第6話 花嫁の新たな目標

 セイランの魂の伴侶となったシェリルだが、生贄として終わる予定だったのでその根幹がなくなった。これからなにを目標にしたらいいのか、なにも思い浮かばない。


(どうしましょう……生贄以外の生き方なんて想像したこともないけれど、これからどうしたらいいのかしら?)


 これでも王女としての責任感はあるので、なんとか国の役に立ちたいと考えている。そのために必要な鍛錬であれば、どんなことでもこなす自信はあった。


「シェリル、難しい顔をしてどうした?」

「はい、今までは極上の生贄になることが目的だったのですが、これからはなにを目指して鍛錬したらよいのかと考えておりました」

「わかりきったことを言うな」

「……?」


 シェリルはセイランの言いたいことがさっぱりわからなくて、首を傾げる。


「シェリルは俺の妻になったのだから、俺と幸せになることを考えればいい」

「っ! なるほど、セイラン様と快適に過ごすために鍛錬すればよいのですね! わかりました!!」

「うん? 鍛錬は必要ないぞ?」

「いいえ、妻になるための鍛錬は一ミリも積んでおりませんので、実力不足は否めません! この国どころか夫の役に立たない妻など言語道断です!」


 どうやらセイランは、とんでもなく妻を甘やかすタイプらしいとシェリルは思った。目的が変われば鍛錬方法も変わるのは当然だし、一からのやり直しになるのだって当たり前のことだ。


 すでに契りは結んだので、一刻も早くセイランの妻にふさわしくなる必要がある。それゆえセイランの甘言は聞き流すしかないのだ。


「いや、別に役に立たないなんて思ってな——」

「大変申し訳ございません! 必ずやお役に立てるよう精進いたします!」

「……そうか。まあ、無理だけはするな」

「はい! ありがとうございます!」


 なにかをあきらめた様子のセイランを不思議に思いながら、シェリルはなにから取り掛かろうかと考える。


 隣で「面白い夫婦だね」「うん、見てるだけで楽しいね」とマルティナとライラが会話していたが、真剣に考え事をしているシェリルの耳には届いていない。


 一般的に屋敷の管理は妻の役目だ。つまりこの修道院の状況を把握し、快適に過ごせるようにするのが、シェリルの初仕事になる。


 マルティナから修道院について詳しく話を聞くと、過酷な現状が浮き彫りになった。


「食料は二週間に一度、保存食のみが配給されるのですね。畑も野菜が枯れてしまうから育てられないとなると、食料の確保が難しいですね」

「こんな辺鄙なところではね。せめて山に入って狩りができれば肉は手に入るんだけど、私は攻撃魔法が使えないし、かといってライラを連れていくにも危険すぎるんだよ」


 厄神の修道院は山奥にあり、簡単に人が来れる場所ではない。まずは生きていくための十分な食糧を、できるだけ現地で調達する必要があるとシェリルは考えた。


「そうですね。わかりました、それでは一度畑を見せていただけますか?」

「まあ、それは構わないけど……どうにもならないと思うよ」

「これでも本はたくさん読んできましたので、なにかのお役に立てるかもしれません」

「そう……ライラ、案内を頼めるかい?」

「うん、わかった」


 ライラの案内で、シェリルとセイランは修道院の裏手にある畑にやってきた。数種類の野菜が植えられているが、どれも発育はいまいちのようだ。


 シェリルは断りを入れて人参を一本抜いてみたが、図鑑や料理本に載っていたのと違って実は育っておらず葉も元気がない。土を手に取ってみると乾燥気味でサラサラとしていた。


「ばーちゃんも結界を張ってくれてるし、肥料も工夫しているけどうまくいかなくて、あんまり育たないしすぐに枯れちゃったりするの」

「そう……どんな肥料を撒いているのですか?」

「こっちにある」


 ライラが畑の横にある古屋の中に入り、シェリルたちに石灰や堆肥を見せた。シェリルは本から得た知識を頭の中で目まぐるしく展開していく。


(うーん、道具や材料に問題はないみたい。それなら配分や土の酸性度の問題かも)


「ライラさん、土が野菜作りに適しているか調べる魔道具はありますか?」

「うーん、それはわからないけど、変な魔道具ならある」


 古屋の奥に設置されている棚の箱から、ライラは体温計のような形をした魔道具を取り出してきた。それは土に差し込むと光りを放つのだが、酸性度合いによって色が変わる魔道具で野菜作りには欠かせないものだ。


「使い方がよくわからなくて、今まで使ってなかったの……」

「まあ、これがあるなら後は簡単です!」

「本当!?」


 シェリルはにっこりを笑い野菜ごとに適した色があり、石灰の割合を調整するのだと教えた。するとライラは土魔法を操り、畑の土をどんどん最適な状態にしていく。


「まああ! ライラは魔法を操るのが上手ですね! こんなに短時間で畑を整えるなんて素晴らしいですわ!」

「そ……そうかな? 普通だよ」


 頬をほんのりと桃色に染めてそっぽを向くライラを抱きしめたくなったが、シェリルはグッとこらえた。今日出会ったばかりだし焦りは禁物だ。


(これなら畑はライラとマルティナ様にお任せしてもよさそうだわ。それなら、私は……)


 野菜が収穫できるまで他の食材が調達できないか、シェリルは思案した。山奥のため修道院の周りは木々が生い茂り、魔物がウヨウヨしている。


(山で栄養価の高い薬草や果実を採ったり、魔物を狩ったりしたらどうかしら?)


