第86話 見られている

氷雪花イグラキーオン


 薄い花びらのような氷が雪のように舞っています。今はただふわふわと舞う氷の花びら。

 私はその氷の花びら越しに黒い炎の獣を観察します。いいえ、炎に見えたのは小瓶から出てきたときのみで、今はただの黒い獣に見えます。


 本当に変わった魔物だと、ふぅと息を吐き出しました。吐き出された息が白く、辺りに漂っています。頃合いでしょう。


 私は武器を持たずに一歩踏み出します。武器は意味が無いから、必要ありません。


 私が一歩踏み出したことで、黒い獣も私に向かって飛びかかってきました。私が魔草獣マリンラグアの蔦で動ける範囲を狭めているので、黒い獣は一瞬にして私の喉元に噛みついてきます。

 私は避けずに黒い獣の顎を砕く勢いで、下から上に向かって拳を振り上げます。


 捉えたと感じた瞬間、私の手は空を切るように振り上げられました。そして、揺らめきながら距離をとる黒い獣。


 やはり火を殴っても手応えは全くありません。


 白い息を吐き出し、拳を構えます。……ドレスの裾が邪魔ですわ。

 亜空間収納からナイフを取り出して、膝から下の部分をサクッと切り取り、ナイフを落とすように亜空間収納にしまいながら、駆け出します。


 ジグザクに向かってくる黒い獣の横に回り込み、腹を蹴り上げるように足を振るうも、腹の部分が揺らめいたのみにとどまり、私に爪を振るってきました。


 私はその爪を叩き落とすように右手を振るい、右手は空を切ります。それもわかりきったことと、左拳を黒い獣の顔面に向かって叩き込みました。


 黒い顔の部分に拳が埋まったように見えますが、所詮は火。なにも手応えはありません。


 でもこれでいいのです。


 私は更に右拳を叩き込み、左拳を叩き込み、黒い獣に次々と拳を振るっていきました。




「ふぅー」


 辺りにある魔草獣マリンラグアの蔦は霜に覆われ凍りつき、黒い炎は姿を保っていられず、弱々しい黒い小さな火が空中に浮いているのみ。


「私を焼き殺そうとしていたみたいですが、残念でしたね。私の氷はそれぐらいの炎では燃えませんわ」


 誰も聞いていないでしょうが、あの存在が言っていたように、これも暗黒竜と繋がる存在でしたら、きっと聞こえているでしょうね。


 私は右手を広げ、黒い炎を掴み握り潰します。抵抗する感じもなく、弱々しく消え去っていきました。


 少し時間がかかってしまいました。炎を構成している核というべきものがあれば、簡単だったのですが、空中にある魔素を使って燃え続ける魔物でした。ですから、一帯の魔素を私が消費しつつ獣の形をつくっている炎を少しずつ削っていくしか方法がありませんでした。


 いいえ、魔術での討伐は可能ですが、王都でそれもネフリティス侯爵邸が直ぐ側にある場所では使えませんからね。


 絶対に邸宅を壊す自信がありますもの。


「姉さま。大丈夫ですか?」


 凍りついた魔草獣マリンラグアの蔦の向こう側からエルディオンの声が聞こえてきました。どうやら学園からエルディオンが戻ってきたようです。

 エルディオンがいるということは、側にファスシオン様もいらっしゃるのではないのですか?


「エルディオン。ファスシオン様が側にいらっしゃるのでしたら、早く安全なところに避難してもうらうように伝えなさい」

「いないよ。僕は手伝えることが無いのかなって姉さまに聞きに来たんだ」


 ファスシオン様が側にいないのでしたらいいでしょう。私は凍りついた小瓶に視線を向けます。

 まだもう一つ残っているのです。いい機会ですから、エルディオンに形がない魔物との戦い方を教えましょう。


「エルディオン。変わった敵と戦ってみますか?」

「え! 変わった敵! 戦ってみたいです!」


 凄くうきうきとした声が聞こえてきました。……楽しいことと捉えられているのでしょうか?


