第84話 親子喧嘩?
一方その頃。アルフレッドは……
「父上! 執務中に失礼します!」
「執務中だとわかっているなら、出直してこい。赤竜騎士団副団長」
臙脂色の隊服をまとったアルフレッドが、扉をノック後に中からの返事を待たず、とある室内に入る。
執務机に積み上がった書類の所為で、姿が確認できない人物から、直ぐ様出直して来るように返事が返ってきた。
もちろん返事を返したのは、ネフリティス侯爵だ。しかし、ここは王城の一角にある財務長官の執務室。私用の用件であるなら後まわしにしろ、それが財務長官でありネフリティス侯爵の言い分だった。
「父上! 兄上のことで話があります」
ネフリティス侯爵のことを父と呼んでいる時点で、私用の用件と言っているものなのだが、アルフレッドはネフリティス侯爵の言葉を無視して、執務机の前まで来て、用件を口にした。
そのことにずっと視線を書類に向けていたネフリティス侯爵の右手が振られる。
「父上。無駄なことを話に来たわけではありません。苛ついてペンを投げないでいただきたい」
無駄なことを言いに来たわけではないと言っているアルフレッドは、眉間の前で突き刺さるように飛んできていたペンを受け止めていた。
そしてアルフレッドが文句を言っている間に、新たなペンを取り出して、先程の書類の続きを書き始めているネフリティス侯爵。まるで、どのような用件でも聞く耳を持つことはないという態度だ。
「父上。ギルフォード兄上のことですが……」
にも関わらず続きを話し始めるアルフレッド。
「本日、カルディア公爵家に赴いた兄上は、登城すると思わせつつ、俺のフェリシアをおびき出すという愚行を働いたのです。これは万死に値する行為です」
アルフレッドが出ていかずに、用件を言い始めたことで、ネフリティス侯爵のまとっている雰囲気が段々と険悪な感じを醸し出した。
「ひっ!」
その状態を見た者から悲鳴が出てきた。これは用件を言っているアルフレッドではなく、この部屋の財務長官の秘書の男性だ。
何年も財務長官の秘書をやっていると、ネフリティス侯爵の機嫌の度合いがわかるものなのだろう。室内の隅の方でなるべく危害が加えられないように、息を殺して震えている。いや、少し大げさな態度だと言えるだろう。
「アルフレッド。それは私用だ。今の私には全く関係ない」
ネフリティス侯爵は怒気をはらんだ声で言う。仕事の話なら聞く耳は持つが、私用の用件ならさっさと帰れという態度を崩すことがない。
しかし、アルフレッドはそれぐらいでは引き下がらない。何故ならアルフレッドにとって、仕事よりもなによりもフェリシアのことが最優先だからだ。アルフレッドは更に一歩前に出て言う。
「父上。フェリシアより優先するものなの何一つありません」
己の本心を口にした。ただ、今ここで言うべきことかと言えば、どうだろうか。
ネフリティス侯爵の手元からバキッと音が聞こえてきたことから、言葉の選択肢を間違えていることは明白だ。
ペンだった残骸が紙の上に散らばってしまい、今まで書いていた書類がインクというものに蹂躙されている姿を目にしたネフリティス侯爵は無言のまま立ち上がる。
その姿を目にした秘書の男性は何かしらの札を手にして慌てて部屋を出ていった。それも廊下に響き渡る程の大声で『この一帯立ち入り禁止!』と叫んでいる。まだ事はなにも起こってはないにも関わらず。
「アルフレッド。私は仕事中だと言ったはずだが? 最近はおかしな行動も少なくなってきたと思ったのだが、フェリシア嬢が関わるとすぐこれだ」
ネフリティス侯爵は己と似た容姿の息子に、頭が痛いと言わんばかりに顔を歪めている。
「お仕事中なのは存じていますが、今回のことはギルフォード兄上に制裁を与えるべきです」
アルフレッドの言葉にネフリティス侯爵の目がピクリと動く。制裁とは一般的に決められた法であったり一族の掟であったり、それらに触れた者を罰するという意味だ。
ただ、ネフリティス家の者が使うと違う意味になってしまう。
法や掟など関係なしに世界の法で裁く妖精女王の審判を受けさすという意味になるのだ。
