第4話 赤くかがやいた杖

 みなが寝静まった深夜、王女はネリの姿で城を出た。


 絶対に行かせない、といきまいていたマナナは、すいみんやく入りのお茶を飲まされて、ソファでイビキをかいている。飲ませたのはもちろん、ネリだ。


 トトと約束したとおり、広場に行くと、トトは昨夜と同じように、ふん水の前で杖を鳴らしながら、暗やみに向かって呼びかけていた。


われは『死の島』よりきたる者。喪葬人そうそうにんなり。道に迷いし者はおらぬか。かせに苦しんでいる者はおらぬか。集まれー。ここに集まれー」


 言葉の途中途中で、杖をふってスズを鳴らしている。


 ネリは「トト。こんばんは」と呼びかけた。


 トトはネリに気付くと、青くかがやく目を細めてにっこりほほえんだ。


「こんばんは、ネリ。ちょっと待ってて。今、いそがしいんだ」


 ネリは、はて? と首を傾げた。ネリには、トトが一人で杖を鳴らしているだけにしか見えない。


「今、何かしてるの?」


「してるさ」


 トトが杖をさっと横にふるった。すると、杖の先から光が広がり、そこから次々と、あわく光る半とうめいの人々があらわれる。

 

 広場に集まっている死者のユウレイは、二十人ほどだった。


 となりに立っていたおばあさんのユウレイから、おじぎをされたネリは、おっかなびっくりおじぎを返す。


「じゃ、この人たちが片付くまで待ってて」


 トトは、杖をふん水のふちに立てかけると、ふくろの中から両手に乗るくらいの大きさの紙の束を取り出して、集まったユウレイたちに一枚ずつ配りはじめた。


「それ、冥府めいふしょ?」

 

 ネリがトトにたずねた。

 トトが配っている紙には、お墓や記念碑などに使われる神聖文字が書かれてある。

 ネリはこの紙を、一度だけ目にした事があった。祖父アレクト前国王でのおそう式で、ひつぎにおさめられていたのだ。


「そうだよ」


 トトが冥府の書を配りながらうなづいた。


「最近やたらいるんだ。あの世にたどりつけなくて困ってる人」


「どうしてあの世に行けないの?」


 ほんのいっしゅん手を止めて、ネリを横目でちらりと見たトトは、また紙を配りはじめる。


「簡単にいえば、おそう式をしてもらってないからだよ」


「してるわよ。最近は難民が増えて死者も急増しているから、にして川に散骨するのが主流だけど」


「肉体を消すだけじゃダメなんだよ」


 トトは言った。


「要は、タマシイが上手く先に進めるよう手助けしてあげるのが大事なんだ。土地の神様に対して、お世話になったお礼もさせてあげたほうがいい」


 じゃあ、具体的にどうすればいいのか。ネリはたずねた。


「方法は色々あるけど、手っ取り早いのは神官にいのってもらうか、ガイドになる冥府めいふしょを持たせてあげることだよ」


 トトは説明しながら、最後の一人に冥府めいふしょをわたした。最後の一人は、やせたおじいさんだった。彼はネリを指差しながらトトに何か話すと、広場を去ってゆく。


 いつの間にか、広場にはトトとネリだけになった。


 死者たちがどこへ行ったのかネリがたずねると、それぞれ自分の好きな場所に行って旅立ちの準備をするのだとトトは答えた。


「……彼らがさまよっているのは、神官がおそう式に高額なお金をせいきゅうするからよ。神官なんて、名前だけで何もできやしないのに」


 ネリは、聖職者に対して日頃からたまっていた不満をもらした。しかし、噴水のふちに座って、ひざをかかえるとすぐに、「――いえ。何もできないのは、私も同じね」と暗い表情でつぶやく。


 トトはそんなネリを、不思議そうに見る。


「神官も君も、何も出来てないわけじゃないと思うけど」


 言いながら、ネリのとなりに座った。そして、最後に冥府めいふの書を受け取ったおじいさんの話をする。


「さっき、君の事を指さしてたおじいさん、いただろ? あの人、君に伝言を残していったんだよ。『最後まで手をにぎっていてくれてありがとう』って」


 彼を覚えているかと聞かれて、ネリはつい最近、カゼをこじらせてなくなった一人暮らしの老人を思い出した。

 求められた通り水を飲ませ、手をにぎって看取ったのだ。

 しかし、ネリがこれまで病人を看取ったのは、一人や二人ではなかった。不作が続いたり、道ばたで眠るしかない難民が増えているペラでは、毎日何人もの人が、つらい死を迎えている。


 一人また一人とやせ細った人が目の前でなくなるたびに、ネリは自分の無力さを思い知らされていた。何とかしなければとあせるばかりで、実のところ大した成果は上げられていないのがくやしい。


「子供に字を教えるのは遊びでしかない。食べ物や薬を運んでも、ぜんぜん足りない。新しい農法を研究したって間に合わない。近頃、自分のやっている事が本当に正しいのか分らなくなるの。畑はいくつか守ってきたけど、今日も一つ、つぶされちゃった。最後の麦を実らせて」

 

 ネリはつい、弱音をはいてしまった。

 トトが目をしばたたく。


「麦? 麦は今、種まきの季節だろ?」


 今、麦畑は種をまく時期だ。しかし、ウィーダはあやしげな力を使い、あっという間に穀物を実らせる事が出来た。

 国王や国民はそれを、『キセキの力』や『神の力』と呼んでいるが。


「変な術を使う男がいるの。三年前にこの国に来て、国王の側近に取り上げられたんだけど」


「ああ、ウィーダっていう大臣だね。ウワサには聞いてるよ。神の力を使うとか?」


「あんなの神の力じゃないわ!」


 とたん、ネリが噴水のふちを下りて、トトをどなりつけた。


「ウィーダの術には、いつも大きな身代わりがほしいんだから! 無理やり実らせた畑や木はかれてしまって、土は何をしても死んだみたいに草一本生えない。だから彼の力にたよってはダメって、私、一生けんめい言ってるのに!」


 目になみだをためながら、ネリはどうしようもないイラ立ちをはきだした。


 分っている。国民も王も、実りが必要なのは。これからの事など、考えている余裕はないという事は。だから余計に、ネリはくやしかった。


 トトは、こぶしで涙をふくネリをだまって見つめていたが、やがて星空をあおぐと、ふう、と息をはいた。


「おひめ様も大変なんだな」


 言葉だけを聞けば、他人事にするなと腹が立ったかもしれない。しかしネリは、「ありがとう」とお礼を言った。


「ここのところずっと、給料を受け取らず置いて行ってくれているでしょ。皆、感謝していたわ」


 死者の世話をする葬送人は、国から週に一度、農作物やお金がもらえる。給料だ。しかしトトはここ一ヶ月、それらを城門のはしに置いたまま島に帰っていた。


「こんな時だからね。助けあわなきゃ」


 何も特別な事はしていないというように、トトは答えた。


 その時、杖のスズがチリンと鳴る。


 柔らかい緑色だった杖のかがやきが、警告色のような赤に変わる。

 トトはおだやかだった表情を強張らせると、急いで荷物をまとめはじめた。


「どうしたの?」


 空になったふくろを持って杖をつかんだトトに、ネリがたずねる。


「ごめんネリ! 話はまた今度!」


 それだけ言って、トトが走り去る。


「え? ちょっと待って!」


 わけが分らず、ネリは暗やみに光る杖の赤色をおいかけた。

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