第13話

 同じ市内とはいえ、広い仙台市の中では大学に行くにも一苦労がある。ぼくが進学した城北学院大学は仙台の駅から地下鉄に乗り換えてしばらくたつと最寄り駅につく。そこから10分ほどあるくと、住宅街の中に不釣り合いなほど大きなキャンパスが見えてくる。このキャンパスは大きいことだけが取り得なようで、周りには家ぐらいしかない。飲み屋とか飲食店とかゲーセンとかといった、若者が喜びそうなものは何もないから、学生連中は事業が終わるとさっさと青葉通に行ってしまうのだ。


「お~い」


 キャンパスを歩いていると咲耶が声をかけて来た。人垣の向こうからぼくを見つけてこちらのほうまで歩いてくる。人の流れとは逆の方向に歩いているはずなのに、身のこなしが良いのかあっという間にたどり着く。彼は一年の春の授業でたまたま隣になったという理由だけで話しかけてきた。


「お前今日何限までや?よかったら遊ぼうぜ」


「お、いいよ」


 軽く返事を返す。咲夜はいつしか何かと理由をつけてぼくの家に遊びに来るようになった。ぼくは大学進学を機に独り暮らしを始めた。両親はどうやら独り暮らしで生活感を身に着けてほしいと考えていたらしいし、自分自身も早く親元を離れて好き勝手やりたかった。最初はぼくの家になんて誰も来ることがないだろうと思っていたが、横にいる男のせいで頻繁に来客がある。まさか汚いままにしておくわけにもいかないから、ぼくの家は小綺麗になっている。


 ぼくは結局、仙台市内の大学に進学することができた。ほとんど落ちるだろうという想定の下に受けた国立大学の受験は想定通りの結果で、実質的な第一志望の私立学校が本命だった。そちらはあっけなく合格した。テストを受けているときもあまり苦戦した記憶がない。


 悠花は、東京の音大に合格した。春先にはほとんど無理だろうと言われていたが、実技も勉強もどんどんできるようになっていった。だから今悠花は、この街にはいない。ほとんど行ったこともないビル群の中で、彼女はピアノを勉強するために暮らしている。


 変わらないのは仙台平野と奥羽山脈の山並みだけだった。将棋部の連中も三々五々と地元を離れていき、高校時代の友人関係で仙台に残った奴はほとんどいなくなってしまった。地元に残ったクラスメイトもほとんど別の大学に行ってしまった。


 キャンパスを出て、最寄りの駅まで歩く。今日の授業は四限までだったから、日があるうちに家に帰ってこれた。玄関のドアを開け、咲耶のための準備をする。掃除などする義理もないのだが、部屋の隅に少し見えるホコリを雑巾で取って、蛇口周りを綺麗にしておく。


 しばらくすると、五限を終えた咲夜が友人を二人つれてやってきた。


「おいおい、それロング缶じゃねえか。おれこんなの飲めないぞ」


 咲夜の手にぶら下がったビニール袋の中には、500ml入りの缶が入っている。悪酔いすると噂の缶だ。悪評はよく知っている。


「まあ大丈夫大丈夫!さ、早く飲もうぜ」


 咲夜は授業のストレスから解放されたのか、酒を入れていないはずなのにもう酔っぱらってしまっているかのような口ぶりだ。コンビニで買ってきたらしい安物のツマミが机の上に並べられ、あっという間に飲み会が始まる。


 飲み会の話題はとりとめのないものが続く。単位の取りやすい授業の話、学校のサークルの話、とても女子に聞かせることのできない下ネタと、酔っ払いがするにはちょうどいい話題の薄さが心地良い。話はそのまま流行りの音楽の話になった。咲夜がどうしても紹介したいMVがあるらしい。


「お前さ、パソコン借りれる?」


 と言い出した。仕方がないので貸してやるとおぼつかない手つきでマウスを操作していく。しかし、動画サイトのトップまで移ったところで彼の手が止まった。


「ん?なんだこれ」


 咲夜が動画サイトを開いて、ある部分に目を落としている。〈あなたへのおすすめ〉の欄のところにクラシック曲が並んでいた。興味本位なのかそのままボタンを押すと、鍵盤を優しく叩く音がする。


「お前、こんなの聞いてるのか。いいよなクラシック。俺は全然分からんけど」


 そのまま数秒ほどで興味を失ったのか、彼はそのまま目的のMVを検索し始めた。


 大学に入ってから、俺は本を読んだり勉強をしたりするときに、クラシック曲を聴くことが習慣になった。とくにピアノ曲を選択して聞くようになった。あの音楽準備室でずっと悠花のピアノを聞きながら本を読んでいたからに違いない。


 高校三年間を通して、自分は淡々ととくに望みもなく生きてきたと思う。そこで抱き合って泣いている将棋部の連中のように、何かに必死になって努力をしてきたなんてことは一切なかった。淡々と過ごし、淡々と進路を決め、淡々と受験をして淡々と合格し、今に至った。


 望みもなくすべての事柄を受け入れて生きていくのだと思っていた。ただ、悠花の合格の時に素直に喜べなかったのは今も引っ掛かり続けている。


 悠花は、いまも東京にいる。たまにLINEを寄越して近況報告をしてくれるから、そのときによくやり取りをする。最近は決まって最後に、


〈早く会いたいね〉


 といった言葉が書き込まれるようになった。こうなると音大はうまくいっているのかとか、ピアノはどうなのかとか、余計なことをいちいち考え出すようになる。悠花のことを考える義務も義理もないはずだ。


「お前、たまにぼうっとしてるときがあるんだよな!何を考えてるんだよ、ははは」


 酔っぱらった咲夜に声を掛けられて我に返った。とっくのとうにMVは流れており、話題はすっかり別のものになっていた。


「ごめんごめん、明日までの課題やったっけって思って」


「おいおいそんなのやってなくてもサボるのが大学生ってもんだろぉ?ほら、お前だけ全然酒が進んでいねえじゃねえいか、ほら飲むぞ~」


 そうだ、もう飲むしかない。そう思って俺は酒に手を付けた。


 飲むしかない、飲むしかないんだ。

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