第5話 その高貴な者はよからぬ風を運んでくる

 ヴェンは最近の修練が楽しいと思えるようになっていた。アイリーンの隣に立てるような男になると決め、そのために修練を重ねていた。ただ淡々と積み重ねていく中でアイリーンという壁が高すぎて心が折れそうになることも幾度となくあった。そんな同じ毎日を過ごす中、一つ変わったことがある。エミリーが毎回修練に来るようになったのだ。さらには以前と比べて真剣に修練に打ち込むようになっていた。

 きっかけはエミリーが村の少年たちに襲われてからだろうか。同じように切磋琢磨する仲間がいるだけで毎日の修練はつらくもあるが楽しくもあるものだと気づいた。

 必死に打ち込み汗を流し、真剣なエミリーの表情を見るとドキッとしてしまう。


 彼らの剣術の師は双子の父、トラウトである。双剣流でマスターレベルであり、元王国の騎士団長を務めていた人物。これ以上ない師である。

 アイリーンも同じように剣術の指南をトラウトより受けているが、すでに双剣流についてはアイリーンもマスターレベルであると認められており、もう一つの流派を極めるべくトラウトの元部下であり、今は村の先生として学術書など図書館のように本が置いてある家の主、モーガン・グレッグが師となり教えている。複数の流派を会得しようとするアイリーンは相変わらず規格外である。


 基本的には一つの流派を極めるのにも時間がかかるものだが、彼女はすでにどちらもマスターレベルで習得している。今日は父トラウトが指南する日だ。彼が使う流派は双剣流でもともと両手に剣を持ち使う流派だったらしい。今は片手剣で、剣をもたない手を起点として剣を操る流派に変わっている。


「エミリーいいぞ。手を止めるな。双剣流は次々に攻撃を繰り出す、攻めの流派だ。どんどん踏み込んで来い」

「はい! お父様」


 教え通り攻め続けるエミリー。双剣流は動きが激しく、剣を振るうたびにパンツが見える。なんでパンツに言及したかというと、見えるたびにアイリーンの鼻の下が伸びているような気がしたからだ。

 時折、公式に見えるのはいいねぇなんてつぶやいている声がかすかに聞こえる。


 ヴェンにとって女性のパンツが見えることは修練するにあたって当たり前なのだが、アイリーンはなにか感じているようだ。なにか動きでも見えるのだろうかパンツで。


 修練をしているとロクサス家へと続く一本の道の奥がなにやら騒がしい。ロクサス家までの道は曲がりくねった雑木林を抜けたところにあるので、遠くからロクサス家に向かっていても視認しにくい。

 騒がしさを感じてから間もなく、馬車が到着した。ネフタリ王国の首都クレスからきたんだろう。馬車には王国騎士団の紋章が描かれている。降りてきたのは派手な色合いのドレスをきた女性であった。年齢はおそらく、ヴェンの母と同じくらいだろうか。


「これはこれはネル様、遠くからご足労ありがとうございます。クレスから真っすぐにこちらにいらしたんでしょうか」


 修練のため振るっていた手をとめ、ひざまずき深々と頭を下げるトラウト。三人も慌てて頭を下げる。


「そこまでかしこまる必要はないぞよ。頭を上げなさい」


 ネル様と呼ばれた女性は腰まであるゴールドカラーの髪で、髪の先端はロールがかったようになっている。鼻が高く、威圧的な目線はいかにも貴族というような格好である。たしか王妃様はノイシャという名前だった気がしたが、ヴェンはこの村からでたことがなく、ほぼ貴族と触れ合うことはなかったので考えるのをやめた。


 とはいってもロクサス家は立派な貴族で、現騎士団長エラクス・ロクサスはトラウトの叔父である。トラウトも元騎士団長であるが、なぜ後身に自分より年上のエラクスを指名したのか、なぜこの辺境の村に村長 兼 村の騎士団長として赴任したかは不明だ。