それは安易に口にするものではない。
「ギルフォードは生まれる前に妖精女王の裁きを受け、生きることを許されている。これ以上何かを架すことはない」
ネフリティス侯爵の言う通り、両親が裁きを受け、子には罪がないと生きることが許された存在がギルフォードだ。そのギルフォードに再び妖精女王の審判を受けろと言うのは、妖精女王にあの時の判断は間違っていたと突きつけるようなものだ。
そのようなことは、何があってもするべきではない。
「父上。兄上はシアの持つ妖精女王の薔薇を狙っていました。今日は領地に赴いたときにお土産として購入した妖精女王の薔薇を模したものを……」
「ちょっと待て、私は領民に薔薇の模倣を許可したことはない」
アルフレッドの言葉をネフリティス侯爵が慌てて止めた。ギルフォードが妖精女王の薔薇を狙っていたことに驚いたのではなく、領地で妖精女王の薔薇の模倣が存在していたことに驚いているのだ。妖精女王の薔薇は特別で、そもそも枯れて落ちた花びらしか持ち帰ることを許されていないものだ。それを勝手に領民が薔薇の姿に再構築しているとするなら、大きな問題だ。
「それは年に一度、お祖父様が前ガラクシアース伯爵の墓に供える薔薇を領民に依頼して作らせているものです」
「私は知らないが?」
「お祖父様に確認してください」
ネフリティス侯爵は大きくため息を吐いて、椅子に再び腰を下ろす。
「ギルフォードが薔薇に興味を持っていることは報告を受けているが、放っておけ」
「しかし、父上! シアを死の森に入れるなど許される行為ではありません!」
「はぁ、フェリシア嬢が死の森ぐらいで、どうこうなるか?」
アルフレッドが必死で兄であるギルフォードの行動が許されないと言っても、ネフリティス侯爵にとっては問題視するほどではなく、どちらかと言えば、領民が妖精女王の薔薇の模倣を作っていたという事実が、一番の衝撃だったようだ。下手すると多くの領民が裁かれる事態になりかねないことだったからだ。
「言っておくが、大したことがないのに、妖精女王に審判を願っても、受け入れられることはない。法で裁けるのであれば、法で裁き、一族の当主が裁けるものなら、一族の当主が裁くのが普通だ。その普通がまかり通らない場合だけ、妖精女王に願うのだ。それも妖精女王が下す判断は全て妖精女王の意思だ。人の感覚ではないことを忘れるな」
ネフリティス侯爵はため息混じりで、当たり前のことを口にする。裁ける基準が設けられているのであれば、それで裁けばいいと。そして妖精女王は人としての感覚を持ち合わせていないので、裁決に不満があっても文句を口にするべきではないと。
その事にアルフレッドは不満そうにネフリティス侯爵を睨みつける。己の言い分はいつも通らないと言わんばかりに。
「いつも言っているが、お前はフェリシア嬢の結婚相手にはふさわしくはない」
ここで衝撃な言葉がネフリティス侯爵から出てきた。いや、いつもということは、アルフレッドには聞き慣れた言葉なのだろう。不満そうに睨みつけている態度には変化は見られない。
「フェリシア嬢はガラクシアースの中のガラクシアースだ。本当であれば、一族の中から婚姻する者を決めるのが妥当だろう」
これはガラクシアースが血族の中で婚姻を繰り返して、神竜ネーヴェの力を一族の中で維持していこうという話のことだ。
「この話をすると直ぐに暴力的な行動に出るのも、お前の悪いクセだ」
先程まで椅子に腰を下ろしていたはずのネフリティス侯爵の姿はそこにはなく、アルフレッドがいる執務机の前に立っていた。しかし、ただ一人立っており、アルフレッドの姿が見えない。
ネフリティス侯爵の視線は壁側に向けられ、そこには背中から壁にぶつかった姿のアルフレッドがいた。それも剣を抜こうとしたのか、右手が剣の柄にかかっていた。
「父上。俺は兄上の話をしにきたのです!」
アルフレッドはそう言いながら、剣をさやから抜く。はっきり言ってこの行動は問題視されるものだ。
「私は私用の用件なら出直すように言ったのだが、それを聞かなかったのだ誰だ?」
ネフリティス侯爵もどこからともなく、剣を取り出した。いや、侯爵もまた亜空間収納を持っているようだ。
