第91話 ギルフォードの結末

―ガラクシアース領Side―


「あれぇ? 君がここにいるのって珍しいね」


 白髪の美少年と言っていい人物が顔を大きく斜め上に向けながら言った。そこには、巨大な白い獣が白髪の美少年を見下ろしている。

 はたから見れば、白い巨大な獣は少年を獲物として物色しているように見えるが、もちろん獣は少年を食べようなどとは思ってはいない。


 外見は美少年だが、彼はガラクシアースの領地を治めるガラクシアース伯爵だ。


「え? なになに? この赤い薔薇を僕にくれるの?」


 赤い薔薇。大輪の薔薇が一輪、白き獣の口から落ちてきたのだ。その薔薇は光をまとっているようにキラキラと光っており、白い獣の口の中から出てきたにも関わらず、萎れてもいないし、獣の唾液で汚れておらず、凛と咲き誇っていたのだ。


「これ、父上の墓に毎年、備えられている花だよね」


 ガラクシアース伯爵は何故白い獣がこの赤い薔薇を自分に渡してきたのかと、首を傾げている。この薔薇はネフリティス侯爵領にしか咲かない薔薇のはずだと。白い獣が持ってくるものではないと。


「ん? 薔薇の光が強くなってる?」


 ガラクシアース伯爵が言うように、赤い薔薇をキラキラと輝かせていた光がだんだんと強まり、ガラクシアース伯爵と白い獣を覆うように光が増している。


『お初にお目にかかる今代のネーヴェの血族の長よ』


 赤い薔薇の上に小さな人が立っていた。いや背中から虹色に輝く薄い羽が二対存在しているので、人ではないことは見て取れる。

 そして赤い薔薇の化身かと思われるほどの鮮やかな赤い髪には王冠が掲げられ、真っ赤なドレスをまとい、手には金色の王笏を持っている。

 その姿を見れば、その者の地位の高さがわかると言うものだ。


『我は妖精女王である。この度、我が裁決した審判にて、貴公に伝えておきたいことがある』


 妖精女王と名乗った、赤い薔薇の上に立っている存在は、ガラクシアース伯爵に王都にいるガラクシアースの娘に起こったことを伝えた。

 ただ淡々と女王の目で見える事実を言葉にして伝えたのだ。


『これは一週間前に起こったことである。貴公に伝えるのに時間が経っておるのは、こちらにも優先させるべきことがあった。それに一区切りがついたため、竜の子は竜の子にしつけてもらいたいと思い、貴公に伝えたのだ。善きに計らってもらえばよい』


 その言葉を最後に赤い薔薇は空気に溶けるように、なくなってしまった。


 そして、いいように適切に対処するように言われたガラクシアース伯爵はと言うと、笑っていた。

 いや、目が笑っていない。その瞳孔は縦に長く伸び、金色の瞳には光を宿している。

 口元は広角は上がっているものの、隙間から人にしては長すぎる牙が見えている。


「そうかぁ。だから君が来たのか。三番目。うん、行こうか」


 ガラクシアース伯爵はそれだけの言葉を残して、その場から消え去った。それも白い獣の姿もこつ然と無くなっていたのだった。





「奥様! 大変です!」


 紺色のエプロンドレスを着た女性が、何もない草原を叫びながら爆走している。白いキャップを被り、エプロンドレスの裾を持ち上げて走っているが、その速さな尋常ではなく、どこかの家に仕えている使用人とは思えない。


