第17話
次の日、ぼくらは悠花の家でピアノを聞いたり、昔話をしたりして遊んだ。昼食を一緒に作って食べ、気が向いたらお互いに甘えたりしていた。そしてあっさりと帰りの時間が訪れた。二人で話しながら駅まで歩いて向かい、来た新宿行の電車に乗った。ぼくを乗せるとすぐに車両のドアが閉まり、電車が新宿駅に向かって滑り出した。悠花はホームの上で涙をこらえながらぼくを見送った。帰りの電車の中で、ビルとビルの間に沈んでいく太陽を見た。
そのまま新宿駅で降りてから、バスターミナルへと向かう。車や人が行き来する摩天楼の中を、人々がせわしなく目的の方向に向かって歩いていた。太陽は既に沈んでいて、大小さまざまな光に町全体が照らされている。太陽がアスファルトに残した熱気が、地面から立ち昇っているのを感じた。
バスターミナルには各地へ向かうバスが次々と出発していた。そのほとんどが夜行バスで、人々はキャリーケースを引いていたりボストンバッグを背負っていたりする。ターミナル全体を照らす青白い蛍光灯がそれらを映し出して、なぜかやけに寂しく見えた。
ぼくの乗るバスは、定刻の10分前にバスターミナルに表れて乗客をすぐに受け入れた。荷物をトランクにしまって、指定された席に着く。バスの中には何とも言えない、バスの中のにおいとしか形容するしかない独特に香りが漂っていた。しばらくすると案内が始まって、ドアが閉まり出発した。
ゆっくりとバスターミナルを出発した夜行バスは、たくさんの煌びやかな灯りに照らされる新宿の街並みを横目に見ながら進んでいく。隣に地元の駅とは比較にならないほど巨大な新宿駅が堂々とした姿を見せている。
それ見て、やはり寂しさを感じた。これまで悠花はこの中の誰かだったけれど、今後はこの中にすらもいなくなってしまうのだと思った。海外なんて行ったこともないのに、海を越え、大陸も超えた地球の反対側というとてつもなく遠い距離が、なぜか新宿の街並みを見ていると分かるような気がしてきた。
とにかく眠ってしまえばよいと思った。眠って、目が覚めれば仙台に着く。そうすれば家に帰って、部屋を片付けたり課題をこなしたりしなければならない毎日が待っている。それをやればいいだけだ。バスが首都高を離れて東北自動車道へと走る中、ぼくはただ必死に、意識を泥の中に鎮めようと懸命に努力した。
しかし、目が覚めてもぼくはまだバスの中だった。ごとん、ごとんと不規則に揺れる車内はとてもではないが居心地が良いとは言えない。バスはもうすぐ安達太良サービスエリアにつきます、というアナウンスがあった。ここで20分程度の休憩があるらしい。
そのまましばらくすると、バスはゆっくりと速度を落としてサービスエリアに止まった。もう一度眠りにおちようと思ったけれど、それもできなかったので、少し、外に出てみることにした。
ドアを開けると全身を気怠い、湿気の多い空気が包み込んだ。サービスエリアの建物は人気がなく、バスが止まっている大型車両の駐車エリアには長距離トラックが休憩を取っている。街灯にはたくさんの蛾が乱舞していた。
建物の横に広場のようになっているエリアがあった。なんとなくそちらのほうに足を向けると、そこは展望台になっていた。本来、この場所からは安達太良山が見えるらしい。もちろん闇にまぎれて山影は見えなかった。ただ、山の方向からはねっとりとした風が吹きつけてきていて、そこに山があることをうかがわせた。
無駄な暖かさだと思った。こんなねっとりした風よりも、もっと確かな熱っぽさを持っている彼女の体温がもう懐かしくなっていた。もう既にそれぞれの道を歩み始めたばかりのぼくたちは、まさにこの瞬間離れていく最中だった。今彼女は何をしているんだろうと思った。留学での生活はどんな日々なのだろうと考えた。一つ確かなことは、彼女が過ごしている日々にはもう絶対に、ぼくはいないのだ。
そのままバスに向かった。足取りがとにかく重いと感じた。このままバスがぼくを置いて行って、ひとり取り残されて、そのまま展望台の闇の向こうに消えてなくれなればどうなるんだろう、それも悪くないかもしれないという、普段なら考えもしないことが頭をよぎった。ただそれをしても仕方がないので、とぼとぼと座席に向かう。
外出している乗客では自分が最後だったらしい。ぼくが戻るとバスはすぐに出発した。車の少ない東北自動車道をゆっくりと北へ向かっていく。
とにかく寝てしまおう。座席のリクライニングシートをもう少しだけ奥に倒して、ぼくは目をつむった。バスのタイヤが段差やものを踏み越えることがすごく気になっていたけれど、それでも目をつむり続けた。
次に起きた時、バスはもう高速を降りて、仙台の街中を走っていた。辺りの乗客は既に準備を始めていた。ぼくも眠い目をこすっていそいそと荷物をまとめる。時刻はまだ午前6時を回るころだ。
リクライニングシートから身体を起こして、肩と背中の痛みに気が付いた。慣れない体制で一晩を過ごしていたからだろう。バスが止まって降りてからも、少し凝りのようなものが身体に残った。
バスは仙台駅の手前で止まった。並んで順番にバスを降りると、早朝にも関わらず不快な熱を帯びた大気が全身を包み込む。太陽はまだ出ていない。そのまま歩道橋を登って仙台駅の中へと向かう。
早朝の仙台駅は人気が少ない。そのまま重い足取りで在来線へと向かった。仙台の電車は東京よりもずっと短いなと思った。ずっと素朴にできていて、ずっと単純だと思う。
車両の乗客は、ぼくともう一人だけだった。まだ目覚めていない街を横目に見ながら、ゆっくりと電車がプラットフォームを滑り出していく。昨晩バスの中でずっと目をつむっていたはずなのに、少しも疲れが取れていない。
ふと光が差し込んで、思わず目をつむった。電車が田畑の中を走っていて、その先にある林の間から朝日が差し込んでいた。朝日を見るのは本当に久しぶりだった。高校で見た音楽室の西日とも、東京で昨日見た太陽とも違う陽の光だった。
ふと悠花のお互いがんばろうね、という言葉を思い出した。頑張る、ということを意識的にした覚えはないけれど、彼女の言葉は不思議と素直に胸の中に入ってきていた。
ふとスマホを見ると咲夜からLINEが入っていた。
<東京はどうだった?明日なんだけど、よかったら俺の家に遊びに来ない?新しいゲーム買ったんだけど>
それを見て、返事を返すことにした。
<いいよ~。夜になったらそっち行くわ>
このまま電車は最寄り駅まで運んでくれる。あとは家に帰るだけだ。帰ったらまず朝食を作って、それから大学の課題が残っていないかどうか確認しようと思った。
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