第3話 厄神の修道院
それからシェリルは護送騎士と御者と共に、厄神の修道院へ向けてひたすら東へ進んだ。
途中の宿ではその土地の郷土料理を食べ、あまりの美味しさに涙をこぼした。移動中に見る広大な畑や山々にシェリルは目を輝かせる。
道中の露天で見かけたスミレの砂糖漬けというお菓子は、とてもかわいらしくてシェリルの心を掴んだ。護送中なのであいにく買うことはできなかったが、こんなお菓子もあるだと本だけではわからない世界に感動していた。
それから休憩の時間では本でしか見たことがない植物や木々を見つけて喜び、騎士たちへ屈託なく話しかける。
旅が終わる頃にはシェリルと騎士たちはすっかり打ち解け、別れを惜しむくらいになっていた。
目的地へ着き馬車を降りると、シェリルがこれから過ごす修道院が目の前に建っている。壁にはヒビが走り、白かったであろう壁は風雨にさらされ薄汚れていた。
窓に絡まるように伸びた
「まあああ! 蔦の生命力がすごいですわ……! こんなにたくさん生い茂って、夏でしたら涼しく過ごす効果が期待できますね!」
「ははは……めちゃくちゃポジティブですね」
「やっとお役目が果たせるのですから、心がウキウキしていますわ!」
シェリルはニコニコと笑っているが、護送騎士は生贄として修道院へやってきたことを知っているので心が痛くなるばかりだ。健気に役目を果たそうと笑顔を振りまくシェリルに、すっかり同情している。
「それでは、ここにいるマルティナという修道女に引き渡しいたします」
「はい! よろしくお願いいたします!」
新たな出会いにワクワクしながら元気いっぱいにシェリルは応えた。護送騎士は厄神の修道院に三十年も暮らしている元大聖女マルティナ・サージェントへシェリルを引き渡せば任務完了となる。
入り口まで階段を上り、護送騎士は緊張した面持ちで焦茶の扉をノックした。
数十秒後、ゆっくりと扉が開かれ、白髪をきっちりまとめた老女が顔を出す。思いっ切り眉根を寄せたマルティナの隣には赤髪の少女も立っていて、ふたりとも修道服を身にまとっていた。
老女はヘーゼルの瞳をシェリルに向けて面倒そうに口を開く。
「この子が新人かい」
「お前がマルティナだな。シェリル様だ。元王女様であるゆえ丁重にもてなすように」
元大聖女といえど、この修道院は犯罪者が送られる場所だ。護送騎士は敬称をつけずに呼び捨てにする。シェリルも断罪され王族から籍を抜かれているので、もうカレンベルクの姓を名乗れない。
「ふんっ、こんなところじゃ丁重もクソもないねえ」
「なんだと!?」
「物資も食料もなにもかも不足しているんだ。現実を見てからものを言いな」
マルティナの反論に護送騎士は言葉を詰まらせた。
このような国の端のさらに山奥にある修道院では、手に入るもので生きていくしかない。シェリルはどのみち生贄としてすぐに命を捧げるつもりなので、ふたりがこれ以上口論しないように割って入る。
「私なら大丈夫ですわ。ご心配いただきありがとうございます。マルティナ様、勝手がわからずお手間をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「……引き渡しが終わったらさっさと帰りな。新人はついておいで」
もう一度護送騎士にお礼を伝えて、シェリルはマルティナの後に続いて修道院の中へ足を進めた。
修道院の中は古びているものの清掃が行き届いており、埃ひとつ落ちていない。繊細な装飾が施された純白の壁は、神に祈りを捧げる清らかな乙女の心を表しているようだ。
入り口から真っ直ぐに進むと、正面に厄神を祀った祭壇が設置されている。両サイドの窓から差し込む光が筋を作って、神々しく幻想的な空気を作っていた。
祭壇の中心に立つ厄神の姿は、古文書の通り角が生え悪魔のような翼を持ち、瞳は宝石が嵌め込まれて金色に光っている。
(確かに異形の神様だけれど……全然怖くないわ。むしろ力強くて高潔な印象なのに、初代国王はどこが恐ろしかったのかしら?)