 そして、エプロンドレスを着た使用人はそのまま草が燃え、黒い世界が広がっているところを爆走し、一人の人物にたどり着いた。

 白髪の女性が血に濡れた剣を振るい、血を飛ばし、鞘に収めている。その女性の前には炎をまとった大きな角を持った牛が倒れていた。

 女性の五倍ほどの大きさがある炎牛フィマジャールを倒せるとは思えない細身の女性は、白い髪をひるがえしながら、草原を爆走してきた使用人に視線を向けた。


「何が大変なの?」


 その視線は鋭く、正に戦士と言っていい力強さがある視線だった。その視線を受けても使用人の女性は、これがいつものことと言う風に普通に、報告をする。


「旦那様が!」

「あの人が? 確か今日は北側がキラキラしているねとか言って、ふらふら出ていっていたわね」


 まるで夢遊病でも患っているような感じで言っているが、使用人の女性がその言葉に頷いているので、それが平常運転なのだろう。


「それが三番目様と一緒に何処かに行ってしまわれたのです!」

「三番目と? 珍しいわね。でも、遊んでいるだけでしょう?」

「そそそそそれなのですが、付いていた者曰く、旦那様が怒っていらしたと……」

「は? あの人が怒る?」


 使用人の言葉に、白髪の女性は唖然として言葉を繰り返す。それは夫が怒るということが想像できないようだ。


「はい……ついている者が近づけないほどに……それから、三番目様が何かをお持ちだったらしいのですが、恐らくそれが原因なのではと」

「三番目は何を持っていたの?」


 白髪の女性は使用人の女性に詰め寄り、両肩を持って揺さぶっている。揺さぶった反動で使用人の頭に被っていた白いキャップがとれ、使用人の白い髪があらわになった。


 二人の白髮の女性。その姿は服装は違うものの、同じ様に見えてしまう。


「奥様。三番目様が近くにおられましたので、遠目からは赤い花に見えたそうです」


 赤い花。言葉を聞いて奥様と呼ばれた女性は大きくため息を吐いた。これは己が手を出していい話ではないと。


「三番目があの人を連れ帰ってくれることを期待しましょう。駄目なら、どこからか回収してくれと連絡が入るでしょう」


 己の夫に対してどういう目で見ているのか、垣間見える言葉を発した女性は、燃えている牛に手をかざして、事切れた炎牛フィマジャールをかき消した。そして、ため息を吐きなら、使用人が来た道を戻って行ったのだった。



―王城 フェリシア Side―


 私が『ガルムの魔炎』と戦って一週間が経ちました。

 赤竜騎士団は何も変わらず、訓練の日々です。ですから、私も午前中は地下の訓練場で口だけを出す日々で、昼からはアルの部屋で何もすることがないぐうたらな生活をしています。


 やっぱり思うのですが、この昼からの時間に冒険者ギルドの仕事をしてもいいと思うのです。


「はぁ、仕方がないこととはいえ、まさかこのようなことになるとはのぅ」


 そして、今日は何故か前ネフリティス侯爵様がアルの執務室に来ているのです。ですから、私はいつもくつろいでいるソファーのアルの隣に座り、その向かい側には矍鑠とした白髪が混じった金髪のご老人が座っています。


「結局ギルフォードは国を出ていくことにしたようじゃ」


 ギルフォード様の身に起こったことは、言葉にするには恐ろしいことでした。


「リアンバール公爵夫人の怒りが凄まじかったということであるな」


 妖精様の怒り。それはリアンバール公爵様が護ってこられていた王都に、魔炎を放ってしまったことでした。


「我々は記憶を持てないことは知っておるとは思うが、それとは逆のことをされては、たまったものではないのぅ。じゃが、魔炎の恐ろしさを直接知っているのは夫人だけじゃ。仕方がないとはいえ、わしは納得ができないのぅ」


 前ネフリティス侯爵様はご長男を失ったばかりか、その子どものギルフォード様まで、妖精という存在に奪われてしまったのです。頭では理解していても、心情としては納得できないのでしょう。


「お祖父様。結局『ガルムの魔炎』のことがよくわからないのですが? それにお祖父様も『ガルムの魔炎』というものをご存知なのですか?」


 繰り返される暗黒竜との戦いは、記憶も記録も消されてしまう。ですが、前ネフリティス侯爵様の口から『ガルムの魔炎』の言葉が出ていたのです。

 当たり前のようですが、この国ではそれがおかしいことなのです。周期的に改変される人の記憶。あの存在によって行われる謎の行動です。


「リアンバール公爵の手記が泉の底に残されておる。これは侯爵の地位を受け継ぐ者のみに読む権利が発生するものじゃ」


 ネフリティス侯爵家にお世話になってからよく耳にする公爵の名前。この国では重要人物だと感じています。ですが、謎すぎて私にはよくわからない人物でもあります。


「侯爵を受け継ぐ者に限定せずに、広く開示すればいいのではないのですか?」


 アルは赤竜騎士団の現状として、少しでも情報が欲しいのでしょう。


「アルフレッドよ。わしは言ったはずじゃ。我々は記憶を持てないと、わしが記憶しているのは、リアンバール公爵の血筋であるからで、公爵夫人が忘れないように術をかけてくれているおかげじゃ」