 シェリルはこれでも王族なので魔力はそこそこあるし、魔導書を読んだ時にこっそり練習していたので、ある程度は魔法を使えるからなんとかなりそうだ。


「ではお肉は私が調達してきましょう! 今日はもうすぐ日が暮れるので、明日行きますわ!」

「お肉……!」


 ライラがキラキラとした瞳でシェリルを見つめる。やはり成長期の子供だから肉を欲するのだろう、育児書に書いてあった通りだとシェリルは思った。


(もしかして、お肉を獲ってきたら『お姉様』と呼んでくれるかしら!?)


 そんな下心を秘めて、ライラの期待を一身に背負ったシェリルは気合を入れた。




 その後、あり合わせの食材を使い四人で夕食を済ませた。空腹が満たされ入浴をするように勧められて、シェリルはハッと気が付く。


「あの、セイラン様からお先にどうぞ。ずっと石像になっていらっしゃったので、ゆっくりしてくださいませ」

「俺よりシェリルの方が長旅で疲れているだろう」

「いえ、大丈夫です! それも鍛錬の一環です!」

「そうか。では一緒に入ろう」


 セイランの発言にシェリルはぱちくりとして、意味を理解した途端顔から火が出るほど真っ赤になった。確かに夫婦となったのだが、一緒に風呂に入るなどハードルが高すぎてシェリルには無理だ。


「一緒!? えええええ、遠慮します!!」

「夫婦なのだから遠慮する必要はないぞ」

「いえいえいえいえいえ! 私にも恥じらいというものがありますので!」


 なんとかセイランを退けたシェリルは、気持ちを落ち着かせようとお茶を口に運ぶ。

 シェリルの全力の拒否にセイランはクスリと笑った。もう少し妻の恥じらう様子が見たくて、セイランはシェリルの耳元で甘く囁く。


「へえ……恥じらうシェリルもかわいいな」

「ぶほぉ!!」


 夫の刺激的な愛情表現を受けて、シェリルは口に含んだばかりのお茶を盛大に吹き出してしまった。何事も笑顔で受け止めるように鍛錬してきたのに、なんというみっともない真似をしてしまったのかと涙ぐむ。


「ここは俺が片付けるから、おとなしく風呂に入ってこい」

「ごふっ、ごふっ、で、ですが……」

「なんだ、そんなに俺と一緒に入りたいのか?」

「いえ、申し訳ございません。お、お風呂に入ってきます……」


 やっとのことで頭も身体も洗い終え、シェリルは湯船の中に体を沈めた。


(今日はいろんなことがあったわ……)


 温かいお湯に心も身体もほぐされて、シェリルはほうっと息を吐く。

 二週間かけてようやく厄神の修道院へ到着し、それからセイランの妻になり、畑の土壌改良を手伝い、夫に翻弄された。


「まさか、生贄ではなくて花嫁になるとは思っていなかったわ。それに本で読んだことが役に立って嬉しかった……」


 シェリルにとっては、自由になんでもできるこの環境が素晴らしく、どんな経験でも楽しく感じていた。それでも夫であるセイランをはじめ、マルティナとライラにも笑顔で過ごしてもらいたいと思っている。

 そのためにどんなことでもしようと決意を固めた。




     * * *




 その頃、セイランはシェリルの私室でくつろいでいたが、ノックの音とともにマルティナが部屋へ入ってきた。


「厄神様」

「……聖女か。なんの用だ?」


 マルティナの表情は重く苦しく、楽しい話ではないようだ。愛しい妻のためならどんな重い話でも喜んで聞くが、正直なところセイランは妻以外の人間に興味はない。


 シェリルには決して見せない冷めた視線をマルティナに向けて、先を促した。


「シェリルと永遠の契りを結ばれましたが、あの子はその意味を知っているのですか?」


 どんな話かと思えばセイランにとってはくだらない内容だし、それがこの聖女に関係ないことなので深いため息を吐く。


「さあな。俺はなにも話していない」

「シェリルがなにも知らずに契りを交わしたとしたら、いくら神といえどあまりにも身勝手ではないですか!?」

「身勝手とはおかしなことを言う。そもそも俺は人間の常識で物事を考えていない」

「そんな……! 残酷な現実を知った時にどれだけシェリルが悲しむか……!」

「黙れ。魂の伴侶をどれだけ渇望して待っていたと思っている? 話がそれだけならもう終わりだ。部屋から出ていけ」


 聖女はまだなにか言いたそうにしていたが、あきらめた様子で部屋から去っていった。


(千年待ったんだ。……彼女が生まれ変わって俺に会いにきてくれるのを)


 神が本気で人間を愛したなら、人間の想像をはるかに超えた執着と独占欲に支配される。それこそ千年もの間、孤独に耐え狂愛に蝕まれても、一途に妻の生まれ変わりを待つほどに。


(もう、二度と手離さない……)


 シェリルがどんなに逃げても、泣き叫んでも、絶望しても、もう永遠の契りは覆らない。

 たとえ狂気を孕んだ神の愛を注がれても、シェリルはセイランの灼けつくような熱を受け止めるしかないのだ。



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