第89話 生きる罰

 初夏には少し肌寒い空気が身を包み、世界は暗転した。


 石の硬い感触の床。

 天井から中央にだけ虹色の光が降り注ぎ、その光を浴びるように巨人のような大きな赤髪の美しい女性が、凛と存在しています。


 虹色の光をまとい、赤い髪の上には王冠を掲げ、手には金色の王笏を持ち、背中には光を反射したような虹色の薄い羽が二対存在しています。


 妖精女王ローゼンカヴァリエ様。

 その存在感は女王の審判を受ける者たちを威圧しています。


 私は以前、一段高いところに立っていましたが、今は光が落ちている石の床の上に立っていました。


 あら? すぐ後ろにいたアルがいませんわ。


 視線を上に向けると、以前私とアルがいた高い位置にいます。

 ああ、そうですか。今回は私も審判される側ですか。その割には茨の檻に囲まれていません。


 茨の檻。それは妖精女王に審判される人たちが入れられる檻。


 では私はどういう立場なのでしょう?


 檻は私の両側に存在しています。それは私を罪人の様に監視をしていた白竜騎士のお二人です。

 そして、目の前に二つ。その茨の檻の中には石の床に座り込んでいるシャルロット様。石の床に膝をついているギルフォード様。

 お二人が座っていた椅子が無くなっていますわ。何が起こったのかわからないのか、呆然とされています。


 あと、カツラデブが茨の檻を掴んで騒いでいましたが、直ぐに茨に絡まれ、声もだせず、身動きが取れない状態になっていました。


 最後に妖精女王の正面に茨の檻が一つ。


 まぁ! 国王陛下が檻の中に囚われていらっしゃいますわ。


 そして以前は誰もいなかった傍聴席と思われる、この円状の審判の場を囲うようにある席には、王太子殿下が国王陛下の背後に立っており、妖精女王の背後にネフリティス侯爵様が座っていらっしゃいます。


『我は非常に遺憾である』


 鈴のような声が肌寒い空間に凛と響きわたりました。


『くだらない身分というものに囚われ、真実を捻じ曲げるとは、国を治める者としてあるまじきこと』


 妖精女王は冷たい視線で正面にいる国王陛下を見下ろしています。


『お主にはまだ言うことがある。先に他の者たちの裁きを言い渡そう』


 そう言って、妖精女王はこちらに視線を向けてきました。


『ネーヴェの娘よ。今回のことのあらましを、そなたからの口から言うとよい』


 あ……妖精女王は意見を言うことを許されなかった私に、発言を許してくださいました。


『弁論は語るも語らざるも自由である』


 自由。私が今回のことを話してもいいし、話さなくてもいいと。これは都合の悪いことは口を噤んでもいいとも捉えられる言葉です。


「私はシャルロット様に手を上げたことも、罵ったこともありません。それから、薔薇の髪飾りは私がいただいたものです。先程言われたことは、はっきりと否定します」


 そして私は昨日の昼からのことを話し始めました。

 白竜騎士の方からヴァイオレット様の偽物の手紙を渡されたこと。私がいる部屋から見える場所に馬車を停め、黒髪の人物が確認されヴァイオレット様が乗っているのかと勘違いしたこと。

 馬車に乗れば死の森に連れて行かれ、馬車ごと捨てられたこと。

 死の森からネフリティス侯爵邸に戻って、ギルフォード様にお会いすれば、ガルムの魔炎が入った小瓶を投げつけられたこと。


 私は事実のみを口にしました。


『ネーヴェの娘はこの度のことで、罰するに値しないことがわかったであろう。そなたは、下がってよい』


 そう言って妖精女王が王笏で石の床を叩くと私の視界が一瞬ぶれます。そのことで、バランスを崩すと背中を支えられました。

 視線を上げると目の前にアルの顔があります。どうやら私は一瞬にして、アルがいる壇上に移動させられたようです。


『さて、先ずは我を象徴する赤き薔薇とアクアイエロの鎮魂花に手を出そうとした愚か者。そのような盗人の手など必要ない』


 妖精女王が言葉を告げ、王笏で床を叩くと、私がいた辺りから悲鳴が聞こえてきました。

 下をみますと檻の中に右手の肘から指先が転がっており、石の床の上で大声を上げながら身を縮めている白竜騎士の方。別の檻の中では左手の肘から先が転がっており、左腕を押さえながら、無言で痛みに耐えている白竜騎士の方がいました。


