し考えながらいうのだが、友達の様子を見ていると、

――本当は怖がりなんじゃないか?

 と思えてきたのだ。

「でも、行方不明になった人は、少ししてから、何事もなかったような形で出てくるんでしょう? 祟りというには中途半端な気がするけど、それはきっと、殿様は相手に捉えられることなく生き残るんだけど、でも一度滅ぼされてしまったことで、二度と歴史の表舞台に出てこれなくなり、それは、怨念となっているんじゃないかな?」

 と塚原がいうと、

「そうだね。確かにそう思うと、行方不明になるだけで、誰も死んだ人はいないということなので、当時、研究者がいれば、その共通性を調べたかも知れないと思うと、興味深いことなのかも知れないな」

 と友達はいった。

「でも、俺たちのように、キチンと誤解が解けて、和解できたとすれば、それが一番いいんだろうね?」

 と、塚原がいうと、

「これは。俺の意見だけどね。ひょっとすると、ここで行方不明になった人は、何らかの理由で誰かに恨みを持っていて、そのことを絶えず気にしているとして、実はそれが俺たちのように、勘違いというか、気持ちのちょっとした行き違いからわだかまりがあるのだとすれば、それを晴らすという意味で、行方不明というような状況を作り出したという考え方もできるかも知れないな」

 と友達が言った。

 彼は、怖がりだと思っていると、それを払しょくするかのように、自分の気持ちを奮い立たせるかのように、いい方に理論づけて考えようとしているのかも知れない。

「ところで行方不明になっていた人って、出てきた時は。どんな感じなんだろうね?」

 と、塚原がいうと、

「そうだな。話としては、急に意識を失っていて、気が付けば、二日が過ぎていたって感じらしいんだ。本人としては、まさか二日も経ったという意識はないのだという。眠ってしまうと、大体どれくらい寝ていたかって、目が覚めた時の感覚で、眠りの深さが検討つくだろう? だから、そんなに誤差はないと思う。まあ、八時間くらいの睡眠だと思っていて、実際は九時間か十時間くらいの感覚だとしても、それは誤差の範囲だと思うんだけど、本人は、そんなに深い眠りに就いたという意識がないようなので、感覚としては、五、六時間くらいではないかと思っているらしいんだ。でも実際には丸二日も寝ているなどということは、自分でもありえないと言っているそうなんだよ」

 と友達は言った。

「確かにそうだね。俺も眠りの深さで大体分かることがあるけど、夢を見た見ないで、そのあたりの感覚も分かってきたりするものだね」

 と塚原は言った。

「ところで、夢って、僕はあまり覚えていないんだけど。塚原君はどうだい?」

 と友達が聞いてきた。

「僕の場合も、覚えている夢と覚えていない夢が確かにあるんだ。夢を見たという意識はあるんだけど、目が覚めるにしたがって、忘れていくんだよね」

 と塚原は言った。

「それは、パターンがあるのかい?」

 と聞かれたので、

「ああ、覚えている夢というのは、結構怖い夢が多かったりするんだ。そして、楽しい夢というのは、楽しい夢だったという意識はあるんだけど、具体的には覚えていないんだ。具体的にというのは、覚えていてほしかったと思える部分で、楽しい夢の中核になる部分だね。それを覚えていないのだから、楽しい夢を見たという事実だけが頭に残っているので、何とも後味が悪いという感じになるのかな?」

 と、塚原は答えた。

「楽しい夢と、怖い夢、それ以外にどんな夢があるんだろう?」

 と友達がいうと、

「そうだね、僕の感覚でいえば、怖い夢以外が楽しい夢なんじゃないかって感覚かな? だから、覚えていない夢は皆楽しい夢なんじゃないかって思うんだ。だから、夢というのは、都合のいいものだって感じちゃうのかも知れないな」

 と塚原が言った。

「じゃあ、覚えていない夢は皆、楽しい夢だという認識かな?」

 と聞かれて、

「というか、楽しい夢だから覚えていないというところから来た発想なんだけどね。そういう解釈をした方が、自分で夢というものに対して、納得がいくような気がするんだ」

 と塚原がいうと、

「お前はそんなところまで考えているんだな。さすがというか、何かのこだわりを感じるというか、ちょっとよく分からないというのが本心だね」

 と友達が感心したかのように言った。

「これは、こだわりになるのか。それとも、自分で納得したいから、いろいろ考えてみるというのかな? でも、そんな屁理屈を考えるところが嫌われる原因なんじゃないかって思っていたことがあったんだよ」

 と、塚原がいった。

「俺たちが、塚原君を苛めていたのは、そんなところに原因があると思っていたのかい?」

 と友達に聞かれたので、

「うん、そうだね。君が僕を苛めていた理由は別にあると分かったけど、他の連中が何を考えていたのかというのは、分かっていないからね。首謀者である君が苛めをやめたことで、誰も苛めをしなくなったから、うやむやになっちゃったけど、今でも、その理由は俺には分からないんだよ」