これは秘書の男性も立ち入り禁止と言いながら去っていくだろう。
このやり取りは、この数年何度かあったのかもしれない。アルフレッドがフェリシア絡みのことで、ネフリティス侯爵の元に許可をもらいに行けば、仕事だと追い返され、それでも粘れば、アルフレッドはフェリシアの婚約者としてふさわしく無いと言われるのだ。そして、アルフレッドが先に手を出して、派手な親子喧嘩が始まるという流れになる。
しかし前回の神王の儀の直後のときはまともに話ができたようだが、それはきっと侍従コルトが二人の緩衝材になり、話を進められたのだろう。
その時、ネフリティス侯爵の剣を構えた手元から、チカチカと光が点滅しながら発光しだした。正確には右手のカフスボタンだ。
「どうした」
『お仕事中のところ大変申し訳ございません。旦那様』
「ゼノンか。何かあったか?」
ゼノンとは王都のネフリティス侯爵邸を仕切っている執事の名だ。
『父上……侍従コルトが言うには、そちらにアルフレッド様もいらっしゃるとか……』
「いるが……」
ネフリティス侯爵はカフスボタンを摸した通信の魔道具から聞こえる言葉に、答えつつ未だに殺気立っているアルフレッドを視界に収める。
『できれはアルフレッド様のいらっしゃらないところでお話しを……』
先ほどからの執事ゼノンの歯切れの悪さから、ネフリティス侯爵はおおよそのことを口にした。
「フェリシア嬢に何かあったのか?」
正確にはそうではないことはわかっている。執事ゼノンがわざわざ連絡を入れてくるほどのことだ。ただ、その報告にはフェリシアが関わっており、必然的に名を出すことになり、アルフレッドの耳に入れるにはよろしく無い事態になっていると。
しかしアルフレッドからすれば、その言葉が全てだ。
フェリシアに何かあった。となれば、今直ぐに向かわなければならない。
アルフレッドは剣を収め、入ってきた扉を見定め、直ぐ様駆けつけようと一歩踏み出したところで、床に身体が激突した。
「こういう隙を相手に与えるのも、お前の悪いクセだと言っているだろう」
アルフレッドはいつの間にか金属の鎖に体中をグルグル巻きにされ、ネフリティス侯爵から見下されていた。
「言っておくが、ドラゴンを捕獲する用の特別な呪を練り込んだ鎖だから、簡単には引きちぎれないぞ」
足元でイモムシのようになってしまったアルフレッドを見下ろし、ネフリティス侯爵は再び通信の魔道具に向かって言う。
「ゼノン。こちらは捕獲した。続きを話せ」
『……ほかく……はい。ギルフォード様が先程お戻りになりまして、旦那様からのご指示通り邸宅内には入れないようにしていたところ、庭を散歩中でしたフェリシア様が丁度お戻りになられたところで遭遇してしまったのです』
フェリシアの名が聞こえ、アルフレッドがうめき声を上げたところで、ネフリティス侯爵が黙るように一発蹴りを入れた。
『ギルフォード様は何故か「ガルムの黒炎」をお持ちになっており、それをフェリシア様に向けて投げはなったのです。詳細は侍従コルトからの又聞きで私も理解できていないのですが、何故か馬車の中にフェリシア様が乗っておられ、馬車の扉は閉められたものの、黒炎は上らず、恐らくフェリシア様が発現を止めたのだろうと予想できました。ただ、もう1本「ガルムの黒炎」をお持ちで、流石にフェリシア様も対処が出来ず、黒炎が上がってしまいました』
「ガルムの黒炎が二つか。これはカルディア公爵に問いたださなければならないな。それで、フェリシア嬢が食い止めているというところか?」
『……それが、突然食人蔦が現れ、壁のように黒炎と我々を隔てましたので、詳細がわかりかねるのです。しかし、ガルムの黒炎の危険性に我々だけでは対処は難しいと判断し、ご連絡をいれさせていただきました』
執事ゼノンの長い説明にネフリティス侯爵は一言で返す。
「フェリシア嬢に任せておけばいい」
これが最善策であるかのように言い切ったのだった。
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