第5話 生贄を捧げた王家

 王太子妃ベアトリスは、カレンベルクの王族がやっと正しく機能しはじめたと満足げに笑みを浮かべていた。シェリルが追われるように王城から去って、空気まで変わったような気がする。


「うふふ、今日も空気が綺麗ね」

「ベアトリスは最近はずっとご機嫌だな」

「そうね。クレイグがわたくしだけを見てくれるからよ」

「なにを言っている。ずっとベアトリスしか見ていないだろう?」


 夫であるクレイグの言葉に、ベアトリスはこめかみがピクリと引きつった。


 ある日、ベアトリスは王女を閉じ込めていた塔で、クレイグが変態じみた欲望を満たしているところを見てしまったのだ。ましてや、半分血のつながった妹を女として見ていたことを、ベアトリスが知っていると夫が気付く様子はない。


 ベアトリスはこれまで王太子妃の、ゆくゆくは王妃の座を手に入れるためにあらゆる手を使ってきた。


 ライバルを蹴落とすために取り巻きを使って嫌がらせをしたり、それでもあきらめない者には毒を盛って脅したりした。それでもめげない愚か者には、ごろつきを雇って襲わせ傷物にしたこともある。とにかく常に自分が一番でいようと手を回し、父もそんなベアトリスを手厚くサポートしてくれた。


 そんな努力が功を奏してやっとのことで王太子妃の座についたのに、夫は変態で異母妹に欲情している。


 あまりの屈辱に頭がおかしくなりそうだった。あんな生贄としてしか価値のないシェリルに女として負けていると宣言されたも同然だった。


 ベアトリスは夫の視線が自分に向いていないことに我慢ならなかったし、生贄ならさっさと厄神のもとへ行けばいいと考える。


 なんの役にも立たずに、ただ塔の中で過ごしているシェリルがいるだけでベアトリスは許せない。そこでシェリルを罠にはめて、直ちに厄神の修道院へ送ろうと計画したのだ。


 そこでベアトリスはシェリルの元を何度も訪れた。その後は必ずクレイグの前で『シェリルはいつもあんな態度なのか』と落ち込んだ様子を見せた。


 そうして三カ月くらい経った頃、ベアトリスは大きく仕掛けた。


『……クレイグ、わたくしもう無理だわ!』

『え? 突然どうしたのだ?』

『王族の勤めだと思ってシェリルの元を尋ねていたけれど、いつもいつもわたくしには反抗的な態度で、代わりにわたくしが生贄になればいいと言われたの……』


 そう言って泣いたふりをしながらクレイグの胸に抱きつき、夫を味方につけたのだ。


 それから国王や王妃、第二王子のロジェにも話が伝わるように仕向けて、精神的に参っている演技を続ける。シェリルの母親は身分の低いメイドだったから、ここまですれば後は簡単だった。


 国王たちは生贄であるシェリルが逃げ出し、厄神が復活するのではと不安に駆られ、躍起になってシェリルの断罪を進めた。


 さらにベアトリスは自分の立場を完璧なものにするため、もうひとつ手を打っていた。


(わたくしの状況も理解できない本当に馬鹿な夫ね。まあ、馬鹿だから魅了の魔道具を使われても気が付かないのだけど)


 シェリルを確実に追い出すため、魅了の魔道具を使い王族を取り込み、ベアトリスの言い分だけを信じるように誘導した。これも父がベアトリスのために用意したもので、ピンクの魔石がついたネックレスは古代の魔道具だと聞かされている。


 魅了したい相手の瞳にネックレスを映して魔力を流せば、魅了魔法と同じ効果が出るのだ。ベアトリスは常に魅了のネックレスをつけて、王族と接する時は魔力を流し続けている。


 それ以外は権力でねじ伏せ思いのままにしており、ベアトリスを邪魔する者はもうどこにもいない。


「そうね、これからもわたくしだけを見て、誰よりもなによりも大切にしてくださいませ」

「ああ、もちろんだとも」


 首元で淡く光るピンクの魔石が王太子の瞳に写り、愚かな王族はそれからも性悪な王太子妃の意のままに操られた。


(シェリルの予算なんて微々たるものだけれど、浮いた分は全部わたくしがいただきましょう。それからもう少し夜会を増やしたいわ。こんな変態の夫でも我慢しているのだから、その埋め合わせをしてもらわないとね)


 それからもベアトリスの要望はどんどんエスカレートしていく。


「ねえ、お義父様。わたくしに反抗的な貴族がいるのですが、どうしたらよろしいでしょうか?」

「なんだと!? ベアトリスに反抗するなど私が許さん! 今すぐ人事を刷新しろ!」


 国王のひと声で、苦言しか口にしない補佐を地方へ飛ばし、父の息がかかった臣下を後釜に据えた。それからはますますベアトリスの政務が捗り、夜会の回数は以前の倍に増やすことができて大満足だった。


 次に夜会で着るためのドレスも特別にあつらえるため、王太子妃の予算も倍に申請する。すると翌日のお茶会で王妃から釘を刺された。


「ベアトリス。最近ドレスを購入しすぎだわ。予算も多すぎるから減らしなさい」


 魅了のネックレスに魔力を注ぎながら、ベアトリスは胸を張って答える。


「お義母様。これは必要経費なのです。夜会でわたくしが美しく最高の女性になるためにはこれでも足りないくらいですわ」

「……そうね、そうよね! 嫌だわ、わたしったら……ベアトリスは王家の華なのだから、思う存分着飾りなさい」

「うふふ、ありがとうございます」


 次にベアトリスは、第二王子のロジェと親密になろうと考える。クレイグはオレンジブラウンの髪に碧眼で太陽のような美貌だが、義弟は黒髪と新緑の瞳でキリッとした冷酷な眼差しをしており夫とは違った魅力を持っていた。


(タイプの違う兄弟に愛されるのもいいわね……この国の一番高貴な令息はわたくししか見ていないなんて、想像しただけで気分がいいわ……! あんな変態夫だけ相手する必要はないのよ!)


 そこでクレイグが隣国の視察へ出かけている間に、ベアトリスはロジェへ近づく。

 クレイグが隣国へ旅立った日の夜、クレイグのことで相談があると言ってロジェの部屋を訪れた。


「ロジェ、貴方がわたくしに熱い視線を向けているのは気付いていたわ。もう我慢しないで」

「はあ? なにを言っているのですか、義姉上。兄上のことで相談があると……」

「ロジェはわたくしを愛しているのでしょう?」

「……そう、ですね。どうして今まで気が付かなかったのか。義姉上、オレは貴女を愛している」


 ベアトリスの胸元でピンク色の魔石が淡く光っていた。虚ろな状態でベアトリスに愛を囁くロジェに満足したのだった。


 優秀だった文官は地方へ左遷され、ベアトリスに従順な貴族だけが国政を取り仕切っている。それによってベアトリスに苦言を呈する者はおらず、じわじわと迫る財政難に気が付かない。


 夜会の回数は以前の倍に増え、王太子妃にありえないほどの予算を割き、王族はベアトリスの言うことをなんでも聞いた。


 本来であれば王族は魅了の魔法に抵抗力があるため、このようなことにはならない。しかし今回は魅了のネックレスを使っており、魔道具であったため特殊な条件が働いていた。


 魅了のネックレスについているピンクの魔石は魔女の涙でできており、魔力の抵抗を受けずに人々の心を五〇パーセントの確率で強力に惹きつける。あくまでも二分の一の確率だが、運悪くカレンベルクの王族たちは当たりを引き続けた。


 絶望的なまでの不運が音もなく王族を襲っているが、当の本人たちはそのことに気が付いていない。


 その代わりに、カレンベルクの王族に忠誠を誓ってきた貴族たちが、異変に気付き始めた。

 最初に異変を感じ取ったのは宰相スペンサーだ。


 予算の分配が明らかにおかしいのに、国王は納得できるだけの理由を示さずそのまま予算案を通した。賢王とまではいかなくとも、国が困窮しない程度には運営してきたのだ。


 その変貌ぶりにスペンサーは焦燥感が募る。


(なにかがおかしい……なぜ陛下はこんな馬鹿げた予算を通したのだ? ベアトリス様の予算を倍にして、夜会もこのペースで開催し続けたら、国庫が尽きてしまうぞ……! シェリル王女が身を挺して生贄になってくださったというのに……!!)


 通常、厄神の修道院へ生贄を送るとその後二十年は平穏が訪れるものだ。

 国のためにその命を捧げる王女に対して、貴族たちは崇敬の念を抱いている。歳若き乙女が死への旅路を進む心情を考えると、同じ年頃の娘を持つ当主たちは胸を痛めた。


 シェリルが断罪されたことも、スペンサーは納得がいっていなかった。証拠はベアトリスの証言だけで、物的証拠はなにもなかったのだ。


 それに、今回は二年も早く生贄を送ったのに、坂道を転げ落ちるように状況がひどくなっていくばかりで問題はなにも解決していない。


(王女の献身をこんな愚かな者たちに潰されるなど、許されるはずがない! しかし、ロジェ殿下もベアトリス様にただならぬ視線を向けているから、今の王族で頼れる人間がいない……このままでは国が滅びる)


 スペンサーは宰相として国のためになにをすべきか、覚悟を持って決断した。



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