エピローグ

第18話

 招待状を出すのに、躊躇いはいらなかった。


 音大を卒業した私は、なんとか音楽の道で生きることができている。音大の在学中、海外での大きなコンクールで二位を取ったことがかなりその後の進路の役に立った。もともと遠いところに行くのはあまり好きではなかったし、場所を移動することはかなりストレスのたまるような出来事であったと思うけれど、それでもあの海の向こうの日々は良い思い出になっていると思う。


 彼には私の格好悪いところを、何度も知られてしまっている。同級生が街で遊んだり、部活をしたりする中、うまくなっていく自覚のないピアノに座らなければならなかったあの日々に、彼がいてくれなければ私はとっくの昔にピアノから離れていたかもしれない。準備室の中で時折感じた彼の高い体温と早い心臓の鼓動が、ピアノに向き合う力を与えてくれた。あの頃の私たちは、きっと不安で仕方がなかったのだと思う。お互いに支えあって、とてもつらい高校時代を乗り越えることができた。そして私は音大に入って、彼は地元に残った。


 きっと20年前だったら、私たちはそのまま、それで終わりだったのかもしれない。でも、いまなら離れていても連絡を取り合うことができたし、東京と仙台くらいの距離なら会うことができた。海外から帰ってきた私はすぐに彼に連絡を取って会うことにした。実家は相変わらず仙台にあったから、里帰りのついでに彼に会いに行くこともできた。一度はこれで終わりかと思っていたけれど、世界はずっと、ぼくたちが思っていた以上に便利で、私たちはあの後も私たちでいられることができた。


 海外にいる間、何度も心が折れそうになった。彼の高い体温と早い心臓の鼓動をどれだけ求めていただろう。でも、彼がいなくても一人で歩けたことは、私の心を少しだけ、強くしてくれたと思う。


 招待状を郵便受けに入れるために家を出た。ビルの間から見える狭い空を見ると、雄大な積乱雲が出迎えてくれた。照り付ける太陽と熱せられた地面が、エアコンで冷えた身体を強引に温める。半袖のTシャツがすぐに汗に濡れ始める。手汗で手に持った招待状が悪くなってしまわないか、少しだけ気になった。


 本当なら招待状なんて出さなくてもいい。LINEで一言連絡を入れるだけでもいいのだろうけれど、それだとなんだか味気ないと思って手作りの招待状を作った。私が初めてソロでする、小さなコンサート。昔に高瀬くんと見に行ったあの仙台の巨大なホールよりはずっと小さい場所だけれど、彼はきっと喜んでくれる。


 脇道にひっそりとポストが置いてある。たまにしか使わないけどそのポストが立っているところの上には大きな欅の木が生えていて、少しだけ涼しい。予定が合っているといいな、と願いながらポストに投函した。

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