時。四季。動かない君。

Noël

不老不死

「化学室は3階の北校舎の一番端にありますよ。」

高校一年生の春。

大きく『化学基礎』と書かれた教科書を心細く抱きしめ、途方もなく広いこの学校の何処かにあるであろう化学室を探していると後ろから急に男の子の声が聞こえた。パッと振り返ると私より少し背の高いサラサラな髪の毛が印象的な男の子が真っ直ぐ私を見ていた。

「あ、ありがとうございます!!」

急に話しかけられて戸惑ったのも束の間、教えてくれたのが嬉しくなってそう返すとその子はにこりと微笑んだ。私もぺこりと頭を下げて階段へ向かっていると、

「おい望月!今日数Ⅱのテスト返ってくるだろ!今回こそ勝ってやるからな!」

意気揚々、元気溌剌、天真爛漫、そんな四字熟語が似合いそうな声の人が私の横を颯爽と駆け抜けていく。それと同時にさっきの男の子との話し声が聞こえる。

『望月』と呼ばれたのはきっとさっきの彼で。望月先輩って言うんだ。

窓を開け放している廊下から春の暖かい風が舞い込んだ。


「またあなたですか。」

「こっちのセリフなんだけど?!」

やれやれと言った顔でこちらを溜め息混じりに見る。そろそろ暑さを本格的に感じるようになった夏頃、高校二年生になって初めての席替えをした。が、結果はこの会話の通り変わらず望月の隣の席だった。

「先生!私望月と2回目です!」

去年と同じ担任の先生なおかげで私は躊躇なく文句を言ったが

「あー…まあ望月が隣ならお前も理系科目が赤点回避出来るぞ。良かったな。」

と返されてぐうの音も出なかった。

結局私の抗議も虚しく望月の隣の席のままで過ごすことになった。

「てか留年回避出来るのに何で僕の隣が嫌なんですか。」

少し不服そうに望月が私に聞いてくる。

「いちいち小馬鹿にしてくるからでしょ。自覚ないわけ?」

「事実言ってるだけだから。」

「そういうとこ!!」

そう言って啀み合ってる二人の間を半分開けた窓から夏の暑い風が吹き込んだ。


「先輩、文化祭の資料持ってきました。」

そう言って薄暗い廊下と真っ暗な外とは対照的に明るい部屋のドアを開けたのは一つ年下の望月くんだった。

「ありがとー望月くん」

と笑ってみせるが、文化祭直前の生徒会は大忙しで正直ここ3日は寝不足だったせいで笑顔がぎこちなかったのだろうか、目の前の望月くんはぴくりとも微笑まない。

「あーえっと…もう帰っていいよ!てか他の人帰ったし!望月くんも帰りなよ!」

一つ下の後輩をこんなに付き合わせるのは先輩としてどうなのかと思い帰宅を促して帰らそうとすると望月くんが急に

「あのっ!」

と大声を出した。寝不足で神経が鈍っていた私がビクッと肩で反応すると言葉を紡ごうと望月くんが口を曖昧に動かすが言葉として出る事はなく数秒の静寂が流れた後で、

「僕、先輩のことが好きなんです、」

と、望月くんが鳩尾辺りで意味もなく両手を細々と動かしながら言った。

「…え、っと…」

「だから、付き合って下さい。」

さっきまでの少し弱気な態度は何処へやら、恥ずかしい事はもう何もないと体で表現しているかのような声色と姿勢で私の目を真っ直ぐ見て言った。この目は何処かで見覚えがある気がする。あ、思い出した。高一の頃話しかけてくれた先輩だ。高一の頃はその先輩が好きだったけど、高二になってからはよく隣の席になってた人の事が好きだった。けれど、どちらも名前を思い出せない。

「返事、合格発表終わってからで良いかな、」

そう言うと何故か彼は泣きそうな顔をした。

ほんの少し空かした窓から秋の肌寒い風が入り込んだ。


「明日から教育実習だよーー」

晴れて行きたかった大学にも合格して今は三年生になった。そして明日から教育実習として母校に行くという旨を学生時代の友達に話していた。

「うわ懐かし〜あの学校。楽しかったよね〜」

「全部恋愛絡みでしょ」

「うっわひっどーい。私そんな取っ替え引っ替えしてないんだけどー?」

冗談混じりに私が言うと彼女は分かりやすく拗ねた反応を見せた。

「てかあんたこそ好きな人いなかったっけ?」

「え?」

斜め上に目を向けて考える。思い出す時の私の癖だ。

「あれだよーなんとか先輩が〜!とか、なんとかくんが〜とか」

「えー?そんな人いたっけー?」

「いたってー!!あんたずっと言ってたんだもん!名前出てこないけど」

その後も適当な会話をして飲み会を早い段階から切り上げて次の日に実習へと向かった。

「わ…懐かし…」

運動場も校舎の中も何もかも変わっていない風景がそこにあった。懐かしくて校舎の至る所に思い出を想起させているとドンッっと誰かにぶつかってしまった。

「わっすみません、ぼーっとして…て…」

「…僕こそ、すみません。」

サラサラの髪の毛の男の子はそう言って立ち去ろうとした。

「待って下さい!」

思ったのが先か、口に出たのが先か分からないくらい速く彼を呼び止めた。

「…何、ですか…」

振り返った彼は震えて泣きそうな顔をしていて、高三の頃告白してきてくれた後輩のことを思い出した。

「…望月、?」

気付けばそう口走っていた。

「、え?」

「望月くん!」

彼は信じられないといったように目を見開いて

「なん、で…っ」

とさめざめと泣き出した。高二の頃無駄にちょっかいをかけてきてた時とは大違いだった。私はそんな望月くんを見ながら昔の記憶を思い返す。

「高一の頃、化学室の行き方が分かんなくて一人で困ってたら何も言ってないのに助けてくれた先輩がいたの。周りをしっかり見てる素敵な先輩だなと思ってそれ以来その先輩のことが好きだった。」

望月くんは黙って聞いている。

「高二の頃、しょっちゅう席一緒になる子がいたんだ。嫌味言ってくるし口も悪いけど、いつも優しく勉強教えてくれた。そういう不器用な優しさが好きだった。」

望月くんは相変わらず黙って聞いている。

「高三の頃、嫌な顔ひとつせずにいつも仕事を手伝ってくれる後輩がいたんだ。その子から告白されたんだけど返事しないまま卒業しちゃった。」

望月くんは黙って涙を流した。

「全部望月くんだったんだよね。」

そう言うと望月くんはゆっくり首を縦に振った。

「ごめんね、待たせすぎたよね。」

「ほんとですよ、僕が、どれだけ待ったと思って、っ」

震えて泣く彼の体の大きさは高校の時から何一つとして変わっていなかった。

「ねえ望月くん」

私が優しくそう呼びかける。

「ひなた、」

「え?」

「ずっと、日向って呼ばれたかった。」

消え入りそうな声でそう私にお願いをした。

「ねえ日向、私__」


冬の雪が春の暖かい日差しで溶けるように。

鶯が鳴いて、春を伝えるように。

2人の止まっていた時間がようやく流れ出す。

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時。四季。動かない君。 Noël @mqfvnium

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