『この者たちはこれを罰とする』


 もう一度王笏が床を叩く音が聞こえると、この場からお二人の姿は消えて無くなりました。


「何ですの! 何が起こっていますの! わたくしをここから出しなさい!」


 現状がわからないものの、目の前で起こったことに、恐怖を感じたのでしょう。シャルロット様が騒ぎ始めました。


『静粛に』


 騒ぎ出したシャルロット様に妖精女王が声をかけるも、シャルロット様の耳には入っていないのでしょう。茨の檻を掴んで、公爵令嬢にこのようなことをして許されることではないと、叫んでいます。

 しかし、その声は直ぐに聞こえなくなりました。シャルロット様も茨に絡まれ声が塞がれ、身動きが取れない状態にされてしまいました。


『さて、次はお前である』


 妖精女王の視線は茨に絡まれた別の檻に視線がむけられました。少し前までは、もぞもぞ動いていましたが、白竜騎士の悲鳴が聞こえてからピクリとも動かなくなったヅラデブです。


 茨から解放されたヅラデブは、べチャリと石の床に落ちて行きま……ヅラが取れてハゲデブになっていますわ。


『権力と金に媚を売る愚かしい者よ。お前には金を貧しい者たちに使わないと、水に溺れるような苦しみを与えよう。せいぜい、お前が馬鹿にしている身分がない者たちに媚を売ればよい』


 王笏の音が響きわたると、ハゲデブの姿は消えて無くなりました。

 あの方はお金をもらって、今回のシャルロット様が正しいという話にしたということなのでしょうか。


『次は汝である』


 妖精女王の表情はギルフォード様の方を向いて、私からはわかりませんが、声が一段下がり、一瞬ブルリと震えてしまいました。

 何でしょうか。怒りとも呆れとも違うなんとも言えない感情が声に乗せられているように思えました。


『我は汝には罪がないと審判した』


 ああ、そうですわ。ギルフォード様のお父様とお母様の件で、ギルフォード様には罪がないと言われ、ネフリティス侯爵家の嫡男として育てられたのです。


『この判断は我が間違っていたと、認めよう。盗人の子は所詮盗人である。卑しい者の子は所詮卑しい者である』


 え? それは少し違うと思います。子供には罪はない。その判断は正しかったと思います。


『アクアイエロが与えた恩情の意味を履き違え、己を変えようとしなかった愚かさ、己が嫡男だと思い込み何事も努力しなかった愚かさ、それを他人の所為にして己の正当性を主張する愚かさ。アクアイエロとリアンヴァールの血を受け継ぐ者とは思えぬ』


 ああ、妖精女王は妖精様とリアンヴァール公爵のことが大好きでいらして、その子孫のありように嘆いているのですね。


『汝には罰は与えぬ。これは我の失態であり、それこそが汝の罰となるゆえである。サイファザール子爵の地位を受け継ぎ、何も得ぬままその生を終えるとよい。汝は人の言葉に殺されるであろう』


 妖精女王はギルフォード様には罰を与えないことを審判されました。


「女王陛下! その審判に意義を申し上げる! 兄上には死を与えるべきだ!」


 アル! ここで妖精女王に反論などしないでください。人外の存在を怒らすと怖いことは私は身にしみて知っているのですよ。


『死とは終焉命の終わりである。それは罰か否か。生きることの苦しみがある。死の苦しみは死ねば終わりである。我は何も得ずに生きることを罰とした。それでも意義を唱えるか?』


 何も得ないことが罰ですか。侯爵の爵位を得ることもなく、ネフリティスの領地に足を踏み入れることも叶わず、ただ生きることが罰だと妖精女王はおっしゃった。


『それに、アクアイエロが、かなり怒っておる。我が罰を与えることもあるまい』


 そう言って妖精女王は王笏で床を叩く。ギルフォード様の姿もこの場から消えていきました。


 妖精様が怒っていらっしゃる? どういうことなのでしょうか?


