第5話 イト

 はね橋を渡って街の外へ出ると、ほりと川岸のちょうど真ん中に、杖の赤い光が見えた。

 月が雲にかくされているため、視界は悪い。ネリはわずかな星あかりにうかび上がっている岩や石のりんかくをたよりに、つまずかないよう注意しながらトトに近づいた。


 トトはその宝石のような青い目で、ほりと川に挟まれたずっと向こうをにらんでいる。


 ネリも注意して見てみると、何やら、もやもやとした黒いかげが、うごめいているのが分った。

 まるでいくつものドロ水のかたまりが意思を持っているようだ。


「何なの? あの黒いの」


怨霊おんりょうだよ。聞いた事ない?」


 トトはドロ水のかたまりに目を向けたまま、ネリに答えた。


 そういえば子供の頃、そんなおとぎばなしを聞いた事がある、とネリは思い出した。まさか本当に、怨霊なんてものがいるとは思っていなかったが。


「あいつら邪気じゃき怨念おんねんでがんじがらめになって、全然話が通じないんだ。束になったら、きょうぼう化して人をおそうし」


 ドロ水のかたまりが口のようなものを開け、「おおーん」と鳴く。


 必死に助けを求めながらも、殺意がこもった、おそろしい鳴き声だ。

 全身に鳥はだを立たせたネリは、思わずトトに体をくっつけた。


「おそわれたら、どうなるんだっけ?」


「生気を吸い取られて死ぬか、ぬけがらになる」


 答えを聞いて、ネリはぞっとした。


 しかも、ドロ水のかげは、段々と大きくなっている気がする。こちらに近づいてきているのかもしれない。


「やっぱりこの国に入る気だ」


 トトはいっそう表情を険しくすると、ネリにはね橋の上げ方を聞いてきた。


 城門の中にあるウィンチを回せば閉じられるとネリが答えると、一人でできるか、とすぐに質問される。


 多分無理だとネリは答えた。重すぎるのだ。


「分った、二人でやろう」


 はね橋をもどった二人は、ウィンチに通じる城門の階段をかけあがった。すぐにハンドルが見つかり、二人でつかむ。回し始めはとても重かったが、段々に勢いづいてくると、ハンドルは軽くなった。


 ガラガラと鎖を回収する音とともに、はね橋の先が上がりはじめる。


「あの人達、どうしてペラに入りたがってるの?」


 少し、よゆうが出てきたネリは、怨霊についてたずねた。


「最近、近くで小国同士のあらそいがあっただろ? 多分、そこで死んだ人たちだよ。ここを、自分の国だとかんちがいして来たのかもしれない」


 父さん達が回収しに行ったんだけど、一部にがしちゃったのかも。と、トトは顔をしかめた。


 つまり、あの怨霊たちは家に帰りたがっているのか。

 ネリの心臓がきゅっと痛む。


「彼らをどうするの?」


 助けてやる方法はないのかと聞くと、もちろんある、とトトはうなづいた。


「つかまえて、島に連れて帰って、まともな会話ができる状態になるまで落ち着いてもらうんだ」


「つかまえるって、どうやって――」


 再び質問を投げかけたところで、トトが「あっ!」と声を上げた。怨霊の一部が、はね橋に飛びついたのだ。それは、あきらかに人の形をしていた。


「ここ、たのんだ!」


 ハンドルから手をはなして杖をつかんだトトは、さっとカベのふちに足をかけると、外へジャンプした。


「ええ!?」


 ここは、建物の三階の高さがある。そこから飛び降りるなんて、信じられない。あわてたネリは、ウィンチから手をはなしてトトが飛び下りたふちから身を乗り出した。


 着地する直前、トトが杖をふるい、はね橋にぶら下がっていた怨霊に、赤く光る杖の先をぶつけたのが見えた。

 怨霊が、だえん形の杖先に吸い込まれるように消える。


 そして、軽い音を立ててほりの向こう側に着地したトトは、そこから杖を大きくふり回し、次々と杖の輪の中に怨霊たちを回収していく。


 ネリはその、まかふしぎな光景を夢中になって見守った。


「すごい。虫取りしてるみたい」


 子供達があみをふり回して虫をとっている姿を思い出してふと笑った時、暗いかげが、となりにあらわれた。


 ふり向くと、人間の形をしたドロ水のかたまりが、ぐにゃぐにゃとふちを波立たせながら立っていた。目はないが、気配から、自分を見下ろしていると分る。


 どうしてここに? ――そうだ、はね橋、上げかけだった!


 ネリは自分の大失敗に気付き、ウィンチの所へもどろうとした。しかし怨霊が前に回り、行く手を塞ぐ。


「ただ……い……ま」


 怨霊が口をきいた。若い男の声だった。ネリを、家族の誰かとかんちがいしているのかもしれない。


 家に帰って来たと思っているのか。


 ネリは泣きだしそうになった。『おかえり』と言ってやりたかったが、それは間違っていると思い直し、だまって怨霊に手をのばす。


「さわっちゃダメ!」


 とつぜん聞こえたするどい声に止められ、ネリは、のばしかけていた手を止めた。ドロ水のような体にふれるまで、指一本分のきょり。


「ええいっ!」


 気合の一声とともに、怨霊の後ろから、赤く光る輪っかがふり下ろされた。怨霊は頭から、輪の中に消える。


 消えた怨霊の後ろからあらわれたのは、黒いワンピースを着た女の子だった。ネリやトトより少し年下だろうか。真っ黒な長いかみと、光をためたような青い目は、トトと同じだった。


 目の大きな、可愛らしい子だとネリは思った。どことなく、トトに似ている。

 

 少女はウィンチにかけ寄ると、杖を置いてハンドルを回そうとふんばりはじめた。けれど、小さな体と細いうででは、ウィンチはびくともしない。


 ネリは急いでハンドルの空いている部分をつかむと、少女といっしょにウィンチを回しはじめた。トトと回した時よりもずいぶん重く感じたが、何とかはね橋を上げきる事に成功する。


 橋がドスンという鈍い音を立ててカベにおさまると、少女はネリにほんの少し笑顔を見せた。そして、ネリが笑顔を返す前に杖を拾い上げると、その子もまたカベのふちからひらりと飛ぶ。


 らっかさんのようにスカートを広げて落下した少女は、トトのとなりに着地した。


 葬送人はみな、身軽なのだろうか。


 ネリは信じられない思いで下の様子をうかがう。


「イト!」


 トトはおどろいたように目を丸くしたが、すぐに「イトはあっちを!」と指をさして少女に指示を出す。


 イトと呼ばれた少女はうなづくと、指示通りトトの反対側へ走り、残りの怨霊を回収しはじめた。


 二つの黒い人かげが、ネズミのような素早い動きで、杖の中に怨霊をつかまえてゆく。

 二人が杖をふるうたびに、スズがシャンシャンと鳴っている。


 怨霊はどんどん、回収されていっているが――。


 トトとイトは、じょじょに、ほりの方においこまれていた。怨霊の数が多すぎるのだ。


「どうしよう。なんとかしなきゃ」


 このままでは二人がほりに落とされてしまう。


 自分に何かできる事は無いか、ネリはあたりを見回した。しかし、役に立ちそうなものは何も見つからない。


 その時、ピイィ―という高い音がひびいた。

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