 と塚原がいうと、

「俺もまわりのことまで意識したことはないんだ。何しろ俺は、先頭にいて、前だけを見ていたので、まわりの連中のことなど気にもしなかった。ただ、俺は俺だって思っていただけのことだからね」

 と友達がいう。

「それは分かっていたよ。でも、他の連中も、君が苛めをするから、それにただ乗っかるだけという雰囲気でもないような気がしたんだ。何か理由があるとは思うんだけど、皆が皆同じなのか、それとも、一人ひとりで違うのか? 俺にはよく分からないんだよ」

 というと、

「俺は、皆同じだと思っていた。後ろが見えないからなのかも知れないが、感じる視線に違いは感じなかったからな。たぶん、俺が苛めをしているので、自分もそこに加わらないと、今度は自分が苛めに遭うというような感覚だったんじゃないかな?」

 と友達はいう。

「集団意識というやつだね。そういう理屈であれば、納得できなくもないけど、本当にそうなのか、中には違うやつもいるような気がしたんだ」

 と塚原がそういうと、友達は、とりあえず頷いているという感じだった。

 その時の、「夢談義」は、それほど盛り上がるものではなかったが、そもそも、それは、行方不明になった人の話をしていて出てきた雑談であった。そのことを思い出した塚原は話を戻すことにした。

「でも、いきなり飛び越えるというのも、おかしな話だよね?」

「うん、それを聞いた時、僕は二つの話を思い出したんだ。一つは、玉手箱を開くと、いきなり煙が出てきておじいさんになってしまったという浦島太郎のお話。そして、タイムマシンをテーマにした映画を見たことがあったんだけど、その時のセリフの中にあったんだけど、タイムマシンというのは、本人が意識することなく、時間を飛び越えることなので、目を瞑って、すぐに開けた瞬間、そこには、数時間後が広がっていて、まるで、真上に飛ばされて、着地したところが、数時間後だったというような話だったと思うんだけどね」

 と、塚原は言った。

「なるほど、そういう言われ方をすると、そうかも知れない。俺もちょっと思い出したんだけど、あるSFアニメを見ていたんだけど、タイムマシンの理屈は、電波などのような規則的に波打っているグラフが時間の通り進んでいくとすると、その頂点から頂点に飛び移るという感覚だというんだよ。実際に時間というのは、波を打っているグラフであるから、飛び越えることさえできれば、タイムマシンを作ることができるって言っていたね」

 と、今度は友達がそういうのだった。

「それ、俺も見たような気がする。俺もその話に衝撃を受けた口だよね」

「やっぱり、俺たち、感性が似ているのかも知れないな。だから、話も合うのだし、ひょっとすると、俺が苛めをするきっかけになったのは、君の考えていることや、白々しさのようなものが見え隠れしていたからなのかも知れないな」

 と、友達はいうのだった。

 そんな話をしている時、ふと塚原は、小学四年生の頃だっただろうか? ある友達が行方不明になった時のことを思い出した。

 あの時は、友達数人と、かくれんぼをしていた。

 今の令和のように、公園が少なかったわけでもなかったが、空き地や、ごみ置き場のようなところが多かった。

 少し山に入ると、廃品回収が来るまでの、

「一時置き場」

 のようなところがあり。よくそこで、遊んでいたのを思い出した。

 親や学校からは、

「そんな危険なところで遊んではいけません」

 と言われていたが、元気な子供は、

「遊ぶな」

 と言われると、遊びたくなるというのが、本性であり、危ないと言われると、冒険心を掻き立てられるのであった。

 四年生以降は苛められっ子になってしまったので、なかなか危険で、目立つようなことはしなくなったが、三年生までは結構、冒険心の強い子供だった。

 その時は、廃品回収のためのスクラップが結構たくさんあり、

「これだけたくさんあったら、隠れるところには不自由しないよな」

 と言っているほどで、実際にその日も、五人くらいでかくれんぼをしていたのだった。

 その日は、結構皆すぐに見つかったので、結構、かくれんぼの回数が多かった。

 いつもであれば、三回くらいで夕暮れの時間になるのに、その日は五回くらいできたのだ。

 それまで、五回というのは、完全に未知の回数だった。四回目も、暗くなってくることから、

「そろそろやめよう」

 と誰かが言い出して、途中でやめることになった。皆に大声をかけると、皆そそくさと隠れているところから出てきたものだった。

 だが、その日は、五回目に入った時でも、まだまだ日が明るかった、さすがに西日の強さというのが、

「ろうそくの消える最後のあがき」

 のように感じられ、日暮れが近いのは分かったのだが、温かさがあったのと、西日の影響で見える細長い影が、ハッキリと見えたことで、

「もう少し、日暮れまでには時間がかかるよな」

 と思ったのだ。

 塚原は子供ではあったが。遊びのおかげで自分たちの遊びに対しての勘が、鋭くなってきていることを感じていた。

 五回目の鬼が、四人中、二人目まで探すまでには、ほとんど時間がかからなかった。

 後の二人も簡単に見つかるだろうと思っていたが、その感覚が少し怪しいと感じたのは、二人目が見つかるまで、あれだけ温かいと思っていたのが、急に寒気を感じるようになったからだった。

