第81話 ごめんなさい

「シア! 何かされたのか?」


 アルが壊した馬車の扉から入ってきました。そして痛いほど抱きしめられましたが、私の中ではなんとも言えない感情が渦巻いています。


 ごめんなさいという思いと、悔しいという思いと、この状況になっている不可解さなど、色々混じっています。


「大丈夫です」


 取り敢えず私の状態は報告しておきます。


「何が大丈夫なんだ! 泣いていたのだろう!」


 そう言ってアルが私の頬を触ってきました。これは……全て私の判断の甘さが招いたことです。


「大丈夫です」


 私はニコリと笑みを浮かべます。

 お茶会で私だけお茶が用意されていなくても、虫入りのお茶が出されても、着ている古いドレスをクスクスと笑われても、ニコリと笑みを浮かべておけば、いいのです。

 心を押し殺すのは慣れています。


「アル様。どうしてこちらに?」


 私はアルにここに来ている理由を尋ねます。統括騎士団長様に報告に行っていたはずですもの。


 そもそも私の感覚では王都の中を馬車で移動している時間しか経っておらず、死の森に行ける時間ではないのです。


「……そうか……そうだな。ただ殺すのでは、味気ないな。シアを泣かせたことを後悔させないといけないな」

「え?」


 あの……私が聞いた答えではないのですが?それにさっきまで殺そうと考えていたのですか? 


「それでシア。シアを泣かしたのは誰だ?」


 それは言えませんわ。そんな殺気を振り撒いているアルに、ギルフォード様の名前を言おうものなら、色々と問題になりそうですもの。


「アル様。私、不思議なことがありまして、あまり時間が経っていないのに死の森に来ていたのです。なぜなのでしょう?」


 しれっと話題を変えてみます。

 あまり時間を掛けずに死の森に来ていたことです。それとも私の意識がどこかで飛んでいたのでしょうか?


「それは王城の転移門を使えば、王都の外に簡単に移動できるからだ」


 なんと! あの王城にある転移門……正確にはどこにあるかさっぱりわからないまま転移してしまう門。それが第一層だけでなく、王都の外に出入りできるようになっていたのですか! 


「シアが話さないということは兄上か」

「ふぇ?」


 なぜ、バレているのでしょう? 私は、バレるようなことはしていませんわよ。


「そうか。兄上がシアを泣かせたのか……文句があるなら俺に直接言えば良いものを!」


 なんだか。このまま殺人しそうな雰囲気をまといだしたアルの手を握ります。


「アル様。これは私の不甲斐なさを悔やんだものですわ。アル様の言う通り執務室から出なければよかったのです」


 そうです。私がそもそもアルの執務室から出なければよかったのです。


「父上はよく言っていたな。兄上は実力が足りないから姑息な手をよく使うと。今回はシアが逆らえない権力を使ってきたのだろう? それはシアが悪いわけじゃない。側についていられなかった俺が悪い」

「それは違いますわ!」


 アルが悪いことなんて、何もありません。

 しかし、なぜここまでアルにバレているのでしょう?


「兄上の行動のおかしさから、父上に監視を付けてもらっていた。今日は普通に登城するはずだったが、カルディア公爵家に向かったと連絡が入っていたんだ。俺はてっきり婚約解消の話をつけるものだと思っていたのだが、まさか兄上の狙いがコレだったとはな」


 そう言ってアルは私が握っていない手で、私の髪に触れました。そこにはアルからもらった赤い薔薇の髪飾りをつけていたところです。


「ごめんなさい」


 目から言葉と共にポロリと後悔がこぼれ落ちます。一度こぼれてしまいますと、我慢していたものが溢れて、ポトポトと落ちていきます。


 私は自分自身の過ちでは泣かないと決めていましたのに。お姉ちゃんだから、エルディオンとクレアを守るために、泣かないと決めていましたのに……どんなに辛くても笑顔でいようと決めていましたのに。


 視界が曇った弱い私では守りたい者を守れません。

 心が曇った弱い私では敵を討てません。


 また、泣いてしまうなんて……なんて、私は弱いのでしょう。


「ギリッ……絶対に許さない。どうしてやろうか。ついでにあの目障りな女も消してしまおう」


 アルの低い声に肩がビクッと震えます。あの女? まさかシャルロット様のことですか?