 流石、元妖精女王と言うことですか。しかし、この言い分だと手記の部分の記憶保持はされているようですが、それ以外の記憶の改変が行われているようですね。


「『ガルムの魔炎』とは人の身を取り込む魔炎じゃ。黒い炎をまとった人が次々と人々を襲い、街を燃やしていく恐ろしい魔の物である。このような魔炎を王都に解き放とうものなら、国が滅んでいてもおかしくはないものじゃ」


 あ……ただの獣の姿をした炎ではなかったのですね。確かギルフォード様が食らいついたら離さないと言っていましたが、人の身を取り込むという意味だったのですか。


 この話を聞きますと、妖精様のお怒りもわからなくないです。


「しかし、のぅ……ギルフォードの噂を流させるとは」


 これは妖精のいたずらという現象ですわ。影で誰かがコソコソと話しているけど、そこに向かうと誰もいない。それは妖精が噂話をしていたからだと言われるものです。


 妖精様はネフリティス侯爵家が悪くならないように、ネフリティスの嫡男の座を追われた人物が王都を火の海にしようとしていたという噂を妖精たちに流させたのです。

 すると妖精たちは王都中で噂を流し、それが貴族、庶民、関わらず噂が流れていき、商人まで流れてしまったことから、あっという間に国中に広がってしまったのです。


 するとギルフォード様は文官のお仕事にも行けず、前ネフリティス侯爵様の屋敷から出てこなくなったそうです。しかし、妖精様の怒りは収まりませんでした。


 ギルフォード様の周りのみ怪奇現象が起きるようになったのです。すると使用人は怖がって近づかなくなり、理由を知っている前ネフリティス侯爵様のみが、ギルフォード様とお話しができる状態になってしまったそうです。

 その間でもギルフォード様の周りの怪奇現象は収まることはありませんでした。


 ですから、妖精様の力が及ばない国外に行くことを決めたのでしょう。しかし、それでは妖精女王の判決とは違ってきます。

これがギルフォード様にどのような影響がでるかは、ギルフォード様しかおわかりにならないことでしょう。


「シュリヴァスから言われたと思うが、あと三週間でネフリティス侯爵の地位がアルフレッドに受け継がれることになる。じゃから、明日からお主の仕事が終わったあと、わしが教えて行くことにするから、当分の間は仕事が終われば、わしの別邸まで来るように」

「嫌です」

「……」


 アル! 恐らく前ネフリティス侯爵様が来られた理由は、このことを言うためだったと思いますよ!

 ギルフォード様の件はただ単に心の内を吐露しただけで、ギルフォード様が国外に出ることになったと報告したかったのでしょう。


「アルフレッド。本来はシュリヴァスが侯爵に関することを伝えねばならぬが、ガラクシアースが暴れた所為で仕事が増えたと愚痴っておるのじゃ」


 ……これは王都の北地区でお母様が暴れたことでしょうか? 何かの補償問題でも発生しているのでしょうか?


「だから、わしが教えるゆえ、第三層にある、わしの別邸まで来ると良い」

「嫌です」

「……ふむ」


 なぜそこで、私に視線を向けてくるのですか? 前ネフリティス侯爵様。

 これは私に説得しろと言っていますか?


「アル様。侯爵の地位に立つには必要なことではないのでしょうか?」

「明日はシアとデートの日だ」


 はい。明日は白の曜日ですわね。


「先週は馬鹿な兄上の所為で潰れてしまった」


 はい。国王陛下や高位貴族の皆様の前に立たされましたね。


「それにシアと過ごす時間が少なくなるのは嫌だ。ですので、お祖父様が本家に来てください」

「アル様そのようなことをおっしゃっては……」

「よいよい。アルフレッドのフェリシア嬢好きは昔からじゃ。あまり無理強いするとへそを曲げるのでな。わしが本家に赴こう」


 え? もしかして、アルの奇行は前ネフリティス侯爵様の耳にも入っているのですか?


 その時、城全体が揺れ、爆発音がどこからか響き渡ってきました。私は思わず立ち上がり、ある方向に視線を向けます。


「お父様?」


 この魔力はお父様の魔力ですわ。どうして王都に?


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