第4話 厄神を復活させてしまいました
「まあああああああ!! 厄神様ですか!?」
「ああ、そうだ」
シェリルは深く深呼吸をした。
(なんてこと! 厄神様が復活されたなんて! さっき見た厄神様の像も素敵だったけれど、本物はその百倍は素敵だわ……! いえ、ちょっと待って。厄神様が復活? 鎮めたのではなくて、復活ぅぅぅぅ!?!?)
シェリルは一気に青ざめる。シェリルの役目は厄神の生贄となり荒ぶる神を鎮めることなのだが、こともあろうに来て早々、厄神を復活させてしまったのだ。
よく見たら厄神の像が跡形もなく消え去っていて、シェリルは卒倒しそうになる。
「もっ! 申し訳ございませんっ!! 私の命を差し出しますので、厄神様のお怒りをどうか鎮めていただけないでしょうか!! 至らない私では用をなさないかもしれませんが、どうかひとえにこの国の罪をご容赦いただきたく……!!!!」
必死に厄神の怒りを鎮めようとシェリルは懇願した。膝をついていたので、そのまま頭も床にこすりつけてなんとかしようともがく。
「シェリル」
「はいっ!!」
厄神に声をかけられてシェリルはビクッと肩を震わせた。床に額をつけているシェリルの肩に厄神の手が触れて、その存在感をありありと感じる。厄神はシェリルを優しく起こし、うっとりした表情で言葉をかけた。
「やっと会えたな。俺の名を……セイランと呼んでくれ」
「は、はい、セイラン様」
厄神に言われるがままシェリルは神の名を呼んだ。
名前呼びに満足したセイランはますます笑みを深め、狂愛に満ちた琥珀色の瞳と視線が絡まる。
「シェリル。我が花嫁よ、お前を何者からも守り、永遠に愛を注ぐとここに誓おう」
「は、花嫁とは……?」
セイランの話す内容がいまいち理解できないシェリルは恐る恐る尋ねてみた。
「シェリルは俺の魂の伴侶だ。よって人間でいうところの花嫁、妻になる」
「えええ! 厄神様に生贄として命を捧げるつもりでしたのに、どうしましょう!? これでは国のため役に立てません!! 謹んで辞退いたします!!」
「……お前に拒否権はないし、黙って俺に愛されればいい。たった今からシェリルは俺の妻だ」
「そ、そんな……!!」
十八年間かけて培ってきた生贄としてのプライドにかけて断ったが、あっさり否定されシェリルは絶望に染まる。
「……シェリルは俺に愛を誓ってくれないのか?」
「私のような役立たずがセイラン様と愛を交わすなど、言語道断です!」
悲しそうに眉尻を下げるセイランに心臓がギュッと掴まれるが、いくら神に愛を囁かれても妻になるのはシェリルのお役目ではない。
シェリルは生贄として、あくまでも命を捧げるつもりだったのだ。すでにセイランの中ではシェリルが花嫁だと認定されているようだが、万が一厄でも粗相をして怒らせたら国が滅亡しかねない。
「ふーん、まあ、いい。時間はたっぷりとあるしな?」
妖艶に微笑むセイランを前に、シェリルは引き攣った笑みを浮かべる。
「なにを騒いでいるんだい!」
シェリルが騒いでいるのを聞きつけて、マルティナとライラが様子を見にやってきた。シェリルがどう説明したらいいのか悩んでいると、カツカツとふたりの足跡が近づいてきて、ふと音がやむ。
「……そこの不審者、ここがどこかわかってるんだろうね?」
「ばーちゃん、ヤッていい?」
「私が結界張ったらぶっ放しな!」
マルティナとライラはどうやらセイランを不審者と勘違いして、排除するつもりのようだ。
「待ってください! このお方は——」
「今だよ、ライラ!」
「りょーかい」
シェリルが止める間もなくセイランの周囲に国防レベルの結界が張られ、ライラの両手から紅蓮の炎が飛び出した。
(あああああ!!!! セイラン様が! セイラン様がお怒りになってしまうわ——!!!!)