 消すってどういうことですか? 公爵令嬢を消すなんて、貴族社会で大問題になってしまうではないですか!


 アルの恐ろしい言葉に驚いて涙が止まりました。


「アル様。それは駄目ですわ」

「駄目なものか。シアを泣かすやつは万死に値する」


 ……だから、それが駄目だと言っているのですわ。


「白竜騎士副団長は半殺しにしてやったが」


 既に関係ない人をボコっていましたわ! どこから白竜騎士の副団長様が出てきたのですか!


「アル様。関係ない人に暴力は駄目ですわ」

「ああ? 俺をどうでもいい用でシアから引き離したヤツだ。上官が報告しているのに俺がわざわざ報告する意味がないと、問い詰めれば、カルディア白竜騎士がわざわざ統括騎士団長に進言したというじゃないか」


 アルの執務室にいつものことのように訪ねて来られた白竜騎士の方ですわね。その方をアルは半殺しにしたのですか! それは今頃問題になっているではありませんか。


「慌てて執務室に戻ってみれば、シアは書き置きをして消えているし、慌てて門番を問い詰めれば、北門にゲートを開いたって言うから一発殴っておいた」


 門番さんもアルの被害に遭われているではないですか! 門番の方はお仕事をしただけですわ。


「あの……門番の方を殴るのは流石に、やり過ぎだと思います」

「何を言っているんだ、シア。王城から王都の外にある転移門を繋げられるのは王族のみと決められている。カルディア公爵だからといって、その権限はない」


 それは、門番の方も悪いかもしれませんが、アルが手を下すのではなくて、その門番の上官の役目ですわ。


「それで第三層の北門の門兵に聞けば、まっすぐ北に向かったと言うじゃないか。それは怪しんでくれと言っているようなものだ。こういうところが爪が甘いんだ。あの兄上は」


 まっすぐ北にということは、王都の北に広がっている森を迂回しないということです。

 普通であれば、街道に沿って東か西に馬車は方向を変えるのです。普通ではありえない行動をした馬車は人の記憶に残りやすい。


「案の定、途中ですれ違った馬車には兄上とあの女が乗っていた。満足そうな顔をしていると思ったら、シアを泣かせていたんだ。死んで当然だよな」


 そこに戻ってきました! 人殺しは駄目ですわ。なんとか……別の方向にアルの意思を向けさせることはできないのでしょうか?


 えーっと、何を言えばいいのでしょう……


「アル様。私は気にしてはおりませんので、人殺しは止めにしましょう……」


 あの赤い薔薇を奪われてしまったのは、私が悪いのです。それにあの赤い薔薇は人から見ればただの薔薇を摸したものでしかありません。


 赤い薔薇……妖精女王の薔薇……


「妖精女王様に委ねるのは如何でしょうか?」


 これならアルが人殺しにならなくてすみますわ。


「赤い薔薇は元々妖精女王の薔薇の花びらから作られたものですし、妖精女王様にギルフォード様の進退を委ねるのは如何でしょうか」


 妖精女王様なら、ギルフォード様の今回の行いで命を奪うということはなさらないでしょう。


「シア。案外えげつない方法を言ってきたな」

「え?」


 えげつない? どういうことなのですか?

 聞いたお話しではギルフォード様のお母様が赤い薔薇を求めて、ネフリティス侯爵様のお兄様が薔薇を手にしたことが問題になったことで、お二人共亡くなる事態になりました。しかし、今回のことは私からただの薔薇を奪ったこと。命を奪うという裁決にはならないでしょう。


「しかし、お祖父様を納得させるにはいい方法だな。お祖父様は兄上を何かと気にかけていたからな」


 前ネフリティス侯爵様ですか。本当であればギルフォード様に侯爵の爵位を与えたかったのでしょう。

 しかしネフリティス侯爵様は反対しており、私が妖精女王様から薔薇を賜ったために、諦めざる得なくなってしまった。

 確かにギルフォード様が言っていたように、私の所為なのかもしれません。


「シア。そろそろ帰ろうか。周りが囲まれてしまっている」

「はい。ここは向こうから獲物がやって来るから楽ですわね。果物を採って帰りましょう」

「……そんなキラキラした目で見なくてもわかっている」


 私、そんなにわかりやすいのでしょうか? でも今この馬車の残骸を覆うように蔦を伸ばしている魔草獣は、キラキラした宝石のような甘くて美味しい果実を餌に、獲物を捕食する魔物です。