「エルディオン。こちらに来なさい」

「はい! 姉さま」


 返事のあと、凍りついた空間にエルディオンが魔草獣マリンラグアの蔦の壁を飛び越えて、降り立ってきました。


「寒い! え? 外は全く凍っていなかったのに!」


 魔草獣マリンラグアの蔦で囲った外も凍ってしまっているのでしたら、囲った意味がないではないですか。


「エルディオン。今までの復習です。結界は使ってはなりません。結界から力を抜き取られます」

「あの……姉さま。変わった敵というモノが見当たりません」


 エルディオンはキョロキョロと辺りを見渡しています。小瓶にはまだ気がついていないようです。


「どれが敵か見定めるのも必要ですよ。どういう攻撃をしても構いませんが、この範囲から外に出る攻撃はしてはなりません。ここはネフリティス侯爵邸の側です。訓練場ではありません」

「それは手加減して戦うということですか?」

「手加減して勝てるのでしたら、それでも構いませんよ」

「……姉さま。矛盾していることを言っています。それは手加減していては負けると言っていますよね」


 矛盾ですか。力の使い方と言い換えればよかったでしょうか?


「エルディオン。ガラクシアース領では敵は見つけ次第、全力で倒すようにと教えてきましたが、王都の中で戦う場合は周りに気遣うこともしなければなりません。でないと、ガラクシアースの屋敷と同じ運命をたどってしまいます」

「……住んでいたところが無くなるのは悲しいね。姉さま……うん。がんばってみるよ。それで、敵っていうのは、そこの蔦の塊かな?」


 少し、寂しそうな顔をしながら、エルディオンは言ってきました。そうですわね。思い出も何もかもが無くなってしまいましたからね。

 とはいっても、残っているものは、ほとんどありませんでしたが。


 そして蔦の塊というのは、小瓶をグルグル巻きにした蔦のことです。


 吐く息は色をなくし、凍りついた蔦は、ただの蔦に戻っています。ですから、エルディオンの目に異様な気配が映り込んだのでしょう。


「なんか、ぞわぞわするね」

「私はここで見ておきますから、エルディオンの好きなタイミングで、そこを壊しなさい」

「え? 壊す?」


 ああ、今の状態が封印された状態だとわかっていなかったのですか。にも関わらず、ぞわぞわするですか。

 相変わらず感だけはいいですわね。


「そこに封印の小瓶があります。壊しなさい」

「姉さま。封じられているのなら、わざわざ壊す必要は無いと思うのです」

「エルディオン。観察されていますよ」


 私の言葉と同時に、エルディオンは小瓶を巻いた蔦に向かって殴りかかっていました。


 小瓶が割れたと同時に飛び出てくる黒い炎。そして黒い狼型の獣へと変貌していきます。

 その形が定まる前にエルディオンは黒い炎に向かって、蹴りを繰り出しました。エルディオンも武器は無意味だと、取り出していません。


「ああ、だから姉様は辺りを冷やしていたのか。別にこれぐらいの炎で燃えないけど、制服が燃えると後で姉様に怒られるよね」


 エルディオンがボソボソと独り言を言っていますが、制服を燃やすのは駄目ですわよ。新しい制服を調達しなければなりませんから……ドレスの裾を切った私が言うのもなんですが。


「僕はどうしようかなぁ」


 そう言いながらもエルディオンは直接攻撃の手を止めません。


「『黒風白雨ネイヴァンレウィア』」


 この魔草獣マリンラグアの蔦の中だけ、暴風が吹き荒れ、叩きつけるような雨が全てを否定するように打ち付けています。


 雨が地面に突き刺さり、周りを囲っている蔦も削っていきます。


 エルディオン。この範囲といいましたが、ここで使うのはどうかと思うほどの、攻撃力をもっていますよ。


 そしてエルディオンの拳と、攻撃力があり過ぎる雨によって、黒い炎は段々と弱まっていき、私より短い時間でエルディオンは黒い炎の獣を倒しきりました。


 私は足元を見ます。玄関前の馬車が通る石畳の地面が見るも無惨に、破壊されています。


 私は倒せたと喜んでいるエルディオンの頭をポカリと叩きました。


「姉さま。痛いです」

「エルディオン。下を見てみなさい。これは誰が直すのですか?」

「……今の内に地面を踏み直せば……いけるはず」


 今は蔦で視界を防いでいますので、まだ誰の目にも触れてはいませんが、地面を踏んで平らにしたからと言って、見ればバレバレですよ。


 それに……


 バキッという破壊音と共に、魔草獣マリンラグアの蔦の壁が崩れていきました。先程のエルディオンの攻撃で傷ついていましたので、壊れやすくなっていたのでしょう。


「シア! 無事か!」


 蔦の壁が壊れた隙間からアルが現れたのですが、なぜ鎖でグルグル巻きになっているのでしょうか?


