第11話
悠花からは、会場までついてきてほしいと言われた。今時わざわざ会場まで行かなくても分かるんだからネットで調べればいいじゃないかと行ったが、そっちのほうが面白そうという理由で突っぱねられ、それもついていくことにした。
会場には自分たちの他にも、何人かの生徒が見に来ていた。ネットの公開があるから全員はさすがに来ていないようだったがそれでも30人くらいは制服を着た生徒が見にきている。各々受験票と掲示板を見比べたり、喜んだり落胆してたりする。
「じゃあ、見に行ってくるね」
一喜一憂する生徒たちの中に、悠花も入っていった。あの天真爛漫な笑顔が崩れることがなければいいなと思う。
悠花が受かったら、東京に行く。そして自分はどうであれ、仙台に残る。
悠花は、この音大に落ちたら仙台の学校に行くと言っていた。そっちの受験は先に済ませて、もう受かったのだという。仙台の大学は音大ではないから、この受験に受からなければ音楽の道はあきらめることになるのだと言っていた。
当然卒業するから、もうあの準備室でピアノを聞くことはなくなる。大学が仙台なら、音楽サークルの発表なんかに悠花が入ればその発表会でピアノを聞けるだろうし、プライベートで会ってピアノを弾いてくれと言えば彼女は喜んで弾いてくれるだろう。ただ東京となればそうはいかない。長い距離をかけて新幹線で東京に行くのはいつになっても慣れないし、それに耐えても見えてくるのは全てを飲み込むようなコンクリートジャングルだ。あの中に悠花が行けば、彼女とぼくの接点は少なくなる。
ふいに風が吹き込んだ。今年一番の寒気が会場を一気に冷やした。ぼくが来ているコートの中にまで風が入ってきた。胸元に入れている、悠花から貰ったカイロの温もりが少し薄れた。
ふいに掲示板の人混みの中から小柄な人影がこちらに向かってかけてきた。地面が凍結しているにもかかわらず、それが今一番何事よりも優先して早くするべきだと全身で表現しながら、こちらでかけてくる。
答えはもう、聞かなくても分かっていた。
「あった!あったよ、高瀬くん!受かってた!」
しっかりと笑顔を作ることができたのは幸いだと思う。
帰り道、悠花は終始上機嫌だった。会場にいる間は落ちた生徒を気遣ってか控えめだったけれど、徐々に嬉しさが混みあがってきたらしい。
「高瀬くん、どうしよ、私ふわふわしてるかも」
そう言いながら悠花は自分のほっぺたを小さな手でぺしぺしとやったり、制服のスカートを手でぎゅっとつかんだりしている。
「うん、そうだね」
「引越しの準備もしないといけないし。ベッドとか机とか持っていくこともできないから買わないとね、あとアパートも契約しなきゃ!やることが一杯だね」
「そうだね」
「で、それで、あとは…」
そして悠花の言葉が止まった。周囲は相変わらず、合否の結果を見た彼らがそれぞれの反応を繰り広げている。冬の風が入り込んでいる。おめでとう、という言葉を重ねてあげたかったけれど、悠花の顔は単純な嬉しさだけを表現できなくなっていた。
「よかったじゃん!行っておいで、東京に」
何とか紡ぎ出した言葉がそれだった。今更なのかもしれないけれど、ぼくたちはそれぞれ別々の道を進まなければならないことに気が付いた。4月になったら、二人はそれぞれの町で毎日を過ごすことになる。
悠花は、眼を伏せたままでいる。今の僕たちを見たら、きっと落ちてしまったのだと思ったに違いない。ただ彼女にとってもぼくにとっても、音大に受かったという事実よりも別々に過ごさなければならなくなるという事実のほうが重いということを、否応なしに実感させられてしまっている。
「悠花」
なにか言葉をかけなければならない。離れていくのは悠花のほうだ。長期の休みで実家に帰ってこれるかもしれないし、自分が合いに行くこともできるではないか。ただ、それが彼女を支える言葉にならないことは明白だった。その程度ではない。ぼくと悠花が欲しいのはあのピアノを聞いたり漫画を読んだり、勉強を教えたりする毎日であって、たまに会う、なんてつまらないものではない。そのことをぼくは知っていた。おそらく、悠花も知っているだろう。だからといって、代わりに何か言葉を思いつくわけではない。ただ目の前の悲しんでいる女の子をなんとかしてあげなくてはならない。
そんなぼくの願いは、悠花が紡ぎ出した一言で全て崩れた。彼女は泣くのをなんとか我慢している、といった顔でぼくの顔を仰ぎ見ると
「高瀬くん、ごめんね」
と言った。
帰り道の間、ぼくらは何も言葉を交わすことができなかった。ほとんど形式上でしかない別れの挨拶を交わして、ぼくは一人で自分の家にまで帰った。帰ると親が新しい住まいのチラシを持ってきてくれていて、そのことについて事務的に話していたのを覚えている。
翌日も翌々日も、悠花から連絡はなかった。悠花に何度かLINEを送ったけれど、高校三年のこの時期に授業はない。大学に受かってしまえば一気に暇になってしまう。ぼくは大学にうかったら一人暮らしをすることになっていたからそれに向けての準備があったけれど、それも今までの受験勉強に比べれば大したものではない。
あまりLINEをしてもかえって彼女が不安に感じてしまうのではないかと思って、連絡をすることはなかった。その間は受験に受かった将棋部の連中と遊びに行ったり、家で漫画を読んだりゲームをしたりして過ごした。日々はこれまで以上の速さで過ぎ去っていき、そしてあっさりと、卒業式の日を迎えた。
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