第7話 神の祝福

 翌日、シェリルが朝食を済ませて意気揚々と山へ入ろうとしたら、セイランも一緒に行くと言い出した。


「お待ちください! セイラン様は尊い御身ですので、万が一なにかあったら私は後悔してもしきれません!」

「愛しい妻を危険な山へひとりで行かせるほど、俺が薄情な夫だと思うのか?」


 セイランの反論にグッと言葉が詰まる。

 シェリルが読んできた書物にも、夫婦とは互いに尊重し思いやりを持つものだと書かれていた。だからセイランの言っていることは、理想通りの言葉なのだと思う。


 だが、そんな風に愛情を示してもらったことがないシェリルは、セイランへの返答に勢いをなくした。


「ですが、私は初めて山に入ります。セイラン様をお守りできるかわかりません」

「大丈夫だ。何人たりとも俺に危害を加えることはできない。それに初めてなら余計に放って置けない」

「セイラン様は魔物を討伐できるのですか?」

「俺に牙を剥く奴らに天罰を下すことができるな」

「天罰とは、いったいどのような……?」


 シェリルは塔で読んだ建国の話が記された古書の内容を思い浮かべる。


(そういえば初代国王も厄神様を倒そうとして国が壊滅寸前になっていたわね……それが天罰だったのかしら?)


 もしそうだとしたなら、山へ入ったことすらないシェリルよりよほど頼りになるのではないか。


「その時々によって変わるが……魔物相手なら天からいかづちが降ってくる」

「なるほど! ではセイラン様は常に安全ですね! よかった……もしお怪我でもされたら大変だと思ったのです」

「シェリルは本当にかわいいことを言うな」

「いえ! 妻として当然のことしか口にしておりませんが!?」


 急に甘い視線を向けるセイランに慌てたシェリルは、早鐘のような心臓を宥めつつ修道院を出発した。


 土地勘がないシェリルは目印として木に印をつけながら、鬱蒼と生い茂る木々の間を進んでいく。これも本から得た知識で、山の中で迷わないようにするための手法だ。


 セイランはおとなしくシェリルの後をついてくるが、魔物が襲いかかってきた時のことを想定して気が抜けない。


(いくら天罰を下せるから大丈夫だと言っても、できることならセイラン様に危険がないようにしたいわ)


 シェリルは王城で読んだ本の内容を思い浮かべた。魔物が近づいてきた時は匂いがして、肌がピリピリとするらしい。そういった感覚がないか、五感をフルに活用しながら足を進めている。


「……来たな」


 セイランの言葉に遅れて反応したシェリルは、確かに獣臭と鳥肌が立つような感覚に襲われた。


(ひえっ! ゾクゾクする……これが魔物の気配ね! こんな感覚は初めて!)


 初めての経験に戸惑いながら、シェリルは戦闘の準備を整える。魔物によって弱点になる魔法が変わるので、いつでも魔法を放てるように両手に魔力を集めた。


 ガサガサッと大きな音を立てて、魔物が現れる。大きな鋭い牙に魔物特有の真紅の瞳、真っ黒な躯体は丸々としていて弾けそうだ。大きめの耳と特徴的な豚鼻がヒクヒクと動いている。


 魔物肉の中でも極上の味わいだと評価される、ブラックポークと呼ばれる魔物だった。


「まああああ!! 極上のお肉だわ!!」


 ブラックポークはなかなかお目にかかれない。それが初めて山に入ったシェリルの前に姿を見せたので、興奮気味に魔法を放つ。


「アイスキャノン!」


 シェリルは放った氷の砲弾が見事に命中して、丸々としたブラックポークを呑み込んだ。


「セイラン様! やりましたわ! 私、初めて魔物を仕留めました! これで美味しいお肉が食べられますわ!」


 なにもかも初めてのことで、シェリルは嬉々としてセイランへ振り向く。宝石よりも美しい琥珀色の瞳を細め、セイランはシェリルを優しく見つめていた。


「ああ、すごいな。さすがは我が妻だ」

「きっとビギナーズラックですわ。たまたま出てきたのがブラックポークなのも、一発で仕留められたのも、運が良かっただけですもの」

「そうだな。俺の与えた祝福がしっかりと機能しているようだ」

「セイラン様の祝福ですか?」

「俺は幸運を司る神だから、妻であるシェリルにも当然祝福がもたらされる。今回のように望む魔物が現れたり、魔法がクリティカルヒットしたり、人生をよくする出会に恵まれたりな」


 セイランは幸運の神だとシェリルは初めて耳にした。確かにカレンベルク王国は豊かで先進的な発明もしていたけれど、この国だけ度重なる災害に見舞われたり病が大流行したりしていた。


 他国へ助けを求めてもなにかしら妨害され、手遅れになったこともあったのだ。


(もしかして、災害や流行病が多かったのは幸運に見放されていたから……?)