天窓から差し込む光を浴びた厄神の像は、凛々しく気高く佇んでいてシェリルは目を離せなかった。
「ほら、ボケッとしてないでついておいで!」
マルティナの声でハッと我に帰ったシェリルは、慌てて歩き出す。厄神の像の前で右に曲がり、その扉の先へ進むと右手には中庭が見えて左手には扉が数個並んでいた。
そのうちのひとつを開けてマルティナが部屋の中に入っていく。赤髪の少女も後に続いたのでシェリルも追いかけた。
「ここが新人の部屋だよ。本当は相部屋だけど、他に誰もいないから好きに使えばいい」
「はい! ありがとうございます! 改めましてシェリルと申します。お迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
シェリルは王族の教育で身につけた完璧なカーテシーを披露する。
「元王女様ねえ……いったいなにをやらかしたんだい?」
「それが……私、生贄として鍛錬していただいていたのですが、動きが鈍くて義姉に反抗したと勘違いされて、見切りをつけられたのです」
「勘違いで……? そんなことで見切られたのかい」
「はい。いろいろとすれ違いがあったようで誤解されたままですが、おかげさまで国のためにお役に立てる時が巡ってまいりました!」
シェリルの答えにマルティナも赤髪の少女もポカンとしている。ツッコミどころがありすぎて、なにから言えばいいのか言葉が出てこない。
「ところで、こちらの小さなレディはなんというお名前でしょうか?」
シェリルはさっきから気になっていたことを尋ねた。
赤髪にライトブラウンの瞳の少女は十歳を超えたくらいだろうか。修道服がゆったりしているからわかりにくいがかなり痩せ細っていて、この環境では食事もままならないのかもしれないとシェリルが胸が痛くなる。
「……わたしは、ライラ」
「ライラさんですね! まああ! 可愛らしい貴女にぴったりなお名前です。よろしくお願いします」
そう言って手を差し出したが、サッとマルティナの後ろへ隠れてしまった。
シェリルは残念に思ったが、妹がいたらこんな感じなのだろうかと想像してニンマリする。小さい子供とは接することがなかったから、生贄として命を捧げるまでに距離を縮めたいと思った。
(ふふふ、マルティナ様の後ろから覗く姿もかわいいわ……! できたらお姉様と呼んでくれないかしら……!?)
早くも新しい目標を見つけたシェリルに、マルティナが声をかける。
「私はマルティナだ。昔は大聖女だったがシェリルと同じく冤罪をかけられてここに来た。こっちのチビは魔女の末裔だ。母親は魔女だから危険だと処刑されて、この子はここへ来たのさ。悪いことなんて、なにひとつしていないのにね」
「そうだったのですか……」
「まあ、今さらな話だよ。ベッドの上に修道服を用意してあるからそれに着替えな。今日は移動で疲れてるだろ。夕飯までゆっくり休んでいるといい」
そう言って、マルティナとライラはシェリルの部屋から静かに去っていった。
(さて、それでは早速お役目を果たさなければ)
そこでシェリルは手早く修道服へ着替えて、この修道院で祀っている厄神に祈りを捧げることにした。厄神の生贄になるためには、先ほどの象の前で心を込めて祈りを捧げる必要がある。
厄神の反応があるまで祈りを捧げ続け、神の声を聞いた後は身を任せるだけだ。
(食糧事情もよくないみたいだし、負担をかけないようになるべく早く厄神様に反応してもらいたいわ)
先ほどの礼拝堂へ戻り、厄神の像の前に膝をつく。胸の前で手を組み、瞳を閉じて集中して心から祈りを捧げた。
(我が名はシェリル。厄神様の生贄としてここへやってまいりました。どうかこの命を捧げますのでお怒りを鎮め、カレンベルク王国の繁栄をお約束ください——)
真剣に祈っていると瞼の向こうが明るくなったような気がした。それでも続けてマルティナやライラのことも祈ろうとしたところで、ふわりとした柔らかい風がシェリルの頬を撫でていく。
そして穢れない心の祈りに答えるように、低く穏やかな声がシェリルの耳に届いた。
「——シェリル。お前のおかげで復活できた。礼を言う」
確実に誰かの話し声が聞こえるので、もしや生贄として認められたのかと思い目を開けた。
目の前にはこの世のもと思えないほど美しい異形の男性が立っている。
それは厄神の像と瓜ふたつで、琥珀色の瞳は射貫くようにシェリルを見つめていた。
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