「アル様の方が無事なのですか?」


 王城に行っていたはずですのに、どうして鎖に巻かれていることになっているのでしょう。


「姉さま。アルフレッドお義兄様は、侯爵様にお仕置きをされているらしいです」


 私の問いには、なぜかエルディオンが答えていました。それにしてもネフリティス侯爵様からお仕置きですか?

 確かアルは、ネフリティス侯爵様に今回のことのあらましを報告に行ったのではないのですか?


 意味がわからず、首を傾げてしまいます。


「怪我は無いのか? 兄上は後でぶん殴っておくからな」


 鎖に巻かれているアルに心配されるのも、何か違う感が出てしまいます。それにしても、どうして彼もいるのでしょうか?


「私は大丈夫ですわ。それとなぜ第二王子もここにいるのですか?」


 私からは姿は見えませんが、近くに第二王子の気配があります。ここに何の用があったのでしょう。


「私は赤竜騎士団の団長ですから、王都内に魔物が出たとなれば、確認しにきますよ」


 するとアルの背後から銀髪が垣間見えたと思うと、アルが身体を捻って、縛ってある鎖の端が第二王子の腹に直撃し、後方に飛んでいきました。


「ジークフリート! 近づくな! シアを見るな!」

「あ……アルフレッド……戦いを見るように言われ……て、全く……わからなかったんだか……ら、事情聴取……はすべき……だろう」


 ふり絞るような第二王子の声が聞こえています。思いっきりお腹に鎖の攻撃が入ったのでしょう。


「シア。早く外套を羽織れ」


 外套をですか? 外套を羽織るほど寒くはありませんし、今から何処かに行くわけではありませんのに、なぜでしょう?


「ごめんなさい。姉さま。僕の所為だね」


 そう言ってエルディオンが、私の頭からエルディオンの学園指定の外套をかぶせてきました。


 エルディオンの所為ですか? 私はエルディオンに何かされた記憶はありませんわよ。

 しかし、エルディオンはほとんど着たことがない外套の前のボタンまで留め始めました。


 ああ、もしかしてドレスの裾を短くして、膝から下が見えてしまっていることですか? しかし靴下が見えているだけで、素足が見えているわけではありません。


「ドレスの裾が短いのは、私が切った所為よ」

「違うよ。僕が……雨を降らしたから……姉さまのドレスが……」


 ドレスが濡れてしまったことですか。これは乾かせば問題ないので、エルディオンが謝ることではないです。


「それぐらい、乾かせばいいのよ。冒険者をしていると、雨に降られることもあるもの」

「あ……庶民の服は分厚いからね。こうはならないと思う」


 エルディオンがボソボソと言っていますが、庶民の服もドレスも乾かせば問題ないと思いますのに。

 私はエルディオンの外套を羽織って、蔦の壁を亜空間収納にしまいます。ここに放置すると邪魔ですからね。


「それでアル様。その鎖はどうされたのですか?」


 お仕置き中だと伺いましたが、拝見しただけでも、面白そうな鎖ですわ。


「父上が戻られるまで、このままでと言われた」

「アルフレッドが暴れるからだそうですよ」


 アルがうなだれながら、ネフリティス侯爵がお仕事から戻られるまでこのまま居なければならないことを言われましたが、理由ではありませんでした。しかし、その理由をお腹を押さえた第二王子が教えてくれました。


 もしかして、これが鎖で巻いて王都に連れてきたという状態だったりするのですか? この鎖、呪術具に近い感じが見て取れますから、特殊な鎖なのでしょう。


「では、中に入って事情聴取をさせてもらっていいでしょうか」


 第二王子がにこやかな笑顔で言ってきましたが、地面に座り込んでお腹を押さえている姿では、様になりませんわね。


「その前に兄上をぶっ殺す」

「アルフレッド。フェリシア嬢の側で待機だと、侯爵から手紙が送りつけられてきただろう」


 アル。さっきぶん殴ると言っていましたのに、殺人宣言に置き換わっていますわ。






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