 運に見放された国カレンベルク。もしこの先、未曾有の出来事が起きたら乗り越えられるのかとシェリルは考えた。


(……でも、優秀な国王陛下たちなら、きっとなんとかできるわよね)


 今までもたくさん指導してくれた王族のことだからなにも心配ないと考え直し、シェリルは軽々とブラックポークを担ぐセイランに視線を向ける。


 シェリルはセイランの妻になり、これからはその役目をしっかり果たしていかなければならない。優しく琥珀色の瞳を細める夫のために、すべてを捧げるのだ。


「これからもっとセイラン様に満足していただけるよう頑張りますわ! 幸運の祝福も活用します!」

「そうだな。罠でも仕掛けたらいい獲物がかかっていると思うぞ?」

「まああ! そうですわね! 帰り道で仕掛けて戻りましょう!」


 罠の材料はその場にあるもので調達し、簡単な罠を仕掛けてシェリルたちは山を下りた。




「お、お、お、お、お肉だ——!!」


 氷漬けになったブラックポークを見たライラが、目を輝かせながら駆け寄ってきた。


「ふふふ、これだけあればお腹いっぱいお肉が食べられますね」

「お腹いっぱい……! いいの? わたしも食べていいの?」

「もちろんですわ。ライラさんにも食べてもらいたくて狩ってきたのです」

「わああ! おねーちゃん、ありがとう!!」


 感極まったライラはついにシェリルを修道院で暮らす家族だと認め、弾けんばかりの笑顔をシェリルに向けた。

 たかが肉、されど肉である。


(まあああああ! ライラさんにおねーちゃん呼びされましたわ……!)


 この後、ライラの絶妙な火炎魔法で焼かれたブラックポークをみんなで仲良くいただいた。






 シェリルが厄神の修道院にやってきて三ヶ月が経った。王城の書庫で蓄えてきた知識を活かし、着々と生活が改善されつつある。


 まず畑だが、土壌を改善したことにより作物がすくすくと育つようになった。青々とした葉が空に向かってまっすぐに伸びている。

 マルティナが贅沢にも聖女の結界を張ったので作物に聖なる力が及び通常の半分ほどの期間で収穫できそうだ。


「結界栽培が最高すぎます……!」

「ばーちゃんは大聖女様だったから、すごいんだよ!」


 ライラとは畑作業で接する機会が増えて、作物については気軽に話せるようになった。


「マルティナ様がいたら大農園もできそうですね!」

「うーん、そこまで大きくなったら、わたしひとりじゃ無理かな……」

「その時は誰か雇いましょう」

「でも、こんなところで働く人なんていないよ?」

「あ……申し訳ござません。失念していました」


 シェリルがここに来てしばらく経つが、定期的に食料を届けにやってくる以外に訪れる者はいない。その分のんびりまったり過ごせているが、あまり畑を大きくし過ぎてライラに負担をかけるわけにはいかないようだ。


「はあ、残念です……」

「シェリル。働く人間がほしいのか?」


 いつもシェリルのそばに寄り添うセイランが憂いを含んだ妻の声に反応する。


「セイラン様、そうなのです。せっかくマルティナ様の素晴らしい結界と、ライラの卓越した魔法で大農園を目指せそうなのですが、管理する人間が足りないようですわ」

「……そうか。まあ、しばらく待っていろ。シェリルにはこの俺の祝福を与えたからな」


 シェリルがセイランの祝福を受けてから、嬉しいことがたくさん起きている。それは人との出会いだったり、欲しい物が手に入ったり、大金が転がり込んだりと、さまざまな形で具現化するのだ。


「そうなのですか? それではセイラン様の祝福に期待しています!」


 すでにこの三カ月で嬉しいことが次々と起きている。


 山に入り罠を仕掛ければ魔物のブラックポークやジャイアントラビットが掛かっていて、極上の肉をお腹いっぱい食べられた。魔物の肉は魔力が含まれているので、魔女のライラや聖女のマルティナにとって栄養を摂取する以上に嬉しい効果がある。


 魔力量が増えたり、魔法の効果が高くなったりするのだ。ただ、こういった食材は一般的ではないので、王都に住む貴族や民たちは口にしない。そもそも魔物を食べるということ自体避けられている。


「ライラさん、私はコカトリスのお世話をしてきます」

「うん、わかった! わたしはもうちょっと畑仕事してるね」


 シェリルはライラに手を振り、毎朝の食卓に欠かせない卵を産んでくれるコカトリスの小屋へ向かった。

 このコカトリスも魔物で、魔力を含んだ上質な卵を産み落とす。卵の味は濃厚で栄養価も高い。こうして少しずつ自給自足できるようにしていた。




 それから一週間後、シェリルをここまで連れてきた護送騎士が再びやってきた。ライラはマルティナを呼びに行っているのでシェリルが対応を続ける。セイランは護送騎士の死角に隠れて見守っていた。


「シェリル様……! ああ、お元気そうにされていて、本当に本当に……!」

「まあ! 護送騎士さん、その節はお世話になりました!」


 護送騎士はシェリルが生贄になっていたと思っていたので、驚きと嬉しさで言葉に詰まっている。

 さすがに厄神の花嫁になったとは言えず、シェリルは要件を聞き出すことにした。


「あの、もしかして……」

「はあ、すみません。厄神の修道院送りとなった人物を連れてまいりました」


 シェリルがここへ来た時と同じように、薄汚れた麻の服を身のまとっている。だが、それはよく見知った顔でシェリルは心底驚いた。


「その顔はなによ! それに、あんたは生贄として死んだんじゃなかったの!?」

「ベアトリス様……!?」


 あれほど美しく結い上げていた金髪は艶もなくボサボサで、腰まであった髪は肩の上でカットされている。


 シェリルを敵のように見つめる紅い瞳はまるで燃え盛る炎のようだ。


「いったい、なにがあったのですか……?」


 カレンベルク王国の王太子妃だったベアトリスが、なぜか厄神の修道院へとやってきた。



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