第83話 その薔薇を返していただけませんか?
夕日が、赤い薔薇を更に赤く染めています。
私はネフリティス侯爵夫人からのなんとも言えない視線に居心地の悪さを感じ、南側の庭園に逃げて来てしまいました。
私は悪くないと思いますわ。
しかし失礼がないように、出された宝石果は全ていただきました。どうも私に出された物はアルが採って、侍従コルトに伝言と共に渡していたものだったのです。
それを聞いたネフリティス侯爵夫人は『普段のことも、それぐらい気がきけばいいのに』と言って、私に生暖かい視線を向けてきたのです。
夫人の中のアルの評価はどのようなことになっているのでしょうか。
薔薇の香りが辺りに立ち込めている庭を散策しながら、ため息がこぼれ落ちます。
先ほど聞いた話は、私の所為ではありませんわ。だから、あのような視線を私に向けなくてもいいと思うのです。
「フェリシア様。何かご不満があるのでしょうか?」
私の後ろから付いてきてくれている侍女エリスが声を掛けてきました。あの場には侍女エリスはいませんでしたので、私のため息に疑問を覚えたのでしょう。
「アル様の昔の色々なことを、ネフリティス侯爵夫人からお聞きしたのよ」
すると侍女エリスは神妙な面持ちになって、私の言葉に頷き返してきました。
「そうですか。とうとうフェリシア様のお耳に入ることになってしまったのですか……」
もしかして、使用人の方々にアルの奇行は、当然のように受け止められているのですか。
「フェリシア様に近づこうとした輩を闇討ちしていたことを……」
「それ初耳ですわ。なんですか?闇討ちって?」
すると侍女エリスはしまったという顔をして口元に手をてました。
そもそも私に近づく方ってどなたのことでしょう?シャルロット様かヴァイオレット様ぐらいしか思い浮かびませんわ。
「申し訳ございません!聞かなかったことにしていただきたいです!」
「気になりますわ。ガラクシアースの娘ですから、あまり良い評判はないと思うのです。ですのに、私とお友達になりたい方ってどなたですの?」
私は興味津々で、侍女エリスに聞きます。私に声をかけてくださる方って本当に少ないのです。
王家主催の夜会に行きましても、アルのお仕事関係らしい殿方がアルに話かけるだけで、私は隣でニコニコと笑みを浮かべているだけでしたもの。
いったいどなたが、私とお友達になりたいという方がいらっしゃったのでしょう。
すると侍女エリスは首が取れそうなほど、横にブンブンと振って、後ずさりを始めました。
「決してフェリシア様と……お……お友達に……なりたいと……あっ! フェリシア様あちらから馬車の音が聞こえます!きっとアルフレッド様がお戻りになったのでしょう!」
そう言って侍女エリスは私の手を引いて邸宅の玄関の方に私を引っ張って行きます。
確かに馬車の車輪の音が聞こえますが、アルではありませんわ。
アルは、まだ王城の方にいますもの。魔力感知できますから、魔力量が多いアルの居場所なら、王都内であれば把握できます。
ただ王城は魔力量が多い方がたくさんいらっしゃいますし、一番巨大な魔力を発している存在がドンと高台の中央に居座っていますので、詳細にどこにとは把握はできません。
しかしネフリティス侯爵邸の敷地に入ってきた馬車にアルが乗っていないことはわかります。
丁度いいでしょう。
私は侍女エリスの間違いを指摘することなく、そのまま足を進めました。
南の庭園から玄関に向かっていますと、人の声が聞こえてきました。やはりそうですか。
どうも邸宅の中に入れずに、もめているようです。そのことに侍女エリスも気がついたようで、足を止めてしまいました。
「フェリシア様。申し訳ございません」
「いいのよ。丁度、用事がありましたの」
侍女エリスは足を止めてしまいましたが、私はそのまま玄関に向かって進みます。
「どうして中に入れない!」
「侯爵様の指示でございます」
「私はまだネフリティスの者のはずだ!」
「侯爵様の指示でございます」
