第2話 魔術師の大臣と王女ネフェルタリ

 ペラは、砂だらけの大地にレンガと石で造られた大きな国だ。

 地平線の向こうまで続く広大な砂ばく。そこを流れる一本の大河に寄りそうように点在する国々の中で、もっとも北にある。


 ペラより南の小国では、小競り合いや戦争がたえない。また、河を遠くはなれたペラより北の国々でも、大きな戦争が起きていた。

 ペラは、外交に長けた国王のおかげで、戦火を避ける事ができていた。

 しかし各地で起こる争いからのがれた人々が、救いと安住を求めてペラに集まり、みちばたや裏路地は、難民であふれていた。


 戦争だけが国をかたむかせるわけではない。

 ペラの農業は、大河から毎年運ばれてくる土で成り立っていた。だ。それが近年、河の水かさが増えず、新しい土が運ばれてこなくなった。それにより、穀物は十分に育たず国庫は不足し、しゅうかくした作物の殆どを税としてとられる農民たちは、日々の食事すらままならない状況だった。


 戦争と不作。この二つの大きな影が、かつては砂ばくの中心国家として栄えたペラを、むしばんでいた。


 ★


 ペラの市街をはなれた農村地帯では、農民たちが川べりに広がる田畑を、牛や馬に大きなすきを引かせて耕している。

 強い日差しの中、男も女も老人も子供も、家族総出で畑を耕し、種をまくのだ。

 

 しかし彼らの足元にある土は水気がなく、ひび割れて固くなっていた。くわを入れて土をひっくり返してみても、そこには生き物らしいものは見当たらない。ひどくやせた土だ。


 その一枚の畑の中央に、男が二人立っていた。

 一人は額から右頬にかけて大きな傷がある。きたえぬかれた体に皮よろいを着て、腰には太い剣をさげている。戦士のようだ。

 もう一人はやせていて、すそが足首まで届く丈の長い服を着ている。高官のようだ。

 二人ともかみに白い毛がまじっている。


 やせた男が長いヒゲを生やしたあごを上げ、天を見上げる。空は青くすみわたっており、うすい雲が風に乗って流されている。

 

 男は手に持っている杖を高くかかげると、「大地の神よ、我らにめぐみを与えたまえ」と唱え、杖を地面に突き立てた。

 

 すると、男を中心に、大地から青々とした草が生いしげり、やがてそれらは、穂をずっしりと実らせた黄金色の麦へと変わった。


 周囲から歓声が起こり、農民たちがカマを持って麦をかりはじめる。


 その様子を見ながら、戦士姿の男がぼそりと言う。


「これで、この畑も死にましたな。ウィーダどの」


「私の知った事ではないわ。クレイトス」


 ウィーダは地面から杖を引きぬくと、麦畑を出ていく。クレイトスも彼について畑を出た。


 二人は馬に乗って走りさる。

 種まきを終えたばかりの畑が広がる中、たった一枚の麦畑が、そこだけ季節がちがうように、しゅうかくきをむかえていた。


 ★


 麦畑に魔法をかけた二人が馬で向かった先は、ペラの中心にそびえ立つ宮殿だった。日干しレンガばかりの街の建物とは違い、空色のタイルでカベがおおわれた宮殿は、まるで大きな青い宝石だ。


 馬屋番に馬をあずけて中に入ったところで、ウィーダはこちらをにらんでいる少女に気付いた。


 今年で十三さいをむかえたその少女は、派手さはないが、立っている姿には気品があった。白い麻布のドレスは、ハチミツ色の肌によく似合っており、少女の美しさをいっそう引き立てている。