 普通であれば獲物を待ち構えて捕食する魔物ですが、動かない馬車の横にアルが倒した魔物の死骸があるので、それを食べにきたのでしょう。


 エルディオンもクレアも好きな果実です。お土産にはいいですわ。







 一方その頃。フェリシアを馬車に残して、待機させていた別の馬車に乗り換えて王都の方に戻っている者たちがいる。


「こんな物に意味がありますの?」


 金髪の女性の手には、大輪の赤い薔薇があった。それは普通の薔薇よりも大きく、手のひらを広げたぐらいの大きさがある。


「意味は無いでしょうね」

「お兄様にまで手伝ってもらって、意味がないとはどういうことですの!」


 意味がないと言ったのは、女性の向かい側に腰を下ろしている黒髪の男性だ。


「それは偽物ですよ。ですが、人の目にはそれで十分威力がある」

「偽物に興味はありませんわ」


 そう言って、長い縦巻きに巻いた髪を片手で払い、赤い薔薇を黒髪の男に投げつける。

 すると黒髪の男は淀んだ笑みをうかべながら、受け取った。


「本物は死を招きますからね。危険ですよ。それにほとんどの人は、本物なんて見たことはありません。これがあればネフリティスに成れる。そういう物ですよ」

「あら? それがあのフェリシアがアルフレッド様に選ばれた理由だといいますの?」


 金髪の女性は黒髪の男性から奪い取るように赤い薔薇を再び手にした。それが己の物だと言わんばかりに、金色の髪に挿している。


「さぁ? あのアルフレッドの狂気じみた執着は、私が彼らと出会った頃からだったと思いますよ」


 男性は淀んだ笑みを浮かべながら、己の言葉を上の空で聞いている金髪の女性を見る。金髪の女性の中では、アルフレッドという人物との未来を夢見ているのだろう。ここではない何処かを見ているようだった。


「まぁ。好きにすればいいですよ。それはきっとアルフレッドの癪に障るでしょうから」


 金髪の女性が目の前にいるというのに、堂々と言葉にした。ただ、金髪の女性は上の空のため、好きにすれば良いということしか聞こえなかったのだろう。


「ええ、返すように言われても返しませんわ。これで私が侯爵夫人。貴方はお一人でなんとか子爵という地位を守っていくとよろしいのです」


 女性は気がついていない。黒髪の男性がアルフレッドという存在を蹴落として、その地位に己がつこうとしていることに。


 馬車の中で男性と女性の思惑がすれ違いを見せる中、突然馬車の振動がなくなり止まった。


 そして馬車の扉がノックされ、扉の外から声がかけられる。


「ご歓談中、失礼いたします。転移門が封鎖され、ご使用することができないそうです」


 その言葉に黒髪の男性が慌てて、声を掛けられた方の窓を開けた。


「どういうことです!」


 護衛についていたものなのか、馬車の外には厳ついフルプレートアーマーを身に着けた者が立っていた。


 どういうことかと問われても、言ったこと以上のことは無いと言わんばかりに、言葉に詰まらせているようだ。


「わ……私共も……今し方、門兵から聞いたことでして……詳しいことは門兵もわからないという様子でした」


 すると男性は窓から顔を出して、後方に見える森の方を確認した。しかし男性の目には何も映らず、ただ不気味な森が広がっているだけだ。


「ここに来るまで誰かと、すれ違いましたか?」

「いいえ。誰ともすれ違ってはおりません」


 その時、北にある森の方から王都に向かって強風が吹いた。そのあまりにもの強風に黒髪の男性は目をつぶり、強風をやり過ごす。


「そう言えば、先程は南から強風が吹いていましたが、不思議なこともあるものです」


 護衛の者の言葉に、男性は視界を邪魔する黒髪を横に流しながら王都の方に視線を向ける。


「まさか!」


 叫ぶ男性の目には、王都をぐるりと一周する高い壁と北からの人の出入りをチェックしている大きな門しか映っていない。だが、何か慌てたように大声で命じた。


「すぐにネフリティス侯爵邸に向かいなさい!」


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