あの黒髪の後ろ姿はギルフォード様ですわね。そして馬車の窓ごしに見えるのはシャルロット様です。金髪のグルングルンに巻いた髪に挿しているのは、私がアルからもらった赤い薔薇。
返していただきましょう。
私は馬車を護衛していると思われるフルプレートアーマーを身に着けている方々に視線を向けます。
皆様、馬車の四方にいらっしゃるものの、玄関先で言い争っている……いいえ、ギルフォード様の声を荒げている姿に気を取られているようで、周りへの警戒がおろそかになっているようです。
気配を消して、侍女エリスについて来ないように無言で指示をして、一歩踏み出します。
そして素早く馬車の玄関側に開けられた扉から、馬車に乗り込みます。
余程修練された方でないかぎり、ガラクシアースの動きは目で追うことが出来ずに、見逃してしまうのです。ですから、人によれば、瞬時に目の前に現れたように思うでしょう。
そう、今のシャルロット様のように。
「あ……貴女! なぜここにいますの! 今頃、魔物に食べられているはずの貴女が!」
シャルロット様の悲鳴に似た大声に、周りにいた護衛たちが慌てて開け放たれた馬車の扉から、中を覗き込んできました。
「やはり、その薔薇を返していただこうと思いまして」
私はシャルロット様の問いには答えずに、この場にいる理由を答えました。あの時は脅しに屈しましたが、やはり諦めることはできません。
アルが代わりの物を用意すると言ってくれましたが、それは別もので、旅の思い出の物ではないのです。
「私の問いに答えなさい!」
シャルロット様は怒りをあらわにして、手に持っていた扇を私に投げつけてきました。
「アル様が迎えに来てくださいましたと答えればいいですか?」
私はシャルロット様の問いに答えたというのに、シャルロット様の背中に敷いていた四角いクッションを投げつけられてしまいました。
「貴女はいつもそう! 私の癪に障ることばかり! 最初に会ったときからそう! アルフレッド様の婚約者が、なぜ貴女なのかしら! 私がどんなに着飾ってパーティーに出席しても、視線を集めるのはいつも貴女! 人気のウィオラ・マンドスフリカ商会のドレスの新作をいつも着ているのはどういうことですの! わたくしでさえお父様からウィオラ・マンドスフリカ商会との取引を禁じられていますのに!」
あの……私がアルの婚約者になった経緯はいつも説明していると思うのですが、いつになったら理解してくださるのでしょう。
それに私は王族主催の夜会にしか出ませんので、物珍しい珍獣扱いなのではないのでしょうか? あと、夜会に着るドレスはアルから贈られたものなので、新作かどうかはわかりません。
それからウィオラ・マンドスフリカ商会が、新興貴族から受け入れられていることで、古くからある貴族の方々は、あまりいい顔をされないとヴァイオレット様からお聞きしましたが、私にヴァイオレット様の手紙を偽装してきた内容を見ると、公爵様に内緒でこっそりと取引していたということでしょうか?
「わたくしは公爵令嬢なのよ! 敬いなさい!」
私の薔薇を奪っておいて、敬うように言われても、無理ですわ。
「シャルロット様。その薔薇を返していただけませんか?」
「やはり、戻っていたのですか」
私の言葉にギルフォード様の声がかぶさってきました。私は横目でギルフォード様を窺いみます。
なにやら勝ち誇ったような笑みを浮かべているのはどういうことなのでしょう?
「カルディア公爵令嬢は後始末が面倒だから、死の森に入れようと提案してきましたが、私は反対していたのですよ」
その言葉から死の森に私を放り込もうと提案したのは、ギルフォード様ではなく、シャルロット様だったようです。そうですわね。ガラクシアースが普通でないことはおわかりですよね。
「あのアルフレッドは死の森など簡単に突破してくるなど、目にみえているではないですか。足止め工作したのにも関わらず、フェリシア嬢のことになると良く鼻が効く」
……もしかしてギルフォード様にもアルの奇行が私の所為だと思われているということですか?