 後ろにひかえている背中の丸まった老女がかわいそうに思えるほど、少女はみずみずしい生命力にあふれていた。


「これはネフェルタリ王女様。ごきげんうるわしゅう」


 ウィーダは目元に刻まれた細いシワをいっそう深くして、ていねいにおじぎをした。対する王女は表情を険しくし、虎のような目でウィーダをいぬく。


「また土地を一つ、つぶしてきたのですか」


 開口一番、非難されたウィーダだったが、笑顔は少しもくずさなかった。


「これは異なことを。私は神の力をお借りして、民の為に作物を実らせただけにございます」


 神の力と聞いたネフェルタリは、まゆの間に深いシワを寄せると、おなかの前で組んだ両手に力をこめた。


「神の力? なんておこがましい!」


 ふゆかいだと言わんばかりに、白い歯がむきでる。

 しかし、ウィーダは、ネフェルタリよりも何枚もうわてだった。「ひめ君は相も変わらず手厳しくいらっしゃる」と笑い声すら上げ、動じる様子もない。


 老女とクレイトスが、後ろにひかえている者同士、視線だけ動かしておたがいの間で小さな火花を散らせた。


 クレイトスのするどい眼光に気付いたネフェルタリが、いっしゅん表情をこわばらせる。だがすぐに強気な表情を取り戻すと、細いあごをすっと上げた。


「私はお前のペテンなどにはだまされないわ。どきなさい」


 精一杯胸を張って、大人の男二人に命じる。

 ウィーダとクレイトスは、素直に従った。


 ネコのようにしなやかな王女の背中を見送りながら、ウィーダはようやくニセのほほえみを引っこめた。にこにことした笑顔が、みるみるうちに、悪意のこもった表情にとって変わる。