「トラウト、こたび第三王子である我が息子のドミンゴが迷宮区の攻略に挑むことになった。それに際し、折り入って相談があるのじゃ」


 ──迷宮区攻略


 生活の基盤である水晶石の回収量を担保し、魔物を討伐することで強さを誇示することにもつながる。ネフタリ王国の歴史書にはも実力のある冒険者は国の政治にも介入できるほどの力を得ると書いてあったことを思いだす。


「承知しました。では、狭い家で申し訳ありませんが、中でお話をすすめましょう」

 ネル様の手を取り、家の中まで案内するトラウト。それについていこうとすると


「ヴェンはエミリーをつれて、グレッグ家にいって勉強してなさい。アイリーンは一緒に話を聞くんだ」


 納得できなかった。僕らはもう十三歳になり、成人にも近い。多少の分別はついてきていると自負しているし、アイリーンが良くて、僕たちが話を聞けないのはおかしい。たしかにアイリーンは特別だ。十歳でSランクの冒険者として認定され、一人で迷宮区の攻略に成功したこともある。辺境の村だが、噂を聞きつけ名のある冒険者が同行を頼むこともあった。それに比べなんの実績もなく、ただ修練を重ねるだけ。

 でも、アイリーンと同行し、何度か魔物討伐をしたこともあったし、やればできる子なんだと思っている。


「村長! 僕だってあなたの弟子です。迷宮区の攻略についていくことはできないかもしれない。だけれど、アイリーンと一緒に修練してきたんです。同席するくらいはいいんじゃないでしょうか」


「ヴェン、下がれ」


 トラウトから見たこともなければ感じたこともなかった圧を感じた。ヴェンを一瞥し、そのまま家に向かう。筋肉質な体はより一層大きく感じた。


「アイリーンと並べて考えたことはない」


 詰め寄ることもできなかった。並べて考えたことはないという一言がすべてを物語っている。僕らはアイリーンと同じような立場じゃない。実力も到底足元に及ばない。冒険者でもない。修練を重ねて追いつこうとする自分ばかりみていて、追いつこうとする人物をみていなかった。見ようとしていなかった。たぶん見たら心が折れてしまうから。壁は高い。いや、壁すらみえていないのかもしれない。

 トラウトの後をアイリーンが追っていく。ヴェンやエミリーには全く目を向けない。修練のときのようなだらしない顔は一切見えなかった。


あぁでも、そんな凛としている顔も美しい。

 

 ドン!


「っ痛ッツ」


こちらに目もくれないアイリーンを見送っていると突然お尻から痛みを感じた。


「ほらいこ。グレッグさんのとこじゃなくて湖行こうよ。修練の休憩ってことで。お父様も休憩は大事だってよく言ってるじゃない」


 笑顔だが、目の奥は笑っていないような・・・・・・。エミリーも同じく十三歳になり、女性らしく成長した。アイリーンが美人であるなら、エミリーはより可愛らしくなった。そして胸も急成長している。汗ばんだ修練着は体のラインをより一層浮かび上がらせ、妖艶な姿となっている。


「先に着替えてきなよ汗かいてるだろうし」

「もうお父様も家の中に入っちゃったし、今家の中に入ったら怒られそうだから湖で水浴びしたい」


 修練のため結んでいた髪をほどくと肩までかかる艶やかな黒髪が広がる。丸く大きな茶色がかった瞳、顔は小さく十三歳ながらすでに凹凸が感じられる体。かつ、鍛えているので多少の筋肉は感じられるが、腰はくびれ、足はスラっとしている。村ではアイリーンとともに求愛者が耐えないと噂されている。

 だが、本当に求愛してくる男はいない。なぜだろうか。アイリーンはもう才能に溢れすぎて近づけないのはわかるが、こんなにも家庭的な女性のエミリーは村の者がほっとかない気もするが。さきほどまでの絶望感はエミリーと会話することで少し和らいだ。


「わかった。湖へ行こう。休んだらまた剣の修練付き合ってくれ」

「えぇ水浴びしたいって行ってるのにまた修練するの? ヴェンは本当に頑張るね」


 頑張るしかないのだ。今は壁すらみえないかもしれない。けれど、絶対にアイリーンと肩を並べられる男になるのだ。

 今にも折れそうな心を不器用に修繕し、前を向く。

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