「ですから、始めからこうしておけば良かったのですよ」
ギルフォード様は外套の懐から手のひらに収まるほどのガラスの小瓶を取り出してきました。
そのガラスの小瓶を目にしたシャルロット様は慌てて護衛の方に向かって馬車から飛び出て行きます。
「わたくしの前で取り出さないで欲しいわ!」
「失礼しました」
シャルロット様の慌てようから、とても危険なものなのでしょう。ええ、ガラスの瓶からは怪しい気配がビシビシと感じられます。
素直に受ける必要はないと立ち上がろうとしたところで、侍女エリスの姿がギルフォード様の前にありました。
「逃げると、この侍女に代わりに使うことになりますよ」
脅しの次は人質ですか。
ギルフォード様の奥に侍従コルトの姿が見え、今直ぐ逃げるように示唆されましたが、誰かを犠牲にするのは私としては嫌です。
私は、腰を下ろしニコリと笑みを浮かべます。心配はないと。
侍女エリスからは涙と共に謝罪の言葉が出てきていますが、見つかってしまったのでしたら仕方がないことです。相手も侍女エリスよりも腕が立つ、カルディア公爵家の護衛の方々なのですから。
「これはガルムの魔炎が封じ込まれていると言われている物で、一度獲物に噛みつくと死ぬまで離さないそうですよ」
あら? ご丁寧に説明をしてくださるのですか。なんだかんだと言ってお優しいのですね。
ギルフォード様はそう言って、怪しい気配を発している小瓶を私の方に投げつけ、馬車の扉を勢いよく閉じられました。
私は馬車の床に落ちる寸前に、ガラスの小瓶が割れないように受け止めます。
ガラスが割れなければよいのですわね。
しかしその小瓶の口が開いているではないですか! まさか蓋を開けて投げてきたのですか?
私は蓋になりそうな物はないのかと、亜空間収納に手を入れましたが、思い当たるものはありません。仕方がありません。
先ほど倒して回収した魔草獣マリンラグアを取り出して葉で口を覆い、蔦で瓶ごとグルグル巻きにします。
死の森の魔物は常に森全体から干渉を受け続けていますので、ちょっとやそっとでは、ガルムの魔炎というモノも出てこないでしょう。どういうモノかさっぱりわかりませんが。
『ちょっと、何も起こらないとはどういうことなの!』
『知りませんよ。元々はカルディア公爵家が保管していたものですよね』
馬車の外からそのような声が聞こえてきましたが、もしかしてシャルロット様。公爵様に内緒で持ち出したということはないでしょうね。
『仕方がありません。アルフレッドに使うはずだった、もう一本を使いましょう』
「え?」
こんな物がもう一本あるのですか? それはちょっと困ったことになります。
『おやめください! ギルフォード様。これは流石に旦那様もお許しになりません!』
侍従コルトの声が聞こえてきました。きっと侍従コルトは一つであれば私がどうにか対処すると、わかってくれたみたいですが、もう一本は駄目ですわ。
『うるさい! 使用人風情が!』
その声と共に、馬車の窓からガラスを割りながら何かが侵入してきました。黒い獣!
黒い炎をまといながら鋭い牙を見せつけ、小瓶から飛び出てくる狼のような獣。
これがガルムの魔炎ですか。ということは本体は獣ではなく、黒い炎。
だったら勝ち目はありますわ。ガラクシアースはネーヴェ様の一族。全ての炎を無に帰してあげましょう。
私は亜空間収納から魔草獣マリンラグアを全て引きずり出します。それは黒炎に呑まれている馬車を破壊し、ガルムの黒炎を周りに飛び散らせることになります。
魔草獣マリンラグアの蔦と共に外に黒炎に燃やされている馬車から出た私を複数の視線が追いかけます。その視線を遮るように魔草獣マリンラグアの蔦で、結界のように周りを囲みました。
それはこれ以上炎を広げないためと、私の攻撃の余波を撒き散らさないためです。
「コルト! そこにいる者たちをここから遠ざけて!」
本来でしたら、アルが命じなければなりませんが、今回は仕方がないと許してください。
使用人は自分の身を忖度して行動には移しません。ですから、私が命じるのです。ここから離れるようにと。
さて、まいりましょう。
なぜ、暗黒竜の残滓の慣れの果てが、小瓶などに封じられているのかは存じませんが、これを問い詰めるのは私ではありませんわね。
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