「あまやかされた一人娘が。顔を合わせる度にかみつきよる」


 ウィーダはいまいましげに、はき捨てた。


「しょせん少女ではありませんか。気にかけるまでもありません」


「あなどるなクレイトス。未熟ではあるが、あの目は前の国王と同じ、人をよく見ぬく」


 自分よりも頭二つ分大きい同志を引き連れ、ウィーダはヘキ画にいろどられた廊下ろうかを、仕事場である大臣室に向かって歩きだした。


 ★


 廊下を曲がったところで、ネフェルタリはカベにもたれかかりほっと息をつく。その様子を見た乳母が、心配そうに声をかけた。


「大丈夫ですか? ひめ様」


「平気よマナナ。まだちょっとドキドキしてるけど」


 胸に手を当てながら、ネフェルタリは乳母にほほえんだ。


「ええ、ひめ様。ウィーダはあたくしも好きませんとも。顔がひからびたワニみたいで本当にぶさいく」


 マナナは何度もうなづくと、自分のシワだらけのほほに指をひっかけ、下にぐいとのばしてみせた。

 ネフェルタリは思わずふき出す。


「マナナ。それじゃ老いた牛よ!」


 自分の顔を笑われたマナナだったが、数日ぶりにネフェルタリの笑い声を聞いた彼女は、手をたたいて喜ぶ。


「ああ、やっとひめ様の笑った顔が見れた! 最近ずっと緊張されていたようで、心配だったのです。目にクマまでお作りになって」


 乳母にずっと心配をかけていたと知ったネフェルタリは、「ごめんなさい」と、かたをすくめた。


「けれど、あの男の力にたよらずすむよう、私が父上をお支えしたいの。書物はあらかた読んでしまったから、あとできる事は、先人から教えをもらう事だけ」


 『先人の教え』と聞いたマナナが、目を大きく見開いた。顔の穴と言う穴を最大限まで開いたその表情には、おどろきと、おそれがある。


「ひめ様まさか、喪葬人そうそうにんに会うおつもりですか?」


「昨日の夜、約束してくれたの。今夜おじい様に会わせてくれるんですって」


「今夜ですって!」


 すっとんきょうな声を上げたマナナが、ぶるぶると首を横にふる。


「いけません! おやめなさいまし。『死の島』に関わると、死者に好かれますよ。喪葬人と目を合わせると、タマシイをうばわれるんですよ!」


「マナナ。それは迷信なのよ」


「迷信ではありません。言い伝えです!」


 マナナが立派なワシ鼻から「フン!」と息を吐いた時、後ろに大きな人かげが現れた。


「何をさわいでおるか」


 しらが混じりの口ヒゲを生やした身なりのいい男が、厳しい口調で王女と乳母をしかった。


 頭に王冠をかぶったその男にふり返ったマナナは、まがった背中をしゃんと伸ばして、深くおじぎをする。


「父上。ごきげんうるわしゅう」


 ネフェルタリも背筋をのばし、ひざを曲げておじぎをした。


 ペラの国王であるライール三世は、両側にいる側近に先に行くよう命令すると、一人むすめであるネフェルタリを厳しい目で見下ろした。


「ネフェルタリ。またウィーダにくってかかったそうだな。いい加減にせぬか」


 あいさつを交わす間もなくしかられたネフェルタリは、おじぎをやめると、強気なまなざしで父を見上げる。


「父上はウィーダを信用しすぎます。何ゆえ、あのをそばに置かれるのか、私には分りません」


「キセキの力を、呼ばわりするでない」


「あれはキセキなどではありません。あの男が使う術はいつもその場しのぎで、その後にこうむる被害の方が大きいではありませんか!」


 声を大きくした王女に、ライールはあからさまにため息をついた。


「街に出ると、必ずネリのウワサを耳にする」


 それを聞いたネフェルタリとマナナのかたが、ビクリとはねる。

 二人はお互い目配せをすると、そろって苦い顔を作った。


「ネリは先日、税として役所に集められた麦を盗んだ子供のせっかんを止めさせたそうだ。神官に短剣をつきつけたというのは本当か? ネフェルタリ」


「ああやっぱり」とマナナが小さな声でつぶやくと、てのひらに顔をうずめた。


 ネフェルタリはまっすぐに父王を見ると、はきはきと答える。


「子供が麦を盗んだのは、お腹がすいて苦しんだからこそ。それをムチ打つ必要はないと思いまして。剣を出したのは、槍を向けられたので、仕方なく」


「だが、決まりは守らねばならん」


 ネフェルタリの言い分にかぶせるように、ライールが言った。

 ネフェルタリはほんの少しうつむくと、お腹の前で組んだ両手をにぎりしめる。


「みな苦しんでおります。厳しすぎる法は、いかがなものかと」


 はあ、と再び、ライールがため息をついた。失望した、とでも言いたげだった。


「お前に身分と名をかくさせたのは、正解だったようだ」


「父上!」


 ぱっと顔を上げて反論しようとしたネフェルタリに、国王は手のひらを前に出してこれ以上の発言をやめさせた。


「政治に口出しすることは許さん。よいな」


 それだけ言って、立ち去る。


 ネフェルタリは下くちびるをかみながら、父王を見送った。


「ひめ様」


 マナナが気づかうように、ネフェルタリのかたに、しわくちゃの手を乗せる。ネフェルタリは弱々しくほほえむと、かたに置かれた乳母の手に自分の手を重ねた。


「仕方ないわ。おしかりを受けるのは覚悟の上だったもの」


 そう言ったネフェルタリは、頭にかぶっている美しい額かざりをむんずとつかむと、長い黒かみのカツラごと、ぱっと外した。明るい茶色のかみの毛が現れる。


「でも、このままじゃダメよね。やっぱり、おじい様から教えをいただかないと」


 ぶつぶつ言いながらカツラを乳母にわたしたネフェルタリは、次にドレスをぬぎ始めた。あっという間に、短いチュニック姿の、どこにでもいる街むすめになる。


「ひめ様。しかられたばかりですよ」


 マナナがカツラとドレスをかかえながら、呆れる。


「しかられても大人しくしていないのが私でしょ。夜までにはもどるから」


 元気な笑顔を作ったネフェルタリは、マナナに手をふると、近くの窓からひらりと飛び出し、走ってゆく。


「んもう! 心配ばかりさせるんだから! マナナは命が縮む思いです!」


 かれこれ十三年、ネフェルタリのおてんばに付き合わされているマナナは、もう何度目か分らない文句を言うと、地団駄をふんだ。


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