『次はこの者である』


 妖精女王はギルフォード様がいたところの隣に視線を向けました。はい。茨にぐるぐる巻きにされたシャルロット様がいる茨の檻ですわ。


 その茨がシャルロット様を解放しました。


わたくしはカルディア公爵令嬢ですのよ! お祖父様に言いつけて、お前を拷問にかけてあげますわ!」


 シャルロット様。それは人でしたら脅しとして通じるかもしれませんが、相手は妖精女王です。人の理など関係ありませんわ。


『傲慢で強欲。己が正しいと、己が世界の中心だと、勘違いも甚だしい』

「勘違いですって! わたくしは公爵令嬢ですのよ! 王族の血を受けつぐ者ですのよ!」


 シャルロット様。このような状況でもいつも通りでいらっしゃることに、私は感心してしまいます。どこまで行ってもシャルロット様はシャルロット様なのですね。


『王族の血。さて? そんな物に意味があるのか? この国を治める者よ。答えよ』


 妖精女王は国王陛下に質問をしました。王族の頂点にいる国王陛下に向かって、王族の血の意味を問うたのです。


「我々、レイヴュートは玉座を預かる者でしかない。真の王はただお一人のみ。王族の血はただの竜騎士でしかない」


 これは国王陛下はこの国の王ではないと、ご自分で言われていることに等しいのではないのでしょうか? 確かに妖精女王は国を治める者と言い、王とは呼んでいませんでした。


『おや? わかっておったのか? てっきり我は、わかっておらぬと思っておったのだが?』


 妖精女王は皮肉を言うように、国王陛下の言葉を肯定しました。そうなのですか。王族の血は竜騎士。ですから、竜騎士の仕事についている王族の方が多いのですね。


『そういうことである。王族の血の意味は竜騎士という意味しか持たぬ。さて、愚かで傲慢で身勝手な、この者には人に命じれば、一つ歳を重ねることを罰としよう。ああ、身分という厄介な物を持つ人は二十までに婚姻をしなければ、ならぬのだったな。婚約者という者と共にサイファザール子爵夫人となって生きると良い。人に命じなければ、何事もない人生を生きることができるであろう。しかし、一年もつか二年もつか。その辺りであろうな』


 王笏が床を叩く音が響き、シャルロット様の姿がここから消え去りました。

 命じればその分、歳を取るということですか?


 無理ではないのでしょうか? シャルロット様ともなれば、ドレスをご自分で着ることもないでしょうし、食事も誰かが作った物を口にされているでしょう。

 普通に生活していくだけでも、誰かの手を借りないと生きてはいけません。


 妖精女王はギルフォード様とそのまま婚姻するように言いましたが、それすらも無理だと……だから、一年か二年保てばいいとおっしゃっていたのですか。


 アルが妖精女王に判断を任せることに対して、えげつないことだと私に言っていましたが、シャルロット様の罰はギルフォード様より重すぎませんか?


 来年結婚式を挙げるシャルロット様は結婚するにはギリギリの年齢になります。そのことを一番気にしていたのはシャルロット様自身だと思います。

 そのシャルロット様に老いを与えるなんて、これはシャルロット様の精神が病んでしまいますわ。


『さて、最後に残った。この国を治める者よ。お前が取った選択肢の愚かさを教えてやろう』


 妖精女王はギルフォード様のときよりも怒ったような感情を乗せた声で、国王陛下に話しだしたのでした。


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