 風が吹いてきたというのが一番の理由だったが、その風の冷たさには、普段とは違うものがあったことに、徐々に気づいたのだった。

「もう、そろそろやめないといけない時間なんじゃないか?」

 と、最初に見つかったやつが言った。

「ああ、そうだよ。これは鬼になった時の俺の感覚なんだけど、こんなに寒い時というのは、もっと暗かったと思うんだ。だから、今は明るいと思っていても、あっという間に暗くなってしまって、親から、こんなに暗くなるまで遊んでいたらダメだって、怒られるんじゃないか?」

 と、まるで、怒られることを前提に考えているかのようだった。

 確かに、

「廃品回収のところで遊んでいてはいけない」

 と怒られたばかりではないか。

 それを思い出すと、皆、怒っている親の顔を思い出すのか、苦虫を噛み潰したような嫌な顔になっていたのだ。

「おーい、そろそろやめるぞ。出てこいよ」

 と一人が叫ぶと、一人がすぐに出てきたが、もう一人、隠れているはずのやつが出てこない。普通であれば、一目散に出てきて、

「ああ、やっと終われる」

と言って、普段から、あまりかくれんぼが好きではないやつが、ぼやきながら出てくるのが目に浮かんでいたのだ。

 しかし、誰も出てこない。ただ、風が吹いているだけの廃品回収置き場が、次第に寒くなってくるようだった。

 頭の中にあるのは、

「どうして出てきてくれないんだ。お前が出てこないと、帰りが遅くなって、親に叱られるじゃないか」

 という思いであった。

 もちろん、頭の中に、

「出てこなかったらどうしよう」

 という思いがないわけではない。

 しかし、そんな思いを抱くなど、そんな不吉なことを考えること自体がおかしいと思うはずなのに、その思いを否定しようとする強引な気持ちが、余計に思わせないようにしようとする。子供の心理だといってもいいだろう。

 子供の口喧嘩が、やたらに幼稚なのは、分かっていることをなるべく自分で納得したくないということからきているのだ。

 そのことを、子供は自分で分かっている。

 しかし、大人になると、自分が子供だった頃のことをすっかり忘れてしまい、分かっているはずの自分を認めたくないという思いに引っ張られて、

「子供は幼稚だ」

 と思わせるに違いない。

 確かに、友達が出てこなかったら、どうしようという思いとは別に、

「ただの子供の遊びではないか、そんな他愛もないことをしていただけなのに、何かが起こりっこないよな」

 と自分に言い聞かせてもいるようだ。

 だから、混乱した子供は、誰かに話をするとしても、頭の中を整理することができず、会話にもなっていない。

 大人の方でも、

「子供のいうことなんか、まともに信じれるわけはない」

 という思いがあるからか、子供と自分たちの間に、結界を設けているに違いない。

 その日、友達は出てこなかった。

「どうしようか?」

 と一人が言ったが、それにこたえられる人はいなかった。

 言い出しっぺとしても、最初に口を開けば、自分が結論を導かなくてもいいという思いからだったが。言い出しっぺだということで、言い出した言葉に責任を持たなければいけないということで、こちらも、リスクが大きい。

 この時は、結局誰も口を開く人はいなかったので、

「しょうがない。このまま黙って帰ろう。皆、行方不明になったなんていうんじゃないぞ。皆と一緒に別れたということにしておけば、何の問題もないんだからな」

 と、言い出しっぺは言った。

 そうは言ったが、誰かが、自分の言葉に異議を申し立ててくれるのを期待した。もし、異議を申し立ててくれれば、その人にバトンを引き継ぐことができると、感じたのであった。

 だが、誰も異議を申し立てる人はおらず、結果、言い出しっぺのいうことに従うことにした。

 誰も口を開かなかったが、心の中では、

「俺が責任を負うことがなくてよかった」

 と思っていることだろう。

 そんなことを思っていると、

「やはり、最初に言い出すのは、難しいな」

 と感じたのだが、あの場で自分が言い出さなければ、あのままずっと膠着状態のまま、どうすることもできなかったような気がする。

 親が探しにきて、友達がいないことが分かると、警察に通報したりして、結構厄介なことになっただろう。

 だが、警察に通報する方が、本当は気が楽だった。子供だから、目に見えない責任というものを背負わされることがないということで、あとは任せておけばいいだろう。ただ、なぜ彼がいなくなったのかということを考えると、恐ろしくて震えが止まらなかった。

「行方不明になったのが、彼ではなく、俺だった可能性だって十分にあるからではないか?」

 と感じたからだった。

 

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