結界の中はまるで地獄の業火に包まれたようだ。シェリルは気が遠くなりそうだったが、なんとかこらえて腹の底から叫んだ。
「やめてください! こちらのお方は厄神様なのです——!!」
炎と結界が消え去り、かすり傷ひとつついていないセイランが姿を現す。まるで時間が止まったような静寂に包まれた。
三拍ほど遅れて絶叫が礼拝堂に響き渡り、シェリルの鼓膜を激しく震わせる。
「はああああ!? 厄神様だって!?」
「あー! 神様だから魔法が効かないんだ」
「はい、私が祈りを捧げたら見事に復活されたのです……大変申し訳ございません」
シェリルはいたたまれなかったが、正直に事情を話し九十度に腰を折って謝罪した。
「厄神様が復活だって!? あああ、この国は終わりだよ……厄神様を復活させた私たちもここまでだ……!」
「ええー、この国終わっちゃうんだ……」
マルティナ様とライラも絶望に染まり、ガックリと項垂れた。しかしセイランは不思議そうな顔で尋ねる。
「俺が復活しただけで、この国が滅びることはない。なぜそう考える?」
「え……セイラン様はこの国を滅ぼしたいのではないですか?」
「あー、確かに大昔に暴れた記憶があるが、千年も前の話だぞ? いい加減どうでもいいな」
「どうでもいい」
心底興味がなさそうにセイランは答えた。
この国に生まれてずっと厄神が復活しないように、国家レベルで取り組んできたのだ。目の前で起きている出来事が、本当に現実なのかと疑う気持ちが消えない。
「そこまで俺はねちっこくないぞ」
「……ということは」
呆れ顔のセイランを見て、国を滅ぼす気がないのだとシェリルはようやく理解できた。
シェリルたちはセイランの怒りが消えていることをゆっくりと噛みしめ、お互いに見つめ合いぱあっと笑みを浮かべる。
「この国は終わらないということですね!?」
「本当!? じゃあ、またシチューが食べられる!?」
「唐揚げもパンケーキも作ってやるよ!」
「あああ、助かりましたー!!」
「うわーい! ばーちゃんの唐揚げもパンケーキも食べるー!!」
「はー、肝が冷えたねえ」
三人で大喜びした後、シェリルがセイランへ視線を向けると少しだけ気まずそうに口を開いた。
「なあ、目覚めたばかりで腹が減っているから、なにか食べ物をもらえないか?」
慌てて場所を変え食堂に移動したシェリルたちはセイランに上座へ座ってもらう。マルティナとライラがありったけの食料を並べて、三人揃って頭を下げた。
「「「大変申し訳ございませんでした」」」
セイランは国を滅ぼすつもりはないようだが、マルティナとライラが結界で囲い魔法攻撃を仕掛けたことは間違いない。
神への冒涜とも取れる行動は謝罪だけでは不十分だと思い、シェリルはなんとか自分の命だけで済まないかセイランに訴える。
元々生贄としてやってきたのだから、意味合いが異なるだけで国の役に立つことは変わりない。
「セイラン様、元凶は私が神聖なる礼拝堂で騒いだことにあります。マルティナ様とライラは私を思って行動しただけですので、どうか天罰を下されるのは私だけにしていただけないでしょうか?」
「俺は怒ってなどいない。シェリルがそう言うなら、天罰も下さない」
食事を勢いよく口に放り込みながら、セイランはあっさりと先程の無礼を許した。国を滅ぼさないにしても、これは別だろうとシェリルは考えていたがセイランは思ったより心が広いらしい。
「ほ、本当でございますか!?」
「妻の頼みだからな」
「「え」」
両目を見開いて固まっているマルティナとライラに、シェリルは隠すことなく事実を伝えた。
「あの、私がセイラン様に祈りを捧げたら、なぜか復活されまして、物理的な花嫁に認定されたのです」
「物理的な花嫁に認定って、厄神様と結婚したのかい? ああ、だから御尊名で呼んでいるのか」
「はい、そうみたいです」
「シェリルさんが厄神様のお嫁さん……すごい!」
ライラはキラキラとした瞳でシェリルを見つめる。すっかり和やかな空気になった食堂で、四人はこれからのことを話しはじめる。
「ですが、やはり私にセイラン様の妻が務まるとは思えません。マルティナ様の方がよほど適任かと思うのですが……」
「やめておくれよ。私に夫なんて必要ないね」
「俺の妻はシェリルただひとりだ」
シェリルはふたりからそう言われて、ほとほと困り果てた。いったいどうしてここまでセイランがシェリルにこだわるのかさっぱりわからない。
「あの、どうしてそこまで私を求めてくださるのですか? 生贄としてはいい素材かもしれませんが、たった一度祈りを捧げただけです。十分な理由があると思えません」
「……シェリルは俺の魂の伴侶だ」
そう言って、セイランはかつて愛した人間のことを語り出した。
「俺が怒りに染まり、すべてを破壊しようと暴れていた時に清廉な声が届いた。ある人間の女が必死に祈りを捧げていたんだ。次第に心は凪いでいき、すっかり落ち着きを取り戻した頃には彼女を手放せなくなっていた。しかし、人間の寿命は本当に一瞬で短い。俺は彼女が今度生まれ変わったら、魂の伴侶として迎えると誓い見送った」
セイランの琥珀色の瞳が悲しげに揺れている。これは建国の時の話で、人間の女とは初代国王の娘であった王女のことだ。シェリルは古文書には書かれていない事実があるのだと知った。
「彼女の魂が天に還っても自らを石に変えてこの地上に留まり、再び出会える日を待っていた」
金色の瞳が真っ直ぐに私を見つめ、とろけるような甘さを含み細められる。ドキンと心臓が波打ち、頬が熱くなるのがわかった。
「シェリル、お前は彼女の生まれ変わりだ。今ここで前世からの約束を果たしたい」
シェリルは生まれ変わりだとか、そういうことを信じているわけではない。今まで読んできた本はもちろん、古文書にすら神の魂の伴侶という言葉は出てこなかった。
でもセイランの真剣な様子を見ると嘘はついてないのだと思う。
これからどんな生活が待っているかわからないけれど、もとより厄神の生贄としてやってきたのだ。命の代わりに、この身をすべて捧げてもなんら問題はない。
なによりも、初めてこんなに真っ直ぐな気持ちを向けられて、シェリルの心の奥のもっと深い場所が震えた。
「わかりました。セイラン様、私、魂の伴侶になります」
シェリルの言葉を聞いたセイランが花が咲くような笑みを浮かべる。まさしく神の如し造形美が甘く崩れて、シェリルの心臓がドッキンとうねり大きな音を立てた。
「では、魂の伴侶として
セイランは椅子から立ち上がり、シェリルの隣にやってきて右手で顎を掴む。クイッとシェリルの顔を上向きにして、獰猛な視線で縛りつけた。
「我が最愛の妻、シェリル・ド・カレンベルク。永遠の鎖で繋がり、この身も魂もすべて貴女だけに捧げると誓う」
そう言って、シェリルの額にセイランの瑞々しく柔らかな唇を落とす。
ふたりが触れ合う場所から光があふれ出し、食堂を金色に染め上げた。シェリルの額から温かいものが身体中に広がり、まるで神の祝福を受けたような心地よさに包まれる。
「この瞬間からお前は俺のものだ」
セイランの言う永遠というのがいつまでなのか、神と契りを交わすことがどう言う意味を持つのか、シェリルはなにも知らなかった。
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