第3話 思春期の性的好奇心
この村には、夏休みの間の半分以上はいるということになっていた。
「都会に戻っても、暑いばかりで、親も忙しくて、なかなか休みの間相手もしていられないので、友達と田舎にいくというのは、私たちにとってもありがたい」
ということだったらしい。
塚原の親は、父親が銀行員というお堅い仕事で、ただ、少し前なら、
「銀行に就職できれば、つぶれるということはない」
ということで、花形の職業だったのだが、バブルがはじけてからこっち、
「銀行はつぶれない」
という神話が、簡単に崩壊したのである。
それまでは、毎日のように仕事で遅くなっていて、家に帰ってくるのは、日が変わってから。そんな毎日を過ごしていた父親だったが、バブルが弾けてからというのは、毎日提示に帰宅するようになった。
毎日八時前には帰りついているので、今までは、テレビを見たりするのは、自由だったが、食事の時間まで、父親と一緒に食べるなどという、悪しき習慣になってしまったのだ。
別に父親と一緒に食べないといけないというわけではなかったのだが、母親が、
「お父さんが帰ってくるまで、ごはん我慢できるわよね?」
というので、ちょうど、苛められていた頃だったので、変に親に気を遣わせたくないという思いから、
「うん、分かった」
と、いうしかなかった。
いつも天真爛漫な母親が、父親に、変な気を遣ったのは、その時だけだった。
だが、すぐに、父親と一緒に食事をすることはなくなった。どうやら父親が、
「食事くらい、自分の食べたい時でいいじゃないか」
といったらしい。
これは後から聞いた話だが、当時母親は、誰かと不倫をしていたらしい。
もちろん、まったく分からないようにしていたのだが、当時、ドラマなどで、不倫などというのが多いことで、天津爛漫な母親は、そんな世界に興味を持ったようだった。
奥様友達から、誰かを紹介されて、軽い気持ちでお付き合いという感じになってしまうと、嵌ってしまったようだ。
家庭を捨てるつもりも、まったくなかったのだが、相手の男が言葉巧みだったことで、母親は、簡単に好きになったようだ。
相手の男の方も。軽い気持ちだったのだろうが、母親の天真爛漫さに惹かれたようだ。
今まで自分が垂らしてきた女に、そんな、純真無垢な人がいなかったのだろう。
まるで、
「ミイラ取りがミイラ」
になってしまったかのごとく、完全に自分を見失ってしまったようだ。
騙す方が騙されたというと、女たらしとしては、致命的だ。そういう意味で、その男も、母親とは不倫であるが、
「これが最後だ」
と思ったのだろう、
ひょっとすると、母親と駆け落ちくらい考えていたのかも知れない。それほど男は母親に忠心で、
「俺は、ここまで母性本能を感じた女はいない」
と思っていたのだが、母親としても、
「ここまで、男性をかわいいと思ったことはない」
と感じたようだった。
しかし、あくまでも、母親は不倫の範囲内での感情だった。
男が真剣になれば、一気に引いてしまうのは、卑怯といえば卑怯なのだが、そもそも、騙そうとしたのは、相手の方だ。男の方も、自ら身を引くことを決断したのは、母親が、自分に真剣になっていないということを感じたからだった。
「俺もそろそろ潮時だろうか?」
と、相手の男は感じたようだ。
母親が不倫をしていたことを父親が知るとどうなるだろう?
気も狂わんばかりに、殴りかかったりするのではないか? 普段は仲良く話をしている二人だったが、お互いに信頼しあっているから、疑うこともないのだろう。ただ、まだ小学生の自分が知っているくらいなので、父親が本当に気づいていなかったのかどうか、疑いたくなるだろう。
ただ、母親の不倫に気づいたのは、母親が、電話をかけるのを聞いたからだ。
相手の男が、まだ母親に未練があって、母親がなだめるように諭しているところだったのだ。
相手の男性の名前をまるで赤ちゃんを呼ぶように、
「ちゃん付け」
で呼んでいた。
家にいる時の母親からは想像もできない様子で、母親はそんな赤ちゃん言葉など、嫌いなのだと思っていたほどだった。
だが、それから数日もしないうちに母親の態度が変わった。
それまで、子供のことや父親のことにあまり口を挟まなかった人が、急に、気にするようになったのだ、
最初はなぜか分からなかったが、
「あの時の赤ちゃん言葉の相手は不倫の相手で、別れ話をしていたのではないか?」
と思ったのだ。
小学生のくせに、よくそんなことまで気づいたのかというと、苛められていた時期に、周りのことを気にするような性格になったのかも知れない。
その頃には、大人のドラマを見るようになっていた。それは、学校で友達がドラマを皆見ていて、自分も見ないと、嫌われるという思いがあったからだ。
ただ、さすがに嫌われるというのは考えすぎで、話題に乗り遅れるという程度であったが、
「乗り遅れてしまうと、話が合わなくなり、また苛めの対象にされてしまうのではないか?」
という思いに至ってしまいそうで、怖かったのだ。
もちろん、母親が不倫などしているとは思いたくもなかったが、母親の行動を見ていると、ドラマに出てくる奥さんたちと、行動パターンが同じだったのだ。
それだけ、ドラマになるようなパターンを表に出している母親を見ていると、
「世の中が、皆ワンパターンなのか、母親が、それだけ天真爛漫で、ドラマになりやすいような行動をとっているのか」
と考えた。
ドラマになりやすいのは、人に感動を与えるパターンが多いので、たぶん、純粋でちょっとしたことで悩んでしまうような人が、主人公になりやすいのだろう。
しかし、母親は正反対だ。
ということは、主人公ではなく、ドラマの中の重要な脇役として、皆の生活を崩そうとしているのか、罪もない行動が、人の気持ちを傷つけるという、そんなタイプの人なのだろうと思うと、どうも母親は、後者のパターンのようだった。
ただ、母親は、父親に知られることもなく。別に離婚問題など出ることもなく、何とか家庭に戻ってくることができた。本当に父親が知らなかったかどうか、結局は分からなかったが、ぎこちない家庭ではあったが、そのおかげで、友達の田舎に遊びにいくことを許してくれたのだ。
だが、今から思えば、
「母親が不倫をしていたということも、本当だったのだろうか?」
と感じるほどで、あの時に聞いた母親の電話も、
「ウソだったのではないか?」
と思うと、次第にウソだったとしか思えない気がしてきた。
「ひょっとすると、当時の記憶の何かの辻褄を合わせようとして、勝手に思い込んでしまったことではなかったか?」
と考えた。
ただ、友達の家に行く前と帰ってきてからでは、別に家族で変わった様子はなかった。
何事もなかったということを証明しているようで、一時期父親も、早く帰宅するようになっていたが。結局、家族揃ってご飯を食べたという記憶はなかった。
「ご飯を食べた記憶を、自分の中で消そうとしているのだろうか?」
と感じたのだった。
その意識を思い出すことで、友達の田舎に遊びにいった時の記憶も一緒によみがえってきた。何か一緒に思い出そうとして、反動をつけると思い出せることもあるようだったのだ。
友達の田舎で遊んでいた時、村の奥に鎮守の森があった。そこは、小さな丘になっていて、その丘の正面が、真っ赤な鳥居があった。
そこから、かなり急な階段ではあるが、そこから息を切らしながら上がっていくと、そこには、村の守り神と言われる神社があった。
その神社を登りきると、お百度石があり、その向こうには、狛犬が二匹、こちらに向かって鎮座していた。
狛犬というよりも、見る限りは狐だった。尻尾もフサフサしていて、思わず、
「尻尾が九本あるんじゃないか?」
と思って探したほどだった。
小さかった頃、まだ生きていたおばあちゃんから聞かされた九尾の狐の伝説、どんな話だったかは覚えていないが、
「九尾の狐」
という言葉だけは、ハッキリと覚えていた。
友達から、
「夏休みにここに来た時は、いつもお参りにくるんだけどね」
と言って、連れてきてもらったのだが、村の規模からすれば、思ったよりも大きな神社であり、そのくせ、閑散としている情景は、この村が、本当に過疎の村であることを示していた。
「この神社の奥には、井戸があるんだけど、いつも夏になると、昔から、誰かが行方不明になるって噂があるらしいんだ。でも、俺が田舎に遊びに来るようになってから、行方不明になる人がいなくなったとかで、いつも、おばあちゃんから、「今年もきておくれ。後生だから」と言われるんだよ。でも、本当に行方不明になっているのか分からないんだけどね」
というのを聞いた。
「でも、さすがにいくら来てほしいといっても、そんなたちの悪い冗談は言わないでしょう?」
というと、
「もちろん、そうなんだけどね。でも、いつも行方不明になるといっても、二日以内には見つかるんだけどね。でも、見つかってからその人に聞いても、自分がどうして行方不明になったのかっていうことが分からないというんだ。まるで、急に時間を飛び越えてきたかのような気がするらしいんだ。眠っていたんだろうかね?」
と友達は言った。
こんな狭い村でのことなので、皆で探せば分かりそうなものだ。しかも、見つかったその場所も皆が最初に探す場所だったのだ。
「俺は、あそこを最初に見た」
「俺だって確認したさ」
という場所なのだ。
最初の頃は、神出鬼没のように、どこにいたのか、バラバラだったようだが、途中から、いつも決まったところに現れるらしい。
「その場所というのが、この神社の中なんだよ。だから、数回目からは、そこを探すと、行方不明者は、眠っているらしい。本人はまったく意識がないのだが、だけど、目が覚めると、自分がそこに来たという意識はあるらしいんだ。だけど、どうしてその場所に来たのかということを覚えていないらしい」
と友達がいうと、
「記憶喪失なのかな?」
と聞くと、
「そうじゃないみたいなんだ。行方不明になる人はいつも、何か身体に変調がある時が多いらしい。特に決まった場所で見つかるようになってからは、脱水症状のような感じだというんだ。医者に見せると、何やら、熱中症なんじゃないかっていうんだ」
と、友達が言った。
「熱中症って何なんだ? 日射病なら聞いたことがあるんだけど」
と塚原がいうと、
「どうやら、そういう病気があるらしい。最近では、日射病と言わずに、熱中症ということが多いと聞く」
と友達がいう。
「どんな症状なんだい?」
「日射病に症状は似ているらしいんだけど、どうやら、いろいろなパターンで罹ることが多いらしくって、緊張したりすると、身体が攣ったりするらしいんだ。そういう意味では怖い病気のようだね」
と、友達は言った。
それを聞いていた村の人が、
「そうだね。確かに昔は日射病と言っていたよね。夏の暑い時には、直射日光を浴びると、日射病になるから気を付けないといけないって言われてたけど、確かに最近では、熱中症という言葉が、新聞やニュースでも言われるようになったみたいなんだ。私はそれを調べてみたんだけど、人間というのは、身体の中に熱をため込むようになっているらしくて、身体の中にたまった熱で体調を崩すことを、熱中症というようなんだ」
というではないか。
「そういえば、僕は扁桃腺がよく腫れて、高熱を出すんだけど、熱が身体に籠っているのが分かることがあるんだ」
と友達が言った。
「そうそう、それと同じことなんだけど、熱が出る時というのは、身体の中で、風邪のウイルスと戦っているから、熱が出るんだっていうんだよ。だから、熱が出始めたら、熱をすぐに下げるんじゃなくって、今出ている熱を出し切るまで、本当は身体を温めなければいけないんだ。身体に熱が籠るからね。だから、熱が上がっている最中というのは、汗をかかないだろう? それで、熱が一気に出てしまえば、汗をかき始める。汗を掻いてくると、身体がサッと楽になってきて、体温も下がってくるんだよ。その時になって、やっと身体を冷やすんだ。つまりは、汗で毒素を身体の外に出しているということだね」
と、村の人が言った。
「そういえば、僕にも経験があるな。小さい頃に、熱が出た時、父親は会社に行ってて、母親も女なので慌てるばかりだったけど、たまたま家に来ていた、知り合いのおじさんという人が、熱があるのに。僕の身体にタオルを巻きつけたりして、身体を温めていたんだよな。なんでそんなことをするのか分からなかったけど、ある程度まで熱が上がってくると、汗が出てきたんだよね。そうすると、スーッと楽になっていった覚えがあるんだけど、あの時のおじさんって、医者だったのかも知れないな」
と、その時のことを、塚原は思い出していた。
ただ、あの時、
「どうして、あのおじさんという人はうちにいたんだろう?」
と、今になると感じた。
そういえば、母親は、時々出かけていて、時々知らないおじさんと一緒にいることがあった。
いつも違うおじさんだったような気がしたので、
「おかあさんは、知り合いが多いんだ」
と思っていた。
父親は、家に客を連れてくることはなかった。そもそも、いつも仕事で忙しく、ずっと顔も見ないことが多かったので、顔さえ忘れてしまうほどだった。
お母さんは、父親がいないからと言って、寂しがっているところを見たことはなかった。いつも誰かと一緒だというイメージがあり、子供心に、
「気が紛れていい」
と思っていたほどだった。
子供の世界では分からなかったが、どうやらお母さんは、まわりの人から嫌われていたようだ。
子供から見ていても、天真爛漫で、憎めないように見える母親なのに、何を嫌われているというのか、分からなかった。
さすがに、子供に、
「あなたの母さんは嫌いだ」
などという大人がいるわけもないが、母親を見る他のおばさんたちの視線が、あまりいいものには思えなかった。
どうかすると、自分まで睨まれているのではないかと思うくらいだ。
その視線は、苛められていた経験が、なせる業なのかも知れない。しかも、自分を苛めていたのは、ある意味勘違いによる、
「逆恨み」
のようなものだった。
母親に対しての恨みのようなものを、子供にぶつけるのも、一種のお門違いの勘違いではないだろうか。逆恨みに近いものに違いない。
それを思うと、その視線に、さほど違いはないのではないか。
だから、母親に対しての、異様な視線を感じることができたのであって、それが、母親の性格が天真爛漫であるだけに、余計な気遣いをさせられているようで、母親に対して、いや、母親と一緒にいる、
「知らないおじさん」
に対して、塚原も異様な視線を向けていることだろう。
今から思えば、あの時先生がすぐに駆けつけてくれたのは、母親と何か関係があったからなのかも知れない。
いや、実際には偶然だったのかも知れないが、一度不倫を疑った母親に何か不自然なことがあれば、
「この時もまた、不倫だったのではないか?」
と感じてしまうのだった。
こういう、
「負の連鎖」
をどこかで止めなければならないと思うのだが、なかなかそうもいかないのだ。
だから、今回、塚原が、
「友達が田舎に一緒に遊びに行かないかって誘ってくれているんだけど?」
と話した時、
「お母さんはかまわないわよ」
と二つ返事だったのが、少し気になったが、母親が不倫をしていることを、子供が気づいているなどと本人は知っているのだろうか?
不倫をしているのに気付いたのは、ただの偶然だった。忘れ物をしたので、取りに帰った時に、偶然、それらしい現場を目撃してしまったという、実にべたなことであった。
不倫などという言葉、ドラマかマンガの世界だけのことだと思っていた。塚原も、塁にもれず、
「不倫は悪いことだ」
と思っていて、そのことを信じて疑わない。
それよりも、自分の母親が、
「そんな悪いことに加担していたなんて信じられない」
という思いだった。
そう、この時、塚原は、
「加担していた」
と思っていたのだ。
つまり、自分の母親が家族を裏切るようなことをするはずがない。きっと相手の男にたぶらかされたんだ」
という思いであった。
そう考えると、何か、後味の悪さを感じた。まるで、苦虫を噛み潰すような感覚になったのであって、どこからこんな思いがくるのか、すぐには分からなかった。
しかし、母親が、
「たぶらかされた」
と思うと、
「男は、不倫をするものであり、女はいわゆる女たらしと呼ばれる男に引っ掛かりやすいんだ」
と、思うようになった。
そうすると、
「男と女って、好き同士じゃなくても、惹かれてしまうと、好きになったような錯覚を起こすのだろうか?」
と感じた。
自分が四年生の時に気になっていた女の子が、自分に対してどのような気持ちでいたのか分からなかったが、あの時は、相手の気持ちを考えることなく、自分の感情だけで動いてしまったことを、後悔するというよりも、
「穴があったら入りたい」
と思うほどの、屈辱感があった。
自分中心に考えてしまったことを恥じているのである。
自分で勝手に気になったから近づいていった。そして、髪型を変えてきたことを、勝手に、
「裏切られた」
と思ってしまって、裏切った相手を憎むまでの感情はなかったのだが、このまま一緒にいると、憎んでしまうような気がして、自分から離れようとしたのだった。
だが、それを自分で正当化していたのだが、実際に正当化などできるのだろうか?
少しでも相手の気持ちを考えることができていれば、正当化もしょうがないのだろうが、気持ちを考えることができるだけの余裕があれば、正当化などしなくても、大丈夫な気がする。
自分が正当化しなければいけないと思うのは、自分の中で納得いかないことがあり、自分で自分を納得させるための何かを得ようと考えるからではないだろうか。
そんなことを考えていたから。母親が、
「不倫をしているのではないか?」
と偶然の目撃から、不倫を疑うようになり、その疑惑が次第に信ぴょう性を感じられるようになると、その思いを否定できないだけの事実を見つけてしまった。
「それが、塚原の、塚原たるゆえんである」
という、変な納得の仕方になってしまったのだった。
「結局、形は違うけど、俺と母さんは、同じ穴のムジナということなのかも知れないな」
と感じた。
だから、もし、塚原が、
「モテる男」
だったら、女たらしになっていただろう。
いや、もっと言えば、
「モテる男というのは、皆女たらしなんだ」
と考えるようになった。
その感覚に陥ったのは、自分が思春期に近づいたからで、ハッキリと、異性を意識できるところまで来ているわけではないが、それまでと異性に対して違う感情を持つようになってきた。
それは、まず自分が女性を好きかどうかという問題ではなかった。一番最初に感じたのは、厳密には違っているのだと思うが、一種の、
「嫉妬心」
なのではないだろうか。
というのは、同級生が、あからさまに女の子とイチャイチャしているのを見ると、何かムズムズするものを感じる。
二人の笑顔が対照的に見えるのだが、男の方の笑顔は、これ以上ないというほどの厭らしさが感じられ、
「胸くそ悪い」
と言ってもいい感じなのに、かたや相手の女性のその笑顔は、まるで、
「天使の微笑み」
に見えるのだった。
今まで知っている女の子の顔ではない。以前からその子の顔を知っているとして。その表情は見ていると天使に感じるのだが、その笑顔が向けられているのは、自分ではない別の男だ。そう思うと、何ともやるせない気持ちになってくる。
「こんな厭らしい顔をするやつに、どうしてこんな天使の笑顔ができるんだ?」
という思いから、まるで自分の彼女を取られたかのような錯覚に陥ったのだ。
ただ、
「果たして、彼女にあんな笑顔をさせることが、この俺にできるんだろうか?」
と思うと、まったくと言って自身がない。
しかし、それをいとも簡単にさせてしまう、あの厭らしい笑顔を見ていると、恋愛というものが、汚らしいものに思えてきた。
思春期になってくると、性的好奇心が強くなってくるのは当たり前のことで、まわりの同級生の男の子は、そんな思春期を楽しんでいるように思う。性的好奇心を満たすために、自ら勉強し、それを同級生に教えることで、何か自己満足しているように思えてならない。
塚原は、そんな勉強をする気にはなれなかった。
「自分から、知りたいなんて思うのは罪悪なんだ」
という気持ちになっているからであった。
それは、厭らしさがこの世のものではないと思うくらいの女の子を見つめる目をした表情を見てしまったからで、性的好奇心がありながら、それを強引にでも打ち消そうとする、無理をしてしまっているようだ。
実は、これは自分だけのことではなく。思春期に陥ると、ほとんどの人は、性的好奇心を自ら満たそうとするか、あるいは、恥ずかしさや、自己嫌悪に陥りたくないという理由から、わざと性的好奇心を見ないようにしようと考えている人が多いだろう。
つまり、性的好奇心を自分から満たそうと感じる人以外は、皆見ないようにしようと考えているのだと思ったのだ。
そうなると、好奇心旺盛な人も結構いるだろうが、それ以外というと、大半ということになり、塚原はその多大勢の中の一人ということになる。
それは、元々、
「他の人と同じでは嫌だ」
と感じている塚原にとっては、あまり好ましい状態ではないが、二者択一ということであるならば、
「これもしょうがない」
と